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戦後米国の情報戦・ウイロビーから岸信介まで

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年 3月19日(土)17時32分46秒
  通報 返信・引用 編集済
  われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろう。(シオン長老の議定書第2章)

http://members.jcom.home.ne.jp/katote/nenpo2010.htmより

関連記事;

自民党清和会の源流

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/406.html

ある日突然

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/15.html

ヒストリアン

http://historian.web.fc2.com/sengo1.html

Researching Japanese War Crimes Records~研究者向き英文PDF(731部隊資料あり)

http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/introductory-essays.pdf

ウラジミール。ブコフスキーインタビュー

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/931.html

(極秘のソヴェトの)文書によれば、1985-86年は、転換点となる年でした。私は、これらの文書の大部分をすでに出版しました。
http://www.junepress.com/coverpic.asp?BID=741.......消去

それは、インターネット上でも見ることができます。
http://psi.ece.jhu.edu/~kaplan/IRUSS/BUK/GBARC/buk.html

前ソ連反体制活動家が欧州連合の独裁制移行を警告(全文)

ソ連時代、反体制活動家として逮捕、強制収容所、精神病院などに12年間収容され、1992年にイギリスに亡命したヴラジミル・ブコフスキー氏のインタビューが「ブリュッセル・ジャーナル」に掲載されているので要約する。(tomi)
http://www.brusselsjournal.com/node/865

それとマーストリヒト条約の本質を知る必要がある

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/720.html

マッカーサーの告発

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3105

天皇の軍隊~長いですよ(コメントあり)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

フリーメーソンとは何か その3

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/243.html

アメリカ闇の勢力の中核FRB

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=133736

清原ばかりせめてはだめですよ

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2208

清原選手が陥った罠

http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12133404937.html

明治天皇??

http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-144.html

以下はタマちゃんかく語りぬ

*これらに対する用心がとても大事ですが、それを認識している人は少数派でしょうね・・・
・日本人の国民性にも問題が有るので、それを認識したうえで強固な意志を持っていないと難しいニャー!
・幕末に英国公使パークスは、「外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている」というのがあります....

欧米から見た日本その1でアーネスト・サトウはこう言っている。『日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。』と。見透かされていたのである。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/929.html

欧米から見た日本 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/229.html



もっと金をよこせ,と

http://money.cnn.com/2015/01/06/luxury/billionaire-divorce-check/index.html?iid=TL_Popular

人間失格にならないために

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/915.html

これが悪魔の顔

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/213.html

砂糖の中身は何~~んだ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/404.html

資本家の陰謀

https://www.youtube.com/watch?v=hy3tPen4saM&index=1&list=PLFD41D55B691CB1D9

『年報 日本現代史』第一五号(現代史料出版、二〇一〇年六月刊)

(これは『年報』原稿のウェブ版です。引用等は書物の最終版から行ってください)

戦後米国の情報戦と六〇年安保ウィロビーから岸信介まで

                        加藤哲郎(早稲田大学)
 一 はじめに

 日本現代史は、グローバルな現代史の一齣である。それが地球上のどの範囲にあり、いつから始まるかは、「現在」からの後付けにすぎない。この国では一九四五年から始まるようだが、沖縄群島に住む人々にとってはどうなのか。筆者が欧米日本研究者と交流し、インド、メキシコ、中国などで日本に関心を持つ学生・大学院生に講義をしてきた経験からすると、世界で日本に関心を持つ人々が最初に読むことの多い英語のスタンダード・テキストは、一九五二年以降を「戦後及び現代の日本」として扱う[1]。それは、外国人が読むものだからと、無視していいのだろうか。

 本稿では、「戦後」は一応一九四五年以降とするが、第二次世界戦争から連合国による日本列島占領、朝鮮戦争、日米安保条約締結・改定を、一続きのものとして扱う。一九六〇年代までの日本を、第二次世界戦争に発する米国とソ連の世界支配戦略を基軸とした世界現代史、いわゆる冷戦史の一部として位置づける。

 ただし冷戦史は、学術的にはようやく本格的研究が可能になった、新しい領域である。通常冷戦は、第二次世界大戦における戦勝国内部におけるアメリカ合衆国とソビエト連邦の間の、またアメリカを中心とする西側資本主義体制とソ連を中心とする東側社会主義体制との間の、経済・政治・社会システムとその正統性をめぐるイデオロギー対立の時代とみなされている。そこでは、世界的規模での情報戦が展開されていた。核兵器を使用する世界戦争にはならなくても、朝鮮半島・ベトナム・アフガニスタンなどで局地的熱戦があり、その支持調達のための情報戦・言説戦は続いていた。

 ここでは、日本列島を一舞台とした、情報戦の世界史を見る。日本史という領域が、インターネットによるグローバル・コミュニケーションとデジタル資料公開の時代に入ったにもかかわらず、日本語文書資料による日本国籍取得者の世界に閉じられている状況に鑑み、敢えて日英両語混交の表記形式を採る。筆者自身の現在の研究が、アントニオ・グラムシのヘゲモニー論、「機動戦から陣地戦へ」テーゼに示唆を受けた「二〇世紀陣地戦・組織戦から二一世紀情報戦・言説戦へ」という情報ネットワーク政治・ソフトパワー研究であることから、本誌の読者には馴染みがないかもしれないが、インターネット情報を多用する[2]。

 本特集は「六〇年安保の再検討」とのことであるが、その政治過程を直接に論じることはしない。日米安保条約とその改定をめぐる歴史を世界冷戦史の一環として解明するための前提として、その情報戦についての資料公開状況を概観し、何が明らかになりつつあるか、何がなお隠されているかを、主として米国国立公文書館(NARA)におけるナチス・日本帝国戦争犯罪記録の機密解除から読み解き、今後の本格的研究への序説とする。

 それは、主として筆者の準備状況によるが、以下に述べるように、二〇〇七年までに機密解除された米国中央情報局(CIA)、陸軍情報部(MIS)などの新資料は、あまりに膨大であるため、その全面的解読は断念し、それらの資料を本格的に解読・分析すれば見えてくるであろう「再検討」への道筋を示すこととした。これは、筆者がかつて旧ソ連解体によって閲覧可能になった秘密資料を解読・分析してきた経験によるもので[3]、一つの資料を読み解くためには別の資料とのクロスが必要になり、新聞等で報道される新事実があっても、その歴史的意味づけには、資料そのものの性格づけや周辺資料の批判的読み込みが不可欠であるという、第一次資料解読の方法・手続きを重視するためである。

 二 米国国立公文書館ナチス・日本帝国戦争犯罪記録機密解除の意義

 二〇〇七年一月一二日、米国国立公文書館(NARA)は、「日本の戦争犯罪記録研究のために一〇万ページを機密解除」として、以下の記者発表を行った。

 ナチス戦争犯罪記録及び日本帝国政府記録省庁間作業部会(IWG)は、日本の戦争犯罪に関連するファイルを精査した結果として、一〇万ページの最近機密解除された記録を利用可能にすると発表した。それに加えて、IWGは、Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essaysという参考文献、electronic records finding aidという研究者が太平洋戦争に関して国立公文書館の数千の新たな拡張されたファイルを探し利用するためのガイドを発表した[4]。

 これは、帝国日本についての記録の記者発表であるが、文中にあるように、もともとナチスの戦争犯罪記録公開に準じて行われたものである。この経緯を、日本のドイツ現代史研究者清水正義は、自身のウェブサイトで詳しく説明している。

 アメリカ議会は一九九八年一〇月八日にナチ戦争犯罪情報公開法(Nazi War Crimes Disclosure Act)(以下、ナチ情報公開法と略す)を、次いで二〇〇〇年一二月二七日に日本帝国政府情報公開法(Japanese Imperial Government Disclosure Act)を制定した。前者はナチ戦争犯罪に関して合衆国政府機関が保管する機密扱い記録の機密解除と公開を、同様に後者は戦前日本政府・軍の戦争犯罪に関する機密扱い記録の機密解除と公開を主旨としたものである。両者はほぼ同一内容であり、後者は前者の執行過程で前者を補完するものとして制定された。……ナチ情報公開法は、アメリカ政府機関が所有するナチ関係記録で現在なお機密扱いされているものについて、なるべく広範に機密解除をするべくしかるべき機関が三年間の期間限定で記録調査、目録作成、機密解除指定等を行うことを定めている。すなわち、同法によれば、

