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ヘブライ一掃政策 その2

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年12月12日(金)17時43分4秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www5b.biglobe.ne.jp/~nshzwtc/framepage17.htm

E:古代日本のその隠蔽されたヘブライ文の内容についてなのですが、内容はどのようなものだったのですか?
西澤:前出の二人の神による未来に関する予言と、古代の日本列島にヘブライ人が移住して来て、日本国を興すまでの主な歴史です。
それらは、大和朝廷のヘブライ一掃政策によって、日本人の脳裏からは忘れ去られたものばかりです。
解読した範囲内での話ですが、ヤーウェ様による予言の殆どは、既に実現しました。
ダビデ、即ちサタンによる予言は、もう実現する可能性が無くなったものと、一部実現していないものとがあります。
B:実現していない予言とは、日本列島崩壊の予言ですか?
西澤:そうです。その予言は最初、ダビデによって出されたのです。
自分の邪まな計画の実現の為に、その予言を利用しようとしたのです。
聖徳太子もその予言が出た時には戸惑われたことでしょう。太子も後々になって全容を理解することになったのですが。
C:太子が後に、自分は子孫を残さないようにしよう、と言ったとのことですが、何とはなしに分かる気がします。
D:どうしてでですか?
C:この話は、吉田兼好の「徒然草」に載っている話で、風水師の間では良く知られた話ですよ。
D:風水?
C:自分の墓を作る時に、子孫繁栄のために、その墓を風水の理論に則って調整することを、陰宅風水というのです。
吉田兼好によれば、太子は、自分の墓を作らせる際、子孫を残さないようにしようと思う、と言って、あそこを断て、ここを断てと、風水の理論に逆らうような命令を出したと言うんです。
A:ひょっとして、子孫を残して繁栄させても、結局は苦しませるか、死なせてしまうだけだと、考えたのかも知れませんね。
悲嘆にくれた挙句のことかも知れません。
E:太子にも人に言えない、多くのお苦しみがあったことでしょう。本題に移して良いですか?
西澤:それでは、予言の内容については、追々明らかにしていくことにして、まず歴史の方からいきましょう。
古い順にいくとすれば、まずヨブが挙げられます。
ヘブライ和歌では、この人の列島への渡来、移住から始まります。
A:あの聖書のヨブですか?
西澤:そうです。旧約聖書の「ヨブ記」のヨブです。
旧約聖書の中でも他の福音書とは隔絶しているかのように存在している「ヨブ記」のヨブとは、日本列島へ移住し、列島に骨を埋めた人です。
「ヨブ記」には、その人となり全くかつ正しくして神を畏れ悪に遠ざかる、この人は東の人の中にて最も大いなる者、とあります。ヨブの住むウヅの地とは日本列島のことなのです。
ヘブライ語聖書の原典では「ヨブ記」のヨブは、イッサカルの子ヨブとは綴りが違い、綴りを分析すると、「島のヨブ」という意味になるのです。
A:イッサカルの子とは別人ですね。
西澤:勿論、そうです。
ヨブは、エドムという名の部族の王でした。ヤーウェ様がこの義人に働きかけたのです。
恐らく移住を促されたことでしょう。
一族を率いて日本列島へ移住してきたのです。そして、現在の出雲地方に住み着きました。
その地名はエドムと呼ばれるようになり、その民の子孫が列島に分散され住み着いた所も、やはりエドムという名が付けられたでしょう。
A:そのエドムが、大和朝廷のヘブライ一掃政策により、出雲、安積、安曇、と地名が変えられたわけですね。
西澤:そういうことです。出雲地方には今も、エトマという地名が残されています。
C:移住はいつ頃のことですか?
西澤;エジプトから移住して来たヘブライ人がカナンの地に増え始め、十二部族連合が出来て、古代イスラエル王国誕生直前のことですから、紀元前1,100年位前の事になりましょうか。
A:何故、ヤーウェ神に移住を促されたのでしょうか?
西澤:神の名の下で、平気で略奪を始めるヘブライ人の建国に、危惧の念を抱いたからではないのかと考えています。
初代サウル王は、あの双子の神の弟、邪神ダビデが押した人物であったのです。
ヨブはカナンに在った時にヤーウェ様に見出され、神の言葉を伝え、民を教化していました。
それは日本列島移住後も続き、島のエドムの地でも教化が行われていたのです。
神の言葉には強い力がこもるため、教育は効率よく捗ったことでしたでしょう。
民達に色々と役割を命じて働かせたり、多忙となったことからか、或いは様々な苦難にも遭ったことから、病気になりました。
「ヨブ記」のヨブは、サタンからの試練にも耐えぬき、10人の子供達に恵まれ、多くの家畜を飼う成功者として描かれていますが、ヘブライ和歌では、神の拠り所となり、その仕事を完遂した者とされています。
ただ、「ヨブ記」にも旧約偽典「ヨブの遺訓」にも、島へ移住したことは記されていません。東へ神によって連れ去られた、という記述がその消息を物語るのみとなっています。
