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匂いのエロティシズム

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 3月24日(火)23時04分33秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://2006530.blog69.fc2.com/?mode=m&no=111

『匂いのエロティシズム』 鈴木隆 集英社新書 2002.2.20刊 \680+税

  <著者紹介>

 1961年東京生まれ 85年早大仏文卒 高砂香料工業株入社、 86-90年高砂香料ヨーロッパ研究所
 勤務 パフューマー(調香師)としてのトレーニングと実務経験を経て、
 2000年からTAKASAGO・USA勤務

 著書に『匂いの身体論』(八坂書房)『悪臭学人体論』(イーストプレス)がある。

 <目次>を観ただけでも魅かれるものを感じる本たちがいるものだ。

 この本もそういう一冊。先ず、目次の案内から、内容のランダムな紹介へ進む。

  ************

 <目 次>
 序 章     異性の匂い
 第一章     媚薬と香り
 第二章     エロスの進化論
 第三章     フェロモンからエロスへ
 第四章     鼻とセックス
 第五章     匂いに感じる人々
 終章      匂いのエロティシズム
 あとがき

 **************

 以下は、興味深い内容をランダムに紹介していこう。(文末の数字はページ)

 巻頭から告白的回顧調の文章が、なぜか心地よい。

 ***************
 「忘れられない匂いがある。
 はるか昔、私が高校生の頃の話である。男子校の生徒だった私は、ふだん同じ年ごろの異性というものに接する機会もなく、ただ学校と家を往復する日々を送っていた。
 あるとき、クラスの友人の家に遊びに行くことがあった。(多摩川沿いのかなり大きな家)

 友人の部屋で画集を見たり、ドビュッシーのレコードをかけたり、・・」
 (しばらくして、トイレを借りてまた部屋に戻ろうとした途中に友人のお姉さんの部屋があり、その部屋のドアが少し開いていた。)
 「・・(お姉さんは)部屋にいるのだろうか。胸の鼓動が高まるのを感じながら、その前を通り過ぎるとき部屋の中を覗いてみた。すぐに人の気配のないのがわかり、大胆にも、私は立ち止まって扉をもう少し広く開けようとしていた。・・

 カーテンが半分ほど開きかかった室内は薄暗く、それだけに一層何か悪いことをしているような気にさせたが、好奇心で一杯になった私は半身を扉の開いた部分から中に入れようとしていた。ベッドの上の乱れた布団や何気なく置かれたパジャマが目に飛び込んでくるのと、その匂いを感じたのはほとんど同時だった。いや、においを感じたというより、そのときの印象はにおいに包まれたという感じだった。

 それは、若い女のにおいと言ってしまえばそれまでだが、シーツの上に投げだされたしなやかな肢体のような賭け布団の姿と肌触りのよさそうなパジャマから漂う肌のようなにおいと、シャンプーの香りなのか化粧品なのか、髪の毛のにおいのようでもある何とも女っぽい香りがまざりあった、心地よい、体から力の抜けていきそうなにおいであった。
 その快さに立ち尽くす格好になったが、人に見つかるのを恐れる気持ちが働き、あわてて友人の部屋に戻ったのだった。

 もう一度あのにおいを嗅ぎたいと心の底から願ってはいたが、あの部屋に入る理由が見つからない。次第に、あのにおいが失ってしまった大切なものに感じられてくる。その後はそわそわと落ち着かず、話も上の空になってじき暇乞いをすることになった。」・・・(お姉さんは弥生さんといった)