 一、法発効後九〇日以内に関連機関を横断する機関「ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会(Nazi War Criminal Records Interagency Working Group)」(以下「省庁間部会[IWG]」と略)を設立し、

   二、省庁間部会は一年以内に次の任務を行う。

 (1) 合衆国のすべての機密扱いされたナチ戦争犯罪人記録を探索し、確認し、目録を作成し、機密解除を勧告し、そして国立公文書館記録管理局で公衆が利用できるようにし、

   (2) 各省庁と協力し、これらの記録の公開を促進するのに必要な行動をとり、そして

 (3) これら記録のすべて、これら記録の処理、及び本セクションに基づく省庁間部会と各省庁の活動を記した報告書を、上院司法委員会及び下院政府改革監視委員会を含む議会に提出する。

 三、ナチ戦争犯罪人記録は原則として公開され、公開しない場合の例外事由について詳細に規定される。例外事由を要約的に列挙すれば、

 (A)個人のプライバシーを不当に侵すもの

 (B)国家安全保障上の利害を損なうような情報源、情報手段を暴露するもの

 (C)大量破壊兵器の情報を暴露するもの

 (D)暗号システムを損なう情報を暴露するもの

 (E)兵器テクノロジーの情報を暴露するもの

 (F)現行の軍事戦争計画を暴露するもの

 (G)外交活動を弱体化させるような情報を暴露するもの

 (H)大統領その他の保護に当たる政府官吏の能力を損なうような情報を暴露するもの

 (I)現行の国家安全保障非常事態準備計画を損なう情報を暴露するもの

 (J)条約または国際協定に違反するもの

である。機密解除の例外となるこれらの事由はきわめて個別的具体的であり、記録を公開しないという判断は、それが上記(A)から(J)までの事由のいずれかにおいて「有害であると省庁の長が決定した場合にのみ許され」、しかも「かかる決定を行った省庁の長官は、上院司法委員会と下院政府改革監視委員会を含む適切な管轄権を備えた議会の委員会に、直ちにそれを報告するもの」とされている[5]。

 清水は、ナチス戦犯記録機密解除・公開について、「戦後アメリカはナチ戦犯の相当数の入国を意図的か否かを問わず事実上許容してきた」「今回の記録公開によりアメリカの知られざるナチ戦犯容認政策の実態が暴露される可能性がある」という観点から注目した。その意義として、「アメリカは戦後の対ソ政策上、旧ナチ軍事・諜報・科学技術専門家を必要とした」ことを、資料により検証できる重要性を挙げている。

 実際、今回の資料公開には、元ナチ科学者で戦後アメリカでは「ロケット開発の父」と呼ばれるヴェルナー・フォン・ブラウンの軍事利用、陸軍G2(諜報部)によるソ連軍の組織、装備、戦略、戦闘能力などを探るためのラインハルト・ゲーレン将軍(Reinhard Gehlen,元参謀本部東部外国軍課長 )の「ゲーレン機関」創設、その下でのナチス親衛隊「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビーの登用等の資料が含まれている[6]。

 実は、今回の日本帝国戦犯記録の機密解除で、アメリカ側からスポットを当てられているのも、旧日本軍部と戦後アメリカ占領軍との秘密の関係である。ナチスのブラウン博士にあたるのが、日本陸軍七三一部隊で細菌戦人体実験を行った石井四郎、ゲーレン機関に相当するのが、戦犯訴追を免かれGHQ・G2ウィロビー将軍の反共工作に用いられた有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎、辻政信ら日本の旧参謀本部情報将校、ゲーレン機関で有能なエージェントになるクラウス・バルビーに相当するのが児玉誉志夫、笹川良一ら反共右翼、という役回りである。

 そのため、IWG資料では、ナチス関係と日本帝国関係とは区別されておらず、索引も一つで、一緒に整理されている。ナチス関係が圧倒的な一二〇万ページの記録・資料の中に、日本関係の約一〇万ページが点在している。このことは同時に、アメリカのヨーロッパ政策とアジア政策が一対で了解できる、冷戦史研究上のメリットでもある。これらについてはすでに、英語版wikipedia で立項され、概略が説明されている[7]。

三 日本におけるこれまでのマスコミ報道

(1) 石井四郎と七三一部隊の細菌戦

 日本のマスコミがいち早く注目したのは、占領権力と非訴追旧軍幹部の結びつきであった。NARAの報道発表直後に報じられたのは、石井四郎の七三一部隊についての新情報で、それは Select Documents on Japanese Warcrimes and  Japanese Biological Warfare, 1934-2006として特別公開されており、資料そのものが、ウェブ上の画像としてダウンロードできる。

 旧日本軍の「細菌戦研究」究明 米、機密文書一〇万ページ公開(サンケイ新聞二〇〇七年一月一九日)

 米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書一〇万ページ分を公開した。文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む七三一部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を一九四七年(昭和二二年)六月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。

 今月一二日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の九九年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。

 IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。

 情報の一部は三四年(昭和九年)にまでさかのぼるが、終戦の四五年(同二〇年)前後四年分が大半を占めている。文書内容の大半は七三一部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、三七年一二月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている[8]。

 ただし、上記サンケイ記事中、「文書内容の大半は七三一部隊など細菌戦研究に関する内容」というのは、現物をよくみないで書いた、新聞報道によくある誤報である。米国側の資料整理を担当した学者・Archivistによる資料紹介である Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essaysでは、確かに細菌戦問題も重要な論点とされているが、巻頭Daqing Yang論文では南京事件についての軍医Hosaka Akiraの日記証言が使われているのを始め、細菌戦以外の多くの主題が含まれている。新聞報道の多くは、IWGの二三〇ページに及ぶIntroductory Essaysの巻末Michael Peterson論文で要領よく整理されている事実の焼き直しであり、機密解除記録そのものにじっくり取り組んだ形跡はみられない。事実、「『日本の戦争犯罪』を立証する視点」が唱われているにもかかわらず、その解説文では重視されていないがゆえに、従軍慰安婦問題や昭和天皇についての第一次資料にあたっての探索・報道は行われていない[9]。

(2)G2ウィロビーに使われた旧軍情報将校の「新日本軍」「地下日本政府」計画

いまひとつ、マスコミに注目されたのは、同じくIntroductory Essaysで扱われた、GHQ・G2ウィロビー将軍の庇護のもとで戦犯訴追を免かれ、マッカーサー戦史作成の名目で[10]反共諜報活動に使われた有末精三、服部卓四郎、河辺虎四郎らによる、「新日本軍」「地下日本政府」の陰謀計画である。この点は、NARAの報道発表以前に、共同通信がスクープし、後に時事通信も追いかけた[11]。情報戦の観点から見ると、こうした機密解除資料発表の仕方、それに対するメディアや学界の反応・対応も、重要な論点になりうる。

 幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案 (共同通信二〇〇六年八月二〇日)

 旧日本軍幹部が太平洋戦争後の一九五〇年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが二〇日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。

 戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など三部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。?

 文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。河辺氏の経歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の五〇年二月ごろ(1)毒ガス隊(2)機関銃隊(3)戦車隊からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。五一年に入ると宇垣氏を「最高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。

 「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつくったグループを指すとみられる。しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の五〇年七月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官の復権は実現しなかった[12]。

 この「河辺機関」については、詳しい解説[13]と、国内外情報収集のための「タケマツ作戦[14]」及びその失敗[15]についても報道されている。

(3) 正力松太郎、吉田茂、辰巳栄一とCIA

 後述するように、IWG資料中でも特に注目されたのは、CIAの個人ファイル公開であった。そのうち「正力松太郎ファイル」を、正力のCIAコードネームがPODAMであることをつきとめ、いち早く解読した早稲田大学の有馬哲夫は、『日本テレビとCIA  発掘された「正力ファイル」』 (新潮社、二〇〇六年)を皮切りに、『原発、正力、CIA』 (新潮新書、二〇〇八年)、『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、二〇〇九年)を発表した。その延長上で、『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、二〇〇九年)にも研究を広げ、他のファイルとのクロスから、以下のように吉田茂の軍事顧問辰巳栄一とCIAの関係をも見出した。

吉田茂側近「辰巳中将」がCIAに情報提供?(共同通信二〇〇九年一〇月三日)

 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(一八九五ー一九八八年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を三日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

  CIAの辰巳氏に関するファイル(五二ー五七年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、五〇年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。??

