teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:414/3526 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

神様による存在の仕組み

 投稿者:Legacy of Ashes の管理人  投稿日:2015年10月22日(木)21時08分36秒
  通報 返信・引用 編集済
 







モンサントを敵に回すと..........どか~んと

http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-a9ce.html

煩悩君~死にますよ!!

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2982.html

2012/07/31 に公開

遺伝子組み換え作物(GMO)で世界シェアのほとんどを占めるアメリカのアグロバイオ?企業「モンサント社」の実態を追うドキュメンタリー。GMO以外にも「カネミ油症事件?」で知られるPCB、枯葉剤、牛成長ホルモンなどを開発してきた同社によってもたらさ?れた人体や環境、小規模農家への深刻な影響を映し出す。監督はフランスのジャーナリス?ト、マリー=モニク・ロバン。現代の食を取り巻く経済構造に鋭く切り込んだ本作は、世?界42か国で上映され大反響を呼んだ。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0014468
配給: アップリンク
オフィシャルサイトhttp://www.uplink.co.jp/monsanto/



遺伝子操作した四本足の鶏

ケンタッキーに対する悪質なデマかも?

http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/kamino-souzou.htmlより

マクドナルドで検索すると18件ヒットします

http://wave.ap.teacup.com/applet/renaissancejapan/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%7D%83N%83h%83i%83%8B%83h&inside=1&x=0&y=0

マクドナルドとロスチャイルド

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/840.html

関連記事:さてはてメモ帳

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/50a665b742b1fe7c03342b4da0aea5ff

プーチンは言った

http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/aa2ee112c884aaa895d62cdc79ee20a7?fm=entry_awp

宇宙の仕組み

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3426

関連記事:神の存在

http://web.archive.org/web/20080704173136/http://www.carmical.net/Japanese/articles/existence.shtml

悪の問題

http://web.archive.org/web/20050420080929/http://www.carmical.net/Japanese/articles/evil.shtml

キリスト教会のカルト化

http://www.h5.dion.ne.jp/~j.1/exodostop.htm

人生の五つの事実

http://web.archive.org/web/20050410070656/http://www.carmical.net/Japanese/factsolife.shtml

熱力学第二法則:批判者への答え

http://web.archive.org/web/20080328005116/http://www.carmical.net/Japanese/articles/entropy.shtml

ピラミッドはアトランティスの生き残りが造った?

http://ameblo.jp/64152966/entry-11958496465.html



http://satehate.exblog.jp/20103352/

6. 神の創造と進化、救世啓示の諸見

  神様による存在のしくみ:

  諸々の宇宙、即ち何億、いく百何十億光年という彼方の四方八方に存在すると、天体観測等で知ら
  れうる星雲のひとつひとつが、永遠の初めから神の創造によって創り出されたと、本当に信じること
 が出来る者は、神と共にこの世界を継承するものとして、その幸いを得ることとなる。永遠の初めか
 らの、その創造の御業は、その時間的世界の具現と過程にあって、いまや延々とその栄光を今に伝え
 現わすものとなっている。そしてそれはまさに人が意識し、人の頭脳が考え出した時空間の尺度を超
 越した、時空的世界を相対化した光速の何千倍ものエネルギー運動が展開された結果を垣間見るもの
 である。広大な宇宙の創世、それはまさに人間の見地からは、時空を超えた時空のパラドックスであ
 り、その結果的認識が、常に人間の目という一地点からの、その限られたスペース領域にあって、百
 数十億光年という途方も無い理性的数値をかもし出しているに過ぎない。(天体観測における光の偏
 移の計測から計算理論化された机上の数値=暫定観測可能な最大限の宇宙空間として)

