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バチカンのゴッドファーザー

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 1月18日(日)23時00分8秒
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  元記事の字が小さくて読みにくいため拡大して転載しています

バチカンのゴッドファーザーの要約 その1

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061006#1160083211

以下は広瀬隆著『赤い盾㊦』の「バチカンのゴッドファーザー」を要約したものです。

1982年6月17日、イタリアで民間最大のアンブロシアーノ銀行本店の五階からグラツィエラ・コロケルが投身自殺した。

この女性は30年にわたってアンブロシアーノ銀行に勤務し、頭取の秘書をつとめてきた。

その翌日、テームズ河にかかる橋の下で、アンブロシアーノ銀行の代表取締役ロベルト・カルヴィの首吊り死体が発見された。

カルヴィは6月11日から謎の失踪を遂げていた。

ロンドン警視庁によれば、やがて、この死体はきわめて例外的なものであることがわかった。

調査が進められると共に、既に無数の犠牲者が存在していることが一般にも知られるようになった。

さらに、アンブロシアーノ銀行が世界各地の幽霊会社に不正融資をおこない、その投資ビジネスのパートナーがローマ法王のいるバチカンだったという信じ難いスキャンダルが明るみに出てきた。ローマ法王とは、世界各地を訪れて平和を訴えてきた、あのヨハネ・パウロ二世のことである。

さらにそれから四年後の1986年、今度はバチカン銀行の財政顧問であったミケーレ・シンドーナがイタリアの刑務所内で、大量の青酸カリを飲んで死んだ。シンドーナこそ、アンブロシアーノ銀行の頭取カルヴィを育てた男であった。

1979年、両人(シンドーナとカルヴィ)の黒い投資をかぎつけたイタリア当局が調査を開始した途端、その調査官ジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃弾四発を射ち込まれて殺された。シンドーナはその殺人をシカゴ・ギャングに依頼したとして牢屋に入っていた。

そして、イタリアで“国家の中の一国家”と言われるフリーメーソンの大組織プロパガンダ2(略称“P2”)の存在が問題になってきた。

シンドーナ本人がP2の中堅幹部だった。

P2の首領リチオ・ジェリについて暴露記事を書いた新聞編集人ミノ・ピコレリは、すでに1979年に、その記事を出してわずか数時間後、何者かに殺されるという事件が起こっていた。その後、捜査当局が執拗にジェリを追跡した結果、実にイタリア政界の大臣三人がP2のメンバーで、国会議員43名がこの秘密結社に参加しているという空前のスキャンダルが暴露された。

国家ぐるみの犯罪組織に、イタリア国民はなす術もなく茫然自失となった。

1989年に六度目の首相の座についたアンドレオッティ首相はP2のシンドーナの“親友”だった人物で、過去にはロッキード・スキャンダルをもみ消したほか、無数の問題が指摘されてきた。

アンドレオッティ首相が指名したグイド・カルリ大蔵大臣は、バチカン銀行の不正を黙認してきたことで知られるイタリア中央銀行の元総裁だった。

マフィアやフリーメーソンの殺し方は、誰もが知るように、社会から明らかに犯人が見えるという挑戦的な手法をとる。カルヴィ頭取の死体が発見されたブラックフライヤーズ橋は、フリーメーソンP2にとって、彼らの儀式に使われる黒い衣を意味するもので、その殺され方はすべて彼らの儀式通りだと言われてきたが、別の見方をすれば、マフィアが犯人である可能性も高く、黒い衣はバチカンの法衣を連想させずにはおかない。ほぼ完全犯罪に近い方法で殺し、これを裁くべき司法官も掌中に握った彼らの背後にいるのは誰か?

ブラックフライヤーズについて、いかなるジャーナリストも指摘していないことがある。それは世界最大の食品会社ユニリーヴァーの創業一族セインズベリー家-ロスチャイルドと結ばれたこの食品チェーンの王者がブラックフライヤーズに社員の訓練センターを設立し、ここを本拠地として活動してきた。実は、目の前に犯人がいるのである。

1896年、ミラノの守護聖人アンブローゼに因んで、カトリック教会の手で「アンブロシアーノ銀行」が設立された。

イタリアの最北部にあり、スイスに至る大都会、ミラノは実質的な首都である。

その西にフランスに至る都市トリノがあり、こちらにはフィアットの大財閥アニェリ一族が控えている。

イタリア半島を南に下りると首都ローマがある。このローマの一画にファシスト党ムッソリーニとローマ法王の取り決めによって誕生した独立国“バチカン市国”がある。

さらに南に下りるとナポリ。ここはかつてロスチャイルド五人兄弟のひとりカールが商会を開いた南イタリアの商業都市で、貿易と文化の中心地として栄えてきた港町。ムッソリーニのファシスト党がローマに進軍したのも、ナポリからの出撃だった。

