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グエン・ティ・ビン回想録

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 1月17日(土)00時42分52秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.geocities.jp/tniizuma/vn050.html

関連記事:パリ協定(ベトナム和平)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E5%8D%94%E5%AE%9A_%28%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E5%92%8C%E5%B9%B3%29

各国代表の調印者は、

    ウィリアム・P・ロジャー国務長官(アメリカ合衆国政府代表)、

    チャン・バン・ラム外相(ベトナム共和国政府代表)、

    グエン・ズイ・チン外相(ベトナム民主共和国政府代表)、

    グエン・チ・ビン外相(南ベトナム共和国臨時革命政府代表)。

ベトナムパリ和平協定全文

http://www.mekong.ne.jp/directory/history/vietnamwaheikyoutei_copy%281%29.htm

第50回『グエン・ティ・ビン回想録「家族、友人そして祖国」を読む』
グエン・ティ・ビン回想録「家族、友人そして祖国」
 パリにおけるベトナム戦争の停戦交渉に南ベトナム解放民族戦線の代表として参加したグエン・ティ・ビン。ベトナムの民族衣装アオザイを身にまとい、颯爽とパリの街に現れた彼女は「アオザイの闘士」と呼ばれた。その後、南ベトナム臨時革命政府外相となり、ベトナム統一後は、ベトナム社会主義共和国副大統領にまでなった。その彼女の回想録が2012年に出版された。

 回想録を読む前は、彼女がパリでの停戦交渉や副大統領として活躍したときの華やかな活躍について書かれているものばかりと思っていた。もちろんその当時に関する記述もある。しかし、そればかりではなく、南ベトナム政府の政治家や知識人でベトナム統一に尽くした「第三勢力」の人々への再評価や「解放後」統一ベトナム政府がとった政策に対する批判にまでおよび、ベトナム社会主義共和国の副大統領まで勤めたひとがここまで率直に述べていることにある種の驚きと感銘を受けた。

 パリ協定の締結後、その協定の内容に従って、2つの南ベトナムの当事者、すなわちベトナム共和国政府と南ベトナム共和国臨時革命政府との間で「民族和解一致全国評議会」の設置が求められていた。これに応じて南ベトナム政府内外でも非共産党員だが進歩的な人々、すなわち「第三勢力」と呼ばれた政治家や知識人が多数存在し、祖国統一のために努力したと述べ、彼らを正当に評価すべきだと、彼女は述べている。サイゴン陥落の3日前に大統領に就任したズオン・ヴァン・ミンもその一人に数え、彼は愛国者であったとしている。

 また、南部に住む、おそらく90%の世帯は、夫や子供がサイゴン政権の兵士として参加しながらも、同時に政治闘争に参加し、革命指導者の防衛に努めたとし、戦争の傷跡をいやすのみならず、たとえサイゴンのかいらい政権の兵士として戦争に参加していようとも、独立の闘いに功あった人を正しく評価すべきと述べている。

 同じ章で彼女は、ベトナム戦争当時、サイゴンで活躍したシンガーソングライター、チン・コン・ソンの歌、Gia tai cua me(「母の家訓」)の一部を引用している。「(ベトナムは)中国の奴隷となり1000年、フランスの支配を受けて100年、内戦の日々は20年」。ベトナム戦争は「抗米救国戦争」であり「内戦」ではないという考え方から、ベトナム政府はこの歌をはじめチン・コン・ソンの歌すべてを禁止した時期がある。その問題の歌を彼女は回想記に引用している。それはあたかもあの戦争を「内戦」としてとらえ、その傷をいやすことなしに、本来の南北の民族の和解、一致はないと暗に述べているかのようだ。

 統一ベトナムの成立後、1977年から1978年にかけて、南部における商工業資本家に対する社会主義的改造指令Z30号が発令された。彼女の夫の妹夫婦はサイゴン市内で薬局店を営んでいたが、改造対象リストにあげられ、薬は没収され、店も差し押さえられた。彼女は彼らを訪ねたが、妹夫婦は事態を恐れ、批難するばかりだった。彼女も説明しようと試みたが、内心ではこんなことをして何の利益になるのだと困惑するばかりだった。以来、妹夫婦の家族は薬局を営むこともできず、自分にも再び会うこともしなかった。その後この指令は再検討されたとのことだが、深く教訓を引き出したかどうかは疑わしく、また、その悪影響は計り知れないと彼女は述べている。