  現代科学は、その宇宙物理学や理論物理学等の研究と実験的検証の成果の見地から、壮大な<宇宙
 誕生プロセスの論説>を描きうるほどであり、その極め尽くされんばかりにハイレベルな専門知識を
 所与するものとなっている。その専門知では、<宇宙の起源問題>は<元素の起源問題>でもあると
 いう、両者一体の研究テーマだとの見識に立つものである。そのような立場から導き出された、かの
 有名な宇宙誕生に関わる<原初ビッグバーン説>、この説に関して、世間一般の知識人は、ただそれ
 を鵜呑みにして受け入れるほか無いようなものであるが、頭を研ぎ澄まして冷静に考え巡るならば、
 <超とてつもない論説>だという現実に気づかされるであろう。何故ならば、その説論表意の言わん
 とする真相は、現宇宙に存在する数千とも、その数知れないところの<大小の巨大銀河あるいは星雲
 のすべて>が、その<原初ビッグバーン>という超々ウルトラ現象から、それら星雲等のすべての偶
 発多様なる誕生プロセスを個々に負うたものとして、その形成展開を成した、あるいは今現在もって
 成しつつあるという現象過程を語り表すものだからである。

 我々人間知能の受け容れられうる理性的理屈レベルの次元では、例えば<太陽における連鎖核融合>
 や恒星の末期現象とも云われる<超新星爆発>などの<ビッグバーン>程度のものであろうか。
 そんな<超絶アンビリーバブルなビッグバーン説>での<超ウルトラ爆発現象>も、理性的理屈から
 問い正せば、それが起り得た過程としての<その生起プロセス>をも念頭に入れなければならないで
 しょう。恒星レベルの爆発では、その星の大小によって多様な結果過程を辿ることなるであろうが、
 その現象の起因質料レベルは、既得の諸元素、つまり我々が化学で学んだところの原子番号1番の水
 素(H)から鉄(F)などの重元素なる原子番号何がしかに拠る諸原子の物理現象だと見なすことが
 でいるでしょう。身近かな例が<太陽の核融合現象>であり、水素の核融合で、ヘリウムを造り出し
 ている、ヘリウムだけではなく他の諸元素も作っているかもしれない。太陽の全体的現象、その内奥
 まで知る事が不可能だが、太陽コア(中心核)には、鉄元素の造蓄現象が起っているかも知れない。
 太陽も日々刻々と<現象の進化>を続けているというものでしょう。かの<超絶ビッグバーン>から
 第一の元素なる<水素>が無量に産出されたという考えが成り立つならば、その水素原子核での陽子、
 電子の構造存立への過程レベルの現象をも前提考慮すべきものとなり、中性子、中間子、あるいは、
 陽電子、反陽子といったレベル素子ばかりでなく、さらなる超ミクロな素粒子、荷電粒子などの超現
 象世界を概念モデル設定しなければ、その理論過程は進展しないという限界に来ていると思われる。

  科学という学問における<実証性>を超えたる論説であっても、その科学に根ざし、立脚したるを
 以て、演繹される理論見解は、やはり科学的であり、形而上学的な範疇の学問の類とは知質の異なっ
 た認識世界を示しているという事だが、純粋な意味で哲学や神学が存在の根源とか、それとの関係で
 神の存在とかを根本的に問うならば、形而上学上(on metaphysical)で、その言葉・概念による論究
 を試みる事となろう。このような意味合いで、言葉の思惟理性が、形而上的神学での<神の存在>の
 <究極的存在モデル>を省察設定するとすれば、以下のような論理展開の概呈を示すものとなろう。

  ”【論呈その一】
   <時間と空間>は、本来的に元々、実体も実相もないものであるから、物・物質が存在する
   ことで、それぞれその表相存在を現わすものであるから、如何なる物・質料も存在しない、
   いわゆる<絶対ゼロ>の究極では、時間レス、空間レスの<無限の極大、即無限の極小>と
   いった、理解不可なる<場の在界>を前提とするものとなる。ここでは<光>もなく、その
   <光源因質料>も存在しないゆえ、明度という度合いも<絶対の闇・暗黒>ということをも
   その先天本来なるものとしている事になる。

   【論呈その二】
   さてここでは、物の如何なる物理も光も音も温度さえもない、理解不可能なる<場の在界>
   に、内に居ますとも、外に居ますとも、あるいはまた、共に在り居ますとも、言い定めがた
   き、唯一なる存在者、即ち、無源始・永遠・みずから在りて在る<霊なる神>のおわします
   を観なければならない。人が神を表わし得る唯一の才量手段は、言葉概念をもってより他に
   はその方法の手立ては無い。つまり神から受けた<啓示>、その言葉概念と一なる<啓示>
   をば、再び人が、言葉概念によって表わす以外に、そのすべの正しきが無いというものだ。
   すべてのもの、理(ことわり)の<初めなる方>を言葉による<概念御神像図>をもって、
   捉え観んとする、大それた不可能な試み、一体如何なる<概念御神像図>とならんや、、、
   それは、言葉によりて描き表わしたるや、立ち所にその手の<偶像>となり下がる様な、そ
   んな馬鹿げた滑稽さをさらすだけなのかとも、、そうなるとも知れない。

