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日韓はもう憎み合うのはやめよう

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 4月 5日(日)16時47分8秒
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http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200330804/

関連記事:日韓同祖論

http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2442

 ■「日本は伽耶領。韓日はこれ以上憎しみあうな!」

 都市国家連合体である伽耶(太陽民族、光明の民族)の一部族だった新羅が、慶州地域で高句麗から独立して新羅国を建てた。伽耶時代に既に日本の島根県地域へ渡って暮していた昔氏の脱解(島根生まれ)が新羅の第二代の王である南解次次雄の女婿となって、儒理王の次の王になった。当時は、日本全土が高句麗・百済・新羅・伽耶の領土だった。

 一方、新羅は朴氏、昔氏、金氏の間で王位を持ち回っていたが、第16代の訖解王の時に金氏の奈勿王が革命を起こして王権を握った。昔氏の訖解王と息子が殺され、孫のうち一人がかろうじて生き延びて、故郷である日本の出雲に帰ってから、韓日関係が根本的に狂い始めたと私は見る。

 そのときから、新羅への怨恨を晴らすことが昔氏一族の日本での活動となった。新羅の王であったという高貴な身分を押し立てて日本政府の全財産を管理する職責を引き受けたことで自然と権限が多くなり、権力を振り回して天皇位までも夢見た。昔氏王族である蘇我一族は300年にわたり栄華を誇り、国務代行兼財務長官の職に就いて、新しい天皇たちを擁立するたびに深く関与した。百済と手を握って新羅を取り戻せぬかと模索し、昔氏王権の回復と新羅王権の転覆の機会を狙って努力を惜しまなかった(朴炳植「私たちの先祖が建てた日本国」参照)。

 新羅は半島百済を滅亡させた後、文武王2年(西暦662年)に昔氏王族の財産(本彼宮)を没収して半分は国庫に入れ、残りを金?信と金仁問に分け与えた事実があった。これは、王位から追われた昔氏王族が百済と手を結んで250年間も新羅を苦しめたことに対する、新羅の仕返しだった。

 西暦681年7月、新羅の文武王が世を去った。彼は臨終の際、自分の死体を東海口の大石上に葬るよう遺言した。感恩寺に残っている記録によれば、海の竜となって倭軍を阻止するのだという。文武王がこのような遺言を残さねばならなかった理由は、自分自身の手で冷酷に迫害した釈氏王族の報復が恐ろしかったからだったということを悟るべきであろう。

 朝鮮王朝の宣祖25年(西暦1592年)から壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)が6年間続いて1598年に終わるまで日本の朝鮮侵略が執拗に続き、その後も日本の国力が強まった時には必ず侵略の本性を現わした。また、日帝強占期35年は大韓帝国を徹底的に踏み付け苦しめた現代史だが、振り返って考えて見れば、昔の伽耶を吸収した新羅を憎んで、「主人(ニム)の国(ナラ)」(任那=伽耶)を失ったという悲しみと昔氏王朝の怨恨に満ちた報復が重なった業報ではなかろうか。はなはだ気が重くなる感がある。

 神様を「アリラン」と歌う天の直系子孫とし、自らを太陽だと表現する、言語を同じくし根が一つの同じ民族、太陽族の子孫たちの争いが、いつまで続かなければならないのか。いつになれば終わりが見えるのだろうか。両国の和解精神と赦しと寛容が花開く時が来た。もうこれ以上互いに憎まない! 互いに許そう! 互いに愛しあおう! 昔の先祖の「弘益人間」精神だけが唯一の解決策たりうるであろう。【姜ドンミン/韓民族文化研究院理事長】

 
 
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