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偽イスラエル政治神話 訳者解説から

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 2月13日(金)10時31分31秒
  通報 返信・引用 編集済
  『偽イスラエル政治神話』

http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-33.html

関連記事:ユダヤ人という民族は存在しない

http://globe.asahi.com/author/100614/01_01.html

失われたアークを探して

http://www.voynich.com/africa/ethiopia.html

失われた聖櫃を求めて



テンプル騎士団の財宝を求めて



管理人注:レンヌ・ル・シャトウは全部デタラメだった

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/867.html



訳者解説(その1)

 本書の数多い主張の中には、まだまだ複雑な問題が潜んでいるが、ここでは四点についてだけ、補足をして置きたい。
 第一は、イスラエル国家、またはパレスチナの場所の問題である。
 本訳書では、八八頁~八九頁に、エリコとアイの場合の、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されている。それらの調査結果は、旧約聖書の物語と食い違うのである。
 しかし、最近の考古学の成果を見ると、意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようである。なぜ旧約聖書だけが、という疑問が残る。
 ところが、ここに、旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っているのだという、有力な説があるのである。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら、考古学的な知見とは矛盾が生じる。もしも、この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり、全面的な見直しが必要になるだろう。
 この問題を私自身が知り得たのは、拙著『湾岸報道に偽りあり』(92)の発表直後に、ある読者が、これをぜひ読めと、当時すでに絶版の本、『聖書アラビア起源説』(草思社、88)を提供してくれたからである。
 著者のカマール・サリービーは、「ベイルート大学の歴史学教授で、中東史の権威である」(同書の「訳者はしがき」より。以下同じ)。
 訳者の代表はパレスチナ問題を追い続けている広河隆一だが、その解説から一部を引用すると、「旧約聖書の舞台はパレスチナではなく、サウジアラビアのメッカの南、アシールと呼ばれる地方だというのである」。
 この本の内容を知っている日本人は、ほとんどいない。だが、「欧米での刊行後、『ニュウズウィーク』『クリスチャン・サイエンス・モニター』『サンデー・タイムズ』などを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こした」という。
 日本語版の出版は一九八八年だが、その当時すでに、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ており、インドネシア語版は準備中だった。論証の中心は「セム語学および固有名詞学の一分野である地名学」による旧約聖書の地名の照合にある。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが、現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しない。確かな証拠となる遺跡もない。エルサレムはアラビア語の「アル・シャリム」と同じく、「祝福された場所」の意味で、日本ならば「鎮守」の社とか森のような名称である。この地名は、あちらこちらにあり、もちろんアシール地方にもある。ソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされているのに、パレスチナ地方には火山はない。ところが、アシール地方には類似の地名があるし、火山の爆発の跡が残っている。

管理人注:

アシール地方と聖書の世界 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/611.html

『イエメンに居住するユダヤ人は、古来よりのユダヤ教の教えを伝統的に保持していると言われ、ヘブライ語聖書を朗読する際にも、伝統的なヘブライ語の発音方式を用いているという。ウィキペディアによれば、マジック・カーペット作戦後イスラエルに移住したイエメン系ユダヤ人は、彼らの伝統的な発音方式を守り続けているという。

どのくらいの伝統があるかというと、一般的には紀元6世紀から11世紀頃のバビロニアのユダヤ人のヘブライ語から派生したと言われているが、彼らがこの地にディアスポラを築いたのはもっと以前の話になる。』

 アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいる。同書には、現地の「ユダヤ人」の写真が収録されている。肌色は、むしろ、アフリカの黒人に近い。縮れ髪を編んで垂らしている。私はかつて、旧著の『古代エジプト・アフリカ史への疑惑』(74)で、セネガル人の研究者による古代エジプト人の黒人説を紹介したことがある。その際、エデンの園のサハラ砂漠説の可能性を指摘していたので、この写真を一目見ただけで興奮を抑え切れなかった。いずれ現地にも足を運びたいと願っているが、とりあえず、つい最近の現地探訪記事だけを紹介しておこう。
 日本経済新聞(97・5・27)の「文化」欄、京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義の紀行文、「マントヒヒの楽園発見」には、つぎのような描写がある。
「サウジといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。
 ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ」
 お隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。
 考古学的な議論だけなら、こういう超古代の有様を、ゆっくりと楽しんで研究すればいい。だが、「『サンデー・タイムズ』紙(84・8・12)が言うように、『イスラエルのユダヤ人は、間違った場所に住んでいるのかもしれない』」という議論になれば、話は血なまぐさくなる。
 考えてみれば、日本列島なら縄文だ弥生だという時代のことである。旧約聖書が文字で残されるようになったのは古代ユダヤ・イスラエル王国の崩壊後とされている。本来は口伝えの伝承である。古代からの文明の中心地にあったから位置が確かだというものでもない。逆に、歴史の十字路といわれるほどの激しい戦乱の明け暮れを余儀なくされた地方だから、考古学的な証拠にもとづく厳密な鑑定が必要である。
 現在のパレスチナ地方は、古代ギリシャ神話の最大のテーマ、トロイ戦争の舞台と隣接してるのだが、ギリシャ神話には、ユダヤ人がまったく出てこないという指摘もある。つまり、伝承文学上の証拠でも、古代ユダヤ・イスラエル王国のパレスチナ地方説は、決定的に不利だということになる。
 本書の著者、ガロディは、アラブ人の学者たちとも親しい関係にあるから、この問題がまるで耳に入っていないとは思えない。他にも色々と聞いてみたいことがあるので、いずれ渡仏して直接の意見交換をしたいと願っている。今のところは推測でしかないが、以上のような「聖書誤読説」が正しいとしたら、ユダヤ教に発する地中海文明の三大宗教はすべて、その聖典の現代語訳を、全面的に変更しなくてはならない。これまた本書のテーマ以上に、国際的な大騒ぎとなる。だから、戦略的には、先送りして置いた方が良いのかもしれないのである。

