teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:552/3534 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

小和田家は朝鮮族だったのか

 投稿者:Legacy of Ashes  投稿日:2015年 6月11日(木)13時36分56秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51883905.htmlさんより

以下のブログサイトに皇太子妃に上りつめた小和田雅子様の出自が載っています。
やはり、朝鮮や部落との繋がりの濃い創価学会が雅子様を応援するわけですね。
次期皇后陛下は、日本人の象徴と言えるのでしょうかね~。あ~あ、知りませんよ~。
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/48b10182091f6c1cc8a2fd5bedb7a3ec?fm=rss

・・・・・・・・
(名字で分る先祖)
http://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E9%A3%AF%E5%A1%9A

雅子様の3代以上前の御先祖様が不明ということは。。。?
ところで、名字というのは面白いもので、名字で先祖がどこから来たのか。。。元々の家系を知ることができます。江戸時代の初期は、日本の人口はわずかに2~3000万人だったわけですから、そこから人口が増え続けてきたので、元をたどればみな家族のようなものです。
上記のサイトで私の先祖の名字(知っているものだけ)と現在の名字を調べてみましたら、以下のような結果になりました。

●中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。伊豆の伊東家の宗族。藤原南家為憲が木工助に任じられ工藤を称するに始まる。祖は藤原武智麿。甲斐、信濃、伊勢、安房をはじめ全国に分布している。特に陸奥の族は有名であり、青森県を含めた東北地方に多くみられる。

●現福岡県南部である筑後の豪族は後醍醐帝子孫を名のったとされる。ほか明石藩、岡田藩、現福井県西部である若狭、現佐賀県と長崎県である肥前、現東京都、埼玉県広域、神奈川県北部である武蔵、現福島県、宮城県、岩手県、青森県を含む四県の太平洋側である陸奥等がある。「崎」は先端、突端、端を表す。

●春日氏族の吉田連、卜部氏といった朝廷に仕える公家、吉田社社家、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)など様々な流派がみられる。語源は、もとは芦(あし)などの生えていた湿田から来ていたが、のちに豊饒田の意味を持たせ、「吉」の字を当てたとされる。また、「あし」は「悪し」に通じるため、避けたと言われる。とくに関西地方に多い。

●現東京都、埼玉県広域、神奈川県北部である武蔵国埼玉郡飯塚が起源(ルーツ)である、小野姓猪俣党。ほか桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流などにもみられる。語源は、〇〇(=名前が分ってしまいますので)を盛ったような形の塚からきたとされる。地名も全国に多い。

関連記事:(silicon-kidさんからはリンク・コピペ承認済)

日本と天皇と朝鮮 その1

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/post-ca9b.html

日本と天皇と朝鮮 その2

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/post-4860.html

日本と天皇と朝鮮 その3

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/post-eb72.html

日本と天皇と朝鮮 その4

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/post-b3cc.html

オプス・デイの下請けは統一教会と朝鮮人脈

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1763

物部氏はどこから来たのか

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/15-edc0.html

物部守屋はイルミナティだった

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1592

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6547

毎日新聞(地方版)。

-----------
物部守屋:顕彰碑拓本、山形大図書館で発見 飛鳥時代の仏教反対派・有力豪族 明治の廃仏運動背景に /山形

 山形大は18日、飛鳥時代の有力豪族、物部守屋を顕彰する明治時代の石碑拓本が同大小白川図書館で見つかったと発表した。山形在住の有志が仏教反対派だった守屋をたたえる内容で、明治期の廃仏運動の高まりとの関連がうかがわれる。発見した同大人文学部の三上喜孝准教授(日本古代史)によると、同時期に守屋を顕彰する資料は他に例がなく珍しい。
 三上准教授によると、拓本は縦3メートル、横2メートルで、昨年7月、図書館内の資料を整理した際に見つかった。石碑本体は1896(明治29)年12月に建立され、山形市の千歳山公園に現存するが、昨年まで草木に覆われ忘れられた存在だった。題字は皇族で軍人の有栖川宮熾仁(たるひと)親王が、碑文は公家出身の政治家、東久世(ひがしくぜ)通禧(みちとみ)が書いたと石碑に刻まれている。
 守屋は敏達天皇らに仕えた有力豪族で、仏教を受け入れることに強く反対。仏教受容派の蘇我馬子と聖徳太子らと対立した結果、攻め込まれて死亡した。碑文では「公の忠憤義慨世に明らかになりもて」とあり、守屋の忠言をたたえている。石碑が建立された背景には、神道と仏教を分離したために寺院などを破壊する廃仏運動が広がったことがあるとみられるが、詳しい事情は分かっていない。
 また、京都大付属図書館に同時期に同様の方法で作製された拓本が収蔵されていることも判明した。有栖川宮、東久世の両氏は尊皇攘夷運動で長州藩とのゆかりが深いが、山形とのつながりは不明。三上准教授は「なぜ山形で守屋を顕彰したのかが最大の謎。山形の近代史を考える上で貴重な資料だ」と話している。
http://mainichi.jp/feature/news/20120919ddlk06040003000c.html

