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形成の書 序章

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 1月 8日(木)23時08分55秒
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  形成の書 目次

http://hocuspocus.sakura.ne.jp/bkshlf/sephery/index.html

黄金の夜明け団

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91%E5%9B%A3

1888年3月1日、ウィリアム・ウィン・ウェストコット(英語版)、マグレガー・マザーズ、ウィリアム・ロバート・ウッドマン(英語版)の3人によって発足した。

by W. W. Westcott.
Translation from English to Japanese by Hocuspocus.

『セフェール・イエツィラー』 或いは 『形成の書』 は恐らく現存するなかで最も古いカバラ哲学の 『ラビの教えについての』 論文である。 ここ数年の間に明らかになった 『ヘブライのカバラ』 への大いなる関心、 そしてそれに伴う思想と教義の流行によって私はこの論文を ヘブライ語の原文から翻訳し、 そして中世の権威達が書いたラテン語版と照合することを思い立った。 『カバラ入門(An Introduction to the Kabalah)』 という本も出版したので学徒のお役に立てば幸いである。

偉大なるカバラの教えの宝庫たる、 『ゾハール』または『光輝の書』の3つの重要な書は S.L.マグレガー・メイザース によって英語に翻訳されたが、 英訳された 『セフェール・イエツィラー』 はこれらの難解な教典についての必携の手引き書といえる。 これら2つの書は本当にお互いに相手を説明し合うものになっているのだ。

『セフェール・イエツィラー』 は 『形成の書』 という意味の名前にも関わらず、 如何なる意味でも 『神の創造』 の物語、 或いは紛い物の『創世記』でもなく、 宇宙と人類の起源の一面についての古き教育的な哲学の講義録であり、 同時に古典的な本来のヘブライ人の一面でもある。 アルファベットおよび数字の配属を用いた起源の過程の分類は セム語族の作者にのみ見られるものである。

ヘブライ語の本質的な特性として注意しなければならないのが、 数字と文字との間には切り離せない無くてはならない関係があることだ。 全ての文字は数字を暗示しており、 あらゆる文字の集まりは その逐語的意味と同じくらい重要な数による意味を持っている。

定められた枠組みの中での、 ヘブライ文字の逆配置、 そして他の文字との置換などを含めたカバラの原理についても学び、 修得しなければならない。

この講義録の『基礎的概念』はそれらの原理に正確に則っている。 そしてそれらの原理は、 その概念を継承し発展させた幾つものカバラの論文を通じて辿ることができる。 その多くは 『ゾハール』 として知られる一巻の本の中で互いに関連づけられているが、 その主たる内容は 『神の頭』 の本質的な位階、 そこから生じる 『流出』、 セフィロトの教義、 『大宇宙』と『小宇宙』 の概念、 そして 『転生』 の教義に関した事である。

一方『形成の書』の内容は、 我々の宇宙と 『小宇宙』 に関係している。 『ヘブライ人のカバラのラビ達』 と近代の神秘家達の意見がこの書で適切に開陳されているであろう。

以下の興味深い引用はラビ・モーゼス・ボタレルが 1409年に書いた有名な解説である。 「『統一性』 の至高の教義に懐疑的であった彼の時代の賢者達にこの教理を宣告すべくこの書を書いたのは、 我らが父祖アブラハムである。 おお彼に祝福あれ。 少なくとも、ラビ・サーディアー (彼に祝福あれ) が彼の書物『哲学者の石』の最初の章に書いた意見ではそうだ。 彼の言葉に依れば、 バビロンの賢人達は、 三つの宗派に別れていたにも関わらず、 その全てがアブラハムを彼の信念を理由に攻撃した。 『第一の宗派』は、 宇宙は二つの対立する力の支配下にあるが片方がもう一方を滅ぼす為に存在していると考えていたのだ。 これは二元論である。 彼らは悪の創造主と善の創造主の間には共通するものなどないと信じていたのである。 『第二の宗派』は『三つの』偉大なる『力』を認めていたものの、 その内の2つについては第一の宗派と同じ考えを持っており、 第三番目の 『力』 が二つの対立する力の間で採決を行う力を持った、 至高の調停者であると考えていた。 『第三の宗派』 は太陽以外の神を認めず、 その中に唯一の存在の原理があると考えていた。」

ラビ・ユダ・ハ・レヴィ(1120年頃に活躍した)は、 この処遇に対して以下のように批判的に述べている。 「『形成の書』は、変化と多様性の中に 『統一性』と『調和』 があることを、 そしてそのような宇宙的な協調は 『至高の統一性』 の規則からのみ起こりえる事を示す事によって、 『一つの神聖なる力』の存在を我々に示しているのである。」

