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明治天皇と田布施システムの妄想

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 3月25日(水)18時01分26秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/ici05876/entry-11781774952.html

管理人注:中丸薫と堀川辰吉郎の誇大妄想革命

http://hiro-san.seesaa.net/article/250626011.html

大霊脈という本が届いた

http://hiro-san.seesaa.net/article/250625957.html

阿修羅のコメントから

http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/371.html

10. 2015年3月22日 23:46:18 : cT5v3mmjKo
明治維新は北朝公家と長州の野合の産物であったことは押さえておく必要があります。これが世界とこの国の不幸の序章でした。今後、明治以降の権威は地に落ちそうです。時節には敵わないのです。

アマゾンレビューより

明治元年にニューヨークタイムズによって「日本に二人の天皇がいる」と全世界に報道されていた。現在、いったい何人の日本人がこの事実を知っているのでしょうか。それにしてもは実にキタナイ。自分達がかついでいる明治天皇が敵方の流れを受けていることがわかると手の平をかえすように正統南朝御歴代墳墓を暴き遺骨もろとも富士沼に捨て去る・・・

小野寺直(南朝天皇の正統派で今日では日了法皇と名乗る)を検索すると2件出てきます。胡錦涛はちゃんと知っているのです
中国が後醍醐天皇の御子孫である小野寺直氏に【南朝天皇御璽】を贈呈してきた事が何を意味しているのか平和ボケ国家のおバカさん連中には何が何だか解らない。
中国より日了法皇に贈られし南朝天皇御璽

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/636.html

以下転載開始

テーマ:古代史、人類史、歴史ミステリー
<明治天皇と田布施システムの妄想>

「明治天皇が長州藩の大室寅之助だ」として、様々な憶測があります。また、これにかこつけてた"某ノンフィクション作家"が、よく調べもせずに「日本は天皇も含め"・・部落"である田布施出身者によって支配されてきた」などという妄想を吹聴し、あたかも日本国のイメージダウンを狙っているかのようです。

そこで、ベールに包まれている”明治天皇の実像”に迫るとともに、”田布施システム”等という妄想話にメスを入れます。

まず、山口県北部の萩市では、古くから仄聞するところによると、南北朝時代の後醍醐天皇の第一皇子である護良親王の末裔・興良(おきなが)親王の子孫である”地家寅之助”という人物がいて、長門の国の国主だった長尾氏、次いで大内氏、

さらに毛利氏の各時代を、領主が天下を取った時の”隠し玉”として匿われていたということです。この地家寅之助に関しては、正反対の方向にある熊毛郡田布施町の出身であるとの説も有ります。というのは、日明貿易で財を成した大内氏(百済系?)に明国や高麗の背景のもと、

日本からの独立を画策する動きが見受けられたためこれを牽制する意味で、旧ユダヤ10支族物部氏系の南朝方が、護良親王の末裔・興良(おきなが)親王を、また足利幕府も後の”西行”こと佐藤義清(のりきよ)の末裔・佐藤甚兵衛を、秦氏体制時代に不満を持って諸国に散らばった

物部氏の隠れ里”田布施”に派遣、大内氏の野望画策を監視したということです。この話題の田布施は鹿児島県や佐賀県にもあり、”タブセ”はヘブライ語と言われています。また田布施より西に”宇部”がありますがこれも物部から由来する名で、毛利氏(物部モリヤの末裔)の出身地と言われています。

このように、田布施が"特別の地"として言い伝えられてきた理由は、数字の「四」が忌み嫌われるいきさつと共通してます。つまり、数字の「四」は皇室しか遣ってはならない数字であり、「田布施」は、天皇家に連なる古代ユダヤ系物部氏の隠れ里であるため、深く触れては欲しくないからです。

さて、この佐藤義清の末裔は、佐藤市郎海軍中将、佐藤(岸)信介、佐藤栄作の三兄弟となります。佐藤栄作の話では「私達三兄弟は、頭の良さは上からだよ」と言ったというほどの秀才で、佐藤市郎は海軍兵学校、海軍大学校ともに首席で卒業したが、

同じ首席でも過去に例を見ない高得点であったという。佐藤中将と海軍兵学校36期の同期生には沢本 頼雄、塚原二四三、南雲忠一の三人の海軍大将がいるが、頭の良さは佐藤中将が抜きん出ていたことは衆目の認めるところだったといわれています。

また、安倍晋三総理の祖先についても、一部に「田布施出身の…」等という誤解があるので説明しますと、物部系加茂氏(後の南朝)の流れを汲む安倍晴明の子孫・季任が、天智系天皇(後の北朝)呪詛の罪で肥前国(現在の佐賀県)に流罪となり、後に元寇の際にも活躍した「松浦党」頭の娘婿

