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金融システムの闇の超起源 その16

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年11月 1日(土)02時43分50秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11912287979.html

≪R.D. Willing 著『マネー/金融システムの闇の超起源』より抜粋(16)≫
2014-08-19 21:31:52
テーマ:R・デュアン・ウィリング
(15頁からの続き)

〔Richard Duane Willing 著, 為清勝彦 訳『マネー/金融システムの闇の超起源―地球を滅ぼす人類最後の宗教』 第11章 債務の誓約 より抜粋、要約 P.292-P.310〕

■聖書人が興奮した「誓約(マネー・ローン)のパワー」を発見した時(BC539~)

「債務」が人間を支配する力(パワー)の確固たる基盤になるという発想は、一般の常識とは正反対のようである。一般的な理解では、人々は努めて負債を回避する。債務を負うと、返済に難儀したり、高額な利子を負担しなければならない。債務を回避する能力は、借り手当人にとっては有利なことかも知れないが、貸し手にとって不利益であるのは当然である。ローンに対する利子なくして、マネーの貸し手は利益を得ることは出来ないし、生き残ることも出来ない。債務という手段によって「パワー」を得ることが出来るという発見は、聖書にある「誓約」に関する教えと、神話の人物アブラムがアブラハムになった物語の中に見出すことが出来る。現代マネーの「誓約のパワー」を初めて発見した興奮の渦中に我々を案内してくれるのは、かの有名な旧約聖書のアブラハムであり、聖書の第二神殿が出来た頃、紀元前539年以降の或る時期のことである。

後にアブラハムとなるアブラムは、「洪水の向こう側から」聖書の中に入ってくる(旧約聖書 ヨシュア記 24章1節~4節)。この一節と「メルキゼデク Melchizedek」という人格は、聖書は暗号で記載されており、その人物像は主として比喩であるという本書の立場を補強することになる。メルキゼデクと出会った結果、アブラムがアブラハムになるという話は、以下のことを暗号化して伝えている。経済霊とモロク神が到来したこと、聖書では「誓約」と称されている「マネー・ローン」のパワーが発見されたことである。

聖書の物語の中でメルキゼデクは重要である。ギリシャの栄光の銀行家テオドトス Theodotus(生没年不詳)によると「メルキゼデクは人間ではなく、独立自尊の天の力であり、至高にして名の無い場所にいることが確認出来た。メルキゼデクは天使の為の調停者・仲介者であるという意味で、人間だけの為の調停者・仲介者であるキリストよりも優れている。メルキゼデクは真に神に仕える者であり、それに比べれば、キリストのやっていることは劣化版コピーに過ぎない」(Blunt,John Henry,ed.,Dictionary,Sects,Heresies,Ecclesiastical Parties/Rivingtons Oxford,Cambridge,1874)。これを読むと、メルキゼデクの調停力というのは、モロクの天使達と共に、金融業とマネーの権力に最善を尽くす為にあるのだろうという印象を強く受ける。

キリスト教徒やユダヤ人が一般的に理解している伝統的解釈とは正反対に、アブラハムは苦悶する犠牲者でも貧窮する放浪者でもない。聖書のアブラムは、アブラハムになる以前でさえも、金持ちであり、当時をリードする大商人であった。彼は知り得る限りの商業圏のまさに東西両極の地を結ぶラクダの隊商を持っていた。後にアブラハムとして秘儀を伝授されてから、彼は市場のマネーで広大な土地を買った。彼はラクダでエジプトを訪れ、滞在した。エジプトでラクダを利用し、マネーを使用したということは、アブラムが大商人として活躍していた時代は紀元前600年より後であったことになる。そして、アブラハムがいた時代は、第二神殿と、最初に硬貨がマネーとして使用された時期になる。その時期以降でなければ、エジプトにラクダはいなかったし、市場でマネーを使うのは一般的ではなかった。通常の聖書解釈による時代(紀元前1000年以前)に彼が旅行していたとすれば、気候的には馬を使った移動が適していただろう〔※関連資料(1ラクダの家畜化は紀元前10世紀・2長谷川修一 著『聖書考古学―遺跡が語る史実』要点1~2・3・4)〕。