 私が20年ほど前ホーチミン市に駐在していた時期に、これに類した話をよく耳にした。1975年サイゴン陥落からドイモイ政策が開始される1986年までの11年間、戦中にあった各国からの援助も途絶え、西側諸国から孤立していた時期で、急激な「社会主義化」によって農産物や食糧生産が落ち込み、国民生活は飢餓状態にあった。そして誤った「社会主義」政策によってベトナム国民が苦しんだ。150万人ともいわれるボートピープルがベトナムから難民として逃れた時期でもある。ベトナムについては、ベトナム戦争と、ドイモイ政策以後について多く語られてはいるが、ベトナムが統一されてからドイモイ政策によって改革開放が始まるまでの苦難の時代を「歴史として」後世に正しく伝えるべきであると思う。彼女のこの記述は短い部分ではあるものの、政府や党には耳の痛い「事実」や「歴史」の記述を促すものであることを願いたい。

 彼女は、20世紀初頭の独立革命家の一人、ファン・チュー・チンの孫娘であり、若くして革命に参加し、投獄、そして解放戦線代表として外交官としてデビューし、解放後は教育相、党対外委員会副会長を経て、副大統領まで勤めた。現在は平和・開発基金会長、ベトナム枯葉剤被害者の会の名誉会長もつとめている。

 最近では、中国によるベトナム中部のボーキサイト開発は環境問題を引き起こすと反対の意見書を連名でベトナム政府に提出し、85歳にしていまだ意気軒昂であることを示した。

 彼女の回想録が日本でも翻訳、出版され、多くのひとに読んでもらいたい。

 ベトナム和平パリ協定全文

 《1973年1月25日讀賣新聞第2面 ワシントン支局1月24日発》

 *1月4日午前10時(現地時間)、ホワイトハウスが発表

 ベトナムの戦争終結と平和回復に関する協定

ベトナムに関するパリ会談参加当事者は、ベトナム人民の基本的民族権と南ベトナム人民の自決権尊重を基礎にしてベトナムにおける戦争を終結し、平和を回復し、そしてアジアと世界の平和強化に寄与することを目的とし、以下の諸条項に合意し、これを尊重し実施することを約束する。

  第1章 ベトナム人民の基本的民族権

    第1条

 米国ならびに他のすべての諸国は1954年のベトナムに関するジュネーブ協定によって承認されたベトナムの独立、主権、統一、領土保全を尊重する。

  第2章 戦争行為の停止 -軍隊の撤退

    第2条

 停戦はグリニッジ標準時間1973年1月27日24時に南ベトナム全土にわたり実施される。同時刻に、米国はベトナム民主共和国に対する、陸、海、空部隊による一切の軍事活動を、その基地の所在のいかんを問わず停止し、さらに同国の領海、港湾、内水路に対する機雷敷設を停止する。

 米国は本協定発効後ただちに、ベトナム民主共和国の領海、港湾、内水路内のすべての機雷を除去、恒久的に作動停止あるいは破壊する。本条に言及された戦闘の全面停止は永続的にして、時間的限定なしとする。

    第3条

 全当事者は停戦を維持し、永続的かつ安定した平和を保証することを約束する。停戦が発効し次第、

 (A) 米軍および米国ならびにベトナム共和国と同盟しているすべての外国軍、ならびにベトナム共和国軍は、撤兵計画実施までの間、現状にとどまる。第16条に規定された4者合同軍事委員会がその方式を決定する。

