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あれは侵略戦争だった

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 3月27日(金)22時53分29秒
  通報 返信・引用 編集済
 

2013/06/21 に公開

満州国の建設者にして昭和の妖怪と言われた岸信介元首相。A級戦犯から甦り日米同盟の?背後で暗躍した人物。
 あの戦争は侵略戦争だったのか? という質問に対し、岸は臆すること無く「侵略だ」と言い切っている。

 評者はここで、戦争の是非や善悪、大義名分についてとやかく言うつもりはない。ただ嘘?をついてまで居直ったり、状況証拠を歪曲してあげつらい、「大東亜」なる倫理武装で、?侵略を解放と言い換え、同じ植民地主義者(欧米)の悪をあげつらう昨今の歴史修正史観?(いずれボロが出て破綻する論理)に比べ、自らを連中と同じ「悪」の論理の行使者にし?て信奉者であることを隠さず自覚した上で、そうでもしなければ欧米の絶対的自己肯定「?悪」に日本は勝てない、と確信していた岸の信念の方が、アメリカに恋い焦がれる時の首?相がのたまう、不細工な愛国論よりも遙かに上質にして高度である。次元が違う。

 私は安部晋三の話術や人柄に、敬意や共感、魅力を感じたことは全くない。が、もし岸信?介が眼前にいて、直に語り合ったとしたら、幻惑され、魅了されない、とは言い切れない?。その毒にやられているかもしれない。やはり昭和の「妖怪」である。今の日本の政治家?にこのレベルの妖怪がいれば、今ほどにアメリカにやられ放題にはなっていないのでは.?..と考えてしまう自分が怖い。

堀川辰吉郎の部下は......?

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=80060

戦後の闇に消えた財宝

http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/01/post-b1a9.html





日本に君臨するもの

http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/01/post-78cc.html

黒田善治のこと

http://rekishijyoho.seesaa.net/article/21005688.html

●蒋介石の日本人軍師

 先にニューヨーク・デイリー・ニュース紙が「1941年10月にソ連の高級スパイ、史上最大のスパイのリヒャルト・ゾルゲが、真珠湾は60日以内に攻撃されるだろうとクレムリンに打電した」と報じていたと述べたが、それを側面的に裏付ける資料がある。
 黒田善治(青山和夫)の著書『謀略熟練工』(妙義出版、昭和32年刊)には、こう記されている。

「〔1941年〕9月25日、王の所に世界の命運をきめた暗号電報が上海中継で東京から送られてきた。
 それは、
 『南方派遣軍総司令 寺内寿一
  第十四軍 本間雅春
  …………………………』
 各編成の師団と師団長、参謀長の名前まで全部入っている。ただし、この電報には特別な附記があった。
『これは最後の電報である。この情報はソ連と中国だけに知らせる。』
 いわずと知れた日本の南進軍の軍編成表だ。
 王は蒋介石に提出すると同時に、英米大使館に自ら持参して説明した。カー大使は大いに喜んだ。だが米国大使館は、みむきもしない。米大使館付の最高武官に、ともかくワシントンに送るよう依頼したが、
『こんなにうまん作った情報は、なおさらワシントンに送れない』
 と、はっきり拒絶した。しかし問題は緊急中の緊急だ。それで蒋介石の親電にしてルーズヴェルトに打った。……
 いうまでもなく、これはゾルゲが打ったものだ。ゾルゲが日本の発表通り極東赤軍やコミンテルンに属していたとは、わたしには信じられないふしがある。だが、ゾルゲが発信したのを受けていたのは、上海の顧高地グループだったのは、確かなことだ。王の対日情報は世界一だったが、それは上海から送られてくるゾルゲ電報が主で、あとはわたしの対日判断を使っただけだ。……
 王は開戦の時期を問いあはせた。12月8日と返電があった」