■人類が利益を「理解」したのはメルキゼデク(至高神モロクの祭司)の「神聖なる指導(洗脳)」から

アブラハムがまだアブラムであった頃、彼はどんな時代でも商人であれば抱える一つの問題、「決済の手段、方法はどうあるべきか?」に悩まされていたはずだ。掛売りの残高を商品で決済すると、貴重な貨車のスペースを占領してしまい、次の目的地に移動するのが困難である。金塊や銀塊で受け取れば、品質の検査や盗難の心配がある。明らかに現在の為替手形のような信用形態を使うのが最も便利であった。アブラムが物品を配達すると、買い手から90日以内に合意した物品の数量を支払う約束を受け取る。これによって、売買のタイミングを逃すことも無く、往復の輸送のスケジュールも組みやすくなったに違いない。こうした取引が齎(もたら)した便益(利益ではない)は、様々な物品を部族間や地域間で交換したいという相互の必要性から生じたもののようである。

交換の目的が利益を得ることではないことが、原初期の公益の特徴である(Polanyi 前掲書 P.269)。人間の事業活動は必ず利益を意識しているという一般的な経済学の概念は、誤りに陥っている。「事業は原初の時代から利益を動機として駆り立てられた合理的な営為であったという考えは、理論的にだけでなく、歴史的にも誤解を齎(もたら)すものである」(前掲書 P.269)。ローンによって資金調達され、コストと価格で利益を追求するのが当然という現代のグローバル市場の感覚では、この事実を理解するのは不可能に近いだろう。経済霊が利益追求の動機となるべく突然変異し憑依する「事件(アクシデント)」は、至高の神の司祭であるメルキゼデクとアブラムの出会いにその端緒がある。人類が利益というものを「理解」したのは、神聖なる指導によるものであると聖書は伝える。「私は、お前に利益を得ることを教える、お前の主人である神である」(旧約聖書 イザヤ書 48章17節)。本書では、メルキゼデクの介入という形でアブラムの経済思想を転向させる為に介入(洗脳)した神はモロクであるという見解を取る。

この介入する神モロクが、自らの高位の祭司メルキゼデクを配置した聖都が、後にエルサレムとなったようである。大商人アブラムは、戦争で血族の者が捕虜になったことを耳にしていた。その戦争は、四人の王と、五人ほどの王との不和に起因するものだった。この戦争で大敗したのがソドム Sodom の王であった。勝利した王達は、ソドムの王の財産と人民を手に入れ、アブラムの甥が捕虜として拘束した。アブラムはこの機に挑んで手腕を発揮した。指摘に軍隊を編成し、甥と人々を救出すると共に、ソドムの財産も取り戻した。ソドムの王は、アブラムの功績に歓喜した。ソドムの王はアブラムに言った。「人民は私に戻してくれ、物品はあなたが取れば良い」(旧約聖書 創世記 14章21節)。アブラムは「あなたのものは何も頂きません。頂けば、自分(ソドム)が私(アブラム)を金持ちにしたとあなたは言うでしょうから」。


■「神聖なミルク(アブラム)」から「パンとワイン(マネー・ローン)」の「新型の聖餐(アブラハム)」に転向

この会談が実のところ何を意味しているのかは不明瞭であり、アブラムとソドムの王との間に取り交わされた本当の条件が何だったのかについては、未だに学者の中で議論が続いている。突然の第三者メルキゼデクの登場により、状況は謎に包まれてしまう。「そこで、至高の神の祭司メルキゼデクが、パンとワインを持ち出した」(旧約聖書 創世記 14章18節)。メルキゼデクはアブラムを祝福し、最後にはアブラハムという新しい名前を与えることになった。この名付けの儀式は、キリスト教徒の「再び生まれる」体験の起源となるものではないかと解釈する人もいる。パンとワインの聖餐(せいさん)は、伝統からの衝撃的な逸脱を意味する。明らかに、アブラムは忠誠の対象を新しい関係に変更したのであり、その臣従の条件は「普通ではない」(Graham 前掲書 P.112)ものだった。至高の神の祭司メルキゼデクによって行われたこの祝福の儀式より以前は、「パンとワイン」ではなく「神聖なミルク」によって聖餐の儀式は行われていた。

