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ユダヤ人と彼らの嘘 その2

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2015年 4月 8日(水)17時05分49秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://rekishijyoho.seesaa.net/archives/200612-1.html

『ユダヤ人と彼らの嘘について』その12
●統治者への進言

 要は、ユダヤ人を配下にもつ王侯、領主諸侯がもし私の進言を容れぬとあらば、みずからよりよい「解決方法」を見いだすべきであろう。われわれ全員がユダヤ人という耐えがたき悪魔の軛から解放され、わが主イエス・キリストとその母、全キリスト教徒、そして全統治者とわれわれ自身が、荒れ狂ったユダヤ人どもが神の御前で演じているあらゆる虚偽、悪口、唾を吐く行為、呪詛の共犯者とならないですむ「解決方法」を。つまり、あなたがたはユダヤ人に対して保護と安全通行手形と組合員の地位を与えてはならないのである。ましてや、あなたがたや臣下の所持金や財産を彼らの高利貸しの元手とするようなことは決して許してはならない。
 われわれはいまだに多くの罪を背負っており、神の恩寵と御働きに感謝することを忘れたり、軽んじたりすることにより、毎日その罪を重ねているのである。そのうえユダヤ人という卑しい外国人の悪徳を積み重ね、加うるにわれわれの所持金や財産を彼らに与える必要などまったくないのだ。日々トルコと戦闘状態にあるがゆえに、われわれはみずからの罪を免れて、魂の成長と向上をはかる必要が大いにあるのだということを想起しようではないか。
 こうした件について、一連の事態を暴露し、警戒を促した者として、私はみずからの良心に照らして潔白であり、なんら疚しいところはないことを願っている。牧師であり伝道師であるわが親愛なる方々、そして友人の皆さん、私は皆さんが教区民に対して、永遠に破滅することのないよう警告を発するという自分たちの役割を誠実に想起されんことを願っている。あなたがたは、そのためにはどうしたらよいかを知っているはずである。
 つまり、教区民はユダヤ人に警戒体制をとり、彼らを遠ざけねばならないのである。だが、彼らを呪ったり、個人に損傷を加えたりしてはならない。なぜなら、不幸にも彼らは千四百年間、ナザレびとイエス、つまりマリアの御子息を呪いつづけてきたが、それは実はみずからを呪い侮辱しつづけてきたことなのだから。
 こうした観点から、あなたがたは為政者に対して、私が述べたようにユダヤ人を処置するよう促すことができる。この点に関しては、為政者がなんらかの処置をしようとしまいと、すべての人びとがみずからのうちにユダヤ人に対する決意と展望をもつことによって、自分とみずからの良心を大切にすべきである。

●キリスト教徒の死を熱望する

 ユダヤ人に出会ったり、その男のことを考えるときには、あなたがたは常に自分に次のように言い聞かせるべきである。
 見よ、あの「口」は、かけがけのない血で私を贖って下さったわが主キリストを毎週土曜日に呪い、忌み嫌い、唾を吐きつづけている。そしてまた、神の御前で私と私の妻子と全キリスト教徒がこの上なく悲惨な状態で刺し貫かれて殺されることを祈願し、呪っている。彼らは、できるものならば、われわれの財産を所有したいと思っているのだ。彼らは(自分たちの習慣に従って)今日まさにイエスの御名に唾を吐いており、おそらくその唾は彼らの口や顎髭を濡らしているが、彼らの顔面にはまだ十分に唾が付く余地がある。こうした悪魔のような連中(口)と一緒に食べたり飲んだり話したりすべきなのだろうか? 私は、ユダヤ人のなかに棲む悪魔の仲間となり、キリストの尊い血に唾を吐きつづける多くの悪魔どもの虜になってしまうのだろうか。神よ、どうか私がそうならないようにして下さることを!
 もしも彼らがわれわれのように神を信じないならば、彼らがそうなるように手助けすることはできなし、信仰を受け入れるように強制することもできない。
 けれども、彼らが故意に虚偽・冒涜・呪詛・恥辱を加えるのを手助けすることだけは避けねばならない。また、彼らに庇護(肉や飲み物、宿泊場所、近隣者としての便宜)を与えて、彼らの悪魔的な夢と大言壮語の共犯者になってはいけない。とくに、われわれが彼らに友好的で奉仕する場所ではどこでも、彼らは神が自分たちを主人とし、われわれを召使いにしたのだと得意げに横柄に自慢するからである。
 安息日にはキリスト教徒が火をつけ、彼らが望むものはすべて料理してやるが、彼らはそれをまるで善い行ないをしているかのように、呪い、唾を吐き、中傷する。だが彼らはわれわれから盗んだ資産を食べ尽くしているのである。
 この千四百年間われわれの疫病神にして害毒、あらゆる災難の元凶でありつづけ、現在もそうであるユダヤ人どもは、このように絶望的で、悪魔的で、害毒をたれ流す者どもなのである。(続く)