 「・・今でもあのときのにおいを思い浮かべることができるし、そのにおいを嗅ぐことを想像するだけで、なんとも胸のうちがくすぐったくなるような切なさと同時に、今でははっきりとエロティックなものとわかるある種の心地よさを覚える。・・・
 ・・ずっと後になって、その友人の結婚式に呼ばれたときに、私は初めて弥生さんと顔を合わせることになる。(美しい人妻として)・・
 けれど、その姿にはあのときの弥生さんのにおいと結びつくものが何もないような気がした。イメージと違った、という意味ではない。私がそのにおいを嗅いで自分の中に育ててしまったものと弥生さん本人とは、そもそもつながりのありようがなかったのだ。」
 「将来自分が香りやにおいの仕事に携わるなどとは夢にも思わずにいた時期に出会った、この異性のにおいの魅力。エロスの底知れぬ深さについてもほとんど何も知らなかったはずの、17歳の私が初めて体験した、人生という闇の中でにおいとエロスがぶつかりあって閃光をきらめかせる瞬間である。結果的に、その後の私の人生がこのエロスとにおいをめぐって行き惑う営みに等しかったことに気づくと、我がことながら驚きでもあり、また不思議な気分にもなってくる。・・・」(以上p8~11)
 ***************

 こう書いて、次に著者は「この現象の中に、においとエロスをめぐる現代のさまざまな様相や矛盾が凝縮された形で呈示されているような気がする」90年代前半の「ブルセラ現象」から本文を始めていく。
 「ブルセラ、ブルマーとセーラー服を合成した造語だそうだが、ブルセラショップというのがあって、そこでは女子高生が身につけた服や下着、靴、靴下体操着などが売られている。・・・」(p12)

*ブルセラ・ショップ(市場である)というものがある。ショップ=市場は売り手と買い手によって成り立つ。売り手は女子高生、買うのは男である。
 セーラー服には郷愁に似たものがあり、それに魅かれる気持ちはわからないこともない。(私はわからないが)しかし下着やブルマーとなると、ちょっと首を傾げざるをえない。むろん私(鈴木)とて、女性の下着やそのにおいに何も感じないというのではない。ただ、それはふさわしい状況でそういったものに遭遇した場合の話であって、誰のものともわからない下着を買おうとは思わない。(私は下着のほうにセーラー服よりは魅力を感じる。ここでいう「ふさわしい状況」とは性行為に至る可能性が充分考えられる場面ということだろうか?)・・

 「もちろん、私は、フェティシズムであれ、ホモセクシャルであれ、SMでもロリコンでも、他人に迷惑をかけない限り、その人なりのセクシュアリティや性に抱くファンタスム(幻想)は自由だと思うし、非難するつもりは毛頭ない。ただ理解できない嗜好というものはある。
 カミングアウトではないが、私はハイヒールやレザーの衣類には魅力を感じるし、ある意味でにおいや香りはすでにフェティッシュになっているのかもしれない。
 妙なところでは、陶磁器にも私はある種のエロテイシズムを感じてしまうのだが、・・」
 (このあたり、少し著者とは感覚のズレを感じるが、率直さは充分つたわってくる。<ブルセラ論>に戻って続ける。)

 「・・この場合、自分のはいた下着を売ってお金にする女子高生とそれを買いに来る男たちとの間に、共有されることなく広がったあまりにも大きな意識のズレを感じてしまうと言った方がいいのかもしれない。このズレこそ、まさにエロスとにおいをめぐる意識のズレなのである。」
 売り手と買い手の意識のズレとはどういうものか?

 「たとえば、下着を買った一人の男のことを想像してみよう。」

 店で、なるべく店員と目を合わさないようにして、買った一枚の白いパンティー。女子高生の「生写真」も付いている。一人暮らしのサラリーマン。さて、彼は部屋に戻ってまず何をするだろうか。
 おそらく、そっとそのにおいを嗅いでみるのではないか。(そんな、ものかな?)・・・
 新品のパンティーでないこと、誰かによってはかれたものに違いないことを確信する手立ては、それより他にないと思う。実際、マニアの中には本物と贋物を嗅ぎ分けることのできる者もいるらしい。
 自宅に持ち帰ってにおいを嗅いだ後、贋物と判定すると、これは本物の女子高生のはいたものではないと怒って突っ返しにくるという。」
 (しかし、この「突っ返し」男性の嗅覚たるや、すさまじいものだ。若い女性と中年女性の<におい>の違いがわかる=分別できるというのでさえ、「才能だな」と私などは思ってしまうが、<本物の女子高生>となると、凡人の想像の域を超えていて、羨ましささえ感じてしまう。)