更に、この新しい聖餐には、もう一つの次元が含まれている。具体的にマネーと言及されてはいないものの、かつて無かった「十分の一税」(訳注.原文tithe(タイズ)。農作物などの収穫量の十分の一を宗教組織に納めること)〔※「十分の一税」について関連資料(1・2)〕と呼ばれる報酬の支払いが初めて行われたことが記述されている。聖書の諸説を見ても、タイズの金額は明確ではないが、或る部分では10%の金額であることが推測されている。タイズは、アブラムからメルキゼデクに支払われたとも言われる。これは驚くべき行為である。と言うのは、アブラムはソドムの王から財産を受け取ることを辞退したはずであり、タイズの支払いに充当した資産はアブラムのものではなかったからである。後になって、聖書は、メルキゼデクは「全てのタイズ」をアブラムに与えたことを伝えている。これも注目すべきである。既にアブラムが辞退していた資産は、ソドムの王に属するものであって、メルキゼデクのものではないからである。このように理解出来ないまま読まされるところには明らかに暗号が存在している。

この取引にメルキゼデクが参入するのを許可したのは「至高の神」である。聖書では、この神の名は特定されていないが、「新たな意識体」が商売と報酬の領域に入り込んで来たことが明らかである。誰が誰に幾ら払ったのかについての混乱は、記録室の混乱を反映しているのではないかという疑問が生じる。記録官達は、人類の尺度として新たに登場したマネーでの報酬の支払いと言う新しい概念や、マネーで評価された「タイズ tithe」という新しい観念と格闘して、混乱していたのかも知れない。

アブラムがソドムから報酬として差し出された物品を断ったこと、新しい聖餐を取り入れたこと、タイズの概念に加えて至高なる神の祭司メルキゼデクが関与したこと、これらの状況から判断すると、この新しい聖餐の中で、心理的・知能的な体験が共有された形跡を発見することが出来る。突然の閃(ひらめ)きがお互いに同時発生し、新たな「理解」の共有に繋(つな)がったのかも知れない。この「新型の聖餐」に引き続いて起きた出来事は、ここでの聖書の文章が、至高の神モロクを後ろ楯にした経済霊のマネーの秘密と利益の発見への参入儀礼(イニシエーション)に関する暗号であることを示唆している。「マネーの力を隠匿する」暗号は、敢(あ)えて誰でも見ることが出来るところに隠されて我々に示されている。8日目に男のメンバーが包皮切断されるという猥褻(わいせつ)な議論で目隠しされているのは、「人間はマネーで買うことが出来る」(旧約聖書 創世記 17章12節)という閃きである。更にこの力の発見に関する洞察は、ヨセフの物語に繰り返されている。ヨセフがマネーで人々を買うことの出来る力を発見して有頂天になっている様子は、彼がエジプト人に対して「私はお前達を買った」(旧約聖書 創世記 47章23節)と言ったところに見つけることが出来る。


■「誓約(利子付きローン)」で聖職者は、マネー創造の神々となる

メルキゼデクと共に得た閃(ひらめ)きに続いて、アブラムは、一連の夢と幻影を見て、アブラハムとなるべく進展していく。深い眠りに落ちたアブラムに「恐怖の暗闇が舞い降りてきた」(旧約聖書 創世記 15章12節)。オカルトの言語解釈によると、深い眠りは、創造の時を象徴する。ここで創造とは、マネーを創造する科学とマネー・ローンに変化した誓約の力として理解出来るだろう。恐怖と言う言葉は、力を象徴する。また、秘儀的な解釈によると、「会得の時」を意味する。利益の概念と符合した知的シナプス(知的連環)と、人間を購入出来る力を備えたマネー創造の秘儀への新規参入は、まさに「新たな会得」の時と言える。