 第二は、いわゆるユダヤ人の血統の問題である。
 本訳書ではすでに、シオニストのテロリストに暗殺されたイギリス人、モイン卿の発言(二三七頁)に、簡単な訳注を付して置いた。そのままではほとんどの日本人の読者には、前後の脈絡が分かりにくいだろうと判断したのであるが、著者が、そこで詳しく述べていないのは、欧米の読者には周知の事実だからである。
 この問題は、拙著『湾岸報道に偽りあり』でも紹介した。簡単に言うと、ユダヤ人と呼ばれている人々の内の九割ほどは、旧約聖書のユダヤ人、イスラエル人、またはヘブライ人の血統ではないのである。
 本書でもその問題点が指摘されているように、現在のイスラエル自体が、「ユダヤ人」の定義を、基本的には「ユダヤ教徒」に求めている。それ以外には共通の基盤がないのだ。
「日本人」の場合にも、帰化すれば同じ「日本人」なのだから、もともと何々人という言葉自体が、厳密に血統を問う言葉ではない。だが、ユダヤ人の場合には、単なる懐古趣味の系図研究ではなくて、古代の先祖の土地所有権を争っていることになるのだから、決定的に、こだわらざるを得ない。しかも、血統が違う人々の比率が、桁外れに高いのである。
 世界のユダヤ教徒の人口の九割に当たり、アシュケナジムと呼ばれる宗教上の流派に属する人々は、古代のユダヤ人の血統上の子孫ではない。七世紀から十世紀にかけて南ロシアで栄え、国ごとユダヤ教に改宗したタタール系の民族の王国、カザール(ハザール、ハザルとも記す)の末裔とその係累なのである。だから、ロシア、ポーランドなどの東欧諸国に、桁外れに多いユダヤ人の集団が存在していたのである。彼らは、「東欧ユダヤ人」とも呼ばれている。
 この問題は、政治的シオニストの主張にとっては都合が悪いから、「血統云々」の発言を繰り返すモイン卿の暗殺にまで発展した。つまり、生命の危険を覚悟しなければ公言できない問題だったのである。当然の結果として、今も、欧米のメディアは報道しない。日本のメディアも、自称歴史学者のほとんども、欧米の習慣に従っている。しかし、本物の学問の世界では国際的な定説であり、日本でもかなり広く知られている。
 詳しい研究書もある。その日本語訳も出版されている。その一つは、日本語訳では『ユダヤ人とは誰か/第十三支族カザール王国の謎』(三交社)となっているが、原題を逐語訳すると、『第十三支族、カザール帝国とその末裔』である。著者のアーサー・ケストラーは、ハンガリー生れのユダヤ人で、平凡社発行の『世界大百科事典』にも載っている著名な作家、思想家である。
 旧約聖書に発する地中海文明の三大宗教の圏内では、「第十三支族」で意味が通じる。始祖アブラハムの子孫の内で行方が分からなくなった支族の意味だから、日本語訳の題名のように「ユダヤ人」を明記する必要がない。この原題および日本語訳の双方に現れる「第十三支族」という言葉の使用法は、あくまでも、そういう古代の伝承を借りたキャッチフレーズに過ぎない。なぜならば、カザールは、まったく別系統の民族だったからである。
 その後、ロシアの考古・歴史学者、S・A・プレェートニェヴァの『ハザール/謎の帝国』(新潮社、96)が出た。訳者の城田俊は、モスクワ大学大学院終了のロシア語教授である。長文の訳者解説には中国史、モンゴル史からの観察も加わり、知られざるユーラシア大陸史の趣きがある。
 古代ユダヤ人の直系は地中海周辺を中心に分散(ディアスポラ)していたが、イスラム帝国の発展に伴なってイベリア半島に移住した中心グループが、ヒスパニア時代を経て、ヘブライ語にヒスパニア語を交えた言語を使用するようになった。以後、その他も含めて、直系は、セファルディム(ヒスパニアからきた人々)と呼ばれるようになった。セファルディムは、当然、アラブ人と同じ肌色の有色人である。
 現イスラエルには、セファルディムの人口の方が多いが、半白人で欧米を背景とするアシュケナジムの支配下に置かれ、「黒」呼ばわりの人種差別さえ受けている。ところが、アシュケナジムが元祖の「邪教」政治的シオニズムによる人種差別主義が、逆に、被支配者側ながら古代ユダヤ人の直系であるセファルディムに乗り移り、数千年の共同生活者だったアラブ人への憎しみを募らせるという、複雑怪奇な悲劇的事態が進行つつある。白人のキリスト教徒から差別された半白人のユダヤ教徒が、有色人のユダヤ教徒を差別し、さらにそのユダヤ教徒が、有色人のイスラム教徒を差別するという、まさに、この世の地獄が現出しているのである。ラビン首相を暗殺したイガール・アミールは、日本国内でもカラー写真入りの報道があったが、典型的なセファルディムである。

