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思いつくままに その10

 投稿者:Legacy of Ashes の管理人  投稿日:2016年 1月14日(木)16時52分39秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://seishonyumon.com/question/115/

サタンの「ルシファー」とは、どういう意味ですか。

サタンのことをよく「ルシファー」と言います。「ルシファー」とは、どういう意味ですか。

お答えします。
(1)Lucifer はもともと、ラテン語で「光を帯びたもの」(lux 光 + -fer 帯びている、生ずる)を意味し、キリスト教以前から「明けの明星」を指す言葉として用いられていました。しかし、ヘブライ語の旧約聖書にも、ギリシア語の新約聖書にも、この言葉は使われていません。

(2)キリスト教において、この言葉をサタンと結びつけたのは、オリゲネスが最初であると考えられています(ただし彼の著作はギリシア語なので、恐らくそのラテン語訳がサタンとしてのルシファーの初出だと思われます)。

(3)紀元4世紀、ヒエロニムスは、聖書のラテン語訳(ヴルガータ訳)において、ヘブライ語の「明けの明星」を意味する言葉「??????」(イザヤ書 14:12)をLucifer と訳しました(古ラテン語訳を踏襲して?)。なお、この箇所の「明けの明星」は、本来、バビロンの王を指すものですが、バビロンの王の背後で働くサタンをも暗示しています。

(4)西欧文学において、ルシファーが登場する名高い文学作品としては、ダンテの『神曲』とジョン・ミルトンの『失楽園』が挙げられます。特に後者は、神に叛逆するルシファーを中心に据えて歌い上げたため、その後のルシファーにまつわる逸話に多大な影響を与えることになります。

(答えた人:牧師 中川健一)

より詳しい解説は

http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/index.htm

関連資料:オリゲネスという神学者がいつの間にかルシファーの解釈を悪魔にしてしまったみたいですよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%B9

悪魔や天使が実在しているかどうかは,魔術師にとってはさほど重要な問題ではない。重要なのは,そうしたものが,現に存在しているかのように働くという事実なのだ。
<ゴールデンドーン魔術師Bイネス>


ルシファー

前200年頃『ヨブ記』第11章17(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 そしてあなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる。
 この節のラテン語訳は「et quasi meridianus fulgor consurget tibi ad vesperam et cum te consumptum putaveris orieris ut lucifer」である。最近になって知ったが、『旧約聖書』のラテン語版には、下に記す『イザヤ書』ともうひとつ、『ヨブ記』のこの部分にも、「lucifer」という言葉が使われていた。ただし、欽定英訳では「And thine age shall be clearer than the noonday: thou shalt shine forth, thou shalt be as the morning」となっており、『イザヤ書』と違い、完全にラテン語訳にしか使用されていない。でも、この節は「もしあなたが心を正しくするならば」、「あなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる」ということで、正義の行いをする者に対して、「lucifer」という言葉が使用されているのは面白い。

前200年頃『イザヤ書』第14章12(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 黎明の子、明けの明星よ。あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたはさきに心のうちに言った。「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう。しかし、あなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。
 現在では悪魔の頂点とされているルシファーだが、聖書ではここにしか登場しない。この一節は、ヤコブが「バビロンの王をののしって」言ったものであり、本来は悪魔の話ではない。しかも、もともとヘブライ語で書かれた『イザヤ書』のこの部分は、ヘブライ語ではHelel ben Shaharすなわち「輝く者」である。紀元前後のギリシア語訳(所謂『七十人訳ギリシア語聖書』icon)ではeosphorosとなり、これが405年に聖ヒエロニムスによってラテン語に訳された時(俗に『ウルガタ聖書』という)、「明けの明星」を表すluciferとなった。つまり、聖書だけを見るなら、ルシファーという悪魔は、存在しないに等しいのである。だが、次に上げていくキリスト教の神学者たちによって、ルシファーは悪魔化していく。

150年代頃『ペテロの第二の手紙』第16章(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
 こうして、預言の言葉は、わたしたちによりいっそう確実のものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのって、あなたがたの心の中を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
 この部分のラテン語訳は「et habemus firmiorem propheticum sermonem cui bene facitis adtendentes quasi lucernae lucenti in caliginoso loco donec dies inlucescat et lucifer oriatur in cordibus vestris」で、ここでも「明けの 明星」に「lucifer」があてられている。ただし、欽定英訳では「We have also a more sure word of prophecy; whereunto ye do well that ye take heed, as unto a light that shineth in a dark place, until the day dawn, and the day star arise in your hearts」となり、やはりラテン語訳にしかでてきていない。この預言の言葉とは、キリストの言葉のことだ。キリストの預言に「lucifer」が当てられているのは面白い。これが『ヨハネの黙示録』第22章16「わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」へと繋がっていく(ただし、この部分のラテン語訳は「ego Iesus misi angelum meum testificari vobis haec in ecclesiis ego sum radix et genus David stella splendida et matutina 」であり、「lucifer」は使われていない)。