・松浦三郎大夫実任として平家水軍で活躍。その娘も平知貞に嫁いだため平家滅亡後、"天下人"源頼朝の迫害を免れる為に安倍姓を名乗り長門国、すなわち、現在の山口県長門市日置町(山陽側の周防国田布施とは反対側の山陰側)に逃れ、隠棲、現在に至るのが真相です。

さて、話を地家寅之助にもどすと、実際、地家寅之助が護良親王の末裔である話は吉田松陰も書き残しており、幕末には松蔭が天皇としての英才教育をしていたと言われています。地家寅之助は、この後、同じく護良親王の末裔である大室家に養子に入り、大室寅之助と名乗りました。

また、この他の重要な証言としては、梨本宮守正の娘で朝鮮王朝に嫁いだ李方子は、「明治帝は南朝の人だ」、藤原北家広橋真光に嫁いだ方子の妹の息子・興光も、「睦仁親王と明治帝は別人だ」との証言があります。

また、愛知県の熊沢宏道は熊沢家が後醍醐天皇六代目の信雅王の末裔であると明治帝に訴えたとき、明治帝は「南朝の正系である」と認め、「公平に扱うように」と下命されたが、その後具体的は進展は見られず崩御されたと。

さらに、同じく愛知県の三浦芳聖も、後醍醐帝第二子尊良親王の子・基良親王の直系だという家系図を当時の宮内大臣・田中光顕に申し立て、田中は「明治帝は後醍醐天皇第11番目の満良親王末裔で長州がご守護申し上げてきた」と証言しています。
そして、日本の歴史の中では、南北朝時代以降も長い間の懸案事項として、皇統における南北朝の争いや南朝の復興運動というものがあり、国学者の本居宣長、平田篤胤、水戸光圀、吉田松陰らによって教導されてきました。

その結果、南朝系”隠し玉”はこの他にも全国にいて、南朝復興論を主張する雄藩が、熊沢天皇(水戸藩)、小野寺天皇(仙台藩)、三浦天皇(井伊藩)、井口天皇(紀州藩)、朝里天皇(紀州藩)などを匿っていました。

時の覇者に大政を委任する天皇は、現実には生身ですから覇者がその即位、譲位を左右した例は歴史上、枚挙に遑がありません。藤原氏の百川と山部親王(桓武天皇)、平清盛と安徳天皇、足利尊氏と後光厳天皇などです。

これらから見ても、”公武法制”の存在を知った雄藩は、「いつかは幕府に代わり、この手で天下を掌握せん」との大志から、密かに”自前の天皇”を準備したのは事実だったと推測されます。

ところで、明治天皇と睦仁親王の交代の背景には、”堀川政略(落合莞爾氏)”という明治維新全体を支配する大きなシナリオが描かれていたようです。

それは、幕末における欧米列強からの開国要求という国際情勢の変化を背景にした秘策にほかなりません。ウィーン体制の結果成立した欧州王室連合は、縄文、弥生時代以前の古代に分離した同族(海部氏、物部氏、秦氏ら)のDNAが入った日本の皇室にも参加を求める方針を立てました。

これを受け皇室は、国際環境の変化への対応とともに、万世一系(血脈又は霊脈としての)と国体(国家としての霊脈)を維持するため、孝明天皇が義兄・朝彦親王および岩倉具視らと謀って、孝明天皇が崩御を装い、睦仁親王とともに堀川通りにある本圀寺内の堀川御所に隠れ、

以降はシャーマンとして国家安泰を祈りながら外交、国際金融などを担当する”国際天皇”になり(京都皇統)、一方では大室寅之助が明治天皇として即位し、政府と軍を統帥する”政体天皇”となり(東京皇統)、”表裏の皇統二元体制”を敷くことを決めたものと考えられます。

日本皇室が世界王室連合に参加した暁には、王室間外交はもちろん、欧州王室の慣行である王室間通婚を避けて通れず、その結果、皇統に外国王室の血脈が入れば古来の国体概念とかい離する虞がありました。

また、万世一系の皇統(必ずしも直系だけでの継承ではない)を維持するための後継候補バンクという存在意義も考慮され、さらには、大政奉還の結果、政権が京都に戻ることになれば、幕府の本拠だった東京はすたれ、元に武蔵野に戻ることも憂慮されたようです。

参照:「明治維新の極秘計画(落合莞爾)」「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新(落合莞爾)」「月刊ムー」等
 
 
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