 (B) 南ベトナムの2つの当事者の部隊は現状にとどまる。第17条に述べられた2者合同軍事委員会は双方の支配地域と駐留の方式を決定する。

 (C) 南ベトナムの当事者のあらゆる兵種の正規軍隊と不正規軍隊は相互に対する一切の攻撃的活動を停止し、以下の規定を遵守することとする。

  -地上、空中、そして洋上における一切の戦闘行為は禁止する。

  -双方による一切の敵対行為、テロならびに報復は禁止する。

    第4条

 米国は南ベトナムに対する軍事介入や内政介入は続けない。

    第5条

 本協定調印後60日以内に、技術軍事要員および平定計画に関与する軍事要員を含め、米国ならびに第3条(A)に述べられたその他諸外国の軍隊、軍事顧問、軍事要員、ならびに武器弾薬、軍事資材の南ベトナムからの全面的撤退が行われる。また同期間内に上記諸国からのすべての民兵組織への顧問及び警察力も引き揚げられる。

    第6条

 第3条(A)において言及した米国と他の諸外国の南ベトナムにおけるすべての軍事基地の撤収は本協定調印から60日以内に完了する。

    第7条

 停戦の実施から本協定第9条(B)および第14条に規定されている政府の構成に至るまでの間、2つの南ベトナムの当事者は、部隊、軍事顧問、技術軍事要員を含む軍事要員、装備、弾薬および軍事物資の南ベトナムへの導入を受け入れない。

 2つの南ベトナム当事者は、2つの南ベトナム当事者の合同軍事委員会および国際管理・監視委員会の監視下に、停戦後に破壊、損壊、消耗ないし使い果たした装備、弾薬および戦争物資を、一対一ベースで同じ特徴と性能を持つものと、定期的に取り替えることは許される。


  第3章 捕虜となった軍事要員と外国民間人、ならびに捕虜ないし抑留となったベトナム民間人の送還

    第8条

 (A) 各当事者の軍事要員捕虜および外国民間人捕虜の送還は第5条に規定された撤兵日程と同時に実施され、それより遅くない時期までに完了することとする。各当事者は本協定調印日に、上記の軍事要員捕虜および外国民間人捕虜に関する完全なリストを交換する。

 (B) 当事者は相互に、もし軍人や外国民間人が戦闘中に行方不明になった場合、その行方不明地点を決定し、死者の墓地の世話をすることによって、遺品発掘と送還を促進し、いまだ戦闘中に行方不明になったとみられるものについての情報を得るために必要とされるかもしれない他の諸措置を取るため、情報を交換する。

 (C) 南ベトナム内で捕虜・抑留されているベトナム民間人の送還問題は、1954年7月20日のベトナム停戦協定第21条B項の原則に基づいて2つの南ベトナム当事者間で解決することとする。2つの南ベトナム当事者はこれを、憎悪と敵意を終わらせることを目的とし、苦悩をやわらげ、家族を再会させるため、民族的和解と同意の精神で行うこととする。2つの南ベトナム当事者は停戦発効後90日以内にこの問題解決のため最大の努力を払うこととする。

  第4章 南ベトナム人民の自決権の行使

    第9条

 米国政府とベトナム民主共和国政府は、南ベトナム人民の自決権行使のため、以下の原則を尊重することを約束する。

 (A) 南ベトナム国民の自決権は神聖にして奪うべからざるもので、すべての国によって尊重されることとする。

 (B) 南ベトナム国民は、南ベトナムの政治的将来を国際監視のもとに真に自由かつ民主的な総選挙を通じて、自ら決定することとする。

 (C) 諸外国は南ベトナム国民にいかなる政治的傾向や、人物も押しつけないこととする。

    第10条

 2つの南ベトナム当事者は南ベトナムにおける停戦を尊重し、平和を維持し、交渉を通じて一切の紛争問題を解決し、一切の武力紛争を回避することを約束する。

    第11条

 停戦の直後、南ベトナムの両当事者は以下を実施する。

 -民族和解と一致を達成し、憎悪と敵意を終止させ、一方もしくは他方の側と協力してきた個人あるいは組織に対する一切の報復と差別の行為を禁止する。

 -人民の民主的自由、すなわち個人的自由、言論の自由、新聞の自由、集会の自由、結社の自由、政治活動の自由、信仰の自由、移動の自由、居住の自由、労働の自由、財産保有の権利、自由企業の権利を保証する。