   【論呈その三】
   その御業、いまだ為されざる初めを現わさんとする、その<御神像図>とは、、、、?
   宇宙創世の初めの、その究極的な始原、及びその接点は、素粒子物理学の視点から見れば、
   物質の究極的本源に遡及したる次元のものと同一視されうるものとなる。
   その究極的な素粒子次元までの超微粒子的存在は、その起源、始まりがあって存在するに至
   ったというものでもなく、また、神によって創り出されて存在するようになったというもの
   でもない。つまり宇宙創成のための究極的本源質料の源なるもの、すなわち、プリマァター
   (プロトマァター)は、創世に至る以前の、その究極的な始原時点において捉え見たならば、
   本来的に<初めから神と共に存在しているもの>である。活ける神の存在は、存在している
   事それ自体において本来的にエネルギーの発散者であり、その発散エネルギーそれ自体が、
   プロトマァター(物質以前のメタフィジカルなもの=非物質の物質的な性質を帯びたエネル
   ゲイア)なのであるからだ。

   究極的時性次元、あたかも無時間永遠が時間相を創出して、これを取り込み交わるかの如き
   原初のファーストプリミティブな神の創造活動においては、初めに述べた暫定理論値レベル
   での宇宙誕生138億年の遙か以前の活動事象として、(この数値は光の速度を前提、媒介
   手段として用いた空間距離次元から、全く異相な時間次元への転嫁数値に過ぎないが、、)
   その創生質料としての究極素粒子類が蔓延的に放散創出されると同時に、それら自体の、或
   いはその相互関係作用から自発展開される物性(物理的性質)作用の止め処なき発展が、あ
   たかも無限大に繰り広げられるかのように、そのプリミティブプロト空間に生起する。

   神の創生コンセプトに基づくこの放散と、結合集中及び凝縮事象は、いわゆる第一元素なる
   水素を生み出すと共に、無限大にまで及ぶがごとき高圧プラズマ発する<宇宙創成核>を形
   成する。その<創成核>をして、やがて必然の原初的ビッグバーン、即ち、現代天文学的な
   推奨学説の<ビッグバーン>に類比した、諸々の銀河などを形成する起生動力的な素料物を
   放出する現象を生起させるものとなる。そこでは発散放出力速度の比類なき速さ故に、地球
   史とか人類史とかの長い期間を経た後の、今日的な現代天文学からの<138億年>という
   理論数値は、まったく根拠を失い成立しないものとなるほどだ。それには認識のパラドック
   ス、真・偽同在とするような誤謬が潜むからである。

   エネルギーを創り出す<神のエネルギア>は、神のご性質特性の一つであり、神存在のご神
   像図を彩る属性と見なしても良い。これは原初プリミティブ、未無な宇宙にあっての活ける
   神のファースト啓示であり、その活動である。未来永劫の最終目標の神格啓示活動、人を創
   造して、その人格形成を嘉しての、その反照的様相事象にあってご自身神格を啓示する、あ
   る前提的な事前啓示場的な事象とは、まさに両極端の関係にある。

   <霊なる神>は、宇宙創成以前の究極始源において、元々永遠の初め本来から、霊なる存在
   として、その存在ゆえに<エネルギー発散>を自然自明な道理としている存在なのである。
   この究極的エネルギーの存在、即ちプロトマャターと、物質素粒子次元までの超微粒子とに
   境界接点が有るかどうか、また転換変移の生起が有るとも無いとも定めがたく、まさにこれ
   こそは究め難い究極の事象のものである。

   現代の天文物理学では、全宇宙に関わる質量存在比が多大なデータから推定算出されうると
   して公表されている。その数値に拠ると銀河や星雲、その他星間物質の諸々、それらすべて
   の全体からの割合は、原子等の通常の物質ベース換算で4.9%足らずである。他は、ダーク
   マターが、26.8%、ダークエネルギーが、68.3%との算定となっている。(観測衛星プランク
   による2013年までの観測データ結果から計算されたもの。)

