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落合莞爾かく語りぬ

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 3月24日(火)12時10分33秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.kishu-bunka.org/ochiai/nleader24-12.html

ニューリーダー24年12月送稿

いかなる因縁か天譴を受けた私(落合)は、紀州の謫所にて相変わらず幕末維新史の研究を続けているが、今月稿にはとくに書いておきたいことがあるので、少々の脱線をお許しいただきたい。
戦後の日本社会には公言を憚る三大タブー(禁忌)が存在した。マッカーサー体制・ユダヤ陰謀・奇兵隊天皇これである。「マッカーサー体制」とは、敗戦後わが国を占領したマッカーサー元帥によるGHQ軍政が、昭和二十六年のサンフランシスコ条約の後には「間接占領体制」に姿を変え、戦後の日本国はその後も「対米従属体制」を秘密の国是としている、との認識である。これに気付いた私(落合)が『平成日本の幕末現象』を著したのは平成元年の十二月であった。
アメリカ国会図書館からの注文が二冊分入ったと出版社から連絡があったが、後で聞くに、それと前後して米国某機関が私に尾行・盗聴を実行したとのことであった。拙著が同胞に向かって対米独立を呼びかけたのに応じる動き、すなわち対米独立運動が、私の知らない裡に国内の六ヶ所で起こったそうである。
そのような動きを監視する内外国家機関の存在はとくに怪しむに足りないから、内偵のごときは当然と思い、気にもしなかった。米国某機関は私の背後勢力を探ったが、全くの独力で自費によりやっていることが分かり、呆れて沙汰止みとしたらしい。
当時、米国に留学中だった北京大学歴史系の主任教授が日本語で親書を呉れて、「貴著を米国の国会図書館で読んだが、これは予言の書である。北京大学で抄訳しても良いか?」と問うてきたので承諾した。その教授は、拙著の「自民党体制は対米従属を維持するための政権であるから、やがて崩壊する」と主張した部分を指して、「予言の書」と謂ったのである。
日本政府と言えば大袈裟だが、学友の外務省高官から貰った拙著に対するコメントは、「貴著の内容に驚いた。しかし国民の多くは本音でこの状態を望んでいるのだ」と謂うものであった。学友が「驚いた」というのは、「わざわざタブーに触れた」愚挙に呆れたのであろうか。
拙著の予言が部分的に実現したのは、三年半後の平成五年八月であった。昭和三〇年の結党以来三十八年間も政権を維持してきた自民党が、初めて野党に転落して、細川護煕による非自民連立政権が誕生したのである。しかし細川政権は六年四月の総辞職を以て短命に終わり、同年六月には自民党と社会党が大連立した「自社さきがけ政権」が後を継いだ。
この折、小沢一郎を中心とする自民党の一部が自民党を離脱して新党を結成し、新進党と称した。小沢新党は、駐日アメリカ大使アマコストが小沢に働きかけて実現させたと聞くから、日本を英米流の二大政党政治に誘導せんとする国際金融勢力(ワンワールド・バンカー)の意思に発したことは明らかである。ここに注目すべきは、小沢新党の結党資金として、平成四年に海部内閣が湾岸戦争の多国籍軍に対して行った追加資金援助九十億ドルの一部が還流したと噂されることである。財源には中央競馬会の第二納付金が充当せられた。
後日、東京都知事石原慎太郎は次のように言った。「(多国籍軍協力金四十億ドルを出した)後、さらにアメリカは九十億ドルを要求してきた。さすがにこれは内閣の一存では決まりませんから、九月に臨時国会を開いて、結局、合わせて百三十億ドルを出してアメリカの戦争を助けた。ところが出した直後に戦争は終ってしまった。カネをどう使ったか報告がない。日本にキックバックしたという噂があります。日本のメディアはやる能力も覇気もないから調べられない。アメリカ人の二人の記者が書きました。そのカネが誰にいったのか。想像に難くないけれど。 そして、それからすぐ小沢一郎は党を割って出て行った」。
