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引きこもれ

 投稿者:Legacy of Ashes の管理人  投稿日:2016年 3月 2日(水)18時32分48秒
  通報 返信・引用 編集済
  生活の質向上大臣を置いても日本はだめ

http://jp.reuters.com/article/nicestcity-idJPKCN0VX08S?rpc=188

音の後進国日本では引きこもりが一番。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1012.html

引きこもれ

「ひきこもり」というと一般的に否定的に思われがちだが、吉本はこの現象の積極的な面を自己体験から解き明かす。不登校から話を起こし、子供のいじめ、いじめによる死、大人のひきこもりについて、独特のリベラルな考え方で常識をくつがえしていく手法はいかにも吉本流である。
まず、著者は、自らひきこもりであったことを認めてしまう。それから、自分の少年期の経験に照らし合わせてみて、不登校の子供たちは異常なのではなく、教室に流れる「偽の厳粛さ」を見抜くほど、鋭い感覚の持ち主なのではないのかと思い当たる。

そんなふうに心の内側から光を当ててみると、大人が家にひとりでこもることもあながち悪いことではなくなってくる。コミュニケーション能力ばかりが重要視されすぎているせわしない現代社会で、「分断されない、ひとまとまりの時間」を自分のために持つには、いい機会ですらある。なぜなら「世の中の職業の大部分は、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のもの」ばかりだからだ。

随分とさっぱりした結論で、もの足りなくも思えるが、これが吉本流の切り口なのだろう。誰もが考えそうな当たり前のことを、的確に言語化するという凄みがここにはある。団塊の世代に圧倒的な支持を受け、それ以降の世代に吉本アレルギーさえ起こさせた独特の語りが、本書でも十分に味わえる。(金子 遊) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

内容(「BOOK」データベースより)

「一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。『分断されない、ひとまとまりの時間』をもつことが必要なのだとぼくは思います。一人でこもって過ごす時間こそが『価値』を生むからです」「『孤独』ということを、どこまで自分の中に呑み込んで、つきつめていけるか。その上で、どこまで風通しよく生きていけるか。それを目指していこう」“思想界の巨人”が普段着のことばで語る、もうひとつの社会とのかかわり方。

管理人注:そうすれば孤独の意味が分かってくるでしょう。孤独とは友達がいないとか寂しいとかそういうものではなく形而上学的な(精神的な)ものなのです。それには個を貫く強靭な精神力が必要になってきます。

関連記事:無頓着な雑音意識

http://www.vision-c.co.jp/vc_home/?p=915さまより

我が家には時折、真夜中に暴走族らしき車輌の騒音が聞こえて来ます。
住んでいる場所が新御堂に近いせいか、通常の騒音には慣れきってしまい、別段これといった感じではなくなりました。
住んでいる目の前が新御堂につながっている道路ですので、昼間でも窓を開けておくと日常生活にも支障がある程うるさいところなのです。
つまり、車の騒音と排気ガスに取り囲まれて生活している訳です。

慣れてしまうとは恐ろしいもので、そんな環境でも余り何も思わなくなってしまいましたが、それでも時折、何てうるさいのだろうと気になると、寝つきが悪くなったり腹立たしくなったりすることもあります。

ところで、日常生活の中での「音」というものには、心地よい音とそうではない音があります。
前者は、人の気持ちをリラックッさせ気分を落ち着かせ楽な気分にさせてくれますが、後者はこれはもう神経が高ぶり、気分が落ち着かないばかりか怒りに近い感情まで感じてしまいます。
更に後者には、慣れさせられてしまって何とも思わない音(雑音と私は称します)が、
私達の周りには何と多いことかと気付かされます。
少なくとも普段は、それほど何も感じないのですが、考え出すと騒音みたいで心地よい音ではなく雑音だと私は分類しています。

その雑音例を挙げてみます。
● 大型スーパーでの店内音楽
→客をゆったりさせないボリューム大きめの曲が間断なく流されている
● 同上での販促用エンドレステープ
→肉の唄、特売商品の案内、記念日の案内
● 大型家電ショップの店内音楽
→大音量の自社ソングの連呼、外国人向け販促文言
● 駅構内の過剰すぎる各種案内
→行き先の連呼、白線の内側までの連呼、痴漢やマナー高揚の車内放送
● 選挙期間中の街宣車
→候補者のボリューム一杯の連呼
● 公共の場所での子供の嬌声
→親がいても言うことを聞かない、人に迷惑を掛ける
● 電車内での音楽イヤホンや携帯電話のゲーム音
→音量は小さくても気になるのが車内環境
● 街頭での親切過ぎるキャッチセールの防犯連絡
→音も大きく何度も何度も同じで効果は疑問
● 銀行内での案内係の連呼
→いらっしゃいませ、有難うございました連呼のサービス