電話も交通網も国際郵便も無い時代のことですから、移住前のカナンの地でも東へ移り住んだということだけで、その消息は殆ど知らされることは無かったに違いありません。
神とヨブとに関する名声と伝承が、後世にああではなかったか、こうではなかったかと追想され「ヨブ記」や「ヨブの遺訓」のような書を生んだと考えられます。
E:中東から日本列島では、気楽に行けるという距離でもないので、やはり音信不通になったでしょう。
C:日本列島でどういうことが起こったかは知らされなかったでしょうね。
西澤:「隋書倭国伝」には、「夏殷之代、時或来王」とありますが、この夏か殷の時代の或る時にやって来た王が、このヨブなのです。
紀元前1,100年頃といえば、殷の時代に該当します。
そして、この名前は「ヨブ記」にも載っていますが、ヨブの次女に、ケジアという女性がいました。
この女性もやはりヨブ同様、ヤーウェ様が関り教えを説きました。
ケジアは朝鮮半島に住み着きました。そして、このケジアが、箕子朝鮮の祖となったのです。
現在伝えられている箕子は男性ですが、始まりは神の言葉を伝えるヨブの次女ケジアから始まったのです。神からの教えを説いて民を教化していました。
当然、エドムの民やその子孫達は、日本列島に限らず、朝鮮半島や中国大陸にも住み着いたことでしょう。
A:しかし、それはもう朝鮮半島では、神話の時代ですね。
西澤:そうです。朝鮮という国号もまだ無かった時代のことです。
そして、大和朝廷のヘブライ一掃政策の際、ヨブは天之御中主という名で表現されることになりました。
これは「古事記」に、「天地初めて發けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。」とありますが、中東からはるばる神に導かれて日本列島にやって来たヨブは、神格化され日本の神社に祭られることになったわけです。
「古事記」には他に、高御産巣日神、神産巣日神と続いて何柱かの名が挙げられていますが、それらは古代にヨブと共に尽力した人達を神格化して記念したものでしょう。
B:実在した人を、神格化してそういう名前を付けたわけですね。
西澤:そうです。
そして、そのヨブの神格化された名前は、唐へも伝えられました。
「新唐書日本伝」には、「初主号天御中主」とあり、初めての主とは、初めての王ということで、名づけられた号が、天御中主ということです。日本島とヨブに関しては、このくらいです。
B:ところで、古事記には聖徳太子の名前が出て来ないんですが、どうしてなんですか?
西澤:稗田阿礼が、聖徳太子のことです。
古事記編纂は、日本書紀より八年ほど時期が早かった為に、聖徳太子という名前すら存在しなかったのです。
太子は日本建国における最重要人物ですから、太安万侶としてはその名前を落とすわけにはいきませんでした。そこで稗田阿礼という名前で載せることになったのです。
神武天皇に始まる代々天皇の名前は、推古天皇に至るまで、恐らく太子が考えられたと思われますが、太子はヘブライ一掃後のご自身の名前までは考えておられなかったのです。
B:一般的には、古事記は、稗田阿礼と太安万侶が書いたとされていますよね。
西澤:二人の間には、百年の隔たりがありますから、古事記は太安万侶が一人で編纂したものです。
ただ、古事記と日本書紀とでは、太子に対する重きの置かれ方と扱い方が異なっています。
古事記歌謡は隠蔽ヘブライ文なのですが、その内容は主に予言です。
そして、太安万侶は、その意味を知っていました。
しかし、ヘブライ一掃的視点から眺めて見ますと、古事記にせよ、日本書紀にせよ、実に巧みに編纂されています。
E:ヨブの後は、どのような展開になりますか?
西澤:歴史に従えば、カナンの地では、十二部族連合が結集し、古代イスラエル王国が誕生します。そして、サウル王、ダビデ王、ソロモン王と続いた後、王国は、北イスラエル王国と南ユダ王国の二つに分裂します。
そして、南ユダ王国のヒゼキア王の時代に、日本列島への移住者が現れます。
その中心になったのが、ヒゼキア王妃のヘフジバという人です。
ヘブライ一掃政策前の大和朝廷では、ヨブに始まるエドムと、ヘフジバを中心としたユダの二つの流れを、ヤーウェ神に導かれてきた流れとして、最も重要視していました。
その二つの流れは、「隋書倭国伝」には、「二代承基」として記載されたのです。
倭奴(ユダ)王国は、エドムとユダの二代を基盤として継承されてきたという意味です。
ヘブライ人移住の大きな流れとしては、三度目の北イスラエル十部族の渡来がありましたが、それは、列島でのユダ王国の基盤がほぼ固まりつつあっただけに、あまり重きを置かれませんでした。(4.22. )(参考サイト『古代日本とヘブライ一掃政策』ー『目次』へ)

目次はここ.....

http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/mokuji.htm
 
 
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