230年オリゲネス『キリスト教原理について』(ニール・フォーサイス『古代悪魔学』iconより引用)
 明らかに、この個所のことばによって、かつてはルキフェルと呼ばれ毎朝昇ることを常としていた者が天国から転落したことが示されている。かれが暗闇の存在だと言う人もいるが、もしそうならば、どうして以前かれは光をもたらす者と呼ばれていたのか。あるいは、もしその光の一端さえ持っていないのならば、どのようにしてかれは朝に昇ることができたのだろうか。
 オリゲネス(185~256)はギリシアの神学者であり、原著はギリシア語で書かれていたはずである。現存している『キリスト教原理について』は、ルフィヌス(345~410)によってラテン語訳されたもので、おそらくはラテン語訳版で初めてルシフェルの名が記されたんじゃないだろうか。ここで、『イザヤ書』の記述が、バビロニアの王ではなく、悪魔に対してのものだという説が生まれる。この当時、グノーシス主義などの異端宗派が生まれ、オリゲネスら初期神学者たちは異端の信徒たちと議論を交わした。この一節も、二元論に対する、一元論的見解から悪魔について述べられたものだ。なお、この書は『諸原理について』というタイトルで、創文社から全訳がでているが、これを書いている時点で未見。読みしだい、修正します。

399年エウアグリオス・ポンティコス『修行論』序言(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成3』iconより)
 そして、このような歌声は謙虚さを生み、高慢の根を断ちます。この高慢さこそ、古えよりの悪であり、「黎明に昇る明けの明星」を地に振り落とすものなのです。
 これはエウアグリオス・ポンティコス(345~399)の神学書からで、後に「七つの大罪」となる、貪欲、淫蕩、金銭欲、悲嘆、怒り、嫌気、虚栄心、傲慢の「八つの想念」について書かれている。これらは悪魔が源になっているが、まだ具体名は出てこず、上に記した傲慢が「明けの明星」に当てられているのみ。原典はギリシア語なので、この頃はまだ「ルシファー」ではないはず。このへん、オリゲネスの影響らしい。また、「罪」ではなく「想念」、仏教の「煩悩」に近いものとされている。ようするに、修行者は煩悩を捨てなくてはならないって内容。

426年アウグスティヌス『神の国』第11巻15章(岩波文庫)
 ところが、かれらは、預言者の証言に、すなわち、イザヤが悪魔をバビロニアの君主の人格をもって象徴的にあらわして、「ルチフェルよ、朝にのぼっていたあなたは、どうして天から落ちてしまったのか」といい、あるいはエゼキエルが「あなたは神の園の快楽のうちにあって、ありとあらゆる宝石にかざられていた」という証言にどう答えるのであるか。この証言においては、悪魔が罪なくあったときもあることが理解されるのである。
 アウグスティヌス(354~430)も、413年から426年にかけて書き記した『神の国』の中で『イザヤ書』のルシファーを悪魔とみなした。「エゼキエルが」とあるのは、『エゼキエル書』第28章のエピソードで、ここでも「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に見せ物とした」とあるが、これもイザヤ書同様にツロの王の事を指していて、悪魔を指しているわけではない。アウグスティヌスはもともとマニ教徒だったが、キリスト教に改宗した人物で、「ところが、かれらは、」というのは、マニ教徒たちを指しており、この文章は、マニ教の二元論に対する一元論的悪魔観を述べている文章である。マニ教の二元論が「悪」がもとから「悪」として創られたのに対し、アウグスティヌスの一元論では、もともとは「罪なくあった」ものとして創られたものが、「悪」になったと語っている。ということは、ルシファーという存在は、神学者がキリスト教における一元論神学を語るにあたり、「必要悪」として創られたんではないだろうか。


1151年ヒルデガルド『スキヴィアス』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』icon青土社より)
 私は正義であり、節を持ち、悪を欲しない。だが、おお人間よ、汝は悪を認識して以来、悪に手を出している。汝もルチフェルも、汝らはともに堕ちる。なぜなら汝らは――虚無から呼ばれるやたちまち――私に反逆するからだ。汝らは善から悪に向かって落下した。しかしながらルチフェルは悪をすっかり身内に入り込ませて、善を完全に投げ捨てた。彼は善を味わうことなく――死の手に落ちた。
 ヒルデガルド(1098~1190)は、ドイツの女性修道院長。天上のヴィジョンを幻視体験し、その記録として書き記したのが、この『スキヴィアス』である。これは三部に分かれており、ルシファーに関する記述は、1部と3部にある、らしい。翻訳は『中世思想原典集成15女性神秘家』にあるけれど、残念なことに第2部しか翻訳されてないので、私も種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルドの世界』の、簡単な解説でしか読んでない。美しい天使であったルチフェルが、神が天上で輝くように、自分も地上で輝きたいと欲したところ、神は「天に二つの神があってはならない」と言い、ルチフェルを地獄に落としたのだという。その後、楽園でイヴをそそのかし、禁断の実を食べさせた。これによって、善と悪が分かれたという。オリゲネスやアウグスティヌスは、神学の解説として『イザヤ書』のルシファーを紹介しただけだったが、ヒルデガルドは幻視により、ルシファーを神話化した。ルシファーの堕天神話はミルトンが描くよりも500年早く、ここになされていたのである。