ついで朝日新聞。(無料分のみ)

-----------
物部守屋大連の碑、山形大に拓本 尊皇攘夷運動と関連か

山形大は18日、明治時代に山形市の千歳山に建てられた石碑「物部守屋(もののべのもりや)大連(おおむらじ)の碑」の拓本が見つかったと発表した。物部守屋は仏教受け入れに反対した古代の豪族。拓本は石碑と同時期のもので、幕末・維新の尊皇攘夷(じょうい)運動や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と関連している可能…
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201209180485.html?id1=2

http://8550.teacup.com/shig/bbs/590

ある霊能力者からヤタガラスはニギハヤヒ&物部氏&蘇我氏を裏切って神武の側についた紀氏だという話を聞きました。民族的には同じ部族に属するとのこと。あと、蘇我馬子は物部守屋の子供だったので、守屋はわざと討たれたとの話も…。本当かどうかはわかりません。

その霊能力者は大阪府八尾市にある物部守屋のお墓を管理しているという物部氏の末裔からその話を聞いたと言っていましたよ。

管理人注:

最近公表されたところによればイルミナティはその名をモリヤ〃征服の風〃と変えた」リンカーン、ケネディ共にイルミナティによって殺害されたのは研究者の間では周知の事実である。ロシヤ革命はもちろんのこと、その後のソビェトの全てがイルミナティによってコントロールされていた。ただスターリンは手強かったらしい。この辺の事は多くの書物があるので参考にされたい。ところで『モリヤ』とはイスラエルのエルサレムにある神殿の境内の、今はイスラム教の「岩のドーム」が建っている場所の事である。ここでアラブ人とユダヤ人の祖先アブラハムが神の命令に従って自分の子イサクを捧げようとした場所である。

かつてこの側にイスラエルの誇るソロモンの神殿が建っていた。ユダヤ人たちはいつかここに神殿を再建し、そこから全世界を支配する号令を出す事を夢見ている。だからイルミナティがモリヤ〃征服の風〃と言う名に変わったというのは、いよいよその夢の実現が近づいたと言う事であろう。これは実にさり気なく書いてある小さな一行だが実に重要な情報である。ジョン・コールマン氏は〃征服の風モリヤ〃という名称を使っている。なおモリヤという名は聖書からは「ヤハウェは備えたもう」であって「征服の風」という意味はない。「たしかにイルミナティは世界の経済、政治、市民、宗教、社会の全ての分野を支配しているが、さらにそれ以上のものである。イルミナティの深みを、あなたはこの本を読み進む内に判ってくるだろう。神が私たちの理解の目を開いてくださるように」(角笛より転載)

管理人注:かつてソロモン神殿など建ってはいなかった。これほどのまやかしはない。拙稿アシール地方を参照ください。

アシール地方と聖書の世界 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/610.html

アシール地方と聖書の世界 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/611.html

イエメンに居住するユダヤ人は、古来よりのユダヤ教の教えを伝統的に保持していると言われ、ヘブライ語聖書を朗読する際にも、伝統的なヘブライ語の発音方式を用いているという。ウィキペディアによれば、マジック・カーペット作戦後イスラエルに移住したイエメン系ユダヤ人は、彼らの伝統的な発音方式を守り続けているという。

どのくらいの伝統があるかというと、一般的には紀元6世紀から11世紀頃のバビロニアのユダヤ人のヘブライ語から派生したと言われているが、彼らがこの地にディアスポラを築いたのはもっと以前の話になる。