   したがって<霊なる神>は、<光のエネルギーを衣とする>、しかも<高電子エネルギーま
   での光を衣とする>という<御神像図>を想定することが可能となるわけである。さらにそ
   の上、宇宙創成以前の究極始原では、暗闇、ダークも本来的に自明なものであり、そこでは
   また、<ダークマァター>の存在も発散エネルギーの残象として結果しているとの推定も可
   能となり、そこでは、物質次元度のより高いレベルの創造への、神の御業の対象場的環境が
   出来上がってくるものとなるわけである。

   (こうした究極始原での<光を衣とする神存在の御神像図>は、その存在の<在映姿=在り
   かた様相>をして、それの写似類比の一つのパターンとして、ある高度な完成度に創造され
   た、いわば太陽のような自存で光り輝く恒星などの天体類をそれぞれ、それに似せたものと
   なしていると、言うことができようか。)

   【論呈その四】
   神の普遍的遍在能力(=偏在性)と限定的臨在能力(=臨在性)、いずれも神の本来的本質
   特性であり、属性的に自らが啓発生得、自己付与したものではない。

   <神の遍在能力>、これは、瞬時の偏在であり、しかも時間性や時間規制を超越したもので
   あるから、もう人知を超えて、まったく説明も何も出来ない、といった神存在となる。
   かって、光が見かけ上から、その瞬時性を想感させてくれたが、地上のとどく太陽の光が8
   分19秒何がしかの時間を要し、光の速度、時間性が知られている。

   神の瞬時遍在能力は、まさに太陽系領域はおろか、銀河と銀河の諸系間において、その瞬時
   偏在を実現しているものであるから、こんな事は信じられないほどの、驚くべき事だと云う
   ほかない。また、神の意思伝達能力に関しても、その仮想的なネットワークを仮定想定して
   言えば、たとえ宇宙の大きさがその直径が990億光年もあったとしても、その彼方にとど
   く伝達能力は、十数分と掛からないものであろう。
   (こんな事は、実証、証明もできない、空想の馬鹿げた戯言だと、世間一般の人々は、あき
   れてモノが言えないというところであるに違いないが、、、)

   <神の臨在能力>、元々偏在性、臨在性を云々することへの生(成)因形相場が成立現実化さ
   れた存在世界(万物創造の世界)ゆえに生起される<神の活動的色相存在としての御神像>
   を表わしていると云えるものである。本来的にはそういった二面性の表われに即自関与する
   相なき自在一様なる存在者で在られるわけである。

   メタフィジクスという言葉概念が想成されうるのも、物質・物理世界が在り、それを前提と
   した知的認識の見境が生じるからであろうか、そこからかっては神をメタフィジクスな存在
   であるとの捉え方も出てきたものであった。
   今では人が神の臨在を観ることの能力を失ったという、ある精神的欠落状態なのか、或いは
   開かれた自由な理性発動の発展方向が不信仰を誘発するばかりで、その能力育成、啓発に事
   欠く無意義な文明環境でしかないという事象的な事柄が併存している。

   このような人間、人世界の良からぬ反照的併存性を払拭するほどに、現世リアルな神の臨在
   性を感知することは容易なことではない。
   確かに“聖書の言葉”が人にとって<ひかり>とならない限り、それは望み得ない事だが、
   有りがたい事にこの太陽系エリヤの地球は、かって以来、神の臨在活動の場、全宇宙創造時
   途上にあって、特別な最深奥なる、計り知れない多様な配慮が込められたる天空系の地球と
   して創り出されたるもの、、、、、
   “初めに神、天と地を創り給えり、地は形なく、むなしく、闇がふちのおもてにあり、、”
   (創世記第1章1節から)
   まさに創造の最終結晶となるような太陽系エリヤとその地球であったということで、神の臨
   在活動の最も顕著なるところというものである。