 第三は、謎というよりは、ゴラン高原などの違法占領の意図をより詳しく指摘し、さらには、知るひとぞ知る類いの現在日本との関係を、明らかにして置きたい問題である。
 一九九六年三月以来、日本は「自衛隊」と称する軍隊を、ゴラン高原に「派遣」と称して出兵している。だが、なぜゴラン高原なのかという議論は、まるで起きていない。
 本訳書では、二四〇頁から二四一頁に引用されている“ユダヤ国民基金”総裁の一九四〇年の発言の最後は、こうなっていた。
「北の方はリタニ川まで、東の方はゴラン高原まで、ほんの少し国境線を広げれば、イスラエルの領土は、それほど狭くはない」
 リタニ川の方は今、イスラエルが占領地に勝手に設定したレバノン南部の「安全保障地帯」に含まれている。ゴラン高原の方は「併合」宣言下にある。ともに連合国総会の非難決議の対象であるが、ダブルスタンダード超大国、アメリカは、何らの行動も起こさないどころか、安全保障理事会では拒否権を行使してイスラエルを援護している。
 ともかく、イスラエルは今、一九四〇年の“ユダヤ国民基金”総裁の発言の通りに、実質的な領土拡大を実現しているのである。なぜ、国際世論を敵に回してまでそうするかと言えば、領土の広さの問題だけではなくて、リタニ川もゴラン高原も、水源地帯だからである。
 しかも、この両地帯をイスラエル国家の領土内に確保しようという考えは、一九四〇年どころか、一世紀以上も前からのシオニストの構想だったのである。
 とりあえず最寄りの資料だけを紹介して置く。
 通産省の外郭団体で財団法人の中東経済研究所が発行している『現代中東研究』には、三つの専門論文が載っている。「ヨルダン川水系に於ける水資源開発と国際水利権紛争について」(9号、91・8)
「イスラエルとパレスチナの水資源」(12号、93・2)
「シリア被占領地ゴラン高原」(13号、93・8)
 国立国会図書館調査立法考査局が発行する『レファレンス』は、折々の国際的な政治課題を予測しながら特集を組んでいるが、そこにも、五三頁にわたる論文が掲載されている。
「中東の水と平和~イスラエル・パレスチナ水資源管理をめぐる対話」(通巻第五三八号、95・11・15)

 シオニストの構想は、まず、周囲のアラブ諸国との力関係から見て、それと十分に対抗できるだけの国民皆兵国家を建設するための人口、約四五〇万人の確保であった。さらには、その人口を養う食料の自給が可能な耕地面積、そこへの灌漑、水資源地帯の確保という順序で、リタニ川とゴラン高原は、重要な戦略的獲得目標に設定された。右の「ヨルダン川水系に於ける水資源開発と国際水利権紛争について」と題する論文では、つぎのように、この経過を要約している。
「一八六七年に早くもパレスチナの開発基金を集めた創世期のシオニストの運動組織は、パレスチナの天然資源を調査するための技術調査団を派遣した。一八七一年の報告書では、ネゲブ砂漠を含むパレスチナは数百万人の人口を移住させる可能性を有し、そのためには北部の豊富な水資源を乾燥した南部へ導水しなければならないことを指摘している」
 シオニストは、一九一七年のバルフォア「意志表示」以前から、国際談合で、この北部の水資源地帯がイギリスの委任統治の範囲に入るように画策したが、それは果たせず、フランスの委任統治地域に入ってしまった。それが現在の国境線にもなっているのである。
 では、なぜ、以上のような歴史的事実を記載する論文が、通産省の外郭団体の雑誌などに載っているかといえば、現在、日本の企業集団が、「イスラエルとパレスチナの水資源」に関して、巨大プロジェクトを売り込み中だからである。
 日本側の売り込みが最初に具体化し始めたのは、チグリス・ユーフラテス両大河の水源でもあるトルコの山岳地帯を出発点とし、クウェイトを終点とするコンクリートのパイプ・ライン計画だった。だが、こちらはトルコの政変で棚上げのままになっている。現在、最も有力とされているのは、地中海から四百米の落差のある死海に海水を導く水路を堀り、その途中に逆浸透膜による浄水化工場を設置する計画である。農業用水確保と同時に、かねてからの懸案の塩工業プラント建設も展望されている。売り文句は「二一世紀プロジェクト」などとなっているが、イスラエル側が日本のODA予算を狙っていることは見え見えである。暗殺されたラビン首相も、その直前、日本に来た。『マルコポーロ』廃刊事件の背景に、外務省だけでなく通産省の圧力を見る向きもある。
 本書には、この間の底流の一端を伝える二つの資料が紹介されている。第一は、『キヴーニム』(82・2)掲載論文、「一九八〇年代のためのイスラエルの戦略計画」(一五五頁上段)であり、第二は、『ニューヨーク・タイムズ』(81・12・1)掲載、ベギン政権のシャロン国防大臣とワインバーガー米国防長官が“戦略的協力”計画を語った会見の記事(同前二七〇頁)である。
 湾岸戦争の主役を演じたシュワルツコフ指揮下の中央軍の前身は、緊急展開統合機動軍であるが、私は、旧著『湾岸報道に偽りあり』の中で、この機動軍の形成が一九八〇年に方向付けられたことを立証するアメリカ議会の特別委員会議会記録の存在を指摘した。本文が三六八頁にも達する議事録そのものも、三〇〇部自費出版で頒布した。伏せ字の多い議事録には、日本の掃海艇派遣に関する報告も入っている。
 ゴラン高原出兵にいたる経過には、まだまだ深い秘密の交渉経過が潜んでいるのである。