    第12条

 (A) 停戦後ただちに2つの南ベトナム当事者は、3つの平等な要素から成る民族和解一致評議会を設置するため、民族和解一致、相互尊重、相互共存の精神で協議を行なう。

 新評議会は全員一致の原則にのっとって活動する。民族評議会がその機能を担当したのち、2つの南ベトナム当事者は低レベルでの評議会の結成について協議する。

 2つの南ベトナム当事者はできるだけ速やかに南ベトナムの内政問題に関する協定に調印することとし、南ベトナム人民の平和、独立、民主主義への願望に合致しつつ、停戦発効後90日以内にこれの達成に最大限の努力を払うこととする。

 (B) 民族和解一致全国評議会は、2つの南ベトナム当事者による本協定の実施、民族和解一致の達成、民主的自由の保証促進の課題をになうこととする。評議会は第9条に規定された自由かつ民主的な総選挙を組織し、これら総選挙の実施手続きと方式を決定する。総選挙を行なうための諸制度は、2つの南ベトナム当事者間の協調で合意されることとする。民族和解一致全国評議会はまた、2つの南ベトナム当事者の合意通りに地方選挙の手続きや方式をも決定する。

    第13条

 南ベトナムにおけるベトナム武装兵力の問題は、2つの南ベトナム当事者によって、民族和解と一致、平等と相互尊重の精神にのっとり、外国の干渉なしに、戦後の情勢に従って解決される。2つの南ベトナム当事者によって解決されるべき問題には、それぞれの軍事的効率を削減し、削減された将兵を除隊のための諸措置が含まれる。2つの南ベトナム当事者はできるだけすみやかにこれを達成する。

    第14条

 南ベトナムは平和と独立の外交政策を追求する。南ベトナムは、政治社会体制のいかんを問わず、独立と主権の相互尊重を基礎に、すべての国と関係を樹立し、政治的条件をつけずに、いかなる国からも経済・技術援助を受け入れる用意がある。将来の南ベトナムの軍事援助受け入れは、第9条で規定されている南ベトナムの総選挙の後に設立される政府の権限下におかれる。

  第5章 ベトナム再統一と北および南ベトナム間の関係

    第15条

 ベトナムの再統一は、北および南ベトナム間の協議と合意に基づき、いずれの側の当事者による強制と併合を伴うことなく、かつ外国の干渉なしに、段階的に、平和的手段を通じて実現されることとする。再統一の時期は、北および南ベトナムによって合意されよう。

 (A) 17度線にある両地域間の軍事境界線は、1954年ジュネーブ会談の最終宣言の第6節に規定されているように、単に暫定的なものであり、政治的ないしは領土的境界線ではない。

 (B) 南北ベトナムはこの暫定的軍事境界線のそれぞれの側にある非武装地帯を尊重する。

 (C) 南北ベトナムは、諸分野における正常な関係を再樹立する目的で、早急に交渉を開始する。交渉すべき問題には、暫定的軍事境界線ごしの民間人移動の方式などがある。

 (D) 南北ベトナムはいかなる軍事同盟ないしは軍事ブロックに参加せず、またベトナムに関する1954年ジュネーブ協定の規定通り、それぞれ領土に、外国勢力が軍事基地、部隊、軍事顧問、軍事要員を維持することを許さない。

  第6章 合同軍事委、国際管理・監視委、国際会議

    第16条

 (A) ベトナムに関するパリ会議参加当事者は、当事者たちの共同行動によって本協定の以下の条項実施を保証する任務を持つ4者合同軍事委員会結成のため、ただちに代表を任命することとする。

 -南ベトナム全土の停戦実施に関する第2条第1節

 -米国軍隊および第3条に言及されている他の外国軍隊による停戦に関する第3条(A)

 -南ベトナムにおけるすべての当事者間の停戦に関する第3条(C)

 -米国軍隊、および第3条(A)に言及されている他の外国軍隊の南ベトナムからの撤退に関する第5条

 -米国および第3条(A)に言及されている他の外国軍隊の南ベトナムにおける軍事基地の撤去に関する

   第6条

 -当事者の軍事要員捕虜ならびに外国民間人捕虜の送還に関する第8条(A)

 -戦闘中に行方不明となった当事者の軍事要員ならびに外国民間人に関する情報入手における当事者   の相互支援に関する第8条(B)