アイザック・マイヤーの『カバラ』(159ページ)によれば、 『形成の書』は、 一般にアヴィセブロンと呼ばれ、1070年に没した、 コルドバのイブン・ガビロールの著作にも言及されている、 とのことである。

有名なフランスの『隠秘学者』であるエリファス・レヴィは、 『魔術の歴史』の54ページで 『セフェール・イエツィラー』 についてこう書いている。 「『ゾハール』は光明の創世記であり、 『セフェール・イエツィラー』は真実で出来た梯子である。 その中で32の音、数、文字の完全な印が説かれている。 各々の文字は数を、概念を、形を造り、 それ故に数学は、 正確な釣り合いと完璧な照応により、 数の厳格さを損なうことなく概念と形に応用できるのである。 『セフェール・イエツィラー』の科学によって人間の精神は真実へと向き、 そして当然のことながら、 数の展開によって為しうる知性の発展を考慮することができるのだ。 『ゾハール』は完全なる真実を表し、 『セフェール・イエツィラー』は 我々が手に取り、使用し、 利用することができる手段をもたらすのである。」

他のページではレヴィはこう書いている。 「『セフェール・イエツィラー』と『黙示録』は隠秘学の傑作である。 これらの書物は文字に書かれた以上の事を含み、 その表現は詩のように比喩的であり、 同時に数学のように正確である。」

優れたフランスの学者アドルフェ・フランクが書いた 『La Kabbale』と題された本には、 『セフェール・イエツィラー』についての章がある。 彼はこのように記している。 「『形成の書』は、物理学の体系とは言えないが、 その時代その国で考えられたであろう宇宙論を含んでいる。 そこでは 『最初の原因』の急激な活動による全ての現象を説明する習慣が、 観測の精神を刺激し、 その結果自然世界の中で知覚されるある種の普遍的かつ表象的な関係が 『自然』の科学として通用している。」… 「その形式は単純かつ厳粛である。 そこには証明や議論のようなものはないが、 それは言うなれば、規則的に分類された一連の格言から成り立っていて、 最も古代の神託の良心の全てを含んでいるのだ。」

その『セフェール・イエツィラー』の分析の中で、 彼はこう付け加えている。 「『形成の書』は、 それほど文章の多い書物ではないとはいえ、 そして思想の非常に高揚した領域へと我々を全く導いてくれなかったとしても、 少なくとも非常に一貫し且つ貴重な独自性のある組織的概念を与えてくれるのだ。 もしも我々がその中に、 言い表し得ぬ知恵の神秘ではなく、 理性が生じた時に、 宇宙の設計図を把握し、 一つの共通の原理に結びついた絆を確保しようとする努力がなされ、 我々の周りの全ての元素を作り出す、 理知的な教義の試みを探すならば、 解説者の想像力によってその周りに集められた雲は、 消散するであろう。」

「この体系についてまとめると、 物質の中に 『神聖なる意志』 に従わぬ法則をもつ永遠の実在を見た異教の哲学であるがゆえに、 全ての『二元論』の概念に対する絶対的で神聖な『単一性』の代用品なのである。 そして『聖書』の教義ゆえに、 その『創造』の概念によって、 『宇宙』と『神』の、 二つのものを仮定し、 2つの実在がもう一方と完全に区別されるようになっている。」

「実際、『セフェール・イェツィラー』において、 『無限』でありそれ故に説明できない『存在』たる『神』は、 その力と存在によってあらゆるものを通じて広がったにも関わらず、 神は数字や音や文字 - 我々が理解出来る原則や一般的な法則 - の外には居ないのである。」

「全ての要素はその源をより高次の形で持ち、 そして全てのものは 『言葉』(ロゴス)、 『聖霊』、 等を共通の起源としている。 それゆえ 『神』 は至高の直感の中にも、 宇宙の物質と形の中にも同時に在る。 しかし 『彼』 は形の中に居るだけではない。 何ものをも 『彼自身』 の外には存在し得ず存在しないがゆえに、 『彼』の実在は全ての基礎であって、 全てのものは彼の刻印を受けた 『彼』 の知性の象徴でもあるのだ。」

ヘブライ人の伝統では 『ゾハール』 の最も古い箇所はエルサレムの第二神殿の建立の頃まで遡るとされている。 しかし、現在ではローマのティトゥス帝の時代 (紀元70年から80年の間) に存命であった ラビ・シメオン・ベン・ヨハイ がそれらの部分の最初の著者であると考えられており、 1305年に没したスペインの、 グアダラハラの ラビ・モーゼス・デ・レオン が 『ゾハール』 を再構成し出版したのは確かである。