南端にはシシリー(シチリア)島があり、『ゴッドファーザー』で有名なシシリアン・マフィアが支配する土地である。

そして鉄道王ジェームズ・ロスチャイルドこそ、このシシリー島の経済を握る重要人物、独立国家であるシシリーの貨幣を鋳造する影の支配者であった。

アル・カポネ、ラッキー・ルチアーノ、ガンビーノ・ファミリー、のちにイスラエル首相となるメナヒム・ぺギン、ポール・カステラーノなどを次々と誕生させたマフィアの黒幕は、ヨーロッパの貴族社会であった。この歴史の中にマフィアとフリーメーソンとファシスト、それにバチカンの僧侶たち、彼らに資金を提供する銀行家や工業家というものを結びつけて見る必要が出てくる。

カルヴィ事件の登場人物を丹念に洗っていくと、どうしてもひとつの答えしか出てこない。それはフィアットのアニェリ財閥である。

カルヴィはフリーメーソンの力を背景に政財界の人脈を緻密につくりあげていき、アンブロシアーノ銀行をイタリア第一の勢力に育て上げた。そこまで財力を持つと、社会が持っている貯蓄力がアンブロシアーノに集中してゆき、本物の力を持つようになる。

トップの座についたアンブロシアーノの財力は、実はカルヴィ頭取が世界各地にこしらえた幽霊会社を通じて闇の投機事業から得た収入が、かなりの部分を占めていた。そこで特に問題となったのが、神聖なるカトリック教徒の総本山「バチカン銀行」がこれに関与し、兵器メーカー、ポルノ出版社、避妊用ピルのメーカーといった、信徒にとって悪魔的な企業の株をバチカンが所有していたことである。

一度、信用が崩れ始めると、財力も急激に減り始め、追い詰められたカルヴィは信用を回復するため、右腕と頼むカルボーニを使って、イタリアの有力者に救済を求めた。

その有力者のひとりが、週刊誌“エスプレッソ”とイタリアで一、二を争う有力紙“レプブリカ”の社長カルロ・カラッチオロという出版業者だった。これらの版元となっているモンダドーリ・グループは、財界の巨頭オリヴェッティ社のデベネデッティによって支配されている。デベネデッティはアンブローシア銀行の副頭取に就任し、一時はカルヴィと手を組んでいた。

大手事務機器メーカーのオリヴェッティ社は、ユダヤ人カミロ・オリヴェッティによって創業され、それをトリノの裕福なユダヤ一族デベネデッティが受け継いできた。

デベネデッティはブイトーニの支配者であり、ロスチャイルドの象徴的な代理人であった。しかも、フィアットの副社長としてアニェリ財閥の№2のポストも経験していた。

カルヴィに救済を求められた出版社社長カラッチオロはフリーメーソンの大団長コロナ、そしてバチカンの高官フランコらと談合して、アンブロシアーノの支援作戦を展開した。

ラッチオロ家は、フィアットのアニェリ財閥と婚姻関係にあり、一族のフィリッポはイタリア自動車クラブの会長であった。

1899年に初代ジョヴァンニ・アニェリが創業したフィアットは、アメリカから自動車王ヘンリー・フォードの技術を導入し、フランスのラザール一族からシトロエンの株49%を買収したほか、アルファロメオとフェラーリを子会社に持つ。傘下には事務機のオリヴェッティ社、イタリア最大の国有公社IRI、大化学会社モンテジソン、穀物商人フェルッツィ、金融業のイタリア商業銀行とクレディット・イタリアーノ、メディオバンカ、軍需産業のアエリタリアとスニア、エアラインのアリタリア航空、スパゲッティのブイトーニがある。

カルヴィが、このアニェリ一族のカラッチオロに助けを求めたのは当然である。しかし、彼はバチカンという聖地を汚すスキャンダルを起こしたため、テームズ河の橋の下で責任を取らねばならなかった。


バチカンのゴッドファーザーの要約 その2

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061007

初代ペテロからヨハネ・パウロ二世に至るまでの1900年にわたる長い歴史の中で、ローマ法王の性格が大きく変化したのは1870年のことであった。この年に意外な人物がバチカンに勢力を浸透させ、今日のどす黒い聖地を誕生させたのである。

当時、イタリアは全土に革命の気運が高まり、隣国フランスで二百家族の「フランス銀行」が札束を独占した1848年、ミラノでは民衆の暴動が勃発した。民族主義によるイタリア統一を果たそうと、民衆が決起したのである。