野中広務も後に、同じ資金について暴露めいた発言をしている。小沢一郎を用いて自民党独裁政権を崩壊させた「金融ワンワールド」の意図は、間接占領体制を一層深化させるために、日本に二大政党制の実現を企んだのである。蓋し、特定集団を第三者としてコントロールするには、当該集団を力量の接近した二大勢力に分け、両方を睨みながらコントロールするのが最も効率的である。このゆえに、「金融ワンワールド」が国家を管理する手法として英米両国で夙(つと)に確立された二大政党制を「憲政の常道」と、御用政治学者が讃えるのである。噴飯ものは、実質共産主義の日本社会党の党首土井たか子が自社二大政党による「憲政の常道」の実現を呼びかけていたことで、これをしも欺瞞と言う。
ともあれ、拙見が半分だけでも具体的に政治に反映されたのは平成二十一年であった。民主党政権の首相鳩山由紀夫が掲げた「日米中の関係は正三角たるべき」との主張であるが、ここで「半分だけ」と言うのは、拙著はわが国の無原則な日中友好や無防備な対中接近を望んでおらず、むしろ民族自主独立の趣旨から同胞の媚中・拝中・跪中を強く警めていたからである。
ところが本年になって隣邦による尖閣諸島および竹島への侵略行動がにわかに顕在化し、同胞の対中危機感が増高した。これにより国民間に潜在していた「対米従属感覚」が責任階層の表層意識に浮上し、根底にある「対米依存願望」が肯定的に評価されることとなった。学友の外務省高官の謂うように、「やはり国民はこの状態を望んでいる」ことが、はっきりしたのである。
しかしながら時勢が志士を求めたか、もと外務省国際情報局長孫崎亨が颯爽と登場し、敢えてマッカーサー・タブーを破る『戦後史の正体』を著した。目下ベストセラーを続けている同著の内容は、下記の惹句から見当が付く。曰く「日本の戦後史は、アメリカからの圧力を前提に考察しなければ、その本質が見えてこない。元外務省国際情報局長という日本のインテリジェンス(諜報)部門のトップで、【日本の外務省が生んだ唯一の国家戦略家】と呼ばれる著者が、これまでのタブーを破り、日米関係と戦後七十年の真実について語る」。孫崎説と拙見との間には小異はあるようだが、大同たることは間違いあるまい。ともかく、これで三大禁忌の一を破る人士が二十年ぶりに出てきてくれて、私(落合)としては一安心である。
さて禁忌の二番目はユダヤ問題である。金融・経済などに関して生じた国際的事態が理解できない邦人たちの集まりで、「すべてはユダヤ人の陰謀だ」とのセリフを聞くことが多いが、論者に「ユダヤ人って何だ?」と質すと、明確な回答を得たことがない。たといあっても根拠に乏しく、合理性を欠く的外れの解説ばかりである。にも拘らず、論者はまたぞろ、場所を違えてユダヤ陰謀説を繰り返して止まない。わが国で囁かれるユダヤ人陰謀説は、帝政ロシアやナチスで公然と語られたものが流入したのであるが、帝政ロシアとナチスの滅亡後は、どの国にあっても公的に説かれることはなく、学校・官庁・大企業・各種団体など苟(いやしく)も公共的性格を帯びたところでは、文字はおろか口に出す場面すら見ることはない。つまり、第二次大戦後にこれが重い社会的タブーとなったことは明らかである。
このタブーの根源すなわちユダヤ問題の真相を知りたかった私は、学生時代から内外の識者に問うてきたが、結局明答を得られなかった。その間に聞き溜めた伝聞を基にして自ら洞察し、その結果を時折本稿で語ってきたが、ある時国際金融勢力に関する小論として月刊誌『新調45』に掲載したところ、民族問題研究家の太田龍から「わが国の大手メディアはこれまでユダヤ問題を取り上げたことはなく、出版社が取り上げたのはこれが最初である」と評された。