 (B) 4者合同軍事委員会は協議と全会一致の原則に従って活動する。意見の相違は、国際管理・監視委員会に付託される。

 (C) 4者合同軍事委員会は本協定調印後ただちに活動を開始し、60日以内に、米軍および第3条A項に言及された他の外国軍隊の撤退が完了し、当事者の軍事要員ならびに外国民間人捕虜の送還が完了した後に、その活動を終了する。

 (D) 4当事者は、4者軍事委員会の組織、活動手続き、活動手段およびその費用につき、ただちに合意に達することとする。

    第17条

 (A) 2つの南ベトナム当事者は、合同軍事委員会を構成するため早急に代表を任命する。委員会は、本協定の下記の条項を実施するにあたり、2つの南ベトナム当事者による共同作業を保証するものである。

 -4者合同軍事委員会が活動を完了する時、南ベトナム全域の停戦の実施に関する第2条第1節

 -2つの南ベトナム当事者間の停戦に関する第3条(B)項

 -4者合同軍事委員会が活動を完了する時、南ベトナムの全当事者間の4者停戦に関する第3条(C)項

 -南ベトナムへの軍隊導入の禁止に関する第7条と同条の他のすべての細目。

 -南ベトナムで捕われ、あるいは抑留されているベトナム民間人の送還問題に関する第8条(C)項

 -2つの南ベトナム当事者の軍事的効率削減と、削減された軍隊の動員解除に関する第13条

 (B) 意見の相違は、国際管理・監視委員会に付託される。

 (C) 本協定調印後、2者合同軍事委員会は、南ベトナムの停戦を実施し、平和を保持するための措置と組織について直ちに合意することとする。

    第18条

 (A) 本協定調印後直ちに国際管理・監視委員会が設置される。

 (B) 第19条に規定された国際会議が明確な準備をととのえるまで国際管理・監視委員会は、本協定の下記の条項実施の管理・監視に関する事態について4者に報告する。

 -南ベトナム全域の停戦実施に関する第2条第1節。

 -第3条に言及されている米軍その他の外国軍隊の停戦に関する第3条(A)項。

 -南ベトナムの全当事者間の停戦に関する第3条(C)項

 -米国軍隊、および第3条(A)項に言及されている他の外国軍隊の南ベトナムからの撤兵に関する第5条

 -米国および第3条(A)項にあげられたその他の外国の南ベトナムにおける軍事基地の撤去に関する

  第6条

 -当事者の軍事要員捕虜および外国民間人捕虜の送還に関する第8条(A)項

 国際管理・監視委員会はその任務遂行のため管理チームを結成する。4者はこれらチームの配置および活動についてただちに合意する。当事者はその活動を援助する。

 (C) 国際会議が明確な準備をするまで、国際管理・監視委員会は、本協定の下記の条項の実施の管理と監視に関する諸問題について、2つの南ベトナム当事者に報告する。

 -4者合同軍事委員会が活動を終えた時、南ベトナム全土における停戦の実施に関する第2条第1節

 -2つの南ベトナム当事者間の停戦に関する第3条(B)項

 -4者合同軍事委員会が活動を終えた時、南ベトナムにおける全当事者間の停戦に関する第3条(C)項

 -南ベトナムへの兵員導入禁止に関する第7条、および同条の他の全規定。

 -南ベトナムで捕われ、抑留されたベトナム人民間人の返還問題に関する第8条(C)項。

 -南ベトナムにおける自由で民主的な総選挙に関する第9条(B)項

 ー2つの南ベトナム当事者の軍事的効率削減および削減される兵員の復員に関する第13条

 国際管理・監視委員会は、その仕事を遂行するために管理チームを結成する。2つの南ベトナム当事者は、これらのチームの配置と活動について直ちに合意する。2つの南ベトナム当事者はチームの活動に便宜を与える。

 (D) 国際管理・監視委員会は、カナダ、ハンガリー、インドネシア、ポーランドの4か国の代表で構成される。委員会の議長は、委員会で決められた特定の期間、メンバー間の持ち回りとする。