アシール地方と聖書の世界 その3

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/612.html

アシール地方と聖書の世界 その4

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/613.html

アシール地方と聖書の世界 その5

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/614.html

参考記事

http://www12.ocn.ne.jp/~libra/reply.html

創世記22章2節のモリア

http://ameblo.jp/hex-6/entry-11131049271.html

諏訪大社の御神体

http://ameblo.jp/madonna-ayumi/entry-10348560156.html

このタケミナカタが祀られている諏訪大社の御神体である山は、守屋山と呼ばれ(現代のイスラエルの最高位ラビが訪れ祈りの儀式をしている。日本人にとって、なぜ、ユダヤ民族の宗教最高権威者がわざわざこんな田舎の場所に訪れ、礼拝するのかまったくわからない、不思議な山。)諏訪大社の御神体山に祀られいるのは物部守屋(蘇我氏と争った物部氏)です。ちなみに、この守屋という言葉は古代ヘブル語で光の啓司を受けた者という意味です。英語訳はイルミナティーです。そう、あのハリウッド映画のイルミナティーでなのです。はてさて・・・困ったものです。なぜ、イスラエル(ユダヤ教)がこんなところに?

蘇我氏でBBS検索すると...........

http://www.google.co.jp/cse?cx=018248536928281187046:slakdvbmrtw&sa=%B8%A1%BA%F7&ie=EUC-JP&q=%C1%C9%B2%E6%BB%E1#gsc.tab=0&gsc.q=%E8%98%87%E6%88%91%E6%B0%8F&gsc.page=1

秦氏と物部氏と八咫烏

http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2012/03/15-edc0.html

陰陽道というものがある。日本の陰陽師といえば、映画化もされた安部清明を思い起こすであろう。陰陽道とは・・占星術・・・・。日本に伝わった陰陽思想は中国ともいわれるが、平安時代に阿倍清明等が陰陽道で使用したのは、「迦波羅(カバラ)」という数秘術を含む神秘思想が根底があり、これの使い手は「漢波羅(カンパラ)」と呼ばれる。

日本ではこの「漢波羅」には秘密組織があり、その名を「八咫烏(ヤタガラス)」という。
「八咫烏」で思い起こすのは、そう古事記、日本書紀で神武天皇が大和地方のニギハヤヒや長すね彦等を熊野経由で攻め入る際、困っていたときに手助けした種族が八咫烏であったのだ。

物語では道に迷った神武天皇を霊鳥である「八咫烏」が救ったとされ、その霊鳥の姿は3本足の烏である。現代日本人で3本足の烏と聞いてすぐに思う付くのは、そうサッカーワールドカップで日本チームのユニフォームの胸につけられているシンボルマークであろう。そうあの3本足の鳥は八咫烏をシンボルで使っているのだ。

「八咫烏」は「金烏(きんう)としても表される。中国神話では金烏は太陽に棲むとされ、太陽神(天照大神)を崇める、日本神道を裏で仕切る相応しい呼称ではないか。現在秘密漢波羅組織としての「八咫烏」の人数は約70人だそうである。上位には12人の大烏と呼ばれる重要メンバーがいる。マジェスティック12(トゥエレブ)にシンクロしているのが面白い。

ちなみに、MJ-12(マジェスティック・トゥウェルヴ、Majestic 12)とは宇宙人に関する調査や、宇宙人との接触や交渉を、過去60年に渡って秘密裏に行ってきたとされるアメリカ合衆国政府内の委員会の名称である。

八咫烏最上段のトップスリーには特別に「金烏(きんう)」という称号が与えられている。「金烏」というのは、神武天皇が長すね彦と戦ったときに、突如天空から飛び降りてきた金色の鳶(とび)が神武天皇の槍先に止まり、これが勝利をもたらしたとされる。

この神話が元で、日本国旗を掲げる旗ざおの先端に、鳶の替わりに金色の玉をつけ、金烏を象徴しているのである。

では八咫烏は何を業としているのか。ご承知か否か、日本の天皇陛下は日本神道の最高神官(あまたの宮司のトップ)であり、公務の傍ら様々な祭祀を司っている。いわば表の祭祀を業じているが、日本では戦後米国から国家神道を拒否され天皇は国の象徴となっているので、表の祭祀もあまりオープンにされていなし知らない人が多い。

この天皇家が行う祭祀を裏でしっかりフォローするのが八咫烏であり神道祭祀を一手に引き受けているそうである。

ではその八咫烏はいったい何者で何族であろうか。八咫烏と称する一族は、実は「賀茂氏」が多い。
賀茂長明が有名だが、あの賀茂氏である。その賀茂氏の始祖が八咫烏で、別名を賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)といった。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を主祭神の一人として祭っている神社は京都の下賀茂神社である。

下賀茂神社と聞いてピンとこないかもしれないが、京都で毎年繰り広げられる最大の祭りで、日本3大祭りに入っているか「葵祭り」があるが、その葵祭りという祭礼を取り仕切っているのが、八咫烏である賀茂氏であり、鴨(鳥)族と言われている。