そちこちに入り込んだフランスやオーストリア、スペインなどの王国がイタリアを分断したが、この統一に反対したのがローマ法王とナポリ王であった。前者はバチカン、後者はロスチャイルド商会が王室の財政を支えていたナポリである。ともに民衆から搾り取るには当時の勢力分布ほど心地よいものはなかったため、イタリア統一などはもってのほかだった。

ところがイタリア革命の嵐はとどまるところを知らず、1860年にはバチカンとナポリ王国、そしてヴェネツィアを除いて、全土が統一されるという快挙を成し遂げてしまった。

愛国者ガリバルディーの率いる革命軍“赤シャツ隊”はシシリー島を占拠したあと、ナポリに進軍して、1860年9月7日にフランス王室ブルボン家のナポリ王朝を倒した。

1866年にはヴェネツィアもイタリアに統合した。民衆にとって残る敵は、バチカンの独裁者たちであった。

当時の法王ピオス(またの名をピオ)九世は、自ら“バチカンは牢獄である”と定義して引きこもり、そこには侵入を許さないという戦略に出た。これが今日のバチカン市国の原形となった。

では、1870年から翌年にかけて、バチカン内部に何が起こっていたのであろう。広大な領地を失って法王の収入がなくなったため、第一の問題は金であった。その窮地に立つローマ法王に融資を申し出た者があった。という貴重な記録がバチカンに残されている。その救済者の名はロスチャイルド。

今日、バチカン銀行の投資顧問としては、ロンドン・ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行とクレディ・スイスがヨーロッパと世界戦略を担当している。この三つとも“赤い盾”である。

ただし、力を失ったバチカンだけで“統一イタリア”を支配できるわけではないので、民衆の王として権力の座についたヴィットリオ・エマヌエレ二世の懐柔に乗り出すことも、パリ・ロスチャイルド家は忘れなかった。この初代イタリア国王ファミリーは、今日ではフランス王室とたびたび合体している。

ピオ九世の後継者レオ十三世は、バチカン内部に“宗教活動協会”という変わった事務所を設立した。これが一般的に「バチカン銀行」と呼ばれるものである。

歴史家の目は、ローマ法王の分析に余念がない。しかし、それではバチカンの真相に迫ることはできない。実際には、ローマ法王を取り巻く黒い法衣を着た参謀たち、ことに枢機卿と呼ばれる70人の最高権力者が、このカトリック総本山の金庫の鍵を握り、法王を動かしているのである。

彼らは世界各地に散らばり、それぞれの国家や地域で聖なる献金を受け取りながら政治と経済に絶えず目を配り、懺悔室でさまざまな階層の人間の告白に耳を傾けて世情をつかんできた。

国連の裏をはじめとして、“黒いパラシュート部隊”と呼ばれる僧侶が動き回り、実際、パラシュート訓練からボクシングまで体得したこの男たちが外交の世界で何をしてきたかは、よく知られている。

とくに注目すべきは、バチカン銀行の創設期からローマ法王庁を動かした最大の実力者、ラファエル・メリーテルヴァル枢機卿である。

この枢機卿がバチカンの存在をムッソリーニに納得させ、ついに1929年、ラテラノ条約を取り結んでバチカン市国の独立を認めさせたのである。一体この人物は何者か?

彼がロンドンのロスチャイルド家と親しくしていた事実は、歴史の断片にさまざまな形で存在する。たとえばロシアのポグロムをおさえるため、ロスチャイルドから依頼を受けたメリーテルヴァルは、ユダヤ人の救済にも乗り出していた。

メリーテルヴァル家は、イギリス貴族を先祖に持つスペイン貴族で、父がウィーン駐在のスペイン大使、兄がロンドン駐在のスペイン大使。

さらに、いとこの息子フィリップ・ズルエタがイーデン首相、マクミラン首相、ダグラス=ヒューム首相と歴代のイギリス首相に個人秘書として仕えた大英帝国の知恵袋であった。

ズルエタの妻はコニャックのヘネシー家七代目の娘マリー・ルイーズであり、ズルエタ本人はベルギー最大の企業「ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック」重役、「ベルギー銀行」重役、コンゴのウラン鉱山「ユニオン・ミニエール」重役、香港の「香港上海銀行」重役、イギリスのマーチャント・バンク「ヒル・サミュエル」重役、現代アメリカでAIDSの診断薬で六割のシェアを持つ「アボット・ラボラトリー」の重役…これがイギリス首相秘書の正体であった。

ロスチャイルド家にとって、右腕と頼むフィリップ・ズルエタの国際的な投機戦略ほど頼もしいものはなかった。

その一族がバチカンを動かしてきた枢機卿であった。

パチカン市国の誕生とバチカン銀行の性格は、こうして内部からロスチャイルド財閥によってしっかり固められてきた。

第二次大戦中には、1942年に法王ピオ十二世がバチカン銀行を改革し、一層投機的な性格を持つ今日の銀行制度が誕生したが、ピオ十二世はそれまで十年以上にわたってパチカンの財産を管理してきた人物で、ロスチャイルド銀行に“小ロの口座を開いていたという。