1158年ヒルデガルド『石の書』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』icon青土社より)
 すなわち神は最初の天使を全身くまなく宝石で飾ったのである。この最初の天使ルチフェルは神性の鏡にこれらの宝石が輝いているのを見て、そこから彼の知識を受けとった。それらの宝石に、神が多くの奇蹟を巻き起こそうとされるのを見てとった。するとルチフェルの精神はおごり昂ぶった。我が身にまとうた石の光輝が神のうちに反射していたからである。彼は自分が神と同等であり、神以上のことをなしうると思った。それゆえに彼の光輝は消されてしまったのである。
 も一冊、ヒルデガルドの著作から。この書は正確に言うと、『自然のさまざまの被造物の隠された諸性質の書』に含まれる文献である。この書には、さまざまな宝石について書かれているが、その序文に書かれた文章だ。ルチフェルが宝石で飾られているのは、『エゼキエル書』によってはいるが、とても女性らしい幻視である。

1214年頃『ロンバルディア・カタリ異端論』(渡邊昌美『異端カタリ派の研究』岩波書店より)
 ルキフェルこそ、天地を創り六日にて業をなしたと創世記に述べられてある神である。
 カタリ派はキリスト教史において、異端の代名詞となっている、代表的な異端宗派である。ヨーロッパ各地に存在していたようだが、その中でもイタリアでまとめられたとされているのが、この書。現在はバーゼル大学図書館に所蔵されているらしい。カタリ派が異端とされたのは、この引用文を見ていただければ一目瞭然だろう。彼らにとっては、『創世記』のYHVHこそが、ルキフェルなのである。と言っても、カタリ派神話には始原の神が存在する。と同時に、始原の悪も存在する。もともとルキフェルは善たりし天使だったが、「四面、すなわち人、次に鳥、第三に魚、第四に獣の顔を有し、始原なき悪しき霊なるもの」に魅了され、堕天したのだ。地上において神となったルキフェルは「地の泥をもってアダムを形作り、力をもってかの善き天使を中に封じた。彼のためにエヴァを造り、これをもって罪を犯さしめた。禁ぜられたる樹を食せしとは姦淫の謂である」という。カタリ派神話では、ルキフェルこそが、人間の創造主であった。したがってカタリ派は、肉体的なもの、物質的なものを完全に否定している。人間とは、肉体という悪魔の作った牢獄に、善き天使の「霊魂(アニマ)」を持つ存在なのだという。

1260年ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』洗者聖ヨハネ(前田敬作・山口裕訳/人文書院)
 つぎに、ヨハネは、智天使の役目をつとめた。ケルビムとは、〈知恵の充実〉ということである。だから、ヨハネは、またルキフェルともよばれる。この名前は、〈光をもたらす者〉という意味である。なぜなら、『ヨブ記』(38の2以下)の言葉を借りると、彼は、無知の夜を終わらせ、恩寵の光の始まりとなったからである。
 聖ヨハネは、福音書において、イエス・キリストに洗礼を施した聖者である。ここでは文字通り、「光をもたらす者」という意味だろうが、ヨハネが「ルキフェル」だとされるのは面白い。なお、人文書院版『黄金伝説』は現在絶版だが、新泉社から抄訳の『黄金伝説抄』iconが出ている。

1273年頃トマス・アクィナス『離存的実体について(天使論)』第20章(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成14』icon)
 さらに、オリゲネスは『諸原理について』第一巻で、アウグスティヌスは『神の国』第一一巻でこのことを聖書の権威によって確証する。その際、彼らは「イザヤ書」第一四章で悪魔についてバビロニアの王になぞらえて語られた「ルシフェルよ、暁にのぼったおまえが、いかにして堕ちたのか」という言葉を引証する。また、「エゼキエル書」第二八章では悪魔に対してティルス王の姿で「おまえは類似のしるしであり、知恵に満ち、神の楽園の宝石に包まれて完璧な美麗さであった」と言われ、その後の個所に「おまえの創出の日から、おまえの歩みは完全であったが、ついにおまえの内に不公正が見出された」と続けられている。
 トマス・アクィナス(1224~1274)は『神学大全』を記したローマの神学者。これはサブタイトル通り、天使について述べられた書だが、天使論というより、「デーモン」の語源となったギリシアの「ダイモーン」について講釈されている。「ダイモーン」には善きものと悪しきものとがいるが、その悪しき「ダイモーン」が悪魔のことだという。もちろん、それは二元的なものではなく、善きものとして創られた「ダイモーン」が、自由意志により、悪しきものへと転向したのだという。オリゲネス→アウグスティヌス→トマス・アクィナスと、キリスト教神学におけるルシファー像が受け継がれた。ルシファーが悪魔化したのは聖書ではなく、これらの神学書の系譜によるものなのである。

1307年ダンテ『神曲』icon地獄編第34曲(岩波文庫)
 我はもとのまゝなるルチーフェロをみるならんとおもひて目を挙げ見たりしにその脛上にありき。
 文学上にもルシファーが登場。ダンテのルシファーは地獄の最下層に氷浸けにされ、ユダなどの罪人を貪り食っている。