 「問題はにおいを嗅いで確かめたその後である。」

 「・・・パンティーというあからさまに性的なもののにおいから、それをはいた女性を想像し、その美化された姿に恋をするというのなら、大雑把な構造としては17歳の私と弥生さんの部屋のにおいとの関係に近い。もしそうなら、私にも理解できることかもしれない。・・・
 ・・しかし、むしろそのにおいを嗅ぐのが、本物であるかどうか確かめるためだけであることの方が多いのではないかという気がしている。
 確信があるわけではないが、下着という隠されたもの、恥ずかしいものを所有し、それを拠りどころとして空想の中で女性を思うがままに弄ぶことのできる快楽というのが実態に近いのではないか。」
 (特に、「空想の中で・・」はそうだろうと、私も思う)

   一方の、そのパンティを売った女子高生の方はどうだろうか。

 友達からお金になると聞いて、それならと思ってはいていたパンティを売りに来たのだろうか。何も考えてないと言ってしまえばそれきりだが、何の価値もないものが高く売れると思っているわけではないだろう。
 つまり、そのパンティを高い金払って買う背後に、男たちの欲望が潜んでいることぐらいわかっている。 (そうだろう、いまや女子中学生と早熟な小学生でさえ「わかっている」はずだ。)

  想像力の欠如というより、もともと「買う男たち」を別世界の住人と思っているのかもしれない。もちろん、それは単なる錯覚に過ぎないことは、やがてわかるはずだ。

 あるいは、もう一つ別の見方をすれば、彼女にとっては自分のはいた下着やそきに残るにおいを「自分のもの」と感じる意識が希薄で、売ることに何の抵抗も感じないのかもしれない。
 自分のにおいは自分ではないというのかもしれない。
 そんな感性が生まれる背景には女子高生たちの異様なまでの潔癖症や消臭癖という、また別の現象がある。  (と、著者はいうが、私はそういってしまえば全てそうなのであるが、この「潔癖症」「清潔病」は特に、「作られたもの」という感じが強くする。)

  口臭やトイレのにおい消しスプレー、汗のデオドラント、果ては消臭食品にいたるまで、女子高生の間で(女子高生だけでは勿論ないが)流行している、らしい。
 もちろん、どこまで、実情を伝えているかは大いに疑問だが、社会の流れとしての「清潔志向」や「無臭志向」は確かにある。
 オヤジ・オバサンくささを毛嫌いする彼女たちは、自分たちはある程度手入れしていればにおわないと思っているのだろう。本当の自分は無臭か芳香に包まれているという錯覚の中にいるのかもしれない。

  「もちろん、そんなことはなくて、思春期特有のにおいは絶対にあるのである。」(p17)
  著者・鈴木は「昼はコーヒーショップで夕方からアルコール類を出す店」での体験を語る。
 ・・友人達と夕方早くから飲んでいると、「突然若い女のにおいがして一同皆びっくりしたことがある。振り返ってみると、入り口近くに女子高生が4,5人立っている。」コーヒーの時間だと間違えたらしい。店内にも若い女性がいたにもかかわらず、「生々しいまでの若い女のにおい」だったという。

 「おそらく」彼女たちはそうした自分たち固有のにおいが存在すことに気づいていない。」

  「他人のにおいには敏感で、それを嫌悪し、自分の口臭や汗臭を消しにかかる彼女たちは、自分たちの生のからだを限りなく無臭に近いものとしてイメージしているに違いない。」(p17~18)
 ・・自分のにおいが持つ性的な力への自覚のなさ、本来は極めて羞恥のの対象になったものへの無感覚さがそこにはある。
 ・・こういう「ブルセラの構図」は、言わば現代・日本の性をめぐる混迷の縮図ということにもなろう。
 それはつまり、身体やセクシュアリティにおけるにおいというものの位置づけの曖昧さ、不明さである。・・・われわれはにおいがエロスに果たす役割をきちんと理解したり、意味づけてやることをしてこなかった。・・・いわゆる「性教育」の中にもにおいという要素は完全に欠落しているのである。