   人はこの地球上での生活において、古来より一日の時を知り、時節、季節を知り得るものと
   なる。また夜空の全宇宙的な無数の星々の素晴らしい輝きを眺めて、観察の知に目覚める。
   このようなことはなんでもない事のように無感覚なままで生きているような現代人であるか
   も知れないが、太陽系とその地球の在り様がそのようにかく在りてこそ、人がそれに反応し
   うるというものである。月や火星ではそんな風な反応、生活環境を決して味わう事は出来な
   いのだから、、、、現代においては、月や火星の事が非常に良く知られるようになったが、
   それでもたとえ世界中の国家予算を駆り集め、費やしたとしても、地球における生存と同じ
   ように、同レベルの生活が月や火星で出来る程にその環境を整える事は出来ないであろう。

   神の地球に臨んでの臨在活動は、諸々の力(物理的、力学的諸事象)をも伴うものであった
   事は、聖書でも多様に証し記されているものである。(イザヤの時の日時計の異象のしるしも
   その一つ。イザヤ書38章7-8節、列王下20章10-11節、パレスチナ動乱期のBC710年前後の頃)
   神の臨在性は、言葉啓示を本旨、本筋とした上での、計り知れない内容を有した神の意思の
   顕われと一つになるものである。

   一系の民・イスラエルが選ばれた。神がご自身のために聖別された。古代の数千年も前の事
   ゆえ、文書で記録されていなければ、まったく知るよしも無い事である。
   選民イスラエルの歴史は、神のご意図、目的、計画のあることを延々と運んできた運び屋、
   荷担者的器であったと言える。(“神の契約の箱”を運ぶ事で、それが象徴されているとも。)

   その歴史は、モーセの時、エリヤの時、そして、ご意図などのかなめ、中心となる御子キリ
   ストの時へといたる。モーセの時での強力な数々(臨在性)の印象付け、エリヤの時代でも
   その強力な印象付けはあった。カルメル山でのエリヤの祭壇、まったく火の起こりえない状
   況で、火が燃え立ってくる。神による天空からの強力な目に見えない熱線ビームなのか、そ
   れとも祭壇上での目には見えない原子素粒子レベルからの熱物理の現象なのか、、、、かの
   モーセの時でも、その祭壇の聖別、アロンとその子らの任職制定の大々的な聖儀式の終了し
   たフィナーレには、神の大いなる祝認として、<神からの火>が祭壇に立ち上り起こってい
   るのが知られる。(レビ記9章22-24節)

   一筋縄では行かぬのが人の世、その歴史、選民イスラエルの歴史とて同様、どんな強力な印
   象付けの数々も、世代々々を重ねる事で薄れてゆき、選民ゆえにその折には惨憺たるものと
   もなる。御子イエスの時に至りえたのが不思議なくらいで、非常に強い民族意識を培うもの
   となってイエス時代に何とか至り得たものだが、ダビデからソロモンの王国時代の栄光は、
   すでに夢影の如くはるか遠くに消え去った時代状況にあった。

   御子キリスト・イエスはそれでも神の国の到来を告げるものとなった。神の国のための教え、
   その人の道の教えは、新たに神の国の民で在らんがためのものであった。また、可能な限り
   いろいろな譬えでもって、神の国の到来イメージを語り、後世への伝承を宜しくした。

   もはや、神の臨在性も、御子イエス自らが仰せられるに、モーセやエリヤの時の目覚しいし
   るしは無いと、、しるしを求める以外に立場のない輩に対して、ヨナのしるしのほかは、、
   大魚の腹の中に三日三晩ヨナがいたように、人の子イエスも地の中にいるであろうと、、。
   (マタイ福音書12章39-40節)
   御子なるイエスは、十字架にかけられ、確かに“地の中”に葬り置かれ、さら三日目には、
   そこから甦り、出られるものとなった。このしるしは、かって彼をとりまき付き随っていた
   弟子たちに対して、計り知れない神の真言真理を悟らせるに至る強力な印象付けのしるし、
   導源となった。

   神の臨在ご意図は、御子をして、人を第一とし、その贖罪の救いを、その真意をご啓示され
   るものとなった。かくして弟子たちから始まるキリスト教の進展、発展があり、人の世界を
   変えてゆく歴史を見る事ができた。何はさて置き、まずその最初は、人第一の救いであり、
   また、一方では同時に神にとっては、良かろうが悪かろうが、(人アダム創造以来の)人間
   の自由意思そのものの善認、是認を旨とし得る時代をもたらしえたという事であった。それ
   はあたかも、人の生存、人類史に関わる神ご自身のご内観、観かた対応のリセット、再出発
   を意味するようなものであった。

