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Mフーコー「狂気の歴史」の主張

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年12月20日(土)22時42分23秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1188429866

Histoire de la folie à l'âge classique

関連記事:

金枝篇と狂気の歴史を扱ったHP

http://homepage2.nifty.com/delphica/index.html

歴史家としてのフーコー

http://cruel.org/other/foucault.html

M.フーコー『狂気の歴史』の主張はなんですか?

M.フーコーの『狂気の歴史』を読んでいるのですが、今まで哲学や現代思想というものに全く触れたことの無い私には、難解でまったく話がつかめません。
理性と狂気は相関的であるということしかわかっていません。この本の詳しい主張を教えてください。

wyddt840さん

2012/6/316:23:43

◆ミシェル・フーコーの紹介や考え方を解説した新書などが存在します。今回は鈴木晶著作の『フロイト以後』の本から「狂気の歴史」の概要を紹介します。

鈴木晶(すずき しょう)…wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%99%B6

『フロイト以後』講談社現代新書、1992

内田 隆三(うちだ りゅうぞう )…wikipedia

『ミシェル・フーコー――主体の系譜学』(講談社[講談社現代新書], 1990年)

中山 元(なかやま げん )…wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%85%83

はじめて読むフーコー 洋泉社(新書y) 2004.2

◆「狂気の歴史」

フーコーによれば、中世・ルネッサンスまでヨーロッパ社会は狂気にたいして寛容で、精神病者の多くは一般社会におり、狂気は文学その他の文化現象の中に自由に姿をあらわしていた。ところが17世紀中頃、全ヨーロッパ的な規模で大激変が起きた。国家権力を背景に、各地に大規模な収容所が建設され、狂人と乞食や犯罪者とともに隔離されてしまった。

これによって狂人はそれまでのように自分の言葉で語る事を許されなくなり、沈黙を強いられてしまった。フロイトがあらわれて、正気と狂気との間のコミュニケーションを復活させるまで、狂人の声は聞かれなくなってしまったのである。また同時に、狂人と犯罪者とが一緒に収容されたことによって、人びとの心の中では狂気と罪とが結びつくことになってしまった。フロイトもこの偏見を払拭することはできず、この結びつきは現代人の心の中でもまだすっかり切れていない、とフーコーは指摘する。

さて18世紀末から19世紀初頭にかけて、第二の大きな変化が起きた。それまでの監禁制度に対する批判が高まり、貧民救済の手段がさまざまに講じられると同時に、医学的な意味をもった「精神病院」が成立することになった。ピネルは、パリのサルペトリエール病院で患者たちを鎖から解いた「人道的」医師として歴史的に有名だが、フーコーによれば、ピネルも「偽善的」改革者にすぎず、狂人たちは、たとえ鎖から解かれても、別の、目に見えない道徳的な鎖によって隷属状態に繋がれていたのであった。そして19世紀に成立する精神医学は、こうした排除・監禁された狂気をその認識論的基盤としている、とフーコーは批判するのである。

このようにフーコーは、少なくともその初期の仕事においては、狂気に深く感心を寄せていたが、精神分析そのものにたいしてはいささか距離をおいている。だが、数少ない発言からは精神分析を強力な理論的武器として評価しつつも、実際には精神分析が「ブルジョワ的抑圧」に加担してきたことを批判的にみていたことがわかる。

以上

Wikiはわかりやすい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

狂気の歴史

『狂気の歴史』(フランス語: Histoire de la folie à l'âge classique 1961年)とは西欧の歴史において狂気を扱った思想、制度、芸術などについて考察したミシェル・フーコーの著作。フランス語の教師をしていたスウェーデンのウプサラで書かれたが、「監禁」についてのこの論考は危険な書物とみなされ、完成後まもなくフーコーはフランスへと帰国することになる。「狂気の歴史」は博士論文としての審査をうけたのち、バルトやブランショ、ブローデルといった当時一流の知識人たちの推薦をうけて1963年にガリマール書店から再刊された[1]。