 「いや、ことは性的なにおいにとどまらない。私は、近代社会の中ではにおいそのものが抑圧されてきたと考えている。」
 「香水や花の香りがもてはやされることはあっても、それは結果的ににおいの世界の拡がりを半分に切り下げることにしかならない。」(p20)

   (芳香の特権化と「悪臭」への<思い込み=思い込まされ>による差別・排除の構図は確かに見苦しいほどに現存すると思う。芳香の賛美者の無自覚=能天気な感覚は、自身は「動物」ではないとでも言いたいのが、本音だろう。)

   ・・・それは、教育システムの中に「視聴覚教室」はあっても「臭覚教室」がないことに端的に表われている。・・・われわれはにおいを分類し、知覚するための手立てを教えられることも、そうした指標が事実上ないということさえ、きちんと知らされることはない。その結果、ほとんどの人は、この世には芳香と悪臭しかなく、悪臭は説明するまでもなく悪臭であり、芳香に対する好みは人それぞれであるという程度の意識しか持ち得ないのである。

 第一章 媚薬と香り
   官能の香り

   「・・香りにはセクシーなものとそうでないものがある。たとえば爽やかなレモンやオレンジといった柑橘系の香りがセクシーであり得ないことは、誰の目にも、いや誰の鼻にもあきらかである。
 面白いのは、爽やかさとか清潔感といった言葉に適した香りを選ばせると、民族や文化、あるいは世代の違いによってかなりばらつきが見られるのに、性的な魅力に結びつく匂いととなるとかなりの普遍性が見られるということだ。」(p28)
  (ここで著者のいう「普遍性」は、「根源性」ということだろう。それは、「色=カラー」についてもいえるらしい。「色」の認識・識別にもほぼ世界中の民族共通の「順序」というものがあるという。)

 「・・セクシーな香り、性的な魅力をいや増す匂いの代表はムスクであり、あるいはアンバー、シベットといった、いずれにせよ動物に由来する匂い(「アニマルノート」)である。これらの香料は生の原料を嗅ぐと強烈なにおいだが、薄められ他の香りと混ざり合うことで妖艶な香りとなって、香水の歴史を彩ってきた。・・・」

 こうして、著者は香料の起源としての「媚薬」に興味を持ちはじめる。
 「・・そもそも媚薬とはどんなものかが気になりだしたのである。・・・
 媚薬というと、どうしても淫靡というか、こっそり使うようなイメージがつきまとうが媚薬の歴史を見てみると、どうして、そんなケチなものではない。
 もともと多くの古代文明でセックスの快楽は恥ずべきことでも隠すべきことでもなく、むしろその快楽をとことんまで突き詰めていくことは神聖な行為だったのである。
 ・・セックスは神との合一の体験であったり、精神と肉体の融合という点で極めて象徴性の高い非日常的営みであった。」
 「そうした性愛観の典型は古代ヒンドゥー文化で、(交合の彫刻は有名)」さまざまな体位での交合やフェラチオをする様子が残されている。

 「男女の交合」は世界を創造した「神々の行為の再現」として、神聖視され、「セックスを
 完璧に行えば行うほど神に近づくことにもなったのである。」

 このような性愛観の中では<エクスタシー=神との合一>へ至る手法が「研究」されるのは当然の成り行きだろう。
 「・・事実ヒンドゥー文化には多くの媚薬を用いてきた伝統がある。」
このような性愛観の中では<エクスタシー=神との合一>へ至る手法が「研究」されるのは当然の成り行きだろう。
 「・・事実ヒンドゥー文化には多くの媚薬を用いてきた伝統がある。」
 惚れ薬、淫乱剤、強精剤、持続剤といった媚薬の知識を持ち時と場合によって使い分けることは、性愛術の重要な一要素であった。・・・