 CIAは五六年一一月二六日付文書で「CIAが使う上でおそらく最高で、最も安全で、最も信頼できる人物の一人」と辰巳氏を評価していた。有馬教授は「表舞台の外交で米国特使、国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスが日本に再軍備を迫り、舞台裏で弟のアレン・ダレスがCIA副長官、長官としてその下工作をするというダレス兄弟の連携の実態が、今回の発見で明らかになった」と話している[16]。

(4) 緒方竹虎を吉田後継首班とするCIA工作とその挫折

 トータルで一二〇万ページ、日本関係だけで一〇万ページが新たに機密解除されたから、さまざまな資料が入っている。筆者自身は、二〇〇九年夏、早稲田大学で行なわれた二〇世紀メディア研究所公開研究会で、山本武利・吉田則昭との共同研究にもとづき、「吉田茂のあとに緒方竹虎を首相にすれば米国の利害で日本を動かすことができる」として米中央情報局(CIA)が対日政治工作を行なっていた事実を、CIA「緒方竹虎ファイル」から解読し、緒方のコードネームPOCAPONと「ポカポン工作」の全容を含めて報告した。

 それは、毎日新聞二〇〇九年七月二六日朝刊で「CIA 緒方竹虎を通じ政治工作、五〇年代の米公文書分析」という一面トップ記事に取り上げられ、英文でも紹介された。筆者のホームページ「ネチズンカレッジ」にも、関連資料を含めて公開したため、世界中からさまざまな問い合わせと関連情報提供がある[17]。

CIA、緒方竹虎を通じ政治工作 五〇年代の米公文書分析(毎日新聞二〇〇九年七月二六日)

 一九五五年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が二五日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。

 山本武利早稲田大教授(メディア史)と加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)、吉田則昭立教大兼任講師(メディア史)が、〇五年に機密解除された米公文書館の緒方ファイル全五冊約一〇〇〇ページを、約一年かけて分析した。内容は緒方が第四次吉田内閣に入閣した五二年から、自由党と民主党との保守合同後に急死した五六年までを中心に、緒方個人に関する情報やCIA、米国務省の接触記録など。

 それによると、日本が独立するにあたり、GHQ(連合国軍総司令部)はCIAに情報活動を引き継いだ。米側は五二年一二月二七日、吉田茂首相や緒方副総理と面談し、日本側の担当機関を置くよう要請。政府情報機関「内閣調査室」を創設した緒方は日本版CIA構想を提案した。日本版CIAは外務省の抵抗や世論の反対で頓挫するが、CIAは緒方を高く評価するようになっていった。吉田首相の後継者と目されていた緒方は、自由党総裁に就任。二大政党論者で、他に先駆け「緒方構想」として保守合同を提唱し、「自由民主党結成の暁は初代総裁に」との呼び声も高かった。

 当時、日本民主党の鳩山一郎首相は、ソ連との国交回復に意欲的だった。ソ連が左右両派社会党の統一を後押ししていると見たCIAは、保守勢力の統合を急務と考え、鳩山の後継候補に緒方を期待。五五年には「POCAPON(ポカポン)」の暗号名を付け緒方の地方遊説にCIA工作員が同行するなど、政治工作を本格化させた。同年一〇ー一二月にはほぼ毎週接触する「オペレーション・ポカポン」(緒方作戦)を実行。「反ソ・反鳩山」の旗頭として、首相の座に押し上げようとした。緒方は情報源としても信頼され、提供された日本政府・政界の情報は、アレン・ダレスCIA長官(当時)に直接報告された。緒方も五五年二月の衆院選直前、ダレスに選挙情勢について「心配しないでほしい」と伝えるよう要請。翌日、CIA担当者に「総理大臣になったら、一年後に保守絶対多数の土台を作る。必要なら選挙法改正も行う」と語っていた。

 だが、自民党は四人の総裁代行委員制で発足し、緒方は総裁になれず二カ月後急死。CIAは「日本及び米国政府の双方にとって実に不運だ」と報告した。ダレスが遺族に弔電を打った記録もある。結局、さらに二カ月後、鳩山が初代総裁に就任。CIAは緒方の後の政治工作対象を、賀屋興宣(かやおきのり)氏(後の法相)や岸信介幹事長(当時)に切り替えていく。加藤教授は「冷戦下の日米外交を裏付ける貴重な資料だ。当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない」と話している[18]。

 学術的にも、日本国際政治学会『国際政治』第一五一号特集「吉田路線の再検証」(二〇〇八年)など、これら新資料を用いた研究が現れてきている[19]。

 四 CIAとMISの個人ファイルから見える戦後米国の情報戦

(1)個人ファイル、問題別ファイル、ビジネス・ファイル

  今回機密解除・公開されたIWG資料で目玉とされているのは、CIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、MIS(陸軍情報部)などのName File(個人ファイル)である。そのほかに、各政府機関毎のSubject File(主題別ファイル)があり、二〇〇八年八月には、CIAの前身であるOSS(戦時情報局)についてのBusiness File(Official Personal File)も公開された。これらについて、ひとまず公開状況を概観しておこう。これらはインターネット上の米国国立公文書館オフィシャル・サイトで、ファイル名・個人名・資料番号まで公開されている。だから、日本関係一〇万ページの機密解除資料にどういうものがあるかは、 NARAホームページの資料リスト・索引で、日本にいても知ることができる。ただしファイル現物の閲覧は、ワシントンDC近郊のNARA別館でのみ可能である。

   その第一は、個人ファイルである。ネーム・ファイルName Fileと言って、CIA、MIS(米国陸軍情報部)、FBI(連邦捜査局)関係の人名ごとにファイルに分類され、その人物に関する情報・資料がまとまった形で保存されている。人物によっては膨大で、筆者らの研究チームは、CIA「緒方竹虎ファイル」全五冊一〇〇〇頁の分析と裏付け調査に、約一年をかけた。本稿で扱うのは、主としてこのジャンルのファイルである。

 第二は、サブジェクト・ファイルSubject File、すなわち問題別ファイルである。日本の中国大陸における諜報活動とか、欧米での情報戦とか、テーマに即してまとまったファイルが、CIAだけでも二百冊以上ある。ただし、マスコミからの照会の多い、占領期日本の三大事件(下山事件、三鷹事件、松川事件)等とG2キャノン機関やCIAの関連を示唆する謀略の資料は、個人ファイル類を含め、今のところ見つかっていない。

 第三に、ビジネス・ファイルと呼ぶべきファイル群がある。まとまったかたちでは、ナチス・日本帝国戦犯記録とは別に、二〇〇八年八月に公開された、CIAの前身OSS(米戦略情報局)のOSS Official Personalファイル(RG226)三万五〇〇〇人分七五万頁で、OSSに勤務した人々の雇用契約、契約時の履歴書、勤務地と職務内容、給与・昇給・昇進、転勤・退職等の記録が、収録されている。このほか、CIAやMIS のファイルでも、履歴書や居住・家族情報等が綴じ込まれている場合が通例である。

 筆者が一番注目しているのは、このビジネス・ファイル群で、OSSの場合には、W・W・ロストウやアーサー・シュレジンジャーら戦時米国における学者・研究者の戦争動員の記録が入っている。当時のハーバード大学歴史学部長ウィリアム・ランガーが人材集めの中心で、歴史学、人類学、社会学、経済学、政治学、法学、心理学、言語学、地理学等々の全米最高の頭脳が集められ、「敵国」ドイツ・日本の分析にあたっていた。しかもそこには、ポール・スウィージー、ポール・バランのようなマルクス主義者まで入っていて、ファシズムに勝利し世界中に「民主主義国家」を再建するための、米国の戦略的な調査と研究が行なわれた。いわば、自然科学における原子爆弾開発に相当する、人文・社会科学版「マンハッタン計画」が戦時中に組織されており、OSS Official Personalファイルは、その調査分析部R&Aの全容を解明するための、基礎資料となる。戦後日本の民主化・非軍事化政策との関わりでは、ジョー小出(鵜飼宣道)、藤井周而、石垣綾子、坂井米夫ら当時の在米日本人左翼でOSSに協力した人々のファイルが入っているが、この点については別途筆者の著書・論文で追跡しているので、本稿では省略する[20]。