 (E) 国際管理・監視委員会は、南ベトナムの主権尊重の原則に従ってその仕事を遂行する。

 (F) 国際管理・監視委員会は、協議と全員一致の原則に従って行動する。

 (G) 国際管理・監視委員会の機能はベトナムにおける停戦発効と同時に開始される。4当事者に関する18条B項の規定に関しては、国際管理・監視委員会は、それらの規定に関する管理と監視の任務を達成するとともに、その活動を終了する。2つの南ベトナム当事者に関する18条C項の規定に関しては、管理・国際監視委員会は、第9条B項に定められた南ベトナムでの総選挙によって結成された政府の要請に基づき、この任務を終了する。

 (H) 4当事者は、国際管理・監視委員会の組織、活動手段ならびに費用について直ちに合意をみることとする。国際委員会と国際会議間の関係は、国際委員会と国際会議によって合意される。

    第19条

 当事者は、本協定調印から30日以内に、調印された協定を承認するための国際会議の招集に合意する。会議は、戦争の終結、ベトナムの平和維持、ベトナム人民の基本的民族諸権利の尊重、南ベトナム人民の自決権を保証し、インドシナの平和に寄与し、これを保証する。

 米国とベトナム民主共和国は、ベトナムに関するパリ会談に参加している当事者にかわり、次のように提案する。

 この国際会議に参加する当事者は、ベトナムに関するパリ会談に参加している当事者のほか、中華人民共和国、フランス共和国、ソビエト社会主義共和国連邦、連合王国(イギリス)、国際監視委員会の4か国、そして国際連合事務総長とする。


  第7章 カンボジアとラオスについて

    第20条

 (A) ベトナムに関するパリ会議に参加した当事者はカンボジアに関する1954年ジュネーブ協定と、ラオスに関する1962年ジュネーブ協定を厳密に尊重する。これらはカンボジアとラオス人民の基本的民族権、これら諸国の独立、主権、統一ならびに領土保全を認めたものである。当事者はカンボジアとラオスの中立を尊重することとする。

 ベトナムに関するパリ会談参加の当事者はカンボジアとラオスの領土を使用して、お互いならびに他国の主権と安全保障を侵害するようなことはしないことを約束する。

 (B) 諸外国はカンボジア、ラオスにおける一切の軍事活動を終結させ、これら両国から全面的に撤退し、再び両国に軍隊、軍事顧問および軍事要員、武器、弾薬ならびに軍事資材を導入することを差し控える。

 (C) カンボジアおよびラオスの内政問題は、これらの国々の人民によって、外部の介入なしに解決することとする。

 (D) インドシナ諸国間に存在する諸問題は、相互の独立、主権、領土保全、および相互の内政不干渉の尊重を基礎に、インドシナ当事者によって解決される。

  第8章 米国とベトナム民主共和国の関係

    第21条

 米国は、本協定で、すべてのインドシナ諸国民との間と同様、ベトナム民主共和国との和解の時代をもたらすことを期待している。米国は、その伝統的政策を追求し、ベトナム民主共和国およびインドシナ全域の戦争の傷をいやし、戦後の再建をはかるために寄与するであろう。
    第22条

 戦争の終結、ベトナムにおける平和の回復、本協定の厳格な実施は、相互の独立、主権、さらに相互の内政不干渉の尊重に基づいて、米国とベトナム民主共和国間に、新しく、平等で、互恵の関係を生もう。同時に、これは、ベトナムにおける安定した平和を保証し、インドシナならびに東南アジアにおける永続的平和の保持に寄与しよう。

  第9章 他の諸規定

    第23条

 本協定は、ベトナム問題に関するパリ会談参加の当事者の全権代表による調印により発効する。関係全当事者は本協定とその議定書を厳密に実行する。

 本協定は1972年1月27日、パリでベトナム語と英語で書かれた。ベトナム語と英語のテキストは、公式かつ同等の効力をもつ。

  米合衆国政府のために ウィリアム・P・ロジャー国務長官

  ベトナム共和国政府のために チャン・バン・ラム外相

  ベトナム民主共和国政府のために グエン・ズイ・チン外相

  南ベトナム共和国臨時革命政府のために グエン・チ・ビン外相
 
 
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