ギンスバーグが 『ゾハール』における『アイン・ソフ』 の教義について語るところによれば、 それらの教義は13世紀まで知られていなかった。 しかし彼は 『セフェール・イエツィラー』 が非常に古いものであることは否定せず、 その中では 『アイン・ソフ・オール』および『アイン・ソフ』 には言及されていないであろう、と述べている。 しかしながら私としては、 この教義の欠落が、 当時 『アイン・ソフ・オール』および『アイン・ソフ』 の教義が存在しなかったことを証明するものでない、 ということを示唆しておこう。 何故なら 『セフェール・イエツィラー』は 『イエツィラー界』、 四つの『カバラの流出する世界』 の三番目に割り当てられているからだ。 それに対して 『アッシュ・メツァレフ』 はアッシャー界の、四番目あるいは一番低次の 『殻の世界』 に割り当てられるため、 錬金術の論文のように見えるのである。 そしてまた 『シフラ・ドツェニオウタ』 はアツィルト界についての著作と考えられるのが相応しいので、 『神格の流出』の際にのみ扱われる。 更にブリアーの世界 -二番目の世界- に疑いなく割り当てられる四番目の著作があるが、 この論文では特定しない。 バビロニア・タルムードも エルサレム・タルムードも『セフェール・イエツィラー』に言及している。 『サンヘドリン』 と名付けられた、それらの論文においては確かに 『形成の書』 および類似の著作について述べられている。 そして『エルービン』 という論文についての解説の中で、 ラシはこれを信頼できる歴史的情報であると考察している。 その他の歴史的情報は、 紀元940年に没したサーディア・ガオン や、 1150年に亡くなった ユダ・ハ・レヴィ による注釈である。 これらヘブライの著名人達はこの書物を非常に古くからの著作として語っている。 ある近代の批評家達はこの本の著者を、 紀元120年ごろのローマのハドリアヌス帝の時代の人物、 偽救世主バル・コクバの主張を支持して命を失った ラビ・アキバ であるとしている。 またある批評家達はこの本が最初に書かれたのが紀元 200年頃であることを示唆している。

しかしながらグラーツはこの本の成立を グノーシス時代の初期、3、4世紀としており、 ザンズは タルムード期の後、 起源700年から800年のゲオニム期と言っている。 しかしルービンソーンは 『秘蹟の図書館』 誌の中で、 後者の考えは裏付けが無い、 と語っている。

タルムードは、 ヴェニスで1520年に、 最初の完全版が編纂されて出版された。

『ゾハール』 はマントヴァで1558年に最初に印刷され、 1560年にクレモーナで再度出版され、 ルブリンでも1623年に出版された。 更に第四版は クノール・フォン・ローゼンロート によって1684年にズルツバッハで出版された。 十字軍について触れた章があるように、 ゾハールにはそれほど起源が古くない部分もある。 一方、当時残っていた六つの『セフェール・イエツィラー』 のヘブライ語版はレンバーグで 1680年に編纂・印刷された。 それら六部の校訂本のうち最も古いものは サーディア・ガオン のものであった (批評家の何人かはそれが偽物だと言っている)。 更に現存する三つのラテン語版がある。 即ち、 グリエルムス・ポステルウスによるもの、 ヨハン・ピストリウスによるもの、 そして三つめは ヨハンネス・ステファヌス・リッタンゲリウス によるものだ。 最後のものはヘブライ語とラテン語の版が両方あり、 補遺として『32の小径』も付いている。

ヨハン・フリードリッヒ・フォン・メイヤーによるドイツ語訳は1830年に出ている。イシドロ・カリッシュによる版であるが、 メイヤーによる多くの有益な解説が加えられている。 フランス語訳はパピュスによって1888年に出版されているが、 サーディア・ガオンによるアラビア語の注釈が付いたものは マイヤー・ランベルトによって1891年に出版されている。 ピーター・デビッドソンによる英語訳は1896年だが、 この版には「理知の50の門」 と 「智恵の32の小径」 が付け加えられている。 この本書で私が提示するものは、 基本的に古代のヘブライ語の写本を英語に訳したものだが、 ピストリウス、 ポステルウス、 リッタンゲリウスのラテン語版を、 特に最後のものをその前の者よりも参考にしている。 『セフェール・イエツィラー』 の信憑性については、 学徒の皆さんには バルトロッキオ・デ・チェレリオの「偉大なるラビ達の図書館(ローマ、1672年-1692年)、 バナージの 「ユダヤ人の歴史」(1708年)、 或いは「カバラの教義と文献」(A. B. ウエイト、1902年) を参照していただきたい。 下記の ヘブライ語の 『セフェール・イエツィラー』 の版は、 簡便ではあるが、 私自身が検証したものである。

    サーディアー、Ab・ベン・ダビデ、他3名著、 マントヴァ、1562年、四折版.
    ラビ・アブラハム・F・ディオールによる解説付き、 アムステルダム、1642年、四折版.
    M. ベン・J・チャギズによる序文付き、アムステルダム、 1713年、16折版.
    〃、1719年、八折版.
    〃、ジュウキエフ、1745年、四折版.
    〃、モーゼス・ベン・ヤコブ著、コジェツ、 1779年、四折版.
    〃、フロドナ、1806年、四折版.
    〃、ディヘルンフルス、1812年、八折版.
    〃、サロニカ、1831年、八折版.
    1719年の日付のある写本、大英博物館所蔵.

