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ヘブライ人はアジア人だった?

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 6月14日(木)18時25分55秒
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  http://dateiwao.fc2web.com/index.html

基本的にアブラハム以前の物語はすべて架空の作品である。

http://dateiwao.fc2web.com/hebmong.htm

ヘブライ人は白人系ではなかった。古代イスラエル人と血統的につながりをもつのは、アブラハムのときにわかれたパレスチナ人であり、当然ながら彼らは白人ではない。さらに旧約聖書にさかのぼると、人類の始祖アダムとイブ(エバ)の子孫にノアが出る。ノアの3人の息子のセム、ハム、ヤペテは、セム=黄色人、ハム=黒人、ヤペテ=白人の祖先になったとされている。それぞれ違う資質を受け継いでいたからに他ならない。最も重要なのは、アブラハム(後に子孫にイスラムを信仰するアラブ民族が出る)、ダビデ、ソロモン、イザヤ、さらに、イエス・キリストを含む全てのヘブライ人はノアの3人の息子の中の「セム」の子孫という点だ。当然ながら、ヤコブも「セム」の直系であり、イスラエルの十二士族全ても「セム」の子孫、すなわちアジア系民族ということなのだ。

 これは旧約聖書に明確に記載されている。創世記第11章にアブラハムの系図として10節から26節に明確な記載がある。つまり白人系の「ヤペテ」の子孫は、「セム」から生まれたヘブライの純粋な血統ではないし、イスラエル人でもないというのが厳然たる事実なのだ。
 それでは今のイスラエルにいる白人系ユダヤ人とは何者か。彼らは白人系民族のユダヤ教改宗者ということで、血統的なイスラエル人ではない。ユダヤ教白人種(アッシュケナジー系)という意味でのユダヤ人なのだ。これらの人々は、紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家「カザール」の末裔ということが歴史的に判明している。しかしユダヤ教に国をあげて改宗した「カザール」も、ビザンチン帝国とモンゴル帝国に攻め滅ぼされ、11世紀に滅亡する。そのため、難民となった白人系ユダヤ教徒は西に移動し、ヨーロッパでユダヤ人として生きていく。
 もちろん、血統的なユダヤ人の一部もヨーロッパに移り住んだが、多くのものはパレスチナの地で、仲間であるパレスチナ人と共に暮らすことになる。彼ら血統的ユダヤ人を「スファラデェイ系ユダヤ人(1960年当時、セム系のスファラデェイ系ユダヤ人は約66万人と推定された)」といい、イスラエル建国と同時に約束の地に戻ったが、血統的にユダヤ人ではない白人種の「アッシュケナジー系ユダヤ人」により、差別されて下級市民として扱われている。今日のユダヤ人の9割以上はセム族ではない。

 だが、血統的な「スファラデェイ系ユダヤ人」といえども、「イスラエルの十士族」ではない。彼らは「バル・コクバの戦い」で、ローマ帝国に逆らい、紀元後136年に国を失い散らされた「ユダ王国(南朝)」の末裔である。「イスラエルの十士族」とは、「イスラエル王国(北朝)」にいたイスラエル人のことで、モンゴロイド系が殆どであった。白人のユダヤ人というのは、混血でもないかぎり血統的に存在しないことになる。実際の「モーセ」、「アブラハム」「イエス・キリスト」等はアジア系有色人種なのである。これは日本人を含むモンゴロイド系民族が「イスラエルの十士族」の末裔の可能性を強く示唆している事実だ。

旧約聖書とは......http://dateiwao.fc2web.com/oldbible.htm

「聖書の暗号」は源泉をひとつにする旧約聖書「モーセ5書」の中に見出される。旧約聖書とは何なのかという問いに、その本質について評論家でカソリック教徒でもある犬養道子さんの著作「旧約聖書物語」(新潮社刊)中で次のように興味深く書かれている。