 「麻薬と媚薬の、そして香料のつながりも深い。古代インドでは大麻は神聖なものとされ、大麻の葉を乾かして吸うガンジャは現代にも残るが、その起源は、浮気者の夫・シヴァ神の心を自分につなぎ止めておくために、妻・パルバティが焚いた大麻の花の香りであったとされる。」
 大麻を焚いた香りは効果抜群で、その後は夫婦和合するようになったという。
 媚薬的効果の高い香料として忘れてならないのは、なんと言ってもムスク(麝香)とアンバーグリス(龍ゼン香)である。

  発情の匂い

 太古から人間は(現代では遊牧民は)、野生の動物や家畜の山羊や羊などのメスが発情期になると独特の匂いを発し、それにオスが反応し、興奮してメスを追い回して交尾に至る光景を目にしてきた。
 こうしてフェロモンという言葉ができるずっと前から、動物の発する性的誘引力のある匂いの存在に多くの民族が気づいていた。

 人類には発情期というべきものがなく、いちねんを通じて常に「発情」できる。
 言い換えれば、人間は本能によってはセックスすることは出来なくなった動物で、常にセックスへ向かわせるような工夫をしなければならなくなった。
 媚薬というものも、そういう工夫のひとつとも言える。・・・

 しかし、動物の発する「フェロモン」に気づいたとしても、それをいざ媚薬に応用しようとしてもそれは、そう簡単なことではない。
 植物由来のものと違い、動物の場合例えば発情したメスの山羊を殺しても、その匂いの元となるものが採れるわけではないからだ。(植物の場合、乾燥や粉砕などの方法で可能だが)


 麝香(じゃこう)がどのような経緯で発見されたかはいまだに謎であるが、動物の匂いを香料として保存することは不可能だったに違いない。
 「動物の精力を媚薬として取り入れようとする場合、その匂いを使うのではなく、睾丸や陰茎といったからだの一部分であることがほとんどだった。・・・要するに精力の強い動物の睾丸を食べれば精がつくだろうというような発想である。」

 「麝香はジャコウジカという小型の鹿のオスを捕まえ、下腹部から香嚢(こうのう)と呼ばれる袋状の塊を取り出し、中にあるゼリー状の分泌物を切りとって乾燥させることで得られる。
 この香りを得ようとしてジャコウジカを捕らえ、試行錯誤の末ついにこの「匂い袋」を見つけだしたのだとしたら、それはほとんど奇跡にちかいのではないか。
 数千種類といわれる天然の香料の中で、現在まで使われている動物由来の香料はたったの四種類しかない。麝香と龍涎(ぜん)香、それに霊猫香(れいびょうこう)=シベット、とカストリウムがそれである。このうち龍涎香は動物性天然香料とは呼ばれるものの、マッコウクジラの腸内結石の一種といわれていて、クジラのからだに備わった腺組織が作り出すものではない。したがってこの龍涎香を除いたわずか三つだけが、直接動物の分泌腺が作り出したものから採られた香料ということになる。
 逆に考えると、芳香や媚薬としての匂いを求めて、他にも無数の動物を犠牲にして香料となるような線組織を探してきたにもかかわらず、ムスクやシベットに匹敵するような匂いの塊はついに発見できなかったということなのかもしれない。」

 ジャコウジカは、このムスクの香りを実際メスを引き寄せるのに使っているらしい。
 「いわゆるフェロモンの一種ということになるが、動物の性フェロモンがみな人間にとって良い匂いかというと、とてもそんなことは言えそうもない。・・・ジャコウジカだけが特別なのである。」

 なぜ、ムスクだけがこんなにも人間を魅了するのだろうか。

*前回、『匂いのエロティシズム』から、次のように引用した。

 *****************
 麝香(じゃこう)がどのような経緯で発見されたかはいまだに謎であるが、動物の匂いを香料として保存することは不可能だったに違いない。
 「動物の精力を媚薬として取り入れようとする場合、その匂いを使うのではなく、睾丸や陰茎といったからだの一部分であることがほとんどだった。・・・要するに精力の強い動物の睾丸を食べれば精がつくだろうというような発想である。」
 *****************