1387年チョーサー『カンタベリー物語』icon修道僧の物語(岩波文庫)
 ルシファーから私は始めるとしましょう、彼は天使であって、人ではありませんが。というのは運命の女神は天使には何ら害を与えることはできないけれど、しかし高い地位から彼はその罪のゆえに地獄に落ち、今もなおそこにいるのですから。あらゆる天使の中でも最も輝けるルシファーよ、汝は今や悪魔(サタン)となり、転落したる悲惨な境涯から逃れ出ることはできないのだ。
 チョーサーの小説の一節だが、この頃には完全にルシファー=サタンとなっていたことがわかる。

1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
 同様に、高慢の悪魔はリヴァイアサンと呼ばれ、それは「付加」を意味している。なぜなら、ルシファーが私達の最初の両親を誘惑した時に、高慢によって、彼らに神性の付加を約束したからだ。彼について、主は言った、私はリヴァイアサン(その古の、とぐろを巻く蛇)と同時に現れるだろう。
 これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。ここではリヴァイアサン=ルシファー=エデンの蛇という扱いがされ、「高慢」にあてられている。

1587年『実伝ヨーハン・ファウスト博士』(松浦純訳『ドイツ民衆本の世界3 ファウスト博士』icon国書刊行会)
 ご主君ルチフェル様、つまりこれは、天のまばゆい光から追われたためのお名前ですが、ルチフェル様は以前は神の天使、智天使で、天で神のわざや造られたものをみなご覧になっておられました。たいへんご立派なお姿で、きらびやかに飾られ、権威にあふれ、堂々とお住まいになって、神に造られたどのものより、金や銀よりずっときらめく、目の明るさや星々の光もかすむほどの輝きを神から受けておられたわけです。なにしろ神はルチフェル様を造るとすぐ、神の山の上において侯の位を授け、なにひとつ欠けるところのないようにしたものでした。それが、ルチフェル様が尊大に思い上がられて東の天にわが身を高めようとされたとたん、神に天の住まいから追われて、おられた座から、燃え尽きることのない火の岩へと突き落とされてしまわれたのです。つまり、ルチフェル様は天の光輝をひとつに集めた冠をいただいておられた。それが、わざわざ、むこうみずに神に逆らわれたばかりに、神にお裁きを愛けて、すぐに地獄に堕とされ、もう永久に逃れられない羽目になってしまわれたというわけです。
 ちょっと長くなったが、これはメフィストが語った、ルチフェルの堕天神話である。天界にいたころのルチフェルは「立派な大天使のおひとりで、ラファエルと呼ばれておられた」んだそうだ(原文ママ)。地獄に落ちては、「鎖に繋がれ、流鼠の身で引き渡されて、審判の時までとめておかれているのだ」とされ、「東の地獄の王」となっている。ファウストの前に姿を現した時の姿は、「これはふつうの男くらいの背丈をして、毛むくじゃら。赤っぽいリスのような色で、ちょうどリスのようにしっぼを高くあげている」という。

1593年クリストファー・マーロー『フォースタス博士』第十九場(『エリザベス朝演劇集Ⅰ』小田島雄志訳/白水社)
 ルーシファー「こうしてわれわれが地獄の底から地上にきたのも、わが王国に属するものども、罪をおかしてその魂に地獄の暗黒の子と刻まれたものどもを見るためだ。なかでも彼らの長たるフォースタスよ、われわれはおまえの魂にかしずくべき永劫の呪いをたずさえて、ここにきたのだ。さあ、いよいよわれわれの手にその魂をゆだねる時がきたぞ」
 マーロウ版のファウスト物語の中では、メフィストやベルゼバブと共に、ルシファーも登場する。ファウストは魂をルシファーに委ねる事を、メフィストを通じて約束することになる。メフィストによると、ルシファーは、あらゆる精霊を意のままにする支配者であり、かつては神にもっとも愛された天使だったが、やはり傲慢によって天から堕ちた。

1612年ヤコブ・ベーメ『アウロラ』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』iconより引用)
 ミカエルが父なる神の姿とその美をもとに造られたように、ルシフェルも神の息子の姿と美をもとに造られた。‥‥ルシフェルがその美しさに気づいたとき、彼はすべての者の上に立とうと思った。
 ベーメ(1575~1624)はドイツのプロテスタントの神秘学者。ルシファーの堕天の原因が、その「美しさ」にあるあたり、女性ファンをうっとりさせる一節だ。

1612年セバスチャン・ミカエリス『驚嘆すべき物語』(ロッセル・ホープ・ロビンズ『悪魔学大全』より引用)
 熾天使の軍団の中でも最上位にあった三名、すなわちルシファー、ベルゼブブ、レヴィヤタンはいずれも神に反逆して堕天した。‥‥キリストが冥府に降ったとき、ルシファーは鎖に繋がれたまま、万軍に指令を発していた。
 ミカエリスは17世紀のエクソシストで、マドレーヌ修道女に憑依した悪魔バルベリトから教わったとして、悪魔の階級を書き記した。この階級は、今日でもいたるところで引用されている。