理論

「狂気の歴史」というタイトルはけして自明のものではない。フーコーの目的は、精神疾患を医学的カテゴリーにおいて説明することではなく、西欧において変容してきた狂気の内実を歴史的な次元においてとらえることにあったからである。それは彼以前の人間科学が歴史的実践をなおざりにしてきたことへの批判でもあった[2]。フーコーはその「歴史」を、癩病患者が社会的にも物理的にも排除されていた中世まで遡る。そして、癩病は次第に姿を消していき、狂気がそれに代わって排除されるべきものとなったと彼はいう。狂った人間を舟に乗せて送り出したという15世紀の「阿呆船」は、文字通りその排除が一つの形をとったものであった。しかし、ルネサンス期には狂気がきわめて豊饒なる現象として扱われるようになる。なぜなら狂人とは、「人は神の理性(Reason of God)には近づきえない」という思想の体現だったからである。セルバンテスの「ドン・キホーテ」にみられるように、あらゆる人間は欲望と異物に弱いものだ。したがって正常でない人間を神の理性に接近しすぎた存在とみなす考えは中世社会でひろく受け入れられていた。ボッシュやブリューゲルの絵画に表象されているものこそ「狂気」である。それは死の不安であり、宇宙の混沌である。しかし、ルネサンス以降この狂気はそれまでのイメージ(画像)から、エラスムスの「痴愚神礼賛」がその典型であるように言語のレベルに移される。そしてこのとき、狂気は夢想的・宇宙的な強迫観念を離れ、理性との関係においてとらえられるようになった。あるいはより人間的なものに限定されたともいえる[3]。

17世紀になってはじめて、フーコーが「大監禁時代」と表現したことで知られる潮流が起る。「理解不能な」人間たちがシステマティックに監禁され、収容されていった。18世紀には狂気は理性そのものを観察するかのように扱われるようになった。つまり、狂人は彼らを人間足らしめていたはずの何かを失い、動物じみた存在になってしまったと考えられ、そしてまた実際彼らは動物のように扱われた。19世紀にはいると、たとえばピネルやフロイトが登場することで、はじめて狂気が精神の不調であり、治療することのできるものと考えられるようになる。大規模な監禁が行われたのは17世紀ではなく、この19世紀だと主張する歴史家もわずかに存在するほどだ[4] 。またこういった事実は、フーコーの理論の土台を揺るがせる批判でもある。つまり啓蒙時代と狂人の抑圧との歴史的つながりが危うくなってしまうのだ。

しかし学者としてのフーコーが示したのは、狂人のために特化した医療施設ではなく、社会的なアウトサイダーを監禁するための施設が造られたということである。そこには狂人だけでなく、浮浪者、失業者、虚弱者、孤児なども含まれ、そういった人間たちみなを監禁するための施設が、西欧社会における狂人と狂気の概念にどのような影響を与えたのかということをフーコーは問題にしていたのである。そこでは「貧困」にあったはずの聖なる意味(貧者としてのキリスト)が失われ、「狂気」もまた想像力と切り離されて、公共性の問題に結びつけられたのだ[5]。

フーコーの考察の射程はそれに留まらない。彼が示してみせたのは、社会から締め出された人間をこのように「監禁」することがヨーロッパではごく一般的だったということである。フランスでも、ドイツやイギリスなど他の国々でもそれぞれ独自にこの監禁は行われ、その仕組みは発達していった。このことは、フーコーが西欧における狂気の歴史を一般化するためにフランスでの事象を取り上げたという批判が当たらないことを示している。ロイ・ポーターのような史家のなかにも、そのような反論を退け、フーコーの著作のもつ革新的な本質を認めようとしなかった過去の批判を撤回する者もではじめている[6]。

ルネサンス期における狂気は、社会的秩序の限界を示し、より深いところにある真実を照らし出す力を持っていた、ともフーコーは主張している。それは啓蒙のひかりのまえに沈黙させられていたものだ。近代における、フィリップ・ピネルやサミュエル・チュークの手になる狂人の科学的、「人間学的」な扱いの登場についてもフーコーは考察している。彼の主張によれば、そういった近代的な扱い方は、それまでの手法と何らかわるところがない。チュークの国では、狂人とされた人間はその狂気を手放さないあいだは罰を与えられるところまで後退していた。同じように、ピネルの狂人の処置もまた嫌悪療法の延長であった。凍えるような水を浴びせたり、拘束衣を用いたりして刺激を与えるのである。フーコーから見れば、このような扱いは罪と罰の定型が患者のうちで内面化されるまで繰り返される蛮行に等しかった。
意義