 第四は、本訳書の一八八頁一四行以下で論じらている「芸術作品」の問題である。
 特にフランスの場合、アラン・レネの『夜と霧』は、すべての小学生が教室で見せられたそうだが、その問題点は、本書で指摘されている「九百万人」だけではない。
 この「ノンフィクション」には、本書にも出てくる「人間石鹸」の工場が出現する。それも、頭と胴体が切り離されて、大きな容器に並べられている「動かないシーン」、つまり、誰かが撮影した写真が出てくるのである。「人間石鹸」という話自体が否定されているのだから、当然、この写真は捏造である。もう一つは、ベルゲン・ベルゼンでイギリス軍が撮影した死体処理の映像の使用方法である。この8ミリの映像は、多くのドキュメンタリーで使われている。ハリウッド製の映画、『ニュルンベルグ裁判』の場合には、検事の説明が入り、NHKの放送衛星では字幕に、「衛生上の理由から英軍はブルドーザーで」となっていた。ところが、『夜と霧』では、このシーンに何らの説明も付けていない。観客は、当然ながら、ナチ親衛隊の作業だと思い込む。
 私自身、日本国内での会合で、このシーンについて某著名映画評論家が、「ナチ親衛隊が撮影した極秘のフィルム」という説明を加えたのを聞いて、非常に驚いた経験がある。これはぜひとも大声で事実を語らなくてはと思ったほど、根深い影響力を持ち続ける歴史の捏造である。私は、この種のごまかし、または思い込みによる錯覚報道を、結果から見て、すべて「映像詐欺」と呼ぶことにしている。

 これらの疑問と問題点の数々、および本書の記述の細部についての意見も含めて、私自身、稿を改め、『アウシュヴィッツの争点』の続編で論ずる予定である。とりあえず、ここで確認しておきたいのは、つぎの基本的認識である。
1、「ホロコースト」物語が、たとえ本当であっても、それは(いわゆる)ユダヤ人がパレスチナに建国する根拠にはなりえなかったのだということである。
2、「ホロコースト」物語の真偽に関しても、ユダヤ人の血統に関しても、古代ユダヤ・イスラエル王国の所在に関しても、完全な研究と発言の自由が保証されなければならないということである。
3、これらの問題に関する論争の状況を、メディアは、科学的に検証された事実にもとづいて、正確に報道すべきだということである。

 今後の課題は、本書でも力点を置いて指摘されている科学的研究である。以上のような問題点についての報道、研究の自由が保証された上で、アメリカや旧ソ連に押収されたままの膨大な資料の、情報公開を求め、全面的な、しかも大規模な見直しの研究を促進することであろう。
 ガロディが何度も強調しているのは、歴史の科学的な研究こそが最良の検事論告となること、つまりは実証的な歴史研究に、極めて実践的な価値があるということである。
 ガロディは、レバノン侵略に抗議して以来、様々な妨害に直面しながら、それでもなお諦めることなく、さらには、その根底に潜むイスラエル問題、もしくはパレスチナ問題を真に解決するためにこそ、火の粉を浴びる覚悟で、アメリカの拒否権と一対になったホロコーストのご本尊の欺瞞に迫っているのである。本訳書の三三八頁では「歴史の組織的、系統的、かつ手前勝手な変造を強制してきた意図」を問うている。平和的な解決の落とし所については、国連パレスチナ分割決議の「適用」(本訳書三二四頁)と記されている。
 この決議自体には問題が多い。だが、かつては「地中海に追い落とす」というのがスローガンだったPLOも、事実上の妥協を表明している。冒頭の「訳者はしがき」に記したアラブ人記者は、この解決策の可能性について語った際、悲しみと寛容さを交えた両手の掌を広げる身振りで、こう付け加えていた。
「でも、それには、ありがとうの一言がほしい。それがないのが残念だ」

 私自身としては、本書の作業が終り次第、現在も続行中の『歴史見直しジャーナル』の定期発行と並行して、主要な資料の翻訳に集中する予定である。その際、たとえば、本訳書の一七八頁の訳注1でも指摘し、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも一部を紹介したアメリカ議会の議事録、ニュルンベルグ裁判の継続としてのアメリカ軍によるダッハウ裁判での「拷問問題」などは、揺るがすことのできない公式記録であろう。
 合わせて指摘して置きたいのは、当時の欧米のメディアの報道状況の、実証的研究の必要性である。拙著『アウシュヴィッツの争点』でもすでに記したが、たとえば、アメリカ軍がフランス国境に近いダッハウ集中収容所を解放した当時の『ニューヨークタイムズ』を二か月分だけ見たところ、どこにも「ガス室」の話は載っていない。ソ連軍が三か月も前に解放したアウシュヴィッツ集中収容所に関する短信にも、「ガス室」の話は入っていない。ニュルンベルグ裁判が始まるまでは、誰しもが、「またあの第一次世界大戦の時と同じヨタ話か」と思っていた可能性が高いのである。
 私には、こういう研究を、こっそり独占する好みはないし、おそらく一人では不可能に近いと思っているので、読者にも訴えるのである。日本国内でも、国会図書館に行けば、『ニューヨークタイムズ』などのマイクロフィルムを見ることができる。ただし、マイクロフィルムを映写器具で直接見るのは目に悪いので、タイトルで選んで、記事を読むのはコピーを拡大してからにするなどの工夫が必要であろう。
 本書の訳文は、すでに冒頭の「訳者はしがき」に記したような事情の下の仕事である。自分なりに全力を尽くしたつもりだが、不十分な点が多々あるに違いない。本訳書の改訂増補の機会は望外ではあるが、いずれ改めるべき点は機会を得て改めるべきなので、諸賢の忌憚ない教示を願う。