1629年『教皇ホノリウスの書』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』iconより引用)
 ルシフェルよ、お前を呼びお前に願う、生ける真の神の名において、すべてを言葉によって創造した聖なる神、命ずれば行われる神のために。神の強力な名によってお前を召喚する。
 この書は魔術実践本で、これは悪魔召喚の呪文から。

1667年ミルトン『失楽園』icon第7巻(岩波文庫)
 だから、わたしはお前に話しておきたい――思えば、あれは天からルーシファが(そうだ、それが、星の中の星ともいうべきあの暁の明星以上に、かつては天使の群れの中でも最も輝ける天使であった彼の名だ)焔をあげて燃える仲間と共に、混沌の世界を真っ逆さまに己の行く場所へと転落し、御子が味方の天使たちを率いて凱旋されたときのことであった。
 『失楽園』iconは現在の反逆天使としてのルシファー像を創り上げた、最高の悪魔文学だが、ミルトンは清教徒革命のクロムウェルの秘書を務めた、れっきとしたクリスチャンである。革命の挫折が、サタン=ルシファーに投影され、力強く美しい滅びの美学が描かれている。

1812年コラン・ド・プランシー『地獄の事典』ルシフェルの項(講談社)
 ルシフェルはヨーロッパ人とアジア人を支配し、紅顔の美少年の姿で現れる。怒ると顔を真っ赤にするが、怪物じみたところはない。
 プランシーの悪魔事典にも、当然ルシファーの項目はある。美少年顔の挿絵もついている。ルシファーを呼び出すのは月曜日で、お礼は「ハツカネズミ一匹でよい」とある‥‥なんだか安っぽいなあ。かなり俗っぽいイメージ化されている。

1818年『天地始之事』(中城忠・谷川健一『かくれキリシタンの聖画』iconより)
 七人のあんじょ頭じゅすへる、百相の位、三十弐相の形。
 『天地始之事』は長崎の隠れキリシタンに伝わった聖書で、その内容は正伝以外もとりいれられており、とても面白い。この中でルシファーは「じゅすへる」と呼ばれ、「七人のあんじょ頭」、七大天使の長となっている。「じゅすへる」は「ゑわ」と「あだん」に禁断の「まさん木の実」を食べさせたため、天帝から天を追放され、「雷の神」となった。

1860年エリファス・レヴィ『魔術の歴史』icon序章(鈴木啓司訳/人文書院)
 ルシファー! 光をもたらす者! 暗黒の精霊に与えられたなんと奇妙な名であろう。なんとしたことだ、光をもたらし弱い魂を盲にするのはこの者か。然り、間違いない。なぜならキリスト教の伝統は、このことを告げる神による啓示と霊感に満ち溢れている故。
 エリファス・レヴィの『魔術の歴史』では、引用したこの序文と、「第三之書キリスト教の啓示による魔術の結合と聖なる実現 第三章悪魔について」にルシファーに関する言及がある。秘儀参入者的なルシファー観は、「彼らによれぱ、光を伝達しあらゆる形を集積することからいみじくも《ルシファー》と呼ばれている大いなる魔術的媒介物が、創造物全体にあまねく行き渡っている中間力なのである。このカは創造と破壊両方に働く。アダムの失墜はエロチックな陶酔であり、彼から生まれてくる者たちをこの致命的な光の奴隷にした。感覚を占拠する情愛はどれも、死の淵にわれわれを引ぎずり込もうとするこの光の渦なのである。狂気、幻覚、幻視、恍惚は、この内部の発光体の極めて危険な昂揚状態に起因する。要するに、この光は火の性質を有しており、これを賢く使えば熱と活力を得るが、逆に便いすぎると焼かれ落かされて無に帰さしめられるのである」という。エリファス・レヴィは「星気体」という魂の発する光(あるいは魂そのもの)の存在を説いており、ルシファーというのは、この星気体に光をもたらす、魔術的媒体であるという。それは強力な力を持った光だが、強力ゆえに、狂気や幻覚などの副作用を起こすこともある。また、「秘儀参入者にとって、悪魔は一箇の人格ではない。それは善のために創られながら悪に奉仕することもできる力である。自由のための道具である。彼らは生殖を支配するこのカを、角を生やしたパンの神話で表現した。エデンの蛇の兄弟であるサバトの雄山羊が出てきたのである。それば光をもたらす者あるいは《光を発する者》であり、詩人により伝説上の偽ルシファーに仕立てられたのであった」とも言い、これはエロスの力、フロイトの言う「リビドー」的な解釈ではないだろうか。

1883年スタニスラス・ド・ガイタ『呪われし男の言葉』詩集『黒い女神』(幻想出版局『幻想文学36』より引用)
 魔王ルシフェルよ、汝は天界より隕し星、はた地獄の闇になげられし好智ある華、さては瞋恚の炎を燃しつづけて、胸一杯に、叛逆の雄叫あげる天使。
 スタニスラス・ド・ガイタはフランスの〈薔薇十字カバラ会〉の総帥だった人物。日本では、詩人としてより、作家ユイスマンスらと呪術戦を行ったオカルティストとして紹介されることが多い~終わり

新約聖書 マタイ
Mat 7:13  狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
Mat 7:14  命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

KJV
Mat 7:13  Enter ye in at the strait gate: for wide is the gate, and broad is the way, that leadeth to destruction, and many there be which go in thereat:
Mat 7:14  Because strait is the gate, and narrow is the way, which leadeth unto life, and few there be that find it.