 全体のファイルは、米国国立公文書館の機密解除の通例にならって、史資料を所管していた政府機関別に分類されている。

IWGナチス・日本帝国戦争犯罪記録については、

国務省Department of State(記録群Record Group 59)、

外国郵便局Foreign Service Posts (RG84)、

連邦捜査局FBI(RG65) ,

海外資産局Office of Alien Property (RG131) 、

戦略情報局OSS (RG226) 、

ロバート委員会(The Roberts Commission 、Records of the American Commission for the Protection and Salvage of Artistic and Historic Monuments in War Areas, RG 239)、

中央情報局CIA (RG 263) 、

陸軍 Army(RG319、Army Intelligence and Security Command (INSCOM)プラスRecords of the Investigative Records Repository (IRR)、

Records of the Office of the Secretary of Defense (RG 330)

Records of the United States Army Commands (RG 338)、

U.S. Army Forces in the China-Burma-India Theaters of Operation (RG 493)

 National Archives Collection of Foreign Records Seized (RG 242)、

等に分類されて整理されている。

 海軍情報部(ONI)や国家安全保障局(NSA)はここにはないが、個々のファイルには別の政府機関がもともと作成・収集した資料が入っている場合もある。それぞれの内部分類もウェブ上でカタログ化されているから、おおまかな概要は、ウェブ上で知ることができる。ただし現物をNARA別館 で見てみると、個人ファイルでも貴重な情報が満載されている場合もあれば、履歴書一枚だけという場合もある。

 以下にまず、個人ファイルの公開状況を、日本関係を中心に概観する。

・ 連邦捜査局FBI個人ファイル(RG65)

 FBIは、連邦レベルでの警察組織であるが、ドイツ人・日本人に限らず、戦前・戦時・戦後のアメリカ合衆国の出入国を、移民局と共に管理していた。また、中南米での情報収集活動もFBIのテリトリーであった。日本人関係では、一九三〇年代カルフォルニアの日系左派の新聞『同胞』編集長藤井周而の記録や、米国に入ったキリスト教社会運動家賀川豊彦の関係資料が豊富に入っている。ドイツ人・日本人出入国記録などは、この記録群から探索できる。

・ 中央情報局CIA個人ファイル(RG263)

 今回の機密解除で世界から最も注目されているもので、第一次と第二次の二回に分けてリリースされた。ナチス・ドイツ関係と日本帝国関係は区別されておらず、索引はアルファベット順、ボックスは独日一括で作られている。だから、アドルフ・ヒトラーHitlerの直前に、昭和天皇裕仁Hirohitoや東久邇稔彦Higashikuniの個人ファイルが入っている。ただし、昭和天皇裕仁や岸信介のファイルを見ると、「戦争犯罪記録」といいながら、戦争責任や東京裁判に関する資料はほとんどなく、未だに重要部分は非公開のままであると推定できる[21]。

  CIA Name File の第一次公開は七八八人とされるが、アルファベット順で検索できる圧倒的多数は、ドイツ人名である。わずかに日本人名と特定できるのは、土肥原賢二、今村均、石井四郎、大川周明の四人各一冊計四冊である。

  第二次公開は約一一〇〇人であるが、そこから日本人らしい名前を抽出すると、秋山浩、有末精三、麻生達男、福見秀雄、五島慶太、服部卓四郎二冊,東久邇稔彦、昭和天皇裕仁、今村均、石井四郎、遠藤三郎、賀屋興宣、岸信介、児玉誉士夫二冊,小宮義孝、久原房之助、前田稔、野村吉三郎、緒方竹虎五冊、大川周明、小野寺信二冊,笹川良一、重光葵、下村定、正力松太郎三冊、辰巳栄一、辻政信三冊,河辺虎四郎、和知鷹二、和智恒蔵の名が見出される。筆者の概観では、一・二次合計で三一人四五冊分となる[22]。

 多くは戦犯ないしその容疑者だが、東京(極東軍事)裁判の戦犯容疑者約一〇〇人中では、一二人(上記網掛け分)しか重ならない。つまり、CIAの個人資料収集基準は、占領改革期の戦争犯罪追及=民主化・非軍事化の原理とは、全く異なっている。

  むしろ、七三一部隊長石井四郎に典型的なように、戦犯訴追を免かれた旧軍人が多い。有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎らGHQ・G2歴史課等に協力して訴追を逃れた人々が入っている。

 上海自然科学研究所の小宮義孝は、七三一部隊の石井四郎・秋山浩・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑われたのであろうが、もともと小宮は治安維持法で検挙され東大医学部助手から上海へ左遷された左翼である。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除されたCIA個人ファイルには、左翼関係者は入っていない。

 しかしこれは、CIAが日本の左翼を無視し、監視・工作をしていなかったことを意味しない。左翼系ファイルは、今回公開分には入っていないが、なお「極秘」「秘密」の扱いを受けている可能性も残されている。

 このことは、ナチス戦犯記録のCIAドイツ人ファイルと比較すると、理解できる。膨大なドイツ人関係CIA個人ファイルの中で、第一次・第二次をあわせ最も冊数が多いのは、クラウス・バルビー一一冊(第一次七冊、第二次四冊)で、ラインハルト・ゲーレン一〇冊(第一次三冊、第二次七冊)、アドルフ・ヒトラー七冊(第一次三冊、第二次四冊)の順である。ゲーレン、バルビーは、ナチス・ドイツの高官で明らかな戦争犯罪人であったが、ドイツの敗戦後、アメリカ占領軍・NATO軍に協力し、CIAともつながった戦後米国への情報提供者である。

 日本人ファイルの中で冊数が多いのは、緒方竹虎五冊を筆頭に、正力松太郎、辻政信が三冊、今村均、大川周明、服部卓四郎、児玉誉志夫、小野寺信が二冊であるから、さしあたり、彼らの戦後CIAとの関係が、ある程度推定できる。

 ドイツ、日本とも、ニュルンベルグ裁判・東京裁判の戦犯容疑者名簿とは異なる原理でCIAから注目され、個人資料がファイルされていたことがわかる。端的に言えば、戦後冷戦開始時に、アメリカ合衆国の反共諜報活動に関わった人々が、多く含まれている。

・ 米国陸軍情報部MIS(Army Staff)の個人ファイル(RG319)

 これは、索引で数万人に及ぶ、膨大なものである。NARAでの閲覧請求の際はIPR(Records of the Investigative Records Repository)の資料番号を用いる。

 CIAの場合と同様な手法で、アルファベット順索引から日本人らしい名前を抽出すると、約二五〇〇人分になる。昭和天皇裕仁、近衛文麿・東久邇稔彦ら皇室関係者、吉田茂・岸信介・中曽根康弘・大平正芳ら首相経験者が入っている。しかしなぜか、鳩山一郎・石橋湛山、池田勇人、佐藤栄作のファイルはリストにはない。児玉誉士夫・笹川良一・里見甫ら右翼、有末精三・今村均・辻政信ら旧軍人、浅沼稲次郎・野坂参三・徳田球一・中野重治ら左派有力者が監視され記録されている。筆者がある程度系統的に解読したのは、尾崎秀実、川合貞吉、宮西義雄、木元伝一、堀江邑一、E.Ottら、ゾルゲ事件関係者のファイルである。

 ただし、筆者が名前を推定できたのは、二五〇〇人中百人余にすぎない。圧倒的多数は無名の人々で、サンプルチェックの限りでは、シベリア抑留者、中国引揚者などが多い。

(2) CIA個人ファイルの概要ーーGHQ・G2への批判的態度

 CIAの個々の個人ファイルの内容に立ち入ると、その分量、扱う時期、信頼性、資料的価値は、ばらばらである。ただし、筆者はこれら個人ファイルをようやく収集・複写しえた段階で、本格的解読・分析はこれからである。以下に、筆者が瞥見した限りでのファイルについて、大まかなコメントを、順不同で付す。

・      石井四郎、秋山浩、福見秀雄ファイルなど石井部隊関係者の個人ファイルは、別に公開された七三一部隊関係の特別ファイルと合わせ、米国側所蔵資料のほぼ全容がわかる[23]。

・ CIA個人ファイル中で、おそらく政治史的に最も充実し、分量的にも豊富なのは、有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎、辻政信らの、朝鮮戦争勃発・警察予備隊発足・サンフランシスコ講和時の「地下日本政府」による吉田茂暗殺クーデタ計画、第三次世界大戦誘発による再軍備、新日本軍創設、宇垣内閣構想など、旧軍人関係ファイルである。「服部卓四郎ファイル」中に綴じ込まれた約七〇頁の「The J.I.S.[Japanese Intelligence Service] and Japanese National Revival : Present and Future」という戦後日本諜報史が、そのまとまった概観になっている。