 なお、本訳書の発表は、巻末資料作成中に発生した『週刊金曜日』との紛争によって、大幅に遅れた。
『週刊金曜日』は、一九九六年一月一八日に発表された花田元『マルコポーロ』編集長の朝日移籍に反発して、同年六月一四日以降、「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座」と題する連載を開始した。この状況下、一九九六年一〇月ころからは、投書欄で、本件「ガス室」問題に関連して訳者個人への誹謗中傷的表現が乱発されはじめた。一九九七年一月二四日からは前記連載講座(9)以後、六回にわたる連載記事、「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」が現われ、その内の五回は、訳者個人と拙著『アウシュヴィッツの争点』への、ねじくれ曲がった誹謗中傷に終始していた。訳者は、やむをえず、一九九七年四月一八日、株式会社金曜日および執筆者二名を相手取る損害賠償請求訴訟を起こした。九月九日には、逆に、ドイツで当方を刑事告発したという記者会見が日本外国人特派員協会主催で行われた。いくつかの記事になっているが、別途、詳しく批判を加える。
 その間、遅滞の事情をフランスのフォーリソンに漏らしたところ、何度かのやり取りを経て、先方の事情が、かなり詳しく伝わってきた。まず、フォーリソン自身が、「ガロディ/アベ・ピエール事件」に関する論評記事を理由として、刑事告発されており、一九九七年九月二五日の午後一杯、被告として法廷で取り調べを受ける。ガロディと出版者のピエール・ギヨームの二人は、一九九八年一月、八、九、一五の三日間の午後一杯、刑事法廷に召喚されることに決まった。
 フォーリソンは同時に、インターネットのホームページ記事のコピーを送ってきた。私は、まだパソコンまで手を伸ばす時間の余裕がないので、有志の協力を訴えた。彼のホームページのアドレスは、つぎの通りである。
http://www.abbc.com/aaazgh/engl/
 フォーリソン自身が送ってきたインターネットのホームページ記事コピーには、本書に関わる重大な事件が記されていた。ここでは、その要約だけを記す。
 自費出版で改訂増補の本書を扱う「知識文庫」が、一九九六年七月一六日に、「ベタル・コマンド」と名乗る集団に襲撃されていた。「知識文庫」の経営者で、チャウシェスク時代のルーマニアからの政治的亡命者、ジョルジュ・ピスコッチ=ダネスコが負傷し、店が荒らされ、希少本を含む約二〇〇〇冊の本が販売不能の状態になった。被害額は約二五万フラン(一フランが二二円のレートで約五五〇万円)に達するが、保険会社の補償はない。
「ベタル」は、本書の第2章第1節「シオニストによる反ファシズム運動の神話」に登場するシオニスト組織である。ファオーリソンの解説によると、最も過激な極右民族主義者で手段を選ばないテロリスト、ジャボチンスキーが率いる分派の系統である。この分派には、イギリスの植民地担当国務大臣、モイン卿を殺害したシャミール集団も含まれている。シャミールは、湾岸戦争当時のイスラエル首相である。
 さらには、右のフォーリソンのアドレスから出発して、インターネット・サーフィングを楽しんだ友人から、つぎの情報がファックス通信で送られてきた。
 やはりフランスの見直し論者、ジョルジュ・ティオンのホームページによると、本書の初版本を出したピエール・ギヨームの出版社の社名、La Vieille Taupe[直訳すれば、老いたモグラ]は、『ハムレット』第1幕第5場の台詞に由来するとのこと。英語では old mole。父王が暗殺された秘密を親友ホレーショに打ち明けようとするハムレットは、ホレーショに対して、自分の剣の上に手を置いて秘密を守る誓いをせよと迫る。すると地下から父王の亡霊が「誓え」と呼応する。場所を移すと、そこでもまた、「彼の剣の上で、誓え」という声が響く。これに対してハムレットが、 Well said, old mole! と言うのである。相手が父王の亡霊であることを知っての上での台詞だから、 old には、年長者への敬意と親しみが加わっている。これが歌舞伎ならば、「よくぞ申された。地下の御老君」といったところ。これに続くハムレットの台詞も、A worthy pioneer![さすが先達(穴掘り、工兵の意味あり)!]という評価になっている。
 地下に潜みながら、故事と地上の現状に通じ、情勢の変化に即応して、すかざず行動するという意味であれば、歴戦の見直し論出版社には、ピッタリの名称である。
 ところで、この出版社について、本書の冒頭「訳者はしがき」で紹介した『世界』(96・9)の記事「パリ通信」では、「かねて戦闘的なネガショニストどもの著書を出してきた本屋」という非難がましい表現をした上で、Vieille Taupeを「老いぼれもぐら」、「しわくちゃ婆さんという意味もある」と説明していた。これでは味も素っ気もない。まずは、そこでもすでに指摘したように、冤罪報道の典型的パターンである。被疑者側からまったく取材をしていないのが明々白々ではなかろうか。
 念のために「パリ」ならぬ東京の図書館で、すべての大型の仏和辞典で Taupe を引くと、vieille Taupeについては、必ず「いじわる婆さん」「くそばばあ」などとあるから、良く使われる表現のようである。しかし、どの辞書にも、「しわくちゃ婆さん」の訳例は見当たらない。
 はてさて、この件の真相追及は、さして決定的な問題をはらむわけではない。ほんの味付けだが、私自身の訪仏計画の中の楽しみに取って置くことにしたい。
 最後に、印刷工程開始の直前、八月二五日発行の『ドレフュス家の一世紀』(平野新介、朝日新聞社)を入手した。参考になる点は多々あるが、本文中の「カルパントラ事件」に関係する部分についてのみ、一言しておきたい。
 南フランスの小都市カルパントラには、ドレフュス事件の主人公、アルフレッド・ドレフュスの姉が嫁いだ一家がある。著者の平野は現地を訪れており、「ネオナチの墓荒し事件」という項目を立てている。
 概略を先に記すと、一九九六年夏、つまり本書の底本となる改訂版発行以後、「五人のスキンヘッド」の一人で、「アヴィニョンの総合情報局に出頭したヤニック・ガルニエという男が、ついに自供した」ことによって、「事件がやっと決着した」というのである。
 ところがまず、自供の内容には、「ジェルモンの遺体には、持参のパラソルでくし刺しを試みた」とある。本訳書三〇一頁から三〇二頁にあるように、「串刺しにはされていなかったことを、捜査官が確認した」のであれば、この自供は嘘である。つぎに、「なるべく証拠を残さぬように、スプレーでの落書きも自制した」という自供は、「世間をあっと言わせるような、どえらいことをやろう」という動機と矛盾するし、スキンヘッドらしからぬ振る舞い方である。しかも、「首領格のゴメスは、事件から三年後に交通事故で死んで」いる。
 さらに平野は、「自供した」ことのみを根拠にして「事件がやっと決着した」としている。しかし、形式的にもせよ、一応の司法的「決着」とは、検察当局が自供を含めて犯罪全体の証拠を吟味した後に、被疑者を起訴し、裁判所で判決が下されることでなければならない。残念ながら、その点の記述がない。ガルニエが別件で逮捕され、取引に応じたという可能性もある。この問題には追跡調査の必要がある。