そしてこのローマに対して、世界各地の教会が動き出したが、とりわけ大英帝国ではイギリス国教のカンタベリー大主教が、イギリス国民に聖なる教義を説きながら、パチカン銀行の創成期に大いなる貢献をすることになった。

バチカン銀行の性格を決定した最も重要な“創立時”と“改革期”にカンタベリー寺院の大主教として君臨したふたりの人物は、興味深いことに、偶然にも同じ姓を持つフレデリック・テンプルとウィリアム・テンブルであった。

ふたりは実の親子であり、モルガン・グレンフェルー族であるばかりか、先祖が“ダイヤモンドのピット”一族だったのである。

父親のテンブルを大主教のポストに推奨したのが、ボーア戦争のソールズベリー首相だったのであるから、この物語は大僧正たちの裸の姿を見せてくれる。

以上がカルヴィ事件の背景にあった黒い世界-ブラックフライヤーズである。

パチカン内部には、バチカン銀行と連動する「世襲財産管理局」の特殊部門があり、そこでは、アニェリ財閥が支配するイタリア商業銀行の副会長ペルナルディノ・ノガラがポスの座を占めてきた。

民間人であってもカトリック教徒のバンカーであれば、このようにパチカン内部のNo.1のポストを支配してしまう。

そこに必要なのは、バチカンの世襲財産を大きく太らせてくれる投資能力だからである。

そのためパチカン銀行は現在、ロンドンの財界紙“フィナンシャル・タイムズ”と連絡網を持ち、同紙オーナーの「ラザール・ブラザース」ビアソンー族から特別の情報を入手できるようになっている。

顧問のロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行に金を託せば、パリのフリーメーソンから“キャパレー・セクシー”に資金が投下されてもそれは自然の理にかなう現象であった。

しかも死の商人はロスチャイルド家の最大のもうけ口であった。

カルヴィ怪死事件ではロスチャイルド財閥と黒い関係は一切聞かれず、犯人像は、マフィアとフリーメーソンとバチカンに絞られてきた。しかしそれは下手人の話であって、黒幕の話ではない。

これまで述べなかったカルヴィ事件のリストを追加すれば-

・バチカン銀行の投資先「聖霊銀行」の最大株主はアニェリが副社長を務めるIRI。

・アンブロシアーノ銀行に最大の融資をした「バンカ・ナツィオナーレ・デル・ラヴォロ」は、ロスチャイルドが支配するイスラエル最大のレウミ銀行重役ゴールドスミスのパートナーが重役。これがイラクのフセイン大統領に莫大な不正融資をした問題の銀行。

・アンブロシアーノ銀行のカルヴィ頭取をパリバの幹部に引き合わせた男“フランチェスコ・ミケーリ”はロスチャイルドのモルガン・グレンフェル・イタリア重役。

・カルヴィの財産を管理した男“アンドレ・リツォーリ”と、アンブロシアーノ銀行が買収した「リツォーリ社」は、アニェリ財閥傘下にあるイタリア最大の新聞雑誌の出版グループ

・青酸カリで死亡したシンドーナの銀行に融資した「ローマ銀行」の最大株主はアニェリが副社長をつとめるIRI。

このリストはまだまだ延々と続くが、アニェリ財閥の金庫の一つであるイタリア商業銀行の場合は、頭取のスタマティがフリーメーソン“P2”に名を連ね、イタリアの大蔵大臣でもあった。

イタリア最後の玉手箱は、やはりアニェリ一族が何者であろう。“赤い盾”ラザール・フレールのアンドレ・マイヤーに育てられた三代目ジョヴァンニ・アニェリたちが、ただのイタリア大富豪であるはずはない。

“バチカンのゴッドファーザー”アニェリ家を系図に描けば、その力はヨーロッパ王室から来ていることがわかる。スペイン王室、フランス王室、ドイツ王室、イギリス王室につながる強大なものだ。それはどこへ行ってもロスチャイルド家の系図にぶつかる。

何よりフィアット総帥のジョヴァンニ・アニェリが、ラザール・フレールを中核とするユーラフランスの重役として、全世界のロスチャイルド企業に貢献していることが現代イタリアの特質となっている。北欧のヴァーレンベリと共に世界最大の重工業会社を動かし、ジェームズ・ゴールドスミスと手を組んで全世界に投資するアニェリ一族は“正体を現した赤い盾”である。

 
 
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