この時には拙論は未完成だったが、平成二十年代に至って天童竺丸著『悪の遺産ヴェネツィア』(文明地政学協会)を通じ、ラビのサバ兄弟の唱えるユダヤ人起源説に触れることができて、漸くユダヤ問題の根幹に到達しえたと実感した。結論を謂えば、ユダヤ人なるものは本来民族としては存在せず、その実体は古代エジプト十八王朝のファラオ・アメンホテップⅣ世(アクエンアテイン)が創めたアテン一神教に惹かれて、オリエント各地から宗都アマルナに集まった雑多な種族であって、いわばアマルナ衆とでも呼ぶべき集団であった。アクエンアテインの後継ファラオのツタンカーメンがアメン教に復帰し、次代ファラオ・アイがアテン一神教を禁止したので、エジプトを追われたアマルナ衆は十二の部族に分かれてヒッタイト勢力と接する辺境の地カナーン(パレスチナ)に向かい、辛苦の末に一神教を奉ずるイスラエル王国(古イスラエル)を建てた。エジプトを追われる過程を換骨奪胎したのが旧約聖書の「出埃及紀」なのである。
当時カナーンには、メソポタミアのシュメルから出て各地に拡散した海洋交易民(コスモポリタン族)の一派が住みついていた。古イスラエル王国を建てた十二部族は、コスモポリタン族と接触して交易や鉱物採取・製錬を学ぶが、北部十部族が一神教に疑念を抱いたため、南部ユダ族とベニヤミン族は、これと決別して南朝ユダ王国を建てた。
北部十部族は北朝イスラエル王国として残るが、やがてアッシリアによって滅亡し、住民は東方に流移した(落合注・その一部が日本に渡来したアマベ・モノノベ・秦氏である)。南朝ユダ王国もバビロニア及びローマによってカナーンを追われた住民が、各地を漂泊することとなった。これが所謂ユダヤ人(スファラデイ及びミズラヒ)の淵源であるが、後にカサール汗国の遺民がユダヤ教に改宗してアシュケナージ・ユダヤとなり、スファラデイ・ユダヤをほとんど代替して、ユダヤ人の多数派を形成してしまったのである。
その後、コスモポリタン族がカルタゴ・シシリー・ヴェニス、さらにはアムステルダム・ロンドンと諸地方の潟地に拡散して交易・金融王国を築くに伴い、ユダヤ人はその藩屏たる地位を向上させ、コスモポリタン族と共存する形で勢力を延ばした。右がユダヤ人の沿革であって、今や誰しも実存を疑わない国際金融勢力の本宗は、実はユダヤ人ではなくその師匠のコスモポリタン族なのである。したがって欧米の知識階層は、コスモポリタン族とユダヤ人銀行家を併せて一つの集団と見做し、「ワンワールド・バンカー」と呼ぶようになった。
わが国で、宇野正美のユダヤ解説本が現われ始めたのが昭和五十年代で、ベスト・セラーになった。初めはアシュケナージを知らなかった宇野が、当初唱えたユダヤ論は極めて皮相的だったが、その後も研究が進み、イスラエル人の日本渡来の研究などを見ても、近年その方向はしだいに真相に向かっているが、好漢いまだラビのサバ兄弟のユダヤ起源説に就かざるを惜しむしかない。
それはさて、近来日本でも一定水準のインテリがユダヤの語を避けて「国際金融勢力」と呼ぶようになったが、これは平成年間に遭遇した「失われた二十年」、すなわち訳の分からぬこのデフレ不況の真相を理解せんと勉める過程で、ようやく事の本質に気づいたからであろう。
そこで私は、右の拙見とこれに照らして考察した江戸経済史をまとめて、本年四月に『金融ワンワールド』(成甲書房)として公刊した。この拙著を以て、大手出版社が初めて取り上げた例というのは当らないが、これでわが国のユダヤ禁忌を破ったと自負する所以は、国際金融勢力の問題に正面から取り組んだからである。つまり、同じ題材の書物は多く巷間に溢れ、中には結論が正鵠を得たのもあるが、大部分は論拠が定まらず所謂「陰謀本」に陥っていると思う。