   人間の自由意思(意志)や、かのエデンの園での“~食べるな、死ぬであろう”という、人の
   死の問題に関わるものとして、神自らのお心の内にある“わだかまり”は、人知れず深いも
   のであったからだ。“死ぬであろう、、”との死の現実事象が、何よりも真っ先に人の子・
   カインの自由意思、その犯罪により生ずるものとなったということは、まさに心傷のごとく
   神が懸念憂慮し給うところの事柄ともなった。

   実際カインがアベル殺しに至った彼の心理的経緯は、その感情的な性格気性からも起りやす
   いものであったとの推察も可能だが、それ以上に彼の普段からの生活上での倫理観、その自
   然の振舞いが良きに高く準じたものであり、そういった生活意識からの考え、自尊心、価値
   判断などが絡んで、犯罪の心因的動機レベルは倫理的ニュアンスから見てそれなりに高いも
   のであったといえる。(一般的な金銭や、男女間、争い係争トラブル等のものに比べて)

   そういったカインの一個人としての、心理的な様相(習慣的な考え、感情的な価値判断等)
   が、御子なるイエスの時代の集団的因習社会、それをおり成す人々に比定しうるようなもの
   となっている。内的外的な複雑な階層的な社会の仕組みが絡んで、イエスの身辺にまで糸を
   引いての、御子イエス殺し(十字架刑)であったわけであるが、そこでは父なる神様の総決
   算としてのご自身の“わだかまり”の解消リセットが、主イエス、その御しるしにおいて、
   かたや十分に果たされているとの事由側面が反映されている。

   そして、本旨的意味での、“ヨナのしるしの他は何もない”とされた、御子イエスの秘蹟よ
   るキリスト教の大いなる発展の軌跡は、かってのモーセやエリヤの祭壇の火とは異なり、い
   まや御子のしるしと一つなる、神からの“新しい霊の火”“聖霊”を可視的表示した霊的な
   火(これによる一団的バブタイズの成就)により始まるものとなった。そこからの発展成長
   の歴史を観ると共に、人の世はやがて地球規模にものを考えるグローバルな現代へと時代を
   連ねるものとなる。

   神の臨在性のかって残された唯一のしるしは、まさに御子なるキリストご自身であったとい
   うことになるが、キリスト教会はそのしるしの所産、インマヌエルの栄光を知り、継承する
   ものという次元から言いうるならば、これもまた、霊的な内なる臨在のしるしとなろう。

   神の臨在活動は、かくも太陽系地球・人間界に限定されたもの、しかも言葉啓示を伴うもの
   であり、それに意図、目的などが秘め隠されたものであったから、極めて人間の精神的な内
   奥に深く係わり、その内実性の発展を促がすものとなったということになる。

 そんなわけで、我らの位置する太陽系の宇宙は、神の唯一の臨在活動の場となった訳であるが、今や
 現代の天文知見からは、無数の銀河が点在する広大無辺的な宇宙規模の中にあってはほんの米粒ほど
 の存在にしか過ぎないと見られている。だが太陽を中心に小宇宙を形成し、即、同時にあえて<命の
 地球を中心とした理念>の<生命中心志向型の態勢>を創出形成している。

 この地球を中心とした命の太陽系宇宙は、決して<偶然>に出現でき得る筈がない。この命の体系宇
 宙は、100パーセントの確率で、その偶然出現ではあり得ない、そんな偶然は不可能なのである。
 神による創造プラン、その活ける設計図があってこそ、その出現が可能になるのだ。 それが正に神
 による存在そのもののしくみに対応したものなのだ。
 神の言葉、ロゴスがそのすべてを可能となしているのだ。そして、そのロゴスが、人の肉体となって
 出現したこと、人の形姿をとって自らの世界のうちに存在化すること、それが見えざる神の側からの
 神自らの存在の仕組みであり、本来的な在り方の方法である。 神による世界の存在とはそのような
 存在の定理を秘めたものである。

  創世記(聖書の開表の第一巻)の冒頭文言”初めに神、天と地を創り給える。”の時点までを、い
 わゆるインド的(インド流?)な神話文学風的に表現しうるとしたならば、つぎのように語ることが
 正しいでしょうか。、、、