京都では葵祭りの祭礼を、松尾神社と日吉神社でも行っている。これら下賀茂神社と松尾神社並びに日吉大社はいずれも秦氏三所明神と言わる。

秦氏が突然出てきたが、『秦氏本系帳』によれば、もともと葵祭りは秦氏の祭礼であったが、賀茂氏が婿入りをしたとき以来、主催を譲ったそうである。従って今では秦氏と賀茂氏は一族となっている。
さて、下鴨神社は、「糺(ただす)の森」と呼ばれるが、他に「元糺の森」と呼ばれる境内があるが、それは京都の太秦(うずまさ)にある「木嶋坐天照御霊神社(このしまにいますあまてるみたま)」、通称「蚕の社(かいこのやしろ)」である。

ここも秦氏が創建しているが、元糺の森には日本では珍しい「三柱(みはしら)鳥居」が建てられている。この三柱は何を意味するのか。秦氏は原始キリスト教を奉じるユダヤ人であり、ユダヤ教の神秘主義の奥義である「カッパーラ」に基づけば「御父と御子と聖霊」を象徴し、絶対三神を表している。(飛鳥氏による)

さて、では秦氏は何者か?日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓 = 秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)

また一説には五胡十六国時代に苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある(wiki)。

次に八咫烏にはもう一つの氏族が入っている。それは秦氏よりも早くに日本に中国から入ってきた「徐福」等の一族である。紀元前三世紀に中国全土を統一したのは、そう「秦の始皇帝」だが、その始皇帝の命を受けて、徐福らは東海の蓬莱(ほうらい)山にあるといわれた不老不死の仙薬を入手すべく、3千人の童男童女と技術者を伴って船出して、ついには中国には戻らなかった。

中国から見て東海にある島とは、そう日本であり、蓬莱山とは富士山である。さて、わが国日本では、青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されている。徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、三重県熊野市、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、宮崎県延岡などが有名である。

また、朝鮮半島で書かれた『海東諸国記』には、孝霊天皇の時に不老不死の薬を求めて日本の紀州に来て、そして崇神天皇の時に死んで神となり、人々に祀られるとある(wikwiより)。

徐福らは古代日本にやってきたのは間違いないようである。そしてこの集団は技術者や祭祀者を伴っており、後に日本では「物部」氏という大きな豪族集団になって行った。
八咫烏は「物部は徐福とともに来たれり」と言い伝えている。
正当武内文献によると、物部氏は出雲族であり、前後に日本に戻っていたユダヤ族(セム系古代イスラエル人。一方現在のイスラエル人は白人系のアシュケナジーで別種)と仲が良かったそうである。しかし、ユダヤ族と仲が良かったのではなく、言葉も同じ同族だったのだ。(飛鳥氏による)

さて、物部氏はどこから来たのだろうか。天孫族は渡来系であるが、実は物部氏も天孫族より比べ500年~600年前におそらく朝鮮半島から渡来してきた集団であり、最初は九州北部を拠点にした海洋民族といわれている。
彼らは武装戦闘集団でもあり、武具として銅剣、銅鉾を大量に保有していた。九州北部を拠点にしてその後は東西二方面分かれて移動し、東ルートは四国の伊予に入り、讃岐、土佐、阿波に分布し、淡路島に進み、紀伊半島や大和に入った。

これはニギハヤヒの東征経路になっている。西ルートは筑後平野から肥前に入り、北上して壱岐、対馬に移っている。これら二ルート上には物部一族が当初奉祀した布津神社(フツ)神社が多数存在する。
伊予の東予市石延にはずばり布都神社があり、阿波には建布都神社(タケフツ)、壱岐の石田郡にはなんと物部布都神社(モノノベフツ)がある。物部一族の神宝には「神剣・布都御魂(フツノミタマ)」があり、物部氏の宗廟である、石上神宮でご神体の布都御魂神として祀られている。四国には各地に物部系の国造(クニノミヤッコ)がいたことの記録が残っている。

管理人注:漢波羅とはカバラのこと

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2377

本拠地は下鴨神社

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPifNeJnlV9AUA6n6JBtF7?p=%E6%BC%A2%E6%B3%A2%E7%BE%85&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

ラビ・ガオンで検索すると

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%89%83r%81E%83K%83I%83%93&inside=1&x=0&y=0
 
 
》記事一覧表示

新着順:552/3534 《前のページ | 次のページ》
/3534