    旧軍人のうち、吉田茂の軍事顧問であった辰巳栄一のファイルには、有馬教授が指摘したようにPOLESTERのコードネームが出てくる。ただし彼らのファイルに出てくるもので最初のPO(CIAの日本に対する暗号コード名)を付したCIA初期の最重要エージェントと思われるPOPOVが誰であるかは、筆者にはなお不明である[24]。

 ただし、CIA(暗号名KUBARK)の報告中では、主としてGHQ・G2のウィロビーによって戦犯容疑を免責され、マッカーサー期の日本政治の裏舞台で活動し、第三次世界大戦を誘発しようとしたり、再軍備を旧陸軍主導で進めようとした旧情報将校グループに対して、総じて批判的コメントが付されている。マッカーサーの嫌ったCIAは、マッカーサー、ウィロビー傘下のGHQ・G2の諜報活動のあり方を、いかがわしい旧軍人国家主義者を使った謀略型情報戦と見抜き、ワシントンのアレン・ダレス(暗号名ASCHAM)らは、より米国の世界戦略に沿った「近代的」情報組織に組み替えようとしたように見える。

・ 旧軍人と密接につながってCIA個人ファイルに出てくるのは、児玉誉士夫、笹川良一ら右翼の流れで、CIAの分析は、実務的であるが批判的である。一部新聞が報じたように、一九五三年九月一〇日の児玉ファイルには、彼の情報は信頼できず「金に汚いウソつき、ギャング」だというCIAの内部報告がある[25]。ただし、児玉の記録はその後も続き、一九六〇年前後には重要情報提供者として再び登場する。この再浮上の経緯の解明には、他のファイルとのクロス、他機関特に後述MISファイルとの照合が不可欠である。

 筆者のさしあたりの仮説では、いったんウィロビー支配下の旧軍人・右翼を切り離し、緒方竹虎・正力松太郎らの政治情報に頼ろうとしたCIAが、緒方の死と日本版CIA計画(内閣調査室の拡充・改組)の挫折で計画変更を余儀なくされ、賀屋興宣・岸信介らにシフトすることによって、再び児玉誉士夫ら右翼と旧軍特務機関出身の職業的諜報プロに依拠せざるをえなくなったのではないかと思われる。

 なお、「児玉誉士夫ファイル」と「笹川良一ファイル」を用いて、ドイツの国営テレビは、二〇〇八年に「児玉機関と笹川良一」についての特集番組を作成した。その内容の一部は、you tubeに掲載・収録されて、日本からでも画像で見ることができる[26]。

・  政治家のCIA個人ファイル中、緒方竹虎ファイル五冊と正力松太郎ファイル三冊は、特別の意味を持つ。「緒方竹虎ファイル」全五冊には、緒方=POCAPONを吉田茂の後継首相にするためのCIAによる一九五五年保守合同期の工作が詳細に出てくる。ただしこのポカポン工作は、五六年一月緒方の急死で挫折する。先に紹介した「CIA 緒方竹虎を通し政治工作  五〇年代の米公文書分析」という『毎日新聞』二〇〇九年七月二六日朝刊一面トップ記事は、筆者を含む解読チームの研究会報告をまとめたものであるが、これについては、日本版CIA設立計画と共に別書で詳述する予定なので、ここでは省略する。

 また「正力松太郎ファイル」は、コードネームPODAM の正力が、日本テレビ開局、読売新聞紙上での原子力平和利用の効用を説くAtoms for Peaceキャンペーンなどマスコミ工作が豊富に読みとれるが、これらについては、先述有馬哲夫による一連の分析・解読が進行中である[27]。

  注目度の高いCIAの「岸信介ファイル」は、期待はずれで、首相就任後の新聞記事など既発表資料のみである。むしろ後述MISの岸信介ファイルの方が、資料的価値は高い。

 A級戦犯で岸信介の盟友であった「賀屋興宣ファイル」には、緒方竹虎の死後CIAが後継情報源としようとした形跡がみられ、賀屋自身のアレン・ダレス宛手紙現物も入っている。CIA内部用の賀屋履歴書には、POSONNET-1というコードネームが付されていて、賀屋がエージェントであったことが確認できる。

・ 「裕仁ファイル」 から、昭和天皇も戦後ずっとCIAの監視対象になりファイリングされていたことが確認できる。ただし、分量は二〇ページ足らずで、語学力や食事の嗜好、生物学研究など私生活の一般的記述に留まり、資料的意義は乏しい。わずかに資料の日付が一九七五年訪米時など日米「皇室外交」に関わる時期に集中していることから、アメリカ側の象徴天皇制への関心の有り様がうかがわれる。戦中・戦後占領期の資料はなく、「戦犯記録」としての価値はない。これは、上述「岸信介ファイル」と共に、二次の機密解除によってもなお、CIAの持つ「国家安全保障上の利害を損なうような情報」は非公開であることを示唆している。

  このことは、「裕仁Hirohitoファイル」と同時に公開され、ボックスも近いCIAの「ヒットラーHitlerファイル」と併せ読むとよくわかる。ナチスの総統であったヒトラーについてのCIAファイルは非常に充実しており、演説・宣伝手法から食事や性的嗜好まで、膨大な伝記的・心理学的分析が収録されて、アメリカが「なぜドイツ人はヒトラーに従ったか」に関心を持ち、それを人文・社会科学の最新知見で分析し、対独戦戦略と戦後ドイツ占領政策に活かしていったかが、よくわかる内容となっている。

・ 旧軍人や戦犯容疑者の多いCIA日本人ファイルの中で、「小宮義孝ファイル」のみは異色である。小宮義孝は、筆者が長く探求してきた元東京大学医学部助教授国崎定洞(ドイツ共産党日本人部創設者で、旧ソ連に亡命後スターリン粛清の犠牲になったコミュニスト)の親友であり、東大医学部助手時代に治安維持法違反で検挙され、上海に渡った経歴を持つ。上海自然科学研究所時代には寄生虫を研究し、戦後国立予防衛生研究所長をつとめた。CIAは、石井四郎の関東軍防疫給水部に準じて、上海自然科学研究所の化学戦・細菌戦関与を調査した形跡があるが、その種の資料は見つからなかったため工作を断念したものと推定できる。

 むしろ、今回機密解除されたCIAの日本人監視記録中には(次に述べる陸軍情報部MISの場合とは異なり)、小宮義孝以外の共産党・社会党関係者の個人ファイルが入っていないのが注目される。これが実際に朝鮮戦争期のCIAは日本の左翼を無視していたのか、それともなお機密扱いで公開されなかっただけなのかが、今後の探求課題となる、

(3)   MIS・CICの個人ファイルーー日本人二五〇〇人の日常的監視体制の記録

  マスコミの関心は、戦後日本政治におけるCIAの役割に集中しているが、日本現代史の情報戦資料としてより重要なのは、陸軍情報部(MIS)の個人ファイルである。米国国立公文書館の請求名でいえば、IRR (Investigative Records Repository) Personal Name files 資料である。多くはCIC(the U.S. Army's Counter Intelligence Corps)など陸軍の諸機関が集めたものであるが、時にはFBI、ONI(海軍情報部)、OSS、CIA、それに公式の外交機関である国務省の収集資料等も混じっている場合がある。

 実はこちらの方が、(1)狭義の戦犯にとどまらず、日本の政治・経済・社会・文化の有力者を網羅するほか、無名の人々の履歴書・監視記録多数を含み、(2)一九三〇年代から七〇年代をカバーし、(現在も米軍基地には諜報部隊があるため)時には九〇年代のものまで入っていて、公開情報量もCIAに比して圧倒的に多く、(3)米国が世界戦略・軍事的目標達成上必要と認め収集した、日本人個人情報・監視記録のワシントンに送られた分であるから、現代史研究にきわめて有益である。(4)ただし、人名の誤読や噂情報も多く、誤った個人情報も含んでいるため、総じて批判的解読が必要である。したがって、日本の研究者は、米国側解説にこだわらずにボックスを開き、実際に読んで見なければ、内容・価値が分からない。こうした意味で、大きな学術的可能性を秘めた記録である。ただし、ここでもすべてのMIS収集記録が機密解除されたとは考えられず、情報公開法にもとづく請求等で、さらに積極的に探索する必要は失われていない。