アブラハムという新たに造り出された名前になったアブラムは、幻影で、99歳であると伝えられる。この幻影と神との対話において、アブラハムは、「彼の種子」(旧約聖書 創世記 15章、17章)の未来についての観念を知覚する。種子という言葉は、交換の媒体を意味するだけでなく、通常は自然界だけに見ることの出来る特別な生産力のことも指す。創造された種子アブラムは、アブラハムになる過程で、マネーの「増殖力」の中に、実質的に種子と同等なものがあることを見出す。それ以前の世界では、自然だけが生殖の秘密を握っていた。今やマネーで表現された利子付きローン(聖書では「誓約」と言われている)によって、聖職者は神々の如く成り、彼らの言葉を発するだけで創造することが出来る。この機能は、聖書の「お前達は神々である」(旧約聖書 詩篇 82篇6節)という断言によって認識出来る。

神殿の誓約として利子付きで貸されたマネーは、神が創造した自然の仕組みにおける種子のように芽を出し実を結ぶことが出来る。この新たに発見されたマネーの力は、アブラムの夢に示されている。神殿における誓約によって創造されたアブラムの種子(つまり、マネー)は、既知(きち)の全世界に対して力を及ぼした。数字の99で表されたアブラムの年齢は、一つの時代の終わりと、一つの時代の始まりを象徴している。アブラムからアブラハムへの卒業は、物々交換取引の時代が終焉(しゅうえん)した印であり、マネーと経済活動の時代の始まりを象徴している。この新しい時代は、「全能の神」(旧約聖書 創世記 17章1節)の登場によって開幕する。

この新しい「全能の神」こそが、モロクと経済霊とマネーとして理解出来るものである。そして今、「マネーの秘儀」を伝授された者は、未来の収入を確実に決めることが出来る。I(利子)=P(元本)×R(利率)×T(期間)という公式は、利子を決めたマネーの誓約から得られる利益の計算である。この単純な公式によって、聖職者は、創造の力を備えた神のようになる。強制的な「十分の一税」の収入を資本金として組み入れることにより、利益を稼ぐ利子をつけて誓約を貸し付けることが出来る。貸し手としての神殿は、社会における貧困への処方箋を提供する伝統的な責任を免除されると同時に、世俗の政府と国家宗教とは完全に分離され、独立した状態になることが出来る。