Geneve
Mat 7:13  Enter in at the streight gate: for it is the wide gate, and broade way that leadeth to destruction: & many there be which goe in thereat,
Mat 7:14  Because the gate is streight, and the way narowe that leadeth vnto life, and fewe there be that finde it.

TSeekerさんの記事から~http://truthseekerja.web.fc2.com/

兌換紙幣と不換紙幣

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2214.html



以下は金玉さんによる文字おこし

私は避けることのできない、この上もなくショックな結論に達してしまいました。
エ リート集団と彼らの経営する企業が実際に支配しているのは、エネルギーや食糧供給、教育、医療だけでなく生活の全ての側面なのです。この支配は金融支配に よって行われます。価値を生み出すのではなく資金源を実際に支配するのです。
お金を追っていくと(その流れの構造が)ピラミッドのようになっていることが 解りました。

一番下は生活を日々営む一般の人々です。
その上は政府です。力の独占を許され、それを使って有無を言わせず課税し支配します。政府を支配するのは誰でしょうか?

次の階層は企業です。世界を現在支配しているのは国家ではなく企業だとよく言われ、これを企業統治体と呼んでいます。世界の資源を獲得し市場を支配するために企業統治体は低金利の資金の利用を必要としています。

大企業は大銀行から特別の金利で融資を受けることが出来ます。つまり大手銀行を支配するお金持ちのエリートが最終的に企業を支配しているのです。お金の流れを追っていくと、お金に関する今までの考えがほとんど間違っていることが解りました。

(デヴィッド・アイク David Icke )
「ご く日常のことには疑問を投げかけないのは面白い事です。例えば銀行に行って5万ドルとか5万ポンドのローンを申し込むと実際には何が行われるのでしょう か?

殆どの人はボンヤリとしたイメージを持って日々を過ごしています。実際には5万ポンドのローンを申し込むと、銀行は5万ポンドと口座に書き込むだけな のです。コインやお札を造ったり貴金属を移動させたりするのではなくて、コンピューター画面で口座に5万ポンドと入力するだけなのです。
その瞬間から、過 去にも現在にも将来にも、まったく存在しないお金に利子を払い始めることになります。」

銀行は金庫室に保有しているお金の約9倍を貸し出しています。これが可能なのは部分準備制度があるからです。この制度では連邦準備銀行や国の中央銀行が、銀行が保有する準備金の割合を決めることが法的に許可されています。米国では現在約10%です。

 1万ドルを銀行に預けると銀行はその10%、1,000ドルをとっておいて残りのお金を貸し出します。たとえば別の人がその銀行を訪れ9,000ドルの車のローンを申し込むと、銀行はあなたの預金から9,000ドルを貸し出します・・・もう無くなってしましました。

借 り手は車の売り手にお金を払い、売り手は同じ中央銀行制度内の別の銀行にそれを預けます。この9,000ドルは新たな預金として扱われ、この過程が繰り返 されます。預け入れと貸し出しを繰り返して最初1万ドルの預金が10万ドルになりました。銀行はあなたのお金を貸し出して9万ドルを作り出したことになり ます。

 これは金(キン)で取引が行われていた17世紀の金細工師から始まったようです。金(キン)は携帯するには重いので実物は金庫室に保管 し ておき、その受領書を取引していました。この受領書が最初の紙幣でした。

一定の期間に金(キン)を引き出す人の数が限られているため、金庫室の保有者、現 在の銀行は実際に持っているお金より多い受領書を発行するようになりました。

この受領書を貸し出して実際には持っていないお金、つまりは金(キン)に対して利子をかけたのです。

これが部分準備制度の始まりです。この制度では人々がせっせと働いてお金を稼がなければならないのに、銀行家は「無」からお金を作り出すことが出来ます。
これは金融エリートが庶民より賢いからではなく、大多数の人を犠牲にし、自分に利益が入るように制度を不正に操作しているからです。

この動画でいう実際に持ってる金より多い受領書。
それが、不換(ふかん)紙幣のことです。

だからこの不換紙幣が広まれば広まる程やつらは嬉しい。
だって、勝手に通帳に5000万貸しましたって書けばお金を貸したことにできて利子を貰えるのだから。
そして、その借金が返せなくなった人からは、担保の土地や、家を奪えるのだから。

資本主義が広まれば広まる程嬉しい。
不換紙幣を使う人達が広まれば広まる程自動的に人々を奴隷にすることができる。

この人類の編み出した壮大な詐欺。
あまりに詐欺が大きすぎて誰も

はぁ??
なに言ってんの?
と、騙されてることすら気づかない。

かのヘンリー・フォード氏はこんなことを言ってます。

国民が我が国の銀行制度、通貨制度のことを理解してないのは良いことだ。
もし理解しているなら、きっと明日の朝までに革命が起こるはずだから。
-ヘンリー・フォード(1922年)