 以下に、筆者が請求して瞥見できた範囲内での概略を述べておく。これは、MIS個人ファイル数万人分の中から、英字索引でアジア人名ではないかと思われる人物名約二五〇〇人分を研究用にリストアップし、その中で漢字表記も推定できる一〇〇人ほどの人名をあらかじめ準備したうえで、ワシントンで請求・閲覧・複写したものである。その推定名が誤りで徒労に終わったり、たまたま著名人のファイルと同じボックスに無名だが価値のあるファイルがあったりする連続で、試行錯誤の繰り返しの中で目を通すことができた、ごく一部の範囲内のものであることを断っておく。また英文資料の暫定的解読段階のものであるから、誤読や誤訳がありうる。むしろ読者による追試解読を歓迎する。

・「昭和天皇・裕仁ファイル」は、全部で一〇〇頁強の、戦後すぐの時期の昭和天皇についての記録である。その一部は、すでに時事通信ワシントン支局(当時)名越健郎が情報公開法により請求し、一九九九年一〇月三一日時事配電で紹介している。戦後天皇制の行方については、一九四五年一〇月二七日付けジョージ・アチソン政治顧問の国務省に宛てたマッカーサー・天皇会見覚書が入っている(秦郁彦によって紹介済み[28])。四五年一〇月に東久邇稔彦が述べたという昭和天皇退位の間接情報もある。四六?四七年の地方行幸についての報告とその反応は、貴重な同時代資料である。日本国憲法が制定され、国会で承認されて、施行されることが決まった時点での、京都で永末英一の世論研究所が行った象徴天皇制についての世論調査記録(『サーヴェイ』誌四七年一月)は、全文が英訳されている。「現状維持」五二・二%、「天皇にもっと権力を」三二%、「弱める」三・五%、「廃止」四%に注目しているが、特に米国側コメントはない(川島高峰によって紹介済み[29])。GHQ主導の象徴天皇制創設が日本国民から受容されていることを、確認したものであろう。

・      有末精三・辻政信・大川周明、下村定、今村均、小野寺信・児玉誉士夫・笹川了一らについては、前述CIAの個人ファイルとは別に、陸軍諜報機関による監視記録がある。両者をクロスすることによって、占領下の旧軍人・右翼の活動は、いっそう明確になる。CIAには入っていなかった中国大陸「阿片王」里見甫らについても、MIS個人ファイルから新たな情報が得られる。特に敗戦直後に米国陸軍が行った尋問記録は貴重である。

 ・ 政治家のファイルは、保守・革新を問わず、多数含まれている。「吉田茂ファイル」は、一部はすでに共同通信ワシントン支局長だった春名幹男(現早稲田大学)が情報公開法にもとづき資料請求し、著書『秘密のファイル』(共同通信社、二〇〇〇年)中で紹介したように、吉田が再軍備に消極的だったといわれる裏で、米軍に積極的に情報提供していた事実が明らかになる。

 CIA個人ファイルでは期待はずれだった「岸信介ファイル」も、良く知られた東京裁判での国際検察局IPS尋問書(国会図書館憲政資料室所蔵)とは異なる、四六年三月巣鴨入獄時のCIS(情報将校)尋問調書が入っている。その一部は春名幹男『秘密のファイル』に紹介されている。MISの岸ファイルは、賀屋興宣ファイル、重光葵ファイルと共に、CIAとMISの個人情報収集の仕方の違いを知る上でも、貴重なものである。

 なお、比較的新しい中曽根康弘のファイルでは、敗戦直後の国家主義的民族活動が記録され、大平正芳ファイルでは、日韓条約・日中国交回復時が注目されている。ただし鳩山一郎、石橋湛山、河野一郎、池田勇人、佐藤栄作など、吉田や岸、賀屋、重光に準じて当然監視されていたであろう日本人政治家の名前が、今回公開された二五〇〇人中にはない。MISについても、全面公開とは言えないと考えるべきだろう。

 ・  左翼政治家では、日本共産党指導者「野坂参三ファイル」が重要である。戦後占領期の野坂参三とGHQとの交流はこれまでもささやかれてきたが、MIS「野坂ファイル」には、Safell大佐宛で野坂参三が執筆した自筆書簡数通の現物が入っているほか、豊富な内容となっている。無論、GHQ・G2は、野坂の一挙一動を疑って監視しており、転居のたびに住居周辺の地図が作られ、写真も多く撮られている。重要な演説はすぐに英訳されてワシントンに送られた。

 重要なのは、一九四四年延安での米国ディキシー・ミッション(米国として初めての中国共産党延安根拠地訪問団)のジョン・エマーソン、有吉幸治による野坂インタビュー以来、野坂の柔軟な天皇論評価が占領初期米国の野坂への注目・評価のもととなっていたことである。同時にそれは、戦前一九三四?三八年の野坂のモスクワからの米国密入国歴(ジョー小出・木元伝一らを助手とした『国際通信』『太平洋労働者』発行等)が見破られていなかったことを意味することが、MISファイルに何通も入っている野坂の履歴調査からわかる。

 この点は、最近翻訳された米国国家安全保障局(NSA)の旧ソ連暗号解読『ヴェノナ』文書[30]においても同様で、戦前・戦後のソ連共産党と米国共産党との間の膨大な暗号通信の中には、野坂の名は出てこない(日本人では宮城与徳とジョー小出のみ)。ただし、いち早く公開された旧ソ連コミンテルン文書中のアメリカ共産党記録文書中には、岡野進=野坂参三のアメリカ滞在中の暗躍を示す文書が出てくる[31]。野坂参三は、戦後占領期に、この隠された米国体験を最大限に利用したコミュニストであった。

・ 日本共産党については、このほかに、徳田球一、志賀義雄、神山茂夫、中西功、志田重男、椎野悦郎等共産党幹部の監視ファイルがあり、朝鮮戦争時のものが多い。沖縄人民党を動かしていた非合法沖縄共産党の瀬長亀次郎、国場幸太郎らのファイルもワシントンに送られた。ただし、ここでも宮本顕治・袴田里見・伊藤律等、当然監視されていたはずの指導者名のファイルはない。

 なお、延安の野坂参三と共に、戦時米国情報機関から中国抗日運動への支援者として評価された重慶の鹿地亘については、MIS鹿地ファイル中に一九四五年七月一七日付け米国政府宛で交わしたAgent契約書が入っている(月二〇〇ドルの金銭授受)。鹿地はこの契約を日本の敗戦までのものと解釈して日本帰国後は左翼作家としてソ連大使館等にも出入りしたが、米国側はなお鹿地をエージェントとして扱おうとした。いわゆる鹿地亘拉致事件の背景にあった米国情報機関と鹿地の結びつきは、この資料によって裏付けられる。

・ 死者も監視されていた。一九三三年に特高警察に虐殺された作家小林多喜二[その後別人と判明]や、一九四四年にゾルゲ事件で死刑に処された尾崎秀実の個人ファイルが入っている。尾崎秀実は、索引ではOZAKI Hidemiと誤読されているが、死後もアメリカ軍の監視対象で、戦後のゾルゲ・尾崎事件についての新聞報道などがファイルされている。当時のカストリ雑誌『うら・おもて』一九四九年五月号別冊「ゾルゲ事件の真相、尾崎秀実は国を売った」が、なぜかG2ウィロビーの注意をひき、現物全文が収録されており、敗戦直後のベストセラー『愛情はふる星の如く』に関する新聞記事等が英訳されている。尾崎の経歴も数通入っており、その友人関係では、太平洋調査会(IPR)関係者や昭和塾の関係者、とりわけ平貞蔵について詳しく調べた形跡がある。GHQ・G2のウィロビーは、ゾルゲ事件へのアメリカ人左翼の関わり、とりわけアグネス・スメドレーを非米活動共産主義者として告発することに熱心であったが、その収集記録の一部は、こうしたファイルに残されている。

・ ゾルゲ事件関連では、川合貞吉ファイルが、とりわけ重要である。一九四七年九月一二日から五一年七月三〇日までの本郷ハウス・キャノン機関への情報提供の記録が入っており、戦後はなばなしくゾルゲの親友として登場し、尾崎秀実の異母弟尾崎秀樹を助けてゾルゲ事件真相究明会をたちあげ、当時の日本共産党農民部長であった伊藤律をゾルゲ事件関係者検挙の発端を作った「生きているユダ」として告発し伊藤を失脚させるのに成功したが、実はそれはウィロビー、キャノン機関の協力者としての活動の一部であったことがわかる。