更に3つのラテン語版の題名全てを追加しておこう。 これらは全て大英博物館の図書室で見つかるものだ。

「Abrahami Patriarchae Liber Jezirah sive Formationis Mundi, Patribus quidem Abrahami tempora praecedentibus revelatus, sed ab ipso etiam Abrahamo expositus Isaaco, et per pro prophetarum manus posteritati conservatus, ipsis autem 72 Mosis auditoribus in secundo divinae veritatis loco, hoc est in ratione, quoe est posterior authoritate, habitus」 (グリエルムス・ポステルウス著、 パリ、1552年)。 「Id est Liber Jezirah, qui Abrahamo, Patriarchae adscribitur, una cum Commentario Rabbi Abraham F.D. super 32 semitis Sapientiae, a quibus Liber Jezirah incipit: Translatus et notis illustratus a Joanne Stephano Rittangelio, Ling. Orient. in Elect. Acad. Regiomontana Prof. Extraord」 (アムステルダム、1642年)。 ヨハンネス・ピストリウスの 「Liber de Creatione Cabalistinis, Hebraice Sepher Jezira; Authore Abrahamo. Successive filiis ore traditus. Hinc jam rebus Israel inclinatis ne deficeret per sapientes Hierusalem arcanis et profundissimis sensibus literis commendatus」 はトーマス・プリムスの 「Artis Cabalisticae hoc est reconditae theologiae et philosophiae scriptorum」(バーゼル、1587年)に収録されている。

『セフェール・イエツィラー』 は六つの章からなりたっており、 33の文節がそれらに散りばめられている。 第一章は12節、 続いて5節、5節、4節、3節、最後は4節、 となっている。

しかし幾つかの版では文節と主題が異なる構成になっている。 最も古いものの表題には、 「父なるアブラハムの手紙」 あるいは 「父祖アブラハムによるもの」 と添えられている。 しかしながら中世の権威達によって語られているように、 その起源は疑いもなくお伽噺のものだ。 ただし1773年に偉大なる旅行家 ジェームズ・ブルースによって アビシニアの荒野で発見された 2冊のエチオピア語の写本で聖ユダが 述べている 「エノクの書」 の架空の著者よりもありえなくはない。 本質的にこの著作は、 疑いもなく、 ある作者によって形作られた何世紀もの伝統の結晶である。 そしてその後に何人もの著者によって書き直されながら、 時折、書き足されてきたものである。 これら幾つかの追加部分は、 中世の学徒によって否定されたこともあり、 この本の文章には組み込んでいない。 よってこの本では疑う余地のない、 ヘブライ、ドイツ、イエズス会、その他の権威達が長い 『注釈』を付けているにも関わらず、 充分に説明しているとは言いがたい オカルトの木の実の中心部分だけを示している。 カリッシュはこれらの『注釈』についてこう語っている。 「それらは勝手な説明や、 聖書の引用のこじつけめいた歪み、 占星学的概念、 東洋の迷信、 形而上的戯言、 物理学の貧弱な知識、 この古き書物の正しくない解説、 などの寄せ集め以外の何物でもない。」 しかしながら、 カリッシュは隠秘学者ではない。 これらの注釈は 長年の研究を要するが為に膨大なのである。 そして私は、 私がそれらの注釈を簡便ではあるが調査したことを躊躇ずに告白しよう。 学習し易いように、 注釈を独立した形式で巻末に付け、 更に各章の主題について短い記述を書いている。 この小さな本の概要は、 1886年の夏、 「ロンドン・ヘルメス協会」での、 アンナ・キングスフォード 会長に座長をしていただいた講義で使われたものである 幾つかの注は、 『セフェール』 の中の難解な点、 および付帯する教義について、 「協会」 の会員からの問い合わせに対し、 口頭で、 そしてその後の書簡の遣り取りで説明したものである。 また、 その他の注は、 後日、神智学やヘルメス哲学の学徒に、 そして 「英国薔薇十字協会」 の私の生徒達に答えたものである。

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