「狂気の歴史」は精神医学への批判として広く読まれ、反精神医学の文脈のなかでしばしば引用された。フーコー自身は、とくに回顧録のなかで「狂気のロマン主義」を批判している。「狂気のロマン主義」とは、狂気を近代医学が抑圧した「天才」がかたちをまとったものとしがちな見方のことである。またフーコーの読者がときに結論づけるような精神疾患の実体について論じたフーコーというのも正しくない。そうではなく、フーコーが探ったのはいかにして「狂気」が知の対象として制度化されていくのか、また一方である種の権力が介入する先となるのかということであった。精神病院という矯正施設にこそ[7]、この暗黙裡に築かれた知と権力の共犯関係がみてとれるのである。さらにまたフーコーは「狂気の歴史」とは「心理学の出現を可能にしたものの歴史」だと述べている。それは狂気が「人間の顔」を持ち、人間そのものを真理ととらえ科学的対象とするにいたった歴史なのだ[8]。
日本語訳

    田村俶訳「狂気の歴史 : 古典主義時代における」新潮社、1975年

ミシェル・フーコー/著
Foucault,Michel

(1926-1984)20世紀のフランスを代表する哲学者。1960年代からその突然の死にいたるまで、実存主義後の現代思想を領導しつづけた。主な著書に『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』全3巻(以上、新潮社)『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻(筑摩書房)などがある。

ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』:規律訓練システムと環境管理システムが生成する『生権力・生政治』

http://digitalword.seesaa.net/article/112681699.html

フーコーはマルティン・ハイデッガーの『技術的存在理解』をキーワードにして、人間存在や自我アイデンティティが各時代の権力システムの影響を受けていると語り、日常的な行動実践や価値判断の枠組みは社会に遍在する『権力の構造』によって規定される。『狂気の歴史(1961)』では古代社会において『神秘・聖性』を付与されていた狂気が、近代社会において『排除・治療(矯正)』の対象となる精神疾患に変化したプロセスを考察している。ミシェル・フーコーの研究方法については、[フーコーの知の考古学(アルケオロジー)]の記事を参照してください。

近代社会の権力が要請する『正常な精神』とは、生産的な労働活動・集団行動に従事して経済発展に貢献できる精神であり、精神疾患の狂気は経済活動にとって非生産的なので『異常性・病理性』として認定されることになる。科学知・医学が発達していない古代・中世社会では『人智を超越した神秘性・神聖性』として狂気は解釈されることがあった。共同体の価値観を統一する宗教活動に『狂気』は利用価値を持っていたので、権力に基づく古代の知は、狂気を異常なものとして治療したり排除する必要性が乏しかったのである。

フーコーの『狂気の歴史』における精神疾患の歴史的な認識はやや偏っており、実際には古代・中世社会でも『狂気』に対する無関心・非寛容があっただけで、狂気に『宗教的な聖性』を見出すことなどは例外的なことに過ぎなかったという解釈も成り立つ。しかし、精神医学の知が発達した近代社会では『精神の正常性と異常性の区分』に対して意識が高まったことは確かであり、その正常性と異常性を判断する基準は権力システムが要請する『生産的な社会生活への適応』にあるのである。フーコーの言う『権力』とは、『社会共同体の生産性・生殖性』を高めるために役立つ人々の行動様式や価値認識を浸透させる力であり、フーコーは『監獄の誕生(1975)』の中で権力が形成する規律訓練型システムについて言及している。

近代社会における刑罰は、犯罪者を『処刑・排除』するものではなく『矯正教育』を施すものであり、近代社会は『教育・労働・刑罰』といった権力システムによって『子ども・労働者・犯罪者』を社会の内部に適応させ同化していく。近代社会は中世以前の封建主義社会のように社会に不適応な人間を外部に排除するといった権力を働かせず、不適応な人間を教育・訓練して内部に取り込み『適応的な生産性のある人間』に作り変えていくのである。フーコーはこういった近代社会の権力が生み出す『人間の精神・身体』を適応させていくシステムを『規律訓練システム』と呼んだ。