2006年12月02日
『ユダヤ人と彼らの嘘について』その13
●説教師に対する忠告

 とりわけあなたがた説教師は、神から課された祈の義務を王侯や摂政たちに思い出させ、ユダヤ人に労働を課し、高利貸しを営むことを禁じ、神への冒涜と呪詛をやめるよう繰り返し主張しなければならない。彼らがキリスト教徒の盗賊や追剥、殺人者、誹謗中傷者、その他の悪魔的行為者を処罰するのに、ユダヤ人の悪魔の子らがわれわれに同様な悪事をなすことを放置しなければならないのはなぜか? われわれは、スペイン人よりもユダヤ人からより多くの災いを被っているではないか。
 彼らは、主人から台所・酒蔵・箪笥・金袋を盗み、加えて主人を呪い、死の脅迫を行なう。そして、われわれも同様にユダヤ人からそうした扱いを受けているのである。彼らはわれわれから盗み、強奪し、われわれの首にぶら下がり、怠惰な怠け者の腹を突き出し、大食漢ぶりを示し、わが母国のなかで安逸な日々を送っているが、その代償として彼らは、わが主キリストや教会、王侯、そしてわれわれすべてを呪い、絶え間なく脅迫し、われわれの死と災難を願うのである。
 かかる怠惰な神者を、われわれキリスト教徒がどのように金持ちにしてきたか、その代償としてわれわれが彼らから望みうるのは、あらんかぎりの呪いと中傷と不幸のみであるという体たらくを少しは考えてほしい。
 この点でわれわれは盲の犬と同じである。ちょうどユダヤ人が不信仰の渦中でうろたえているように、われわれはかかる無慈悲な悪漢から圧政を被っていることがわからず、感じもせずに、彼らをわれわれの王、貪欲な専制者にしているのである。われわれは彼らの捕虜であり臣下なのだ。それにもかかわらず、彼らはわれわれに捕虜として捕らえられていると嘆き、当然のごとくわれわれを馬鹿にしているのだ。
 もしも統治者がユダヤ人を自国から強制的に追い立て、言うところの彼ら自身の国エルサレムへと移送し、いまわれわれに行なっている虚偽・呪詛・神・唾罵・殺人・窃盗・高利貸し等々あらゆる質の悪い忌むべき行為をその地で行なうようにさせ、自国での彼らの勝手な振る舞いを抑えこまなければ……もちろん彼らは、素振りだけは、こうしたことは彼らにとってなんの救いにもならないとしてきた。なんびとも、そうした忌むべき所業を行なう自由を容認する権利は有していないからである。自由はそうした忌むべき所業によって完全に失われるのである。
 あなたがた説教師や牧師たちが、熱心に、そして殊勝にもかかる警告を発しつづけても、君主や臣下がなにも実行しないならば、そのときは(キリストが言われたように)われわれの靴から塵を払って次のように言おうではないか。
 われわれはあなたがたの血に対して潔白である。あなたがたの統治が厳格であるべきにもかかわらず、温情に満ちた慈悲深い倒錯した世の中になっていることを私は知っており、経験してきたからである。そして、温情に満ち、慈悲深くあるべきときには、非常に厳格なのである。