さてさて、さらにまた遅れて継ぎ足しするのは申し訳ないが、昨年中に最終校正を済ませて、先に記したようなパリ地裁ガロディ裁判の傍聴取材に行く予定をしていたところ、これまた様々な事情から、順序が逆になってしまった。
 ガロディ裁判そのものについては、さる二月二八日(土曜日)の朝日新聞夕刊に、「ユダヤ人虐殺に疑義/哲学者に罰金刑/パリの裁判所」という一段三行ゴシック文字見出しのベタ記事が載った。同じくゴシック文字の[パリ28日大野博人]に続く短い記事全文は次の通りである。

 パリの軽罪裁判所は二七日、著作の中でナチスによるユダヤ人虐殺に疑義を呈したとして哲学者のロジェ・ガロディ氏に対して、罰金一二万フラン(約二五〇万円)の判決を言い渡した。
 この著作は、その内容自体よりも、貧しい人たちの救済活動を続け、『フランスの良心』とも呼ばれているピエール神父が推薦したことから、国民の間に大きな戸惑いと物議を引き起こした。
 ガロディは共産主義からカトリックへと転向し、さらにイスラム教へと改宗した哲学者。アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている。

 右の内、本書の読者にはすでに明らかなように、「共産主義からカトリックへと転向」とあるのは短絡的な理解の誤りで、少なくとも「(ソ連は社会主義でないと主張し始めた結果として)共産党から除名となり、(宗教者としては)プロテスタントからカトリックへと転向」とすべきところである。一応、朝日新聞の広報室に電話で注意しておいた。
 パリ支局の「大野博人」記者は、私がパリで公判開始以前に、日本の大手メディアの支局回りをした際、直接会って詳しい状況を話し、持参した資料を手渡した内の一人である。結局、日本人は誰もパリ地裁の取材には現われず、私一人だったし、上記の記事にもガロディの著作そのものを読んだ気配は見えない。
 だが、この短い記事の前段も中段も、簡素に押さえた客観報道形式であり、悪意は感じられない。後段の、「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている」という部分には、私の「争議団」式の直接「オルグ」の効果が少しは現われたのかなと思える響きがある。
 裁判の日程は、先に記したように当初は、同月八、九、一五日の三日間のそれぞれについて午後一杯の期日で予定されていたものであるが、結果として、八、九の両日は定刻の五時を過ぎて六時三〇分ごろまで、一五日には九時三〇分ごろまで、さらに翌日、一六日の午前中に二時間、午後に二時間の延長期日を加えて、やっと結審となった。
 法廷の座席は区切りなしのベンチ型で、約三〇名程の法律家席も、約四〇名程の記者席も、約一〇〇人程の傍聴席も、約二〇名程に制限していた立ち見の空間も、すべて超満員だった。最大時には広いロビーに約一五〇人が、傍聴席の空きを待ちつつ裁判の進行状況を見守り、かつ、いかにもフランス風に手振り身振りを交えて、そこここで議論の花を咲かせているという状況であった。これも日本とは違って、ロビーでの取材は、活字メディアばかりではなく、テレヴィ、写真に関しても許されているばかりか、記者証のない者でも自由にヴィデオカメラや写真カメラを使用できた。私も、そのすべてを行ってきた。
 特徴的かつ決定的な事実は、アラブ系のメディアが殺到していたことであった。法廷でロジェ・ガロディ「被告」が、問題の著書『偽イスラエル政治神話』に対するフランス国内での処遇について抗議すると同時に、それがすでに約三〇か国で翻訳出版されており、日本語版の訳者も法廷にきていると証言したため、その訳者本人である私も注目され、アラブ系のラディオとテレヴィのインタヴューの申し込みを受ける結果となり、そのいくつかに応じてきた。フランスの大手テレヴィ取材陣もきていたが、日本の大手メディア取材陣と実によく似たサラリーマン型で、フニャっと座ったまま待ち、おそらくデスクの注文通りなのであろう、法廷の出入りシーンだけを撮っていた。私の方が積極的に話し掛けても、意識的に避けているものかどうか、ともかく、ポケッとして無反応だった。ただ、たったた一人だけが、実に正直に、自分は雇われている立場だから個人的意見は言えないと答えた。
 パリ取材の全体についても稿を改めざるを得ないが、私の脳裏に最も強く刻まれた現場の実感は、先の記事で「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒」と記された人々の位置付けであった。本書がアラブ語に訳されていることや、本書の出版後にガロディが何度もアラブ諸国を訪れていることについては、訪仏以前にも情報を得ていた。ところが、右のように法廷の中も外も埋め尽くしていた傍聴者支援者の約半数が、この「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒」だった。より正確に言うと、そのほとんどは、フランスで働き、学んでいる「モズレム」(彼ら自身の表現)だったのである。
 ガロディ側の数多い証人の中でも、パレスチナ人、モロッコ人とエジプト人の法律家、この三人のアラブ人の証言が、咄々としたフランス語ながら、またはそれゆえにこそ、最も迫力があった。