 ”「無限自在の創造的思惟能力精神(=ロゴス)の無限の自己意識をお持ちの意識主体であられる、
 <見えざる霊体神>が、いかなる諸時間相も無い永遠のはじめに、その存在の初めからご自身の能力
 と感性(創造することの本来的な喜びの感情)の発動によって、<大宇宙の発現とその展開>が始め
 られた。
 その創造の様は、あたかも両手を千手のごとく動かし、四方八方立体的にその全方位にありて、あの
 リボン体操をするかのように振りかざし振り回して、両の手からいまだ見えざる正と負とに電化され
 た素粒子元素などの物質粒子=原子の軌跡をご自分の考えどうりに創出描いてゆく、その放出された
 無限的に膨大な物粒子群等が、その<原子存在自体間での法則>及び物のある段階的存在過程上での
 物理(量子力学)、理化学反応、高熱力学反応などからの法則にしたがって<力と運動=重力引力と
 その反作用的慣性力、遠心力等>のバランス、アンバランスの熱核エネルギー的展開をなし、諸天体
 の形成および、その諸々の大星雲的な形成をその領域内外的な実勢を生み出しつつ反復展開するもの
 ともなったと。」 ”

 と、このように現代的神話表現を記すことができるでしょう。これが聖書の<初めの>初めなのです。
 時間も空間も無い、いわば先天本来的にそれらの認知不可なる<初め>にあって、超ミクロの現象の
 創造から超マクロな現象存在への創造が展開されているという事なのです。

  この地球上の諸々の個体生物、あらゆる生命体ももちろん神による設計図(DNA設計)によるも
 ので、環境条件によっては可能な限り多様な種の進化もなしうる存在として創造されたものである。
 神の子、主キリスト・イエスのご在世から丸々2千年が経った。一口に2千年といっても、人にとっ
 ては大変長き時間の経過である。 ノアの契約(旧約聖書におけるノアの箱舟時での神の約束)は、
 主キリスト・イエスの救世の実現成就によって確定し、今に至るまで保持存続されている。この地球
 自体には再創造されうる質料的資質が、ほかの如何なる天体よりも桁違いに豊かに備わっており、神
 の御意志と御力によって今すぐにでも、何時でもそれを実行することが可能となっている。 地球内
 部の灼熱のマントルマグマ、地表の3分の2を覆う厖大な水海の量、これらの質料的資質は、まさに
 神が最終的には再創造を意図して備え有らしめた地球の資質だと云い得るものであろう。

  救世主キリスト・イエスは、”この世に<命(いのち)>をお与えなさった。”この世とは、”人の
 世を含めた、いわゆる古代的な世界観から云えば、”地上的な世界 ”のことで、今で云えば、地球
 上世界のことである。この地球が、今に至るまで存続し得るのは、主イエス・キリストによる神との
 新しい契約の実現成就が、この太陽系宇宙の地球に対して ”存続というかたちの命 ”となってい
 るからである。人と人の世に対しては、その個人の救いと終わりの日の甦りと、その命の文化文明の
 繁栄とが保障されており、それらを支え在らしめうる ”地球存続の命 ”そして 諸々の生物の存
 続の命が、”この世に命を与える ”という主キリスト・イエスご自身の存在の真理として、この世
 に呈示されているのだ。(新約聖書=ヨハネによる福音書の第6章26節~59節の文言から、特に
 33節に言及して、世界の存在の意義を解く)

 管理人注:そしてすべての聖書の意味が十分理解できたときスウェデンボルグが言うようにはじめてイエスは再臨されるのです。

 その他のINDEX

 http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/sankou.html













槙原は江川選手を手本としていましたね。江川選手のボールは回転がすごいため手元で伸びていたわけでメジャーの選手がかすりもしなかったということ。スピードガンは初速のみで信頼性はない。

選手も超一流になると例えば王貞治というバッターが見送った玉はボール(王ボール)になり,江川が投げた高めの左右の速球がストライクになりイチローの内野ゴロが間一髪セーフになるように。ヤンキーズのマー君も見習ってほしい。野球は直球とカーブだけでいいんですよ。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin

 
 
》記事一覧表示

新着順:414/3526 《前のページ | 次のページ》
/3526