 この世の王は十一代アハブ王のように統治する。彼らは、われらキリスト教徒と人類に対する血に飢えた敵であるユダヤ人に寛大であり、そうすることで天国を手に入れたいと願っているかもしれない。
 だがユダヤ人は、われわれ哀れなキリスト教徒を捕虜とし、苦痛を与え、拷問にかけ、すでに記したように、あらゆる災いを与えるのである。すなわち、彼らがわれわれから奪った金銭を貯えているところではどこでも、われらは苦しめられ、そしてまた実にお人好しのキリスト教徒と見なされるという次第なのである。
 一方、われわれ哀れな説教師はなにを行なうべきなのか。
 第一に、主イエスの言葉を受け入れず、主を十字架にかけたユダヤ人どもに対して、主が「お前たちは毒蛇であり、悪魔の子である」と述べられたときの言葉が真実であることをわれわれは信じたいと思う。洗礼者ヨハネもまた同じことを言っている。
 ユダヤ人がよい状態になることを望んでいる支配者や慈悲深い聖人たちは、われわれが主イエス・キリストの言葉を信じるのを許しておくような人間ではない。もちろん、キリストはそうした慈悲深い聖人たちよりもすべての核心をよくご存じである。つまりこれらユダヤ人どもは毒蛇の子孫であり、悪魔の子以外のなにものでもないということを。そしてまた、彼らの父である悪魔と同じくらいに「良き」ことをわれわれにもたらしてくれるであろうということを。
 われわれキリスト教徒は、あの者どもがわれわれに対してどんなに良きことをなしてくれたか、聖書の記述以外にもみずから被った体験にもとづいて以前からよく理解しておくべきであった。
 こうした毒蛇や若い悪魔ども、つまりわれわれと主キリストの最悪の敵を宿泊させ、世話をし、名誉を与えようとし、罵られ、掠奪され、盗まれ、唾を吐かれ、呪われ、あらゆる災難に見舞われてもよいと考えている者には、ユダヤ人が推奨されるべきであろう。もしこれで十分でなければ、彼を壺のなかに押しこめるか、そのような神殿を這いずりまわらせ、礼拝させることにしよう。そのあとで、わが主と主がわれわれを贖った尊い血を汚すために悪魔と悪魔の子らを慈悲深くも元気づけてやったことを彼に自慢させてやろうではないか。こうして彼は、慈悲の行為にあふれた完璧なキリスト教徒になるであろう。こうした行為に対して、審判の日に、キリストは彼とユダヤ人に永遠の地獄の炎という回答を出されるであろう。
 粗野な言い方を許してもらえば、ユダヤ人の野蛮な呪いと言われるが、これについては他の人びとも多くを記しており、ユダヤ人もそのように故意に呪い冒涜したいと願っているのだから、やはりそれは呪いと称されるべき性質のものであることは十分に承知しているのである。これについては、われわれもまたはっきりと、そしてキリスト教徒として霊的な表現で話すことにしよう。わが主イエス・キリストは次のように言われた。