■「誓約(借金)」を望んでも、貸付信用枠(クレジット・ライン)もあり、厳しい資格審査がなされた

誓約によって創造された債務から生じた新しいマネーの力は、「十分の一税」や「生贄(いけにえ)」・「供物(くもつ)」といった強制的な義務とは全く異なるものだった。誓約をする義務は誰にも無い。つまり「神殿の財産からローン(誓約)を借りる義務は誰にも無い」ということである。誓約に参加する資格を得る為には、神殿によって認められた特別な要件が満たされた人でなければならなかった。誓約を行う資格を得る為には、借り手は信用出来る人物でなければならなかった。また、借り手は、神殿が担保条件として認知出来るものを何か所有している必要があった。支払期限が到来した時に、誓約を弁済する能力があることを証明されなければならなかった。貸し金の規則はレビ記27章に記述されており、そこには、誓約の基盤として使用される全てのもののローン価値と担保の価値が詳しく説明してある。条件は「神殿のシケル shekel」を尺度として具体化された。神殿のシケルは、交易や商売に使用される法定通貨の硬貨とは全く別物の、特別な貨幣であった。神殿のシケルは、通常の敷けるの三分の一の価値であり、義務であった「十分の一税」を納める為に神殿で購入する必要があった。神殿の硬貨交換所は、現代の銀行の外貨交換カウンターと同じであった。この領域こそが、ユダヤ人過激派のヤシュア(ヨシュア)・ベン・バンディル Yashua Ben Bandir(生没年不詳、原著P.158、173の表記による)〔※関連資料(1モーセとヨシュアに見るイエスの型・2・3・4ヨシュア ヤシュア イエス イエシュア・5トラーを律法と訳せばサタンの高笑い・6「ヘブライ語でヨシュアとは『ヤハウェは救いである。主は救って下さる』という意味です。このヨシュアという名前はイスラエルで最も広く用いられたもので特に長男に付ける名前だったと聞いたことがあります。従って非常に多くのヨシュアが存在するわけです。聖書の中にもモーセの後継者ヨシュアを初めとして少なくとも4人登場してきます。また、イエスと呼ばれる人物も3人います」・7IHSと救世主の名前~ミラノ勅令とは何だったのか?1~5・8INRIとクロスペンダント・9「結論的に言えばイエスの生きた時代にイエスについて書かれた文書は一つも存在しないのである。イエスについて最も詳細な記述のある新約聖書についても著者が高い蓋然性をもって確定出来るパウロ書簡の一部を除いては何処の誰が書いたものかを確定的に指し示すことが出来ない文書群なのである。そのパウロもイエスとは面識が無かった。聖書以外の文書についても全てイエスの死後50年後以降のものであり他の資料を参照したか伝聞によるものであると考えられる。従ってイエスの実在については確実な一次史料を欠いているということになる。しかし上記資料で一番信頼度の高いタキトゥスの年代記によればAD64年のローマ大火の際のスケープゴートにキリスト教徒が使われたという記載を考えると、イエスが実在したかしなかったかは別にして西暦64年の段階では既にキリストを信奉する集団が存在していたということは確実のようである」)〕と同様に、イエスなる人物による有名な攻撃の目標であったことは間違いない。

資格ある誓約者が神殿で利用出来るローン元本は、一種のクレジット・ライン(貸付信用枠)のように、年齢と性別の区分によって定められていた。



20歳から60歳までの男には50シケル
20歳から60歳までの女には30シケル
5歳から20歳までの男には20シケル
5歳から20歳までの女には10シケル
1カ月から5歳までの男には5シケル
1カ月から5歳までの女には3シケル
60歳超の男の信用枠は15シケル、女は10シケル



どうしようもなく貧しく、担保にするものも無く、支払いの手段や技能も無い者は、聖職者に直接会って、誓約を行う資格を与えてよいかどうか個人審査を受ける必要があった。

聖書によると、誓約も、教会の信徒が神殿で持っていた四つの主要な教会との関係の一つであった。教会の聖職者達は、神殿に物資的な支援を行うよう日頃から信徒会衆を指導していた。儀式的な生贄、特別な供物、会衆の全ての生産物に強制的に課される「十分の一税」などを納めるように指導がなされていた。

信徒達にとって、誓約は違っていった。経済霊が如何にして今までの慈悲深く受容的な神殿政治の力を包み込み、それに取って代わったのかを理解する鍵は、如何に誓約が「十分の一税」、「生贄」、「供物」となっていたかを理解することである。誓約は、現在ローンと呼ばれているものと同等のものである認識しておくことが大事である。神殿が誓約を引き受けるということは、神殿への債務が発生することである。誓約には将来に及ぶ支払いの義務が含まれている。この義務は、現代の金融商品で「債券」と呼ばれる長期債務の前身である。この債券は、主なる神(モロク)が民数記30章2節~15節で命令したものである。誓約(ローン)における未成年者や女の法的責任や適格性の制限に関する、聖職者達の基本方針もここに詳しく記述されている。更に申命記23章18節~22節には誓約(ローン)の担保の品質に関する基準が記述されている。当然ながら、犬や売春婦の見込み稼ぎはローンの担保としては不適格であった。借りないこと自体は罪ではなかったが、もし借りたならば「返済を滞らせてはならない」(申命記 23章22節)。誓約は、即座に財産を引き渡す「生贄」や「供物」や「十分の一税」とは全く異なっている。経済霊を理解する為の鍵は、神殿の誓約が如何にして、マネー・ローンとなり変異したかを知ることである。