  この所謂「模倣呪術」が生んだ(可能性が否定できない)、「悲劇」について是非書いておきたい。

 拠り所は、畑中正一著 『現代ウイルス事情』ーインフルエンザからエイズまで
             (1992.4.20 岩波新書)

  先ず、著者紹介から。
 畑中   正一
 ハタナカ・マサカズ
 1933年 大阪生れ
 1958年 京大・医学部卒
 専攻ー基礎医学
 現在(1992年時点)ー京都大学ウイルス研究所所長

 副題の「インフルエンザからエイズまで」が上記「模倣呪術」との関連でこの記事の主題。

  第七章 エイズの探究ーアフリカ起源か、欧米の人工産物か。 より引用する。

 「・・・さらに驚区べき実態が最近明らかにされた。第一次大戦が終わった頃から欧米の医学界では、
 若い男性の睾丸を老人に異色すると若返ると真剣に考えられた時代があった。
  このためたくさんの高齢者にこうした手術が施された記録が残っているが、なにしろ不老長寿を求める人数にくらべてドナー(提供者)の数に限りがある。そこで外科医は類人猿や猿の睾丸を使用し始めた。とくにチンパンジーの睾丸が愛用されたのは人間に近いことのほかに、睾丸がことのほか巨大で印象深いものがあったからに違いない。チンパンジーから一物を取り出し、スライスして男性の下腹部や陰嚢に移植したのである。
 このような治療法は、1935年に男性の性ホルモンであるテストステロンが化学的に合成できるようになったので、次第に衰えていったと思うが、完全に消滅したのがいつなのかは明らかではない。言えることは、チンパンジーの睾丸と一緒にエイズのウイルスが人間に入り込めるに十分な機会を与えたことである。

 こうした観察の結果を総合すると、今のエイズは人間が引き起こした人工の病気である可能性が高まってきた。

 当時の資料が残っておれば、今では「ポリメラーゼ連鎖反応」(PCR)と呼ぶ特別な方法で、エイズウイルスが入り込んだかどうかをテストすることができる。
 現在のところまちがいなくエイズの抗体が確認できているのは、1959年に死んだマンチェスターの船員の血液と、ザイールに保存されている1959年の血液である。どうしてそれ以前には抗体が見つからないのは、依然として不明である。」・・ 以下略

 以上、『匂いのエロティシズム』から寄り道になったが、畑中正一著・『現代ウイルス事情』のほんのさわりを紹介した。

 さまざまな原因説が飛び交い、紆余曲折はあったものの、その後の研究の進展の経過は、「1998年になって、アフリカ人のHIV抗体陽性の血漿からHIV遺伝子の増幅分離して塩基配列を決定することが成功して、このことからHIVが1940年代あたりにサルからヒトに感染したのであろうことがほぼまちがいないのではないか」という共通認識の段階に至っている。
 現在、エイズウイルスはHIV(Human Immunodeficiency Virus)と呼称を統一している。ヒト免疫不全ウイルスである。日本語ではHIV/エイズと表記する。

 同著者による、エイズに関するより専門的な著作としては、『エイズ』(1999年 共立出版刊)がある。

*媚薬としてのムスク

  麝香の歴史は古く、古代インド医学「アーユルベーダ」の医書にも薬の一種として載っている。古くは阿片と麝香を混ぜたものが強精剤や薬品として用いられていたらしい。
 中国にも紀元前に麝香が伝わったことを示す記録が残されている。これは、ジャコウジカの生息地がヒマラヤ山脈周辺だということを考えれば、当然のことかも知れない。
 それに対し、古代ギリシャもローマ人も麝香の存在すら知らなかったという。ヨーロッパに知られるようになるのは、12世紀で、アラビアのサラディン王がローマ皇帝に贈ったのが記録の上で最古のものだという。そのヨーロッパでもルネッサンスのころには様々な分野(薬品、秘薬、媚薬)で用いられるようになる。