――聖書がなかったら、人類の文化はいちじるしく変わったものとなっていたろう、とフランス・アカデミーのダニエル・ロップスは一度言った。
少なくとも「聖書が書かれていなかったら」今日私たちがヨーロッパ文明と呼び、イスラム( 回 教 )文明と呼ぶものは誕生しなかった。ユダヤの問題――たとえば第二次大戦中のあのアウシュビッツ―は生まれなかった。イスラム教もキリスト教もユダヤ教も、実に旧約聖書の「子供たち」だからである。(中略)アブラハムが、人々の父として唯一神教に「招かれる」ことがなかったら、泰西の絵画彫刻のおびただしい傑作はついぞこの世に現われることなく、また我々日本人に、ある異質なるものを感じさせずにおかぬ神学的雰囲気をまとった文学作品の数々も、創造されなかった筈である。逆にいえば、(イスラム教やユダヤ教のことは一応さしおき)われわれにとって一見親密なものとなってしまった西洋文化の、根本もまたその果実も、実は聖書の知識なくしては理解することは難しいということなのである。――その本質については、犬養道子さんはこう記しておられる。
――それは一語でいうならば、絶対唯一の存在と、時の流れに漂う偶有である人間の関係である。絶対なる創造主によって介入されつつ人間が形成してゆくものが歴史なのだという歴史観である。偶有とは異なる次元に存在する超絶者を認めることに由来する立体的な世界観である。(中略)聖書は、旧約・新約と並んで、いつの時にもどこの国の民にも読まれ得るだけの普遍の人間を描き出している。約束をしては破る弱さ、過去に照らして判断することをしない愚 か さ、信ずるよりも疑心暗鬼に動かされてしまう暗さ。しかもなお求め続け、願いつづけ、迷いぬきながら歩み続ける人間という存在。なぜ苦しみや痛みがこの世にあるのかというヨブの問 いは人間の永遠の問いであり、アダムとエヴァの失楽園の物語は、死とは何で、なぜ 生と死は銀貨の裏表のごとく緊密に結ばれているのかを考えずにいられない人間の最初の物語ともいえる。このゆえにこそ、聖書は新・旧ともに永遠のベストセラーとして不動の地位を守るのである。――
 ここで注目すべきは、この愚かで、弱く、迷える存在である人間が、異なる次元に存在する超絶者を認め、その絶対なる唯一の存在・創造主によって介入されつつ、形成して来たもの、またこれから形成していくものが歴史なのだという犬養さんの哲学的考察だ。
そうした視点で遠い、遠いいにしえからの人間の歴史を振り返ってみると――過去から現在、現在から未来へと絶え間なく流れる人間の歴史において、神という絶対唯一なる存在と、人間との出会いは、いったいどのようになされたのか――旧約聖書がいつ誰によって書かれたのかの問題がたいへん気になってくる。
新約聖書は聖書学者のサムエル・テリレンによると、イエス誕生後ずっと後になってからで紀元50年から150年の間だろうと推測され、1世紀のキリスト教徒たちが彼らの集会で読む書き物を集め始めたとされる。
旧約聖書は新約聖書よりかなり古く、そのトップにある「モーセ5書」は、次の5つの書からなり、これはたぶん紀元前1000年から397年の間に書かれたと推定されている。ユダヤ教では、前述したがこの5書のことを「トーラー」(律法)と呼んでいる。「創世紀」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」。アダムとエヴァで知られる天地創造の話、モーセの生から死まで、そしてあの有名な「モーセの十戒」の話。イスラエル民族を引き連れてエジプトを脱出した話、モーセがシナイ山の頂上に独りのぼり、雷鳴や稲妻の中で神と出会い「十戒」を受け取った話、シナイ山で神はイスラエル民族と、おごそかな契約を結んだ話、イスラエルは歴史の中で「聖なる民」として彼らの使命を知るようになった話、他が記されてる。その時、神から授かった守るべき「十の戒め」が「十戒」で石板に刻印されている。
この辺は映画にもなり、あの神秘的な場面を記憶されている方も多いだろう。
「モーセ5書」も十戒と同じようにモーセが神の啓示を受け、こちらは神から一言一言、口述伝承されたものをモーセの死後ずっと後になって文字化されたと伝えられている。
絶対唯一の存在に最も時間的にも、位置的にも近いこれらの「モーセ5書」に、その不可思議な暗号封印の謎が秘められているのだ。

PS:モーゼの十戒でブログ内検索をすると沢山出てくるなあ~~!

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%82%81%5b%83%5b%82%cc%8f%5c%89%fa&inside=1
 
 
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