 しかも、それまでに聞いてはいたものの、パリの街路にも地下鉄にも、黒人、褐色人、白人風だが中東型の人々が、これまたまさに溢れていた。いわゆる「3K」労働の担い手も彼らであった。私は、「アラブ諸国」と言うよりは、むしろ、フランスの国内問題としてのアラブ人の位置付けを痛感したのである。裁判所では、鋭くシオニストを告発するイラン人の作家とも知り合いになれた。まだたったの一人だが、これでアラブ人以外の「イスラム教徒」または「モズレム」にまで、私の交友範囲が広がった。特に親しくなり、二度も自宅に招待され、フランス人の妻、キャリーの手料理による世界三大珍味、トリュフまで振る舞ってくれたパレスチナ人のインターネット活動家、バジル・アブエイドとの「遭遇」は、私の人生でも最大の曲がり角の一つとなる経験であった。
 ここでは、短く付け加えるに止めるが、フォーリソンには安宿の世話までしてもらい、同じホテルに泊まって、何度もの長時間にわたる面談の機会を得た。渡仏前に記しておいたフォーリソンの政治的な立場については、その通りで、彼は、ソルボンヌ大学の教授だった頃に教員の組合の執行委員をしていたので、「左翼だという人もいる」と注釈しながら、「政治的経歴はない」と明言した。私の「文は人なり」という資料の読み方が当たっていたのである。
 本書の初版の編集者、ギヨームとも裁判所で会い、前述のLa Vielle Taupeの件の確認を得た。
 カルパントラの件は、バジルに聞くと、やはり現地では有名な話で、名乗り出た「チンピラ」が有罪で投獄されはしたが、誰も警察の処置を信じていないそうである。
 その他、何人もの意見を聞いたが、それらを要約すると、ガロディは「政治的」で、フォーリソンは「正直な人」といったところが、最も核心を衝いているようだ。フォーリソンは、ガロディが再版で自分を含めた見直し論者の名前が入った部分を削った処置を怒っているが、ガロディは、法廷で、外国向けに複雑な国内事情に関する部分を削ったという主旨の答弁をしていた。バジルはバジルで、フォーリソンがパレスチナ問題に熱心ではないのが不満だという。私は、これらのそれぞれの異なるスタンスの群像が、期せずしてそれぞれの視点から歴史の真実に迫るスカラーを発揮し、その総合的なベクトルが現在の政治的事件の土台をも白日の下に晒し出し始めていると感じた。
 なお、前述のような日本大手メディアのパリ支局「オルグ」に前半を費やし、中間はバジルらとの交友の深まりで連日の過密日程となり、その上に最後の一日までが裁判期日の延長という不測の事態となったために、予定していた図書館などでの資料調査の時間がなくなってしまった。
 特に、本訳書一八六頁の「ホロコースト」に関する『リベラシオン』(79・3・7)からの引用については、別途、これが前出のピエール・ギヨームの投書であり、セルジュ・ティオン著『歴史的真実か、政治的真実か?』では、最初の区切り以外は別の文章になっているという情報が入っていた。ガロディよりもむしろ、初版の編集者だったギヨーム自身が、別の箇所を入れ、[中略]などの注記を忘れた可能性が高い。だから、掲載紙の方の原文を確認したかったのだが、その時間が取れず、裁判所のロビーで一緒に並んで写真まで撮ったギヨームとも、公判が終わってからという意味の「アプレ」の約束のまま、再会なしに帰国せざるを得なかった。私の超エコノミー切符の期日は、変更不可能だったのである。本訳書一八六頁の「ママ」は、そういう途中経過の報告として読んで頂きたい。
 課題は増えるばかり。日暮れて道遠しの感なきにしもあらずだが、この間、多くの激励の言葉をかたじけなくした。少しづつ世間の風向きが変わってきたような気がする。
一九九七年七月末日
訳者:木村愛二

聖書アラビア半島起源説の書評~色んな考え方があるもんです

最も参考になったカスタマーレビュー

聖書アラビア起源説
投稿者 shironeko 投稿日 2009/11/24
形式: 単行本 Amazonで購入
 本書が出版されて21年になるが、その後アシール地方に膨大な考古学的証拠が発掘されている。常識をくつがえす本。

 著者は言語学であるが、以外にも宗教、歴史、文化だけでなく科学的な証拠もあげている。マレーシアやアメリカ合衆国にも使われている赤と白のストライプはモーゼが多くの人々を引き連れて、砂漠の中をエジプトより脱出した時、昼は噴煙、夜は噴火口の赤いマグマの色。

 当時の船、建物に使用される木材の木の種類。ソドムとゴモラのこと。イスラム教が生まれる前からのメッカのカーバもうでは、古来からの習慣であり、マホメットはそれを続けた。中には隕石の一部が納められている。

 旧約聖書にでてくる鉱物、宝石、火山、地震もパレスチナにはあまりないが、アシール地方には、産出される物。

 キリスト生誕時の乳香(イエメンで今でも樹液から作られている)など。ほかにも金、も没薬なども当時の産出していた産地と考えあわせると合理的である。(ふるい先祖の土地からの贈り物)。いろいろな人にすすめたい。

 私はアラビア科学(一部分しか残っていないが、日本でも数学で中学や高校で習う図形、分数、代数はアラビア語で書かれた数学の本がヨーロッパに伝わり、日本語訳されただけ。ほかにも科学全般)の20%しか伝わっていないので。古代ギリシャ語訳されたものがラテン語にされ、19世紀以降英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、オランダ語などに変わっただけ。ラジオ講座でアラビア語を半年続ければ、面白さはもっと増すと思います。私も半年分しか学んでいません。