ところが、拙著より一か月遅れて出たのが、金融論の隠れた篤学安西正鷹の『国際金融資本がひた隠しに隠すお金の秘密』(成甲書房)である。国際金融勢力による通貨創造のカラクリを明確に論じた著書は、外国は知らず本邦では本著を以て嚆矢とすると信じるが、ともかく、これを機にユダヤ禁忌を破る動きが盛んになれば私は助かるので、有り難い。
三つ目の禁忌は寄兵隊天皇論である。わが国近現代史における最大のタブーというべきこの問題は、①孝明天皇弑逆説と②睦仁親王暗殺及び大室寅之祐の交替説からなるが、前者と後者では現代社会における扱いが全く異なる。
①は既に戦前から、公開の席上で医学の権威者が死因に関する見解を明らかにしているほか、文学者による言及も数例に及び、さらには近来元皇族竹田宮の関係者が講演会で強調していた。これに対し②は、インターネットで盛んに流布されて、いやでも目に入るのに、公職にある人物が言及したことは全くない。これだけでも、社会現象として注目するのが当然の大手メディアが、故意に見えぬフリをしているのが歴然である。
この一種異常で不自然な状況はずっと続いてきたが、本稿はこの問題にも正面から取り組んで来た。このほどそれをまとめた、『明治維新の極秘計画』(成甲書房)を公刊したが、拙見は、巷間溢れる大室天皇説とは根本的に異なり、前記①の真相を孝明天皇の偽装崩御とし、②も睦仁親王の偽装薨去と断言するものである。その仔細は、本誌の読者ならすでにご高承と視て、ここでは省略するが、ともかくこれを以て三つ目の禁忌を破った私は、大方に先駆けて戦後日本の三大タブーを破ったことになる。必ずしも好んでしたわけではないが、これも天命であろう。
それはさて、『明治維新の極秘計画』を公刊した直後に、ある国文学者から教示があり、昨年の今頃、すなわち平成二十三年年十二月に明治大学教授徳田武による『朝彦親王伝』(勉誠出版)が公刊されたことを知った。その序章によると、馬場文英の『元治夢物語』を校訂注釈した徳田教授が朝彦親王に着目したのは、八月十八日の政変や禁門の変のような重大事件の際に親王の存在感が目立つからで、徳富蘇峰の『維新回天史の一面』が親王の伝記を意図した書であることを知ったが、安政六年で終わっていて、その後の最も知りたい部分が書かれていない。また奈良興福寺一乗院の門主だった弱年の親王と奈良奉行川路聖謨との交渉が全く取り上げられていないので、各種史料を渉猟してこの書を著した、という。
伏見宮邦家親王の四男として文政七(一八二四)年に生まれた朝彦親王は、天保七(一八三六)年十三歳で仁孝天皇の猶子となり、翌年に親王宣下。天保九年に得度して尊応法親王の法諱を賜り、奈良興福寺の塔頭一乗院の門主となった。実際に奈良に常住したのか確信が持てなかったが、奈良常住は慥(たしか)と観て良いようだ。奈良時代の朝彦親王(時に尊応法親王)の動静が掴めずに弱っていた私(落合)にとって、徳田博士のこの書によって、『寧府紀事』を知ったのは真に有難く、学恩に謝する次第である。
さて浩瀚な『朝彦親王伝』を開披してまず驚いたのは、弘化四年十月十一日のことを記した一文である。前文を略するが、「宮はご機嫌で『わが実家は芳野の皇居【南朝】の血筋である故か、殊に盛んであり、当今は禁裏【天皇】も後醍醐の血筋であるし、近衛も鷹司も皆我が実家の縁続きである。不思議な事よ』というご返事だ。聖謨は、心に『おん神は、どのように思召して、この宮の血筋を栄えさせたのか。天照大神のおん計らいは、人力ではどうにもならぬ』と、足利氏の昔には南朝が衰微した事などに引き比べていた」とある。
何と伏見宮を「南朝」と明言しているではないか。しかも徳田博士は毫もそのことを疑っていないらしい。さすがに眼を疑った私(落合)は、以後を読む気も失せて、「これは事いかにも重大なれば、原典に拠らざれば考究を進め得じ」と考えて、前記国文学者に原典の謄写を懇願したのである。

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