Thrive全編

顧客資金をすべて返還~これがあるべき姿でしょう

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-O0XUP76KLVRQ01.html

ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)は顧客に対し、「2016年は激変の年となる。金融商品の全てを売却した方が良い。」と伝えました。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51977955.html

おまけ~ガソリン価格二ケタも

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160114/k10010370781000.html

管理人のパラノイアでは近い将来というか今年中に1リットル30円を付けると思います。その裏には小型核融合の現実性もあるようです。

おまけ~ビジネスで歴史を学ぶ

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e4%bb%8a%e3%81%aa%e3%81%9c%e3%83%93%e3%82%b8%e3%83%8d%e3%82%b9%e3%81%a7%e3%80%8c%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%80%8d%e3%82%92%e5%ad%a6%e3%81%b6%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e5%bf%85%e8%a6%81%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/ar-BBodsLu#page=2

今、なぜ歴史を学ぶことがブームになっているのか

 最近、「歴史を学ぶ」ことがブームのように見受けられます。背景の1つには、中近東情勢の不安定化や欧州への難民流入など、歴史を知らないとなかなか理解が難しい問題が増えていることもあるでしょう。

 今年最初に飛び込んできたニュースはサウジアラビアとイランの断交でしたが、多くの人は「なぜ?」とびっくりしたはずです。イスラム教のスンニ派とシーア派はどうやって分かれたのか、そもそもどんな違いがあるのか、どの国ではどの派が多数派、優位なのか――。こうした基礎知識は、そう簡単に身に着くものではありません。

「サイクス・ピコ協定」「オスマン帝国の版図」などが話題になると、随分専門的に聞こえますが、高校の世界史の教科書には必ず出てきます。「今年は歴史を学ぶ」を年頭決意にして、「○時間で学ぶ世界史」のような本を読むよりも、どっしり腰を据えて生涯の精進の課題にした方が良いような気がします。本来は、歴史の知識がないと、国際関係や国の制度などを理解するのはほとんど不可能です。特にビジネスに携る人々にとって、歴史は必修科目です。

 まずは高校の教科書をしっかり読み直して、関心のあるテーマごとに専門的な関係書に進んで行く方が、結局は身に着くのではないでしょうか。ここ数年、欧米の歴史学界では、第一次世界大戦から100年が経ったことを受けて、第一次大戦に至った歴史や社会の変容などについて、様々な新しい研究が発表されているようです。今の国際情勢が当時に類似する点が多いということから関心が高まっているのでしょう。たとえば、そうしたテーマについて色々と歴史を勉強するのもいいのかもしれません。

「賢者は歴史に学ぶ」欧米の資本市場は重要なテーマ

 私が大学院で教える欧米の資本市場についても、歴史は非常に重要なテーマです。歴史を知らなければ、なぜそのような制度になっているのか、どうした問題が起こり得るのかをうまく理解できません。同時に、歴史を知ることによって学生たちは豊かな発想で今後へと考察を広げられます。まさにビスマルクの「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」です。

 たとえば、学生の皆さんに、19世紀の半ばの英国で外国および植民地政府証券などに分散投資する世界最初の投資信託「フォーリン・アンド・コロニアル・ガバメント・トラスト」が誕生したことを伝えると、彼らは瞬時に彼我の市場の厚みと蓄積の違いを理解できます。こうした事例は、現代日本における「貯蓄から投資へ」を考えるのにも大いに参考になります。

銀行の起源は両替所戦費調達と共に発展した金融市場

 少し金融の歴史を紐解いてみましょう。14世紀にイタリアのフェレンツェで貿易商を営んでいたメディチ家などは、各地域の通貨を交換する両替業に乗り出し、お金を預かり、代金を支払うサービスなどを手がけました。こうした取引が銀行の起源と言われています。ちなみに銀行を意味する「バンク」は、両替所に置かれていた長い机に由来するようです。

 金融資本市場の発展を語る上で、戦争は忘れてはならない要因です。証券の起源は、中世後期のイタリア都市国家での国債の発行でしたが、次第に国債取引市場が形成されていきました。絶対主義王朝の下、国家対立が激化し、戦費調達は巨大化し、国債の発行は一層活発化しました。一説には、最初に長期国債を発行したのはフランス国王といわれています。しかし、国王の私的債務か国家債務かの区別があいまいで、デフォルトを宣言することも多々あったようです。

 正式の最初の国債は、イギリスがフランスとの戦費調達のために17世紀末に発行したものを指すべきかもしれません。「戦争と国債」「国家の過大債務とデフォルト」の関係はずっと続いています。証券取引所の設立は1611年のオランダ・アムステルダムに遡ります。