 日本に麝香が伝わった時期は定かではないが、奈良時代、正倉院の目録に麝香の名が記されており、平安期になると貴族たちがさかんに麝香を使うようになる。ヨーロッパよりは早い。
 中国や日本ではどちらかと言うと医薬品として珍重されたようだ。漢方の処方には麝香を用いたものは多いし、今も日本の薬局方に残っている。

 それでも、麝香の媚薬作用や香りを重視するのはイスラム文化である。
 イスラム教の開祖ムハンマドもムスクの香りを好み、コーランにも麝香の名が登場している。
 イスラム教はキリスト教に比べると性に関して大らかで、快楽のためのセックスに罪悪感が伴うことはなかった。・・・

 ただし、この麝香は、今日香料業界で使うムスクとは違うものである。香料としてのムスクもかつてはこの麝香そのものであったらしいが、近代以降の香水や香料では、麝香の香りだけを強調するようなことはまずない。近代以降のムスク香料というのは、麝香そのものから溶剤抽出によって匂い成分だけを取り出したもので、ムスク・アブソリュートと呼ばれる。
 ところが、現代の香料業界では、値段の高騰や合成香料の開発、そして動物愛護の観点から、このムスク・アブソリュートですらほとんど使われることはなくなっている。・・・現在新たに市場に出る香水のムスク・ノートは、ほとんどこうした合成ムスクで構成されている。

 歴史的にみると、これら合成ムスクの使用を促進したのは、皮肉にも1970年代の「ムスクブーム」であった。これは、60年代のヒッピー・ムーブメントの余波ともいえる現象で、自然回帰や精神世界への傾倒の流れ中で麻薬や媚薬が再評価され、フリーセックスやセックス・リボルーションといった風潮と相まって、麝香の媚薬的効果への関心が高まった。
 麻薬と香料が「媚薬」という原点で結びついたわけで、古代インド神話への回帰である。

    「アニマル」な人間。

  動物から採られる香料=動物性天然香料(麝香のような)がある一方で、香料業界には「アニマル・ノート」という香調の分類があり、こちらは動物を思わせる匂いに対して使う。

 動物的な匂いとは何かというと、あえてわかりやすく言ってしまえば、動物園の檻の中の匂いを思い浮かべてもらえば、そう間違いはないと思う。それも哺乳類、ネコ科の猛獣や霊長類の匂いに近い。

  現代では体臭というと、臭いものという連想が働く、(テレビCMではこれからの季節目にする機会が増えるだろう)。体臭=悪臭とさえなっている。・・「清潔さ」=無臭を競い合う人々。自分の体から出る匂いを消すことに躍起になっている人々。
 人間の体臭に対してすらこうなのだから、動物の体臭にはそれ以上で、ペット用の消臭剤が売れ、動物園の匂いが嫌だからというので動物園に行く子供が減っているという。

 こうした事態はいつ、どんなところでもあったことではないのは明らかで、体臭=性的魅力とされていたり、体臭を嫌悪しない社会はいくらでもある。
 要するに、体臭に対する感性というのは多分に文化の影響をうけるものである。

 西洋でも、体臭や腋のしたの匂いを好む傾向がかつてはかなり広く見られ、香水の使用は今日のわれわれが考えるように体臭を隠すためのものではなく、むしろ腋のしたの匂いを強調するために用いられてきたと考えたハヴロック・エリスのような人もいる。(『性の心理』)

 ムスクの香りを女性の腋の下の匂いや体臭に結びつける例は多く、しかもその匂いは性的な刺激として働くとされることがほとんである。・・・腋の下の匂いや体臭がムスクの発見に向かわせたという可能性も否定できない。

 それを裏付けるように、人間の腋の下からムスク臭を有する物質が見つかっている。腋の下にあてたコットンパッドから抽出して見出されたアンドロステノールという物質は、ややパウダリーなムスク感と、白檀に似た匂いを持ち、媚薬的と言えば、これほどその言葉にぴったりの匂いはない。・・

 以下、興味津々の匂い=香りをめぐる上質な物語が続くが・・・残りはみなさんにお任せするとしよう。
 
 
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