〈わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです〉(「マタイ伝」第十章四十節)
〈あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です〉(「ルカ伝」第十章十六節)
〈わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです〉(「ヨハネ伝」第十五章二十三節)
〈それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません〉(「ヨハネ伝」第五章二十三節)

*訳注――アハブ王/オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシュラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。(列王記Ⅰ第十六章二十九~三十三節)(続く)

2006年12月04日
『ユダヤ人と彼らの嘘について』その14
●彼らは新約聖書を冒涜する

 あなたがたは、「そうです。ユダヤ人は新約聖書を受け入れないのだから、前節でキリストが言われたようなことを信じないし、知らないのです」とでも言うのだろうか。私はそれに対して次のように答えよう。「願わくば、ユダヤ人たちがそれらのうちの一つでも、知るか信じてくれることを」と。われわれキリスト教徒は、彼らがイエスを冒涜し、呪っているとき、その父なる神を公然と冒していることを知っている。
 もしも神がわれわれに、今または審判の日に次のように言われたとしたら、われわれはなんと答えたらよいか教えてもらいたい。「お前たちはキリスト教徒でありながら、ユダヤ人が公然と私と私の息子を冒していることを知っており、またお前たちは彼らがそうすることができる余地を与えた。さらにまた、彼らがお前たちの国や町や家のなかで妨害も処罰も受けずにそうすることができるようにし、庇護した!」と。
(このあと聖書を引用した学術的および理論的性格の長い論考が続くので一部割愛)
 従ってわれわれはかかる事態を冗談として済ますわけにはいかないのである。それに対抗する知恵を真剣に見いだして、ユダヤ人からわれわれの魂を救い出さねばならない。すなわち永遠の死より救い出さねばならないのだ。この知恵こそがなによりも肝心である。
 まず第一にわれわれは、彼らが会堂をもつ権利を拒否する。ユダヤ人たちがそのなかで、われらが創造主、父なる方をその方の御子と共に長期間にわたって冒しつづけるような建物を認めないことを世間に知らせるためである。そうしたことをわれわれは断じて黙認することなどできないのだ。
 第二に、彼らのすべての書物、祈書、タルムードを没収すべきである。さらにその一頁たりとも残されてはならない。改宗する者たちのために残されてはならないのである。彼らは、それを神の御子と神ご自身すなわち御父、天地創造主を冒するためだけに用い、他の目的に用いることはないのだから。
 第三に、彼らがわれわれの領地で神を讃え、感謝し、祈り、説教することは公けに禁止されねばならない。そうしたことは、自分たちの国か、もしくはわれわれキリスト教徒の耳に届かないどこか知られざる地で行なわせることにしよう。それは、彼らの神への讃美・感謝・祈・説教はその心と口が父なる神をナバル・ボリック〔ダビデの要請を拒絶して死んだ富裕なカレブ人でアビガイルの夫ナバル(愚かの意がある)のことか? サムエル記Ⅰ第二十五章二十六節〕と呼ぶことに外ならないからである。そして神の御子、われらが主イエス・キリストをも同様に呼ぶことになるからである。彼らは神の御子を呼び唱えるが、それと同様に父なる神の御名を呼び唱えるからである。彼らが多くの美しい言葉を用い、神の御名を華々しく唱えたとしても、彼らは救われることはないであろう。次のように記されているからである。「あなたがたは主、すなわち神の御名をいたずらに唱えてはならない」と。ちょうど彼らの祖先がイスラエル王国時代に神の御名を唱え、そしていまだにそれをバアル〔邪神、偶像〕と呼んでもなんの救いにもならないように。
 第四に、われわれの前で彼らが神の御名について話題にすることを禁ずるべきである。われわれは確固とした良心をもっており、そんな目にあうことには耐えられないからである。彼らの冒的な心と口が神の御子をナバル・ボリックと呼ぶとき、彼らはまた御父をも同じ名で呼んでいるのである(われわれキリスト教徒にとって他に解釈しようがない、まさにその名前で)。われわれは、神の御子が彼らにそう呼ばれ、そうであると信じられている以上、その御父でさえそう呼ばれ、そう信じられていると考えるほかないのである。
 それゆえユダヤ人の口は、われわれの耳の近くで神の御名を唱える資格をもたないと考えるべきである。そして、ユダヤ人が神の御名を唱えているのを聞いた者は為政者に報告すべきである。この点において、慈悲深かったり、親切であったりしてはならない。なぜなら、それは神の栄光とわれわれすべて(ユダヤ人をも含む)の救済にかかわることだからである。
 もしある人が、ユダヤ人はそんなに邪悪なことを意図しているわけではないと言い、ユダヤ人は父なる神を冒涜し呪っていることを知らないのだ(なぜなら、ユダヤ人は主イエスやわれわれキリスト教徒の悪口を言っているが、神を至高の存在として美しく誉め讃えているのだから)と言ったとするなら、そのときは次のように答えるべきであろう。
 もしユダヤ人がそのことを知りたがらず、またそのことが善いことだと思わないのであれば、われわれキリスト教徒がそのことを知っておかなければならない。神は、彼らがこうしたことを知ることのできるようにと千五百年間にわたって伝道されるよう取り計らってきたのであるからして、ユダヤ人は知らなかったと言い訳はできないはずである。神はまた彼らにもそれを知るように求められたのである。
 千五百年にわたって神の言葉を聞きながら、自分はそれを知りたくないなどと言っている者はみな、当然の報いとして卑しい言い訳、つまり七倍の負債が課せられるであろう。