まあ、ざっと雑音だけでもこれ位は出て来ます。
このような音は明確な騒音でもなければ必要なのかも怪しい「雑音」だと思います。
海外と比較してみるほど渡航回数が少ない私ですが、それでも街中での生活雑音については思うことがあります。
シドニーとニューヨークで乗った電車や地下鉄では「列車案内」の構内放送の回数は必要最低限だけで、日本人には少ないなあと感じる(1,2回だけ)回数でした。
しかし、駅構内は静かで落ち着いており、日本の駅構内のようにザワザワしている感じがありません。
どこか人間中心の感じがしました。

更に、到着する電車の案内も短く行き先とホーム番号程度で、白線の内側までお下がり下さいとか、発車間際のかけこみ乗車や携帯電話マナーや痴漢防止を連呼することもありませんでした。

自己責任じゃないですが、海外では本人責任という印象を持ちました。
スーパーにも出かけたことがありますが、店内は静かで落ち着いていて、ゆっくりと買い物が出来ました。日本のようにどこか追い立てられているような店内放送や音楽はありませんでした。
また、空港内でも向こうの子供達は実に躾が見事で、日本の子供ように退屈してあちこち走り回ったり、何か飲みたいとか食べたいとかダダをこねたりは見ませんでした。
親の横に大人しくキチンと座っていました。
公共の場で、人様に平気で迷惑になるような日本の子供達と躾のされ方が違っていることは確かだと思います。
正に、訓練された愛犬のような公共マナーなのです。

公共マナーということでは、概してアジア諸国はレベルが高くないと思います。
エベレスト山の麓には、ゴミが一杯凍りついているそうですが、そのゴミの大半は日本や韓国の文字が入ったゴミだそうです。
ヨーロッパのゴミは少なく、持ち帰って行く人が殆どだそうです。
ここらあたりが人の見ていないところでの真のマナーレベルが表れていると思います。

日本でも道路に捨てられたタバコや中央分離帯のある幹線道路の信号付近には、弁当やコンビニの袋、或いはジュースの空き缶など、当たり前のように捨ててあります。
タバコと言えば近年、女性に顕著な悪い傾向が見られるようになりました。
男性の前でも、平気で大胆になって来ているようにも思います。
● 自転車に乗りながらくわえタバコのOL
● 歩きながら幼い子供の横で吸っている若い母親
● 信号待ちでタバコに火をつけるOL
● 道路に平気でタバコを捨てる中年オバサン
● 昼休みに一斉でプカプカやっているOL

今回の話の本題は「騒音」に関してですから話を戻しますが、この辺の話はみんな根本は関係していることだと思います。
それは損得優先の価値観が背景にあるのではないでしょうか?・・・

何か迷惑かけた? 関係ないでしょ? 自由だからいいじゃないの?・・・こんな感じです。
自分が楽になる、自分がやりたいことをやる、といった価値観の根底には他人様のことは優先度が低いのです。
ところが、公共マナーは他人様が優先される価値観です。
この点が正に、決定的に今の社会では大切にされていないのです。

全てがそうではないかも知れませんが、個人主義だの自由主義だのと言う割には、底の浅い主義のように思えて仕方がありません。
先ほど言いましたように、個人主義の最たる西洋諸国では公共マナーが高い確率で守られています。
ドイツなどはその典型だと思います。

私がシアトルに行った時、向こうでは住居用不動産は駅から遠くて、自然があって、何もなくて、静かな環境の方が、価値が高いとガイドさんが話していました。
日本では駅に近くて、周辺に買い物できるお店があって、便利だと高いでしょ?とも言われました。
結局、日本では周辺がうるさくても地の利が良ければ価値が高く、地の利が悪ければ安いのです。
シアトルでは、遠くても不便でも、静かで自然に恵まれている方が価値が高いのです。
不便と言っても、向こうは一週間に一度買い物をすれば済むような生活スタイルですので、それも言える訳です。

騒音問題は所謂、車や航空機の騒音問題とは違い、日常生活の中で気付きにくい騒音です。
「静かなスーパーがあっても。いいじゃないですか、自社ソングを連呼しない静かな大型家電量販店があっても」と、私は思います。
雑音の多い現代社会です。逆に、静かで落ち着いた環境を提供してもお客様に喜ばれるのではないでしょうか?
現に、具定例もあります。
タバコも原則は吸えない、音楽も全くしない、それでいてゆったりしている外国系コーヒーショップはその典型ではないでしょうか?

最後になりますが、改めて自分の周りの雑音や公共マナーをチェックしてみて下さい。
一人一人が少しでも改善してくれると、随分と世の中は快適になります。
そんな小さなことをこれから試してみませんか?