一読の価値あり
投稿者 Appare 投稿日 2012/7/18
形式: 単行本
セム語学および固有名詞学の一分野である地名学にもとづいて行われている。

現在のイスラエルの地では、聖書に照合する発見はない。

いわゆる“約束の地”を、アラビア半島西部に仮定したとき、
現在でも残るそれぞれの地名が、聖書の内容に照合する。

別のニュース等では、
この本の出版後、現在に至ってアラビア半島西部での発掘・研究の結果、この説を裏付けるデータが取れてきている、との話し。

言語学の専門家でなくとも、言語学・音声学などの側面から、非常に興味深い。

■目次
1章 古代のユダヤ世界
2章 論証の方法
3章 アシールの地
4章 ゲラルはどこか
5章 パレスチナでは何も発見されていない
6章 淵とは何か
7章 ヨルダン再考
8章 アラビアのユダ王国
9章 エルサレムとダビデの都
10章 イスラエルとサマリヤ
11章 シシャクの遠征路
12章 メルキゼデク―パンテオンへの手がかり
13章 アシールの森のヘプルびと
14章 アラビアのペリシテびと
15章 約束の地はどこか
16章 エデンを訪ねて
17章 雅歌の故郷</td></tr></table>

聖書の内容が変わる
投稿者 Millefeuille 投稿日 2013/1/22
形式: 単行本
古代ヘブライ語は消滅してしまい、聖書(いわゆる旧約)編纂の時ですら推測で母音記号を付加するしかなかった。そのために様々な誤訳が生じ、それが現在まで手付かずのままで残っている。言語学者である著者は地名を手がかりに、自ら改めてヘブライ語の聖書に向かい合い、独自の解釈を試みた。そうすると今まで意味不明であったり、つじつまの合わない箇所がはっきりとした意味を持つようになる。例えば神の恩寵を祝福する詩とされる抽象的な文章が、単に領土権を主張するための極めて事務的な文書だったりする。更に謎とされているエデンの園の位置もピンポイントで特定でき、しかもそこには現在でも「アダナ(’dn)」と言う名のオアシスがあり、そのヘブライ語表記はエデン(’dn)とまったく同じである。更にそこから流れる4本の川の名も、カインが追放されたエデンの東にあると言うノドもそのまま存在している。またアブラハムとイサクのエピソードも意味が変わってくる。「イスラエル」は「神と戦う者」と言う意味で故事に由来するとされてきたが、ここでは「神の高み」と言う意味の地名で、それが部族名になったとされる。この本にはそのような例証がふんだんに出てくる。部分的にはやや自説に都合のいいように解釈した感も無きにしも非ずだが、この本で示された内容はもっと検証されていいものだと思う。

間違い
投稿者 いりえ 投稿日 2013/9/18
形式: 単行本
英語の読める人は、こんな間抜けな本よりもヴェリコフスキーの「ages in chaos」シリーズを読むことをお勧めします。
南アラビア人が「聖書の民」どころか、
エジプトやヘブライ人を苦しめたヒクソス=アマレク人こそが南アラビア人で、
旧約聖書と歴史学が噛み合わないのは、イスラエルの場所設定が間違っているからではなく、エジプト王朝の年代設定が間違っているからなのであります。

イスラエルがアシール地方にあったなら、ソロモンに朝貢した「シバの女王」は何処から来たのでしょうか。シバの女王がエジプトのハトシェプスト女王ならば、彼女が訪れたプントの地はパレスチナという事で、エジプト年代の水増しを調整しさえすれば、古代の謎が一石二鳥で解決するのであります。

それに、この説はメシャ碑文のような遺物をどう説明するのでしょうか。アシール地方から運ばれて来た、とでも言うのでしょうか。

管理人注:ハトシェプト女王

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A3xTym9Uct1UQGoACD6JBtF7?p=%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A5%B3%E7%8E%8B&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

もう一つの検索では....

http://search.blogs.yahoo.co.jp/SEARCH/index.html?p=%A5%CF%A5%C8%A5%B7%A5%A7%A5%D7%A5%B9%BD%F7%B2%A6&pt=c

この女王はシバの女王でしょうか?答えは...ノー

http://blogs.yahoo.co.jp/uuchan12000/26351114.html

確かにシバの女王はおびただしい荷物と一緒に3ヶ月かけてイスラエルにやってきた

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RAyIRMsd1UWwgAek2JBtF7?p=%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%90%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%AE%AE%E6%AE%BF&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

シバの女王は列王記上の第10章参照のこと....

http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/fusigi_2/works_2/works_14_p.html

と見てみるとシバの女王のことは書き忘れた

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/135.html

じゃあなくてソロモン王はそこにはいなかったということだ。

だが、おかしなことに、古代世界のどの書物にもこの出来事を裏づける証拠が記されてはいない。そればかりか、何百とあるオリエントのどの碑文にも、シバの女王に言及している記録は何一つないのである。つまり、ソロモン王とシバの女王が対面したと言う話は、聖書以外には決して出ては来ないのである。これは、一体どういうことなのだろうか?

 果たして、旧約聖書に書かれていた、ソロモン王と対面したシバの女王は本当に実在した人物だったのだろうか? そして、実在したのだとしたら、彼女の祖国、シバの国はどこにあったのだろう?上の記事から

ロジェ・ガロディ『偽イスラエル政治神話』を読む

“歴史修正主義”の手法

問題の核心に迫る・杉村昌昭

http://www.jca.apc.org/~altmedka/shohyo-nise-1.html

http://

 
 
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