『監獄』に入れられた犯罪者は、『監視されている感覚』を内面化させることによって、矯正教育を実施する権力にとって従順で適応的な身体に作り変えられていく。功利主義者のジェレミー・ベンサムは、『誰かに見られている感覚』を意識させて効率的に囚人を監視できる『パノプティコン(一望監視施設)』と呼ばれる刑務所のアイデアを考案したが、現実の近代社会では監獄に入っていない一般人の内面にも産業社会・労働活動のために必要な規範が各種のシステム装置によって内面化されている。

近代社会では身体を『規則正しい行動パターン』によって訓練することで『規律・価値観』を内面化させる規律訓練システムの社会装置が多く準備されており、その代表的なものが『学校・工場・軍隊・監獄・病院』である。規則正しい通学通勤をして仕事や勉強をする『学校・工場』は近代的な規律訓練の典型的な装置であり、精神疾患を治療して正常な精神と労働力を回復させる『病院』も規律訓練システムである。規律正しい行動を厳しい訓練や監視によって『社会・組織に従順な身体』を作り出す軍隊や監獄は、もっとも強力な権力システムの現れとして理解することができる。

未完に終わった『性の歴史』では、同性愛が承認された古代ギリシアの性生活から同性愛を道徳的な罪悪とする中世キリスト教の時代の性生活、自由化が進む現代の性生活までを振り返る予定であった。『性の歴史』では人口の増加を調整しようとする権力と性道徳との相関について分析しているが、社会共同体の利益となる『生殖性・人口増加』に貢献しない同性愛(ホモ・セクシャル)は次第にアブノーマルで道徳的に好ましくない性愛として排除・差別されていった。ミシェル・フーコーの実際の性的嗜好についても、彼が同性愛者であったこと、SM嗜癖を伺わせる拘束具・玩具を所有していたことが指摘されている。

フーコーは近代国家の権力の性格の変質について、『生権力』という概念を用いて説明している。即ち、臣民・民衆の『生』を掌握して反対者を殺害しようとする君主(支配階級)の『殺す権力』は、近代社会において労働力・納税者となる人民を生きながらえさせようとする『生かす権力=生権力』に変化したのである。人権思想が普及した近代社会(現代社会)では、公衆衛生と福祉制度、医療技術によって『労働力・納税者としての国民』を生かそうとする『生権力』が生成され、福祉国家建設によって国民の生命を管理・利用しようとする『生政治(ビオポリティクス)』が確立していくことになる。

現代社会の新しい権力システムは『抑圧的な権力』ではなく『保護的な権力』としてその姿を現し、『医療・福祉・教育・社会保障番号』などによって国民(民衆)を完全に管理統制していく。『生権力』は国民の生命や安全を守るという大義名分を掲げながら、環境管理型システムとして個人を完全に社会システム(権力システム)の内部へと取り込んでいき、『個人の反抗・離脱の意志』そのものを気づかないうちに奪い取ってしまうのである。個人は環境管理型システムによって『システマティックな生』を与えられて管理されるが、生政治が行われる現代社会ではシステムの外部に個人が抜け出すことは原理的に不可能となり、『社会システムの一部』として生きる以外の選択肢が与えられることはない。

環境管理型システム(万全の福祉・医療・教育制度を整備した国家)の内部に個人の人生(自由)が呑みこまれることに抵抗しようとしたミシェル・フーコーは、『倫理的な個人』としての自立を説いて『自由意志と尊厳を持つ個人』の協働連帯によって現代的な生権力から距離を置こうとした。現在の先進国では福祉国家や監視社会、年金制度、社会保障番号(自己を認識する固有のIDナンバー)などのかたちをとって、個人を国家・社会のシステムの一部として『誕生から死まで管理統制』する生政治が整えられてきており、個人と生権力(健康的に生かす権力)との沈黙の同一化が進んでいる。

揺りかごから墓場まで面倒を見て安心を与えようとする生権力は、それ以前の殺す権力よりも抵抗が難しい。いつの間にか個人は生権力(システムとしての社会)の一部として『規律訓練された行動パターン』を繰り返すことになり、決められた制度的システムの中で人生を平穏無事に終えることになる。そういった管理された保護・安心を国民自体が望むことにより(パターナリズムの内面化)、自発的な環境管理システム(生権力・生政治)への協力・従属がより一層強化されていくことになるだろう。


 
 
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