殺人的16分音符の6連符フレーズ

元記事:http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/15.html

駅の発車音

 ◆殺人的16分音符の6連符フレーズ

普通,駅の発車音など,気にすることもなく流されてしまっているが,改めて耳をそばだてみると,生活の中に様々な音が導入されていることがわかる。「導入の意図」の検討にまで遡る必要があるだろう。

『週刊朝日』(5月1日付)の,「中央線で自殺多発は駅音楽のせい!?」という記事はその後,他紙でも後追い記事が出て,すでにかなり詳しく報じられた。

「耳に入ってくる音楽はすべて頭のなかで音符に置き換わる」という作曲家の玉木宏樹さんが主張していることなのだが,玉木さんは駅の発車音を各駅で聞いて,その場で5線紙に書き取っていた。以下は,玉木さんからうかがった話の要約。

 ●中央線沿線住民よ,怒れ!

新宿と渋谷の出発音は,ちゃんとした作曲家が関与して作成されたものだけあって,玉木さんの耳にも,新鮮でここちよく響く。それは5度調弦のバイオリンのアルペジオのような動きをしているのだが,なかなか耳コピーができなかったユニークなものだ。

今では両駅のフレーズは空んじてはいるが,強力な楽器用フレーズで,うたってみろといってうたえるものではない。こういう個性あふれるサウンドロゴは両駅のステータスにもぴったりで,ああ,今,いちばん旬の街に来たのだなあという印象を抱かせるものだ。

恵比寿,目黒,五反田は,うるさい16分音符が暴れ回り,しかも変なところで変拍子が入るため,なんでも楽譜化して聴いてしまう習性の自分に対しても非常に腹立たしいフレーズで,特に五反田は突然半音上に移調する,これぞ音の暴力だ。

最もひどいのが新橋で,中央線をゆうに凌駕するほどの殺人的16分音符の6連符フレーズが「ソミレドレミソミレドレミラミレドレミラミレドレミ」と絶叫する様は,死の直前のショパンの顔を思い出してしまうほど悲惨!後日,新橋で下車し,下の公園を歩いていてもその暴力性は容赦なかった。

 これはショパン最後の三年間の曲ですが玉木さんはなぜ最後の顔を知っているのでしょう?さすが芸大ですね。

問題の中央線だが,東中野は4分音符で,「レミドソ レミドー」。ありふれているが,落ち着いていて,チャイムはこの程度のメロディでいいのだ。中野は,時間調整するために停車時間は長いのに,発車時間になってあの最悪の新橋状態が出現する。まさに「中央線,地獄の音楽攻めの入り口」である。

高円寺,阿佐ヶ谷は,トニックのコードがうるさくアルペジオをかき鳴らし始めたと思った途端にブッツと中絶される。非常に不快。あんな短時間しか鳴らさないのなら,絶対に音楽は必要ない。

荻窪は五反田と同じ「地獄型」で,西荻窪は高円寺状態で無神経極まりない。吉祥寺はかすかで判然としなかった。

中央線,地獄の音楽の集大成が完成するのが,三鷹,特急「かいじ」通過,武蔵境,小金井,国分寺,西国分寺,立川だ。

単なる注意喚起音でなく,大音響で表にしゃしゃり出で音符が自己主張を開始する。それも音楽の振りをして。

だれひとり,あの音の暴力を告発しないのか?中央線の住民よ,怒ってください。あれは精神にも体にも悪い音楽モドキなのだから。

 ●『純正律』を提唱する訳

いまは,ヒーリングミュージックと称して「体によい音楽」の押しつけが激しい一方,このような「体に悪い音楽」の追放がされていないなら,日本はますます荒涼とした神経症国家になってしまうだろう。

 オウム事件以来の意味不明な殺人の増加にもその兆候は出ているともいえる。

最近は「癒やしの音楽」という言葉が定着しつつあるが,日本のヒーリングミュージック界は,アルファ波が出るといえば雪崩を打って我も我もとなるし,「アダージョカラヤン」がヒットすれば,「アダージョ」なんて「ゆるやかに」という意味のイタリア語に過ぎないのに,なんでもかんでも「アダージョ」になってしまう。

いま,五感を通してのリラクセーションが盛んになりつつあるが,いちばん重要な音楽には,スキームとマテリアルが欠如しているので,日本のヒーリングミュージックには方法論が一切ない無政府状態である。重要なマテリアルとして,純正律を提唱したいのである。転載おわり。上の原文はここですがトップページは削除されています。



以下は国家と個人の品格より

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1030.html

国家の品格 その1

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060115hinkaku-1.htm

国家の品格 その2

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060116hinkaku-2.htm

国家の品格 その3

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060118hinkaku-3.htm

国家の品格 その4

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060121hinkaku-4.htm

国家の品格 その5

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060128hinkaku-5.htm

国家の品格 その6

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20060206hinkaku-6.htm

岡本太郎に学ぼう その1

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20070203tarouokamoto1.htm

岡本太郎に学ぼう その2

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20070203tarouokamoto2.htm

岡本太郎に学ぼう その3

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20070203tarouokamoto3.htm

岡本太郎に学ぼう その4

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20070203tarouokamoto4.htm

岡本太郎に学ぼう その5

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20070207tarouokamoto5.htm

どこかで書いてありましたね~藤原正彦お茶の水大教授は「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」と主張している。真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。』........

 
 
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