 川合貞吉ファイルには、G2のゾルゲ事件関係資料収集の担当だったポール・ラッシュとのツーショット写真のほか、川合がウィロビーに提供したゾルゲ事件情報もいくつか含まれている。例えば史実とは遠いと思われるが、アグネス・スメドレーが一九三七年秘かに来日し、ゾルゲ・グループのマックス・クラウゼンと新潟で会ったとか、日本共産党関係では、伊藤律と共に松本三益の情報がゾルゲ事件発覚に役立ったといった情報で、尾崎・ゾルゲ・グループの上海時代を知っていると称する川合貞吉は、マッカーシズムで在中米国人の多くをコミュニストに仕立て上げ告発しようとしていたウィロビーにとって、きわめて重宝な日本人情報提供者であったことがわかる。

 ゾルゲ事件の生き証人川合へのアメリカ側の関心は、「上海でのスメドレーについての彼の個人的知識」で、川合と彼の家族の身柄を安全に確保するため、米軍の護衛兵や日本の田中栄一警視総監までが動員されたが、一九五〇年代に入ると、彼の情報の信憑性についての疑念が担当情報将校から出され、彼の情報には月二万円の価値はない、日本共産党は彼を信用していないため共産党内部情報が得られないから援助額を月一万円に減額して契約関係を解消したいといった意見も出されるようになった(一九五〇年二月二〇日)。こうした米軍の情報提供者への金品授与までわかるファイルはきわめて珍しく(管見の限りでは前述鹿地亘ファイルと川合貞吉のみ)、川合がウィロビー・キャノン機関の典型的なエージェントであったことがわかる。

 その他ゾルゲ事件関係では、宮西義雄ファイルや木元伝一ファイルも貴重な資料となるが、この点はすでに公表されたゾルゲ・尾崎墓前祭講演で論じたので省略する[32]。

・ 占領期には、国会議員選挙に立候補した社会党・共産党候補者は、米軍諜報機関の監視対象だったらしい。中野重治ファイルは、文学者への監視がどうであったかを知る資料と期待し請求・閲覧したのだが、中野の文学活動についての記録はほとんどなく、日本共産党参議院議員としての中野の監視記録だった。同様な記録として、日本社会党の高津正道ファイルがあった。

 ただし文学者・芸術家や学者・知識人が、監視対象から外されていたわけではない。前述小林多喜二のように、死後の影響力がチェックされている場合さえあった。佐多稲子ファイルはこの意味で重要で、新日本文学会のほか、左派女性解放運動家としての活動が記録されている。学者・文化人も同様で、湯川秀樹、滝川幸辰、都留重人、田中耕太郎、大内兵衛、南博らの監視記録があり、特に民主主義科学者協会(民科)や、日本共産党とのつながりなど「進歩的知識人」としての活動がチェックされていた。

・ こうしたある程度著名な個人とは別に、無数の無名の人々のファイルがある。そのいくつかをランダムに見てみると、シベリア抑留帰りの日本人、中国引揚者らの記録が多数含まれていることがわかる。特に舞鶴での引揚者の尋問記録は、冷戦初期の米軍諜報部にとっては貴重な、ソ連・新中国についての最新生情報であり、朝鮮戦争の作戦遂行に使われたことがうかがえる。

 このことを逆照射するのが、朝鮮戦争当時の読売新聞記者である三田和夫の個人ファイルである。三田はシベリア抑留体験者で、米軍による舞鶴港での引揚者尋問を取材していた。また、引揚者をアメリカへの協力者に仕立て上げる米軍の工作を、「幻兵団事件」としてスクープし、さらには日本におけるCIA の活動を追って、「ラストボロフ事件」についても詳しい記事を書き、著書も出していた。その著作、「東京秘密情報シリーズ」と銘打った『赤い広場』及び『迎えにきたジープ』(共に二〇世紀社、一九五五年)は、日本語二〇〇ページ以上の全文が英訳され、三田の個人ファイルに綴じ込まれていた。

 そのため三田和夫ファイルは、他の日本人個人ファイルに比しても異様に膨大で、米軍CICが読売の三田報道をいかに重視し、マークしていたかを示唆している。三田は、当時のジャーナリストの中で、アメリカ情報機関の活動に肉迫した報道によって、米軍に注目されていた。ただしこの敏腕記者も、自社の当主正力松太郎がCIAエージェントであることまでは掴んでいなかったことになる。

・ そのほか、MIS個人ファイルには、金九など朝鮮人、毛沢東など中国人のファイルも散見される。ベトナムのホー・チミンまで入っているが、これらは現地での調査記録ではなく、日本での報道記事の英訳など「ナチス・日本帝国戦犯記録」と関わる限りでの公開になっている。

 むしろ、ナチス関係で機密解除された、日米開戦時の駐日ドイツ大使オイゲン・オットの記録などの方が、日本現代史研究には意味がある。オットは、ゾルゲを信用し騙された国防軍出身のドイツ外交官として知られているが、一九四六年二月から半年間、当時住んでいた中国北京から東京に召還され、半ば軟禁状態で日独同盟、ナチスの内情などを詳しく米軍に供述していた。ただしゾルゲ事件についてはほとんど役立たない。

 五 六〇年安保に連なるCIAの工作と情報戦

 (1)CIAの自民党への資金援助

 これまで一九六〇年安保闘争と米軍諜報機関との関わりで注目されてきたのは、主として安保改訂時の自由民主党、岸信介内閣とCIA の関係であった。それは、一九九四年一〇月一〇日の朝日新聞に、ニューヨーク・タイムズ特約として掲載された、以下の記事によって世に出た。

CIA、自民に数百万ドル援助 五〇ー六〇年代 左翼の弱体化狙う(朝日新聞一九九四年一〇月一〇日)

 【ワシントン八日=ニューヨーク・タイムズ特約】米ソ対立の冷戦時代にあった一九五〇年代から六〇年代にかけ、米中央情報局(CIA)は、主要秘密工作の ひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は一ドル=三六〇円)の資金を援助していた。米国の元情報担当高官や元外交官の証言から明らかになったもの で、援助の目的は日本に関する情報収集のほか、日本を「アジアでの対共産主義の砦(とりで)」とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった、という。その後、 こうした援助は中止され、CIAの活動は日本の政治や、貿易・通商交渉での日本の立場などに関する情報収集が中心になった、としている。

  五五年から五八年までCIAの極東政策を担当したアルフレッド・C・ウルマー・ジュニア氏は、「我々は自民党に資金援助した。(その見返りに)自民党に情 報提供を頼っていた」と語った。資金援助にかかわったCIAの元高官一人は、「それこそ秘密の中心で、話したくない。機能していたからだ」と述べたが、他 の高官は資金援助を確認している。また、六六年から六九年まで駐日米大使を務めたアレクシス・ジョンソン氏は、「米国を支持する政党に資金援助したものだ」と述べ、六九年まで資金援助が続 いていたと語った。五八年当時、駐日米大使だったダグラス・マッカーサー二世は同年七月二九日、米国務省に送った書簡の中で、「佐藤栄作蔵相(当時)は共産主義と戦うために 我々(米国)から資金援助を得ようとしている」と記している。マッカーサー二世は、インタビューに対し.「日本社会党は否定するが、当時、同党はソ連から秘密の資金援助を得ており、ソ連の衛星のようなものだった。も し日本が共産主義化したら、他のアジア諸国もどうなるかわからない。日本以外に米国の力を行使していく国がないから、特に重要な役割を担ったのだ」と語った。

 自民党の村口勝哉事務局長は、そのようなCIAの資金援助については聞いていない、としている。朝鮮戦争(五〇年?五三年)当時、CIAの前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化のためタングステンを必要としていた米国防総省に一〇〇〇万ドルで売却。これを調べている米メーン大学教授の資料によると、CIAは二八〇万ドルをその見返りに提供したという[33]。

 ただしこのニューヨーク・タイムズのスクープ記事は、米国政府機関要人へのインタビューによるもので、公文書による裏付けをえたものではなかった。また当時の岸信介首相の役割を明示するものでもなかった。その一か月後に、朝日新聞社は独自の検証を行い発表したが、なお資料的裏付けは得られなかった[34]。この問題は、ちょうど現在民主党政権下で日本の外務省が認めるようになった核兵器持ち込みや沖縄返還に関する「密約」と同様に、日米関係の根幹に関わる疑惑を孕んでいた。関連情報は、その後も逐次報道された[35]。