「12月8日」と非常に具体的である。ここでは王がいつ開戦の時期を問いあわせ、いつ「12月8日」と返電があったのか明記されていないが、日本の南進軍の軍編成表が打電されてきたのが9月25日で、そのあとすぐに問い合わせたのだから、10月中に返電されてきたことはほぼ間違いないだろうし、先のニューヨーク・デイリー・ニュース紙の記事とも符合する。

ところで、この黒田善治という人物はなに者だろう。『謀略熟練工』の巻末に著者紹介があり、あわせて重要な情報も含まれているので、ご紹介しておこう。

「家は作州津山藩、家康指名の附け家老、祖父は青年時代脱藩して尊王運動に従事、七卿落ちを先導した。維新後一時藩政にもどり、児島高徳の社を復興、のちに東京に移り平凡に生涯をおわる。この関係で三条、久世等と宮廷の事情は少年時代から詳しい。
 1907年12月末に生れ、近くにあった中学に入ったが、それが杉浦重剛の学校だった。明大中退、青少年頃は考古学と人類学に心をうちこんでいたが、勉強中に歴史哲学にふれ、独自の古代史を研究しているうちに、偶然亡命中の郭沫若氏と知りあった。佐野袈裟美が私の論文をみて連絡してき、その紹介で無神論同盟とその外郭団体である唯物論研究会に入り、主として古代社会を分担した。この団体は行動団体であったので前任者の逮捕後自然のうちに本部員となり組織を再建した。無神論団体としては世界的にIPFがあり、当時日本のはソ連をしのぐ活動をしていた。もっともIPFは戦争中に解体したので、今はない。
 戦争中ソ連や中共等を恐れずに論争したのは、このIPFの関係に立っていたからで、また昭和七年頃鹿地亘が勝手に作家同盟を解散さしたとき、コップで鹿地査問会議を召集したのは私だった。
 ペンネームは色々ある。古代研究では佐久達雄、万葉研究では根津君夫、反戦運動では香港で川内、インドシナでは林秀夫、中国では青山和夫、IPFではKとか№4だった」

 この一文のポイントは「IPF」であるが、いまのところ不明である。
 戦後になって実際に黒田善治と面談したことのある渡部翁は『攘夷の流れ』のなかで彼を蒋介石の軍師と呼び、さまざまな暗躍ぶりを紹介している。たとえば、こういうことがあったという。

「米軍の日本本土攻略は、最初は沖縄の次に中国本土に上陸して国・共軍と合流し、日本の支那派遣軍を掃蕩してから日本本土に迫る作戦であった。その上陸地点で中共軍はいち早く対米合流を行う用意に、八路軍の一隊を延安から長駆広東方面に出動させていた。昭和二十年二月にヤルタ会談があり、南海では米軍のフィリピン上陸が始まり、日本国内への都市空襲が激しさを増した頃、朝日新聞に『南海の防衛』という写真を入れた記事が載った。重慶でこの記事を見ていた黒田善治は、日本の本土決戦準備がその頃から急いで始められていることを察知して、すぐにその記事をアメリカに電送させたのである。それによって米軍は中国本土上陸計画を止め、直接日本本土を突くことに変えたのである」(49ページ)

 黒田善治は松本重治や尾崎秀実と並ぶ大物売国奴だったことがわかる。なお、このすぐあとに興味深いことが書かれているので、あわせて紹介しておこう。

「その当時ライシャワー博士は、重慶のOWI〔米戦時情報局〕のフィッシャー所長のもとで諜報活動をしておった。ライシャワーは以前、京都大学で浜田青陵博士のところにいたことがあり、浜田博士の弟子であった黒田とは気があった間柄であった。八幡・京城・東京・鞍山の爆撃に際して撒かれた『桐一葉』というビラは、ライシャワーが書き、黒田が日本文を見たものだという。日本に講和を勧めたビラであった」

 のちの駐日アメリカ大使ライシャワーその人である。松方正義の孫娘の春子を妻にしていることはすでに述べた。
 かくして、日本は敗北すべくして敗北したのである。

堀川政略に関わる阿修羅記事

https://groups.google.com/forum/#!topic/asyura_bbs2/D9DVblUXhIs

http://

 
 
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