●彼らの救世主は「にせもの」である

 最後に私は、みずからに次のように言い聞かせる。もしも神が私に対して、ユダヤ人が望みこいねがう救世主とは異なった救世主を与えることを望まないのであれば、私は人間でいるよりも雌豚になったほうがずっとよい!
 これについて、私はあなたがたにいくつかの正当な理由を示すことにしよう。ユダヤ人は、自分たちの救世主にコホバや世俗的な王になってほしいと強く望んでいるだけなのである。その王とは、キリスト教徒を虐殺し、世界をユダヤ人のあいだで分割し、彼らを金持ちの王侯とし、最後には他の王やその子どもたちと同じように死んでゆく世俗的な王である。
 もしもユダヤ教の救世主が、私という哀れな人間をその精神的な貧しさにもかかわらず救ってくれないのだとすれば、そして私の人生を雌豚のそれの十分の一も良くできないのだとすれば、ユダヤ教の救世主は私にとって善きものだといえるであろうか。
 私は言うことにしよう。わが主なる神よ、あなたの救世主をみずからのものとする者に与え給え、しかし私は雌豚に変えて下さい、と。生ける屍である人間であるよりは、生きた豚のほうがましだからである。そう、キリストが言われたように、「生まれなかったなら、それはその人のためにはましだったろうに」ということなのである。
 しかしながら、もしも私が霊的に私を救済して下さる救世主を得られるなら、私は死を恐れる必要はないし、常に、そして永遠に人生に確信をもち、悪魔や地獄を嘲り、神の怒りの前に身震いする必要もないであろう。そのときには、私の心は欣喜雀躍し、幸せに酔うであろう。神への愛の灯をともし、神に感謝し、神を讃美することをやめないであろう。そのときは、もし神が私に金や銀を与えなかったとしても、全世界は私にとって楽園となろう。たとえ私が獄舎に繋がれたとしてもである。このような救世主をわれらキリスト教徒はいただいているのだ。それゆえにわれわれは、圧倒的な喜びの心をもって父なる神に感謝しているのである。
 そのようなメシア(救世主)をユダヤ人は望まない。彼らにとってそのようなメシアは善いことを与えてくれないのだ。彼らは、自分らの悪臭発する腹を満足させてくれる、あるいは牛や犬のように彼らと共に死ぬような地上の楽園のメシアを所有しなければならないのである。(続く)

『ユダヤ人と彼らの嘘について』その15(最終回)
●彼らの神への冒涜と高利貸しを警戒せよ

 私の意見では、以下のような結論にならざるを得ない。もしもわれわれがユダヤ人の神から潔白で、彼らの共犯者になりたくないのであれば、彼らと分離して住まなければならないし、彼らはわが国を去らねばならない。かくすれば、彼らはもはや、われわれが彼らを捕らえていると嘆くこともできないし、神に嘘をつくこともできない。われわれとしても、彼らが神と高利貸しによってわれわれを悩ますと嘆くこともなくなるであろう。これが、両者に安全を保証するもっとも手っとり早い最善の方法である。
(このあとには、キリスト教の教義に反するユダヤ人たちのキリスト教への非難に対する聖書からの長い引用を含む反論が続いている)
 善良な閣下諸氏、友人諸氏、私はあなたがたの督励を受けてあなたがたの小冊子に多くのことを書き記した。そこでは、一人のユダヤ人が無関心なキリスト教徒に対して狡賢い議論を展開している。目下のところ、神の御加護により、彼は私になにもしていない。
 ユダヤ教徒になりたくないキリスト教徒が、盲目的で有害なユダヤ人に対抗し自衛するに十分な論拠を、この小冊子に見いだしてくれることを望むものである。また、ユダヤ人の邪悪さや虚偽、呪詛といったものに対抗すること、彼らの信念が偽りであるばかりか、彼らがあらゆる悪魔にとり憑かれていることを知るに至る縁とされんことを望む。
 わが主キリストがユダヤ人たちを恵み深くも改宗させ、われわれを永遠の生命という叡知のなかにしっかりと据えて下さいますように。アーメン。

●人類の評価

 以下には、ルターのさまざまな説教や著作より引用された数節が続いており、各文章のあとに引用文の原典が記されている。

*原注――「W」と記されたルターの著作からの引用はウェルマー版から、「E」と記されたものはエアランゲン版からのものである。

ユダヤ人は地獄行きを宣告された若い悪魔である。(E32巻二七六頁)

 おそらく、温和で心穏やかなキリスト教徒は、私が彼らを嘲笑し、多くの皮肉を湛えて彼らを扱っていると考え、哀れで迫害を受けているユダヤ人にはあまりにも厳しすぎ、激しすぎると思うであろう。だが実際には、私は弱すぎて、かかる悪魔的な獣を笑うどころではないのだ。できるものなら、私は喜んでそうしたい。しかし、彼らは嘲ることに関しては私よりも上手で、その技術にかけては達人の神を擁しているのだ。それは悪魔自身である。(E32巻二八六頁)