(1) 民社党結成へのCIA の役割

  アメリカ側ではメーン大学のハワード・B・ションバーガー、アリゾナ大学のマイケル・シャラーらが、日本でも春名幹男や山本武利らによって、戦後日本政治の出発時から六〇年安保、更には沖縄返還にいたる日本政府要人、自由民主党とCIAの関係が学術的に研究されてきたが、二〇〇六年には、米国国務省外交資料集FRUSの解説The Intelligence Community,1950-55でも、明確に認められるようになった。そこで公式に認められたのは、六〇年安保闘争期の社会党の分裂、右派の民社党結成に際して、CIAが資金援助したことであった。

CIAーー日本の左派勢力の弱体化狙い秘密資金工作(共同通信、毎日新聞二〇〇六年七月一九日)

 米中央情報局(CIA)が一九五〇年代から六〇年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権 下の自民党有力者に対し秘密資金工作を実施、旧社会党の分裂を狙って五九年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党結党を促していたことが一八日、分かった。国務省が編さん、同日刊行した外交史料集に記された。編さんに携わった国務省担当者は共同通信に対し「日本政界への秘密資金工作を米政府として公式に認めるのは初めてだ」と語った。米ソ冷戦の本格化や共産中国の台頭で国際情勢の緊張が高まる中、米国が日本を「反共のとりで」にしようと自民党への財政支援に加え、旧社会党の分断につながる工作まで行っていた実態が裏付けられた。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる内容だ。ニューヨーク・タイムズ紙は九四年、マッカーサー二世元駐日大使の証言などを基に、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自 民党当局者は「聞いたことがない」としていた[36]

 (3) なお資料の必要な、岸信介、賀屋興宣の役割

 そして、口火を切った一九九四年ニューヨーク・タイムズ記事の執筆者ティム・ワイナーが、二〇〇八年に著書を発表してすぐに『CIA秘録』として邦訳され、その第一二章で「自民党への秘密献金」が総括的に論じられた。「CIAは一九四八年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」として、岸とCIAの「二人三脚」の関係を詳しく論じた。

 ただし、ワイナー自身が認めているように、「アメリカとCIAは、岸および自民党との隠密の関係を公式に認めたことはない」。詳しい典拠を示したこの著書でも、日本版編集部が付したマッカーサー駐日大使から国務省宛で佐藤栄作大蔵大臣(当時)からの資金援助要請を示す一九五八年七月二九日付け公電以外は、FRUSの解説とかつてのインタビュー記事で、岸信介の名が出てくる第一次資料は、未だに公開されていない。

 そして、筆者らが今回機密解除されたCIA、MISファイルの一端を分析した限りでは、CIAが選んだ「将来の指導者」とは、岸信介ばかりではなく、緒方竹虎や正力松太郎も、候補に挙がって実際に工作を受けていた。賀屋興宣ファイルや「より親米的な『責任ある』野党」=民社党結成の秘密工作まで言及したのはワイナーの卓見であるが、ジャーナリストであるワイナーの著書では、米国側の対日情報戦工作が、やや単線的に描かれている。

 もっともワイナーの著書刊行後も、先に紹介した筆者らの緒方竹虎ファイル分析、有馬哲夫の辰巳栄一ファイル解読のほか、新たな資料「発見」が続いている[37]。

六 おわりに

 以上に述べたことから明らかになるのは、今回のナチス・日本帝国戦争犯罪記録の機密解除をはじめ、歴史的文書の公開・非公開そのものが、情報戦の大きな舞台であることである。また、今回公開されたCIA個人資料中で最も分量が多く内容的に豊富であったのが、戦前朝日新聞論説主幹で情報局総裁、戦後日本版CIA構想 ・内閣調査室創設の中心であった緒方竹虎と、戦前警察官僚で読売新聞社主、戦後日本の「テレビの父」「プロ野球の父」「原子力の父」であった正力松太郎の二人であったように、米国の冷戦初期情報戦の主要な目的は、日本のマスメディアと世論、大衆文化を「西側」「親米」に導くことであった。

 占領期日本の国民は、新聞雑誌の検閲や労働運動弾圧、レッドパージ等の直接的規制やサンフランシスコ講和条約締結と同時の日米安保条約、米軍基地の全土存続、沖縄軍政継続によってのみならず、冷戦期米国の世界支配戦略への積極的協力や、それを受け入れるアイデンティティの構築においても、操作と工作の対象とされた。

 第二に、確かに米国の情報公開法制にもとづく今回の機密解除は、日本敗戦時の戦時文書焼却や隠蔽、その後の官公庁の杜撰な文書管理や情報公開の遅れに比すれば積極的であり、後世の研究に資するものであるが、それでも米国所蔵日本戦犯資料のすべてが機密解除されたわけではない。とりわけ戦後日本の国家体制の根幹や、今日の日米同盟の起源に関わる重要資料は、なお残されていると考えざるをえない。それは、一つにはアメリカ側作業部会で資料を分類・整理した関係者の関心が、第二次世界大戦以前に確立された国際法上の規範、毒ガス戦・細菌戦・化学兵器や捕虜虐待、それに植民地支配と女性差別に関わる問題等にあり、日本側の研究では重要な、昭和天皇の戦争責任や広島・長崎の原爆投下 などの問題については、意識的に資料を探しチェックした形跡はみられない。

 今日、日米政府間「密約」に関わる外務省文書の公開について語られる「当然あるべき資料は見つからず、見つかった文書にも不自然な欠落が見られる」状態は、日本の公文書の場合だけではない。米国の公文書館文書についても、昭和天皇裕仁や岸信介のCIA個人ファイルの欠落に典型的なように、すべてが公開されているわけではない。無名の人々や個人ファイル以外の資料にもあたって本格的に歴史を見直す作業は、日米に限らず、世界の冷戦史研究者の共同作業として残されている。

 第三に、冷戦期日本の情報戦研究は、米国側資料だけでは不十分であることはいうまでもない。冷戦崩壊・旧ソ連解体によって、いわゆる旧ソ連秘密文書が閲覧可能となり、ゴルバチョフ、エリツィン政権期には、ソ連のアジア・対日政策、日ソ関係についても、新しい資料が大量に公開された。その後、プーチン、メドヴェージェフ政権下でロシア政府の情報公開は再び閉鎖的になっているが、グラースノスチ(情報公開)時代に公開・収集された資料によってだけでも、戦後情報戦のもうひとつの主役の世界戦略・アジア戦略・対日政策の研究に不可欠な基礎的新資料発掘が可能になっている[38]。日本側の公文書も、情報公開法に続いて昨年制定された公文書管理法を最大限に活用することによって、これまで以上に実証的な情報戦研究が可能になる条件が生まれた[39]。

 こうした意味で、わが国における冷戦史研究は、したがってまた、情報戦としての六〇年安保改定期の政治史の解明は、緒についたばかりなのである。

参考文献

春名幹男『秘密のファイル』(共同通信社、二〇〇〇年、後に新潮文庫)

山本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店、二〇〇二年)

T・ワイナー『CIA秘録』上下(文藝春秋、二〇〇八年)

ヘインズ=クレア『ヴェノナ』(PHP研究所、二〇一〇年)

加藤哲郎『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書、二〇〇五年)

加藤『情報戦の時代』『情報戦と現代史』(共に花伝社、二〇〇七年)

有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 (新潮社、二〇〇六年)

有馬『原発、正力、CIA』 (新潮新書、二〇〇八年)

有馬『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、二〇〇九年)

有馬『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、二〇〇九年)

C・シンプソン『冷戦に憑かれた亡者たち ナチとアメリカ情報機関』(時事通信社、一九九四年)

H・B・ションバーガー『ジャパニーズ・コネクション』(文藝春秋、一九九五年)

M・シャラー『「日米関係」とは何だったのか』{草思社、二〇〇四年}

日本国際政治学会『国際政治』一五一号「吉田路線の再検証」(二〇〇八年三月)、など。

 [1]  Andrew Gordon, A Modern History of Japan: From Tokugawa Times to the Present, Oxford UP, 2003[アンドルー・ゴードン『日本の二〇〇年』上下、森谷文昭訳、みすず書房、二〇〇六年]。Ian Neary, The State and Politics in Japan, Polity Press, 2002 も、「一九五五年体制」成立以

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