 世界最初の株式会社は、1602年設立のオランダ・東インド会社とされています。これらを契機に、株式会社が他の国にも広がり、新しい事業を興す時に便利なツールになっていきました。デリバティブの一種であるオプション取引が生まれるなど、証券取引所の開設とともに金融技術も進化していきます。当時の金融資本市場の中心地だったオランダは、史上初のバブルとなるチューリップ・バブルに見舞われ、その後次第に勢力を低下させました。バブルの歴史も長いということです。

オランダ、英国、米国へ世界「金融覇権」の盛衰

 オランダに代わって頭角を表わしたのが英国です。新ジョナサンというロンドンシティのコーヒーショップのドアに株式取引所という表札がつけられ、正式な会員組織による取引所が誕生しました。ロンドン証券取引所が正式に発足したのは、その後の1802年です。

 ロンドン証券取引所は、債券や株式の取引の場として、英国の戦費調達や、産業革命によって急成長した鉄道や運河、鉱山事業を支えました。ロスチャイルドやベアリングといった主に大口顧客を相手にするマーチャントバンクの活躍により、英国は当時の金融資本市場の中心地として君臨しました。

 英国で始まった産業革命は1830年頃に米国へ伝わり、工業化を加速させました。これによって発展した製鉄や石炭などの産業は、より多額の資金を必要とし、CB(転換社債)やCP(コマーシャルペーパー)、ワラント債という新たな金融商品が生まれる原動力になりました。

 ところが、1914年に戦端が開かれた第一次世界大戦により、英国は多額の戦争債務と財政赤字という重荷を背負います。逆に、戦争による特需に沸いた米国は、英国に代わって金融資本市場のリーダーになりました。基軸通貨もポンドからドルに代わります。

 一方、専門性を重視するあまり、ロンドンの金融市場「シティ」は次第に閉鎖的になり、1970年代のサッチャー改革を迎えるまで、長期間、緩やかな衰退を続けます。

国家経営と不可分だった米国金融の歴史

 さて、第一次大戦以来今日に至るまで、一世紀以上世界金融のリーダーであり続ける米国の歴史を見れば、連邦政府の成立自体が金融問題そのものだったことがわかります。18世紀末、アメリカ13諸州は英国から独立を勝ち取ったものの、中央政府は事実上存在せず、膨らんだ戦時債務の返済にめどが立ちませんでした。米国の信用は下落し、債券価格は大きく元本割れする状態でした。

 こうした国家的な危機を迎え、独立戦争の総司令官だったワシントン(初代大統領)と、その片腕ハミルトン(初代財務長官)が中心となって、実効ある「連邦政府」をつくり、米国の信用を確立し、兵士に対する年金などの戦時債務を弁済しようとしたのが、1788年に発効した合衆国憲法の背景です。

 各州の債務は連邦政府に移管され、連邦政府は独自の税収として確立された関税収入を債務返済に充てました。この歴史を振り返るならば、連邦政府がなく、独自の財源もない現在のEUでユーロ問題の解決が容易でないことも実感できるというものでしょう。

 米国はアンシャンレジューム(古い体制)から逃れた人たちが建国したお国柄です。権力の集中を忌み嫌う政治的伝統があり、チェック・アンド・バランスの仕組みへの志向が根強く存在します。サブプライムローンという複雑かつ不完全な金融商品のチェックに不備があったのは、そのような事情で金融監督制度が分散化していた弊害が指摘されました。

 これを受け、世界金融危機後、監督機能に漏れがないようにし、また金融機関の破綻処理法の整備、店頭デリバティブ規制の強化などを定めたドッド・フランク法(金融規制改革法)が整備されることとなりましたが、規制が厳しくなりすぎることで経済の活性化が阻害されないか、という懸念も生じています。

イノベーションに向けて日本の金融の歴史から何を学ぶか

 金融資本市場の発達の中で、日本はどうだったのでしょう。日本は世界に先駆け、1730年に大阪の堂島で米の先物取引を始めたことは、世界の金融史上でも特筆すべきことだと思います。

 しかし、鎖国のため、欧米に比べて日本の金融が出遅れたのも事実です。明治時代にバンクを「銀行」と訳したのは、銀が当時東アジアで共通の交換手段として通用していたためのようです。ちなみに「行」はお店の意味です。維新後の1870年に、ようやくロンドン市場でポンド建ての日本国債が初めて取引されました。ただし、当時の利率などは発展途上国の中でもあまりいいものではありませんでした。

 日本に取引所が生まれたのは1878年です。条例が制定され、東京と大阪に初の株式取引所が誕生しました。鉄道会社や海運会社、紡績会社などが相次いで上場を果たしますが、1906年に鉄道国有法が制定され、ほとんどの鉄道株は国に収用されます。渋沢栄一を始め、国有化には反対の意見も多かったようですが、結果として民営の鉄道株は消滅してしまいました。

 こうして見てくると、日本の金融市場の発達の遅さも、単に経済発展の後進性と言うことでは片づけられないものがあります。制度設計、特に規制の在り様によるところが大きいからです。同調的な投資行動が多く、米国市場の後追いになるとはよく指摘されますが、内外の金融の歴史に学べば、日本発の金融イノベーションも生まれるかもしれません。

By 川本裕子氏

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8


http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin

 
 
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