経済霊とモロク神以前には、借り手が誓約を行い、ローンを引き受ける時の支払いは、神殿にあった現物でなされた。神殿は貸した物品そのものを引き渡したのである。10エファ(訳注.エファは、古代の数量単位)を提供すればよかった。後になって、マネーの創造方法が発見された為に、神殿は物資を表した「トークン token(札)」を引き渡すだけになった。トークンは市場に持ち込めば、希望したエファ分だけ入手することが出来た。勿論、市場が利用可能であること、価格が安定していることが前提である。マネーが存在する前の時代には、神殿に在庫の無い物品は借りることが出来なかった。ローンの返済の時も、神殿に実際の物品を届ける必要があった。

今日のローンと同じような形態のマネー・ローンになった最初の誓約を借りた人は、物品で返済する物品のローンと比較して、マネー・ローンに関連する力は大きく違ったものであることに気付かない。現代のマネーを早い時期に発見した神殿の書記官や聖職者達は、マネー・ローンを創造した時に初めて手に入れたパワーの大きさに、雷のような衝撃を受けたに違いない。

聖職者達は、余り多くの人が借りない(誓約しない)ことを望んだであろう。と言うのも、元金と利子の支払いを満たすことの困難さとリスクが理解出来る借り手は極めて少数であったからである。レビ記27章31節に記述されている「五分の一」つまり20%に利率が設定されていれば、返済のプロセスは非常に重荷になる。借り手は神殿の会衆の常連メンバーであることが、聖職者によって要求されたに違いない。誓約からの収入を神殿の不利益となるように逸脱させてしまった借り手は、二度とローンを借りる資格を与えられなかった。


■不正義の神殿(マネー・ローン)に、敢然と挑戦したアレキサンダー(共通通貨導入)とダビデ(ゲリラ隊決起)

利子付きマネー・ローンの高利貸しの複雑な仕組みを理解し、割引き付きの神殿シケル交換取引を習得する作業は、数百年の歳月を要し、時折、挑戦を受けることになった。恐らく最も危険な脅威は、紀元前330年頃、アレキサンダー大王 Alexander III of Macedonia/Alexander the Great(356?BCE-323BCE)がその帝国の為に最初の共通通貨を導入した時である〔※関連資料(1古代ギリシャ世界の貨幣に関して・2聖書の貨幣)〕。もしも彼が生き延びて、マネーは不毛であり利子という実を結ぶことは無いというまともなギリシャ哲学が成就していたならば、アブラハムの夢に映し出された神殿の発見は何の意味も持たなかっただろう。アレキサンダーの早過ぎた死は、彼の政治経済的な重要性(施策の正しさ)を証明する品質保証書である。アレキサンダー以来、モロクの神殿と利子マネーの経済霊にとって脅威となる実力ある政治リーダー達は例外無く変死を遂げている(第3章註7参照)。今のところ唯一の例外は、辞職することで命辛々逃げたリチャード・ニクソン Richard Milhous Nixon(1913-1994 大統領任期:1969~1974、クエーカー教徒)大統領だけである。

先述の通り、聖書の主要な人物像は実在せず、寓話と比喩としてのみ存在している。ダビデ David(1040BCE?-961BCE?)とソロモン Solomon(1011BCE?-931BCE?)の二人もそうである。有名なソロモンの神殿も本書では寓話であると考える。エズラとネヘミアのいわゆる第二神殿は、重要な神殿であり、実際には最初の神殿であると本書では考える。この神殿の際立った特徴は、現在の経済霊の時代の幕開けとなる意識の変化を表現していることである〔※関連資料(1ソロモンは実在したか?「ヘロドトスがフィールド調査を行ったかは別にして彼の著書『歴史』では大都市バビロンや新バビロニア帝国のネブカドネザルについての言及が見られる。その一方でイスラエル王国やユダ王国或いはユダヤ教についてはさっぱり記述が無い」・2ダビデの子)〕。