 旧約聖書以上の証拠はないが、私は以下のことを主張したいと思う。これらのことに関しては、地球上のだれも私の意見を変えることはできないだろう。つまり、ユダヤ人は現在そうであるように、世界中に広がるすべての真に堕落した評判の悪い悪漢どもの混合体であり、タタール人やジプシーと同様に世界のあらゆる国に離散してきたのである。
 そして彼らは、高利貸しによってさまざまな国の国民を苦しめ、他国民をスパイし、裏切り、井戸に毒を投げこみ、欺き、子どもたちを誘拐し、端的にいえば、あらゆる種類の不正と非礼を行なってきた。( "Von Schem Hamphoras und von Geschlecht Christi"からの抜粋、一五四三年)

●ユダヤ人の危険性

 外科医とか医者とか表明しているユダヤ人は、彼らの薬を用いるキリスト教徒の健康、財産を奪うであろう。それは、こうしたユダヤ人医師は、もしも彼らがキリスト教徒を苦しめ、ひそかにキリスト教徒を殺害するならば、彼らの神から特別の恩寵を得られると信じているからである。にもかかわらず、われわれ愚かな者たちは、自分の命が危機に晒されているときに、われわれの敵と彼らの悪魔的な技術に救助を求めさえするのである。まことに悲しむべきことだが、これは神の試練なのである。(E62巻三六七頁)

●ルターの遺言

 主要な著作が完成すれば、私はただちにユダヤ人の追放に全力を注がねばならないであろう。アルブレヒト伯爵は彼らに敵対的な態度をとり、すでに彼らを見限っている。しかし、いまのところ彼らはまだ誰によっても妨害されていない。神の御加護によって私が行なう説教で、説教台からアルブレヒト伯爵を支援し、彼らを追放してやろう。(死の直前にルターが妻へ宛てた一通の手紙からの引用)

●ルターの最後の説教「ユダヤ人への警告」

 ……そのうえ、国内にはたくさんのユダヤ人が居住しています。彼らは多くの災いをもたらします。……あなたがたは、これから述べる事実を知らなければなりません。つまりユダヤ人は、われらの救世主の御名を日々冒し、汚しているということを。この理由によって、あなたがた閣下ならびに当局関係諸氏は彼らに寛大を示すことなく、追放しなければなりません。彼らはわれわれの公けの敵であり、絶えまなく主キリストを冒涜しています。彼らは、われわれの聖母マリアを娼婦と呼び、その聖なる御子キリストを私生児と呼んでいます。そして彼らは、われわれキリスト教徒を「取り替えっ子」(妖精が替わりに置いていったという醜い子)とか「片端」といった悪口を言っています。
 もし彼らがわれわれ全員を殺戮することができるなら、彼らは喜んでそうするでしょう。実際に彼らの多くは、とくに外科医とか医者とか称する連中は、キリスト教徒を殺害しているのです。彼らは、一時間または一カ月で死をもたらす毒を人びとに与えるボルジア家〔一五~一六世紀のローマの名家〕やメディチ家〔一四~一六世紀のイタリア・フローレンス市の名家〕などイタリア流のやり方で、薬を扱う技術に習熟しているのです。
 それゆえ、激しく悶えながら主イエス・キリストを冒し、われわれの命と健康、名誉、財産を奪う以外になにもできない彼らを厳しく取り締まらなければなりません。私は、大切なわが救世主を故意に冒したり汚したりする連中と、耐え忍んで交際しつづけることはできません。私は、よき愛国者として、あなたがたが外国人の罪に加担することを止めるよう、まさに最後の警告を与えたかったのです。私はただあなたがた全員のために最善の統治者と最善の臣下を望んでいるだけなのだということを、あなたがたは知らなければなりません。(E62巻八九頁)

*原注一――マンスフェルトの伯爵たちの意見の相違がルターの旅行の動機であった。
*原注二――一五四六年二月の死去の数日前にアイスレーベンで行なわれたもの。
(了)

管理人注:ラコフスキー調書 その3 解説より~元を辿ればアブラハム

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3227

そもそも現代の世界政治はユダヤ問題[宗教問題の一つとして考えて欲しい。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は全て同じ神の宗教である。只互いに、自分の所が正統なる神である主張しているが、正統性はない。

 
 
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