本書で採用した年代特定の見直しを前提とすれば、聖書のダビデは第二神殿と同時期である。エズラとネヘミアの第二神殿は、ローン事業で最終的に大成功したようである。20%の利率での貸付金は余りに負担が重く、「誰もが困窮し、誰もが借金漬けになった。そして不平不満は神殿の権力への抵抗を始めた。一人の終了の下に400人の集団を組織した」(旧約聖書 サムエル前書 22章2節)。借金から解放されることを望み、高利貸しローンの条件に抗議して公正さを求めた人々に対して神殿が返した答えは、モロク神の精神そのものの頑(かたく)ななものであった。「誓約をした後にあれこれ詮索(せんさく)するのは卑怯である」(旧約聖書 箴言(しんげん) 20章25節)。言い換えると、ローン契約が良くない内容があることが判明しても、借り手は聖職者に対して言い逃れをしてはいけないということだ。モロクは「決して赦すことの無い神」であるという先述の部分を思い起こしてもらいたい。

借り手達は、ローンの為に差し出した担保を消費してはならないという警告もされている。債務者達は、誓約を行う(ローンを受け取る)ということは、神への献身であることを忘れてはならないと言われる。債務を返済しないことは、神殿に対する罪であると同時に、「焼き尽くす焔(ほのお)の神」(新約聖書 へブル書 12章29節)への反逆でもある。レビ記でモロク神が紹介されている箇所に焔のことが言及されているが、それは「焼き尽くす焔」という意味であることは特筆しておくべきである。神殿に立ち向かい、叛乱に決起した400人の首領が、他ならぬ聖書のダビデである。ダビデはゲリラ隊を率いて、神殿の不正義に対抗して立ち上がった。しかしながら、勝利者ダビデという物語は間違っているようである。ダビデという人物を歴史学的に調査した結果、勝利を導いた指揮官ではなく、「敗走、そして破滅的な敗北」(Barthel,Manfred,What the Bible Really Says,William and Morrow&Co.,NY,NY,1980,P.162)であったことが判明している。


■「神殿の意義は、神殿(自然と調和した繁栄)を破壊することにある」

国の債務の存在と現代マネーの中央銀行組織に現れたモロク神の仮想神殿は、一度も敗北したことが無い様である。実は、モロク神の債務への飽くなき執念は、たとえ「カルト273」の身内であっても金貸しをしないメンバーには呪いを掛けている。申命記28章22節~44節に、もし貸し手でないならば、「お前は借り手になるだろう、頭ではなく尻尾になるだろう、そしてお前が破滅するまで、呪いを掛けられるであろう」と述べられている。この考え方によれば、国が中央銀行の債務奴隷になることを毅然として拒否すれば、如何なる金融システムもモロク神への深刻な脅威となり、彼の神殿(中央銀行)に対する許すべからざる大反逆になる。

俗世の存在に対する戦いは、心霊界の戦いが中心となる。神殿の問題に、カバラは神秘的な考察で迫る。「神殿の意義は、神殿を破壊することにある。神殿を建築したことにあるのではない」(Suarés,Carlo,The Cipher of Genesis,Shambala Publications,Boulder and London,1978,P.40)という。この考察は、「自然と調和した繁栄という地球の世話人契約を締結している聖書の信仰者は、所得税で支払いが賄(まかな)われている利子の付いた国の債務の束縛に自主的に服従して、騙されている」という本書の論旨を支持している。自身の信奉する宗教の教義を注意深く見直し、どうして知らない間に信頼すべき自らの宗教が、モロク神である中央銀行による束縛を支援することになってしまっているのか、今一度確認してみるべきである。

 
 
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