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広島原爆は地上起爆だった?

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年 5月 1日(日)10時56分7秒
  通報 返信・引用 編集済
  "Behind every great fortune there is a great crime." -- Balzac

偉大な幸運の背後には偉大な犯罪がある.....バルザック

原爆は日本製だった~なぜ8時15分ぴったり(実際には8時6分)だったのか そして終戦が8月15日(これはカトリックの聖母昇天祭でザビエルが日本に到着した日)

本物黒酒 ?@honest_kuroki  ? 4月26日

広島・長崎の核分裂連鎖反応の仕組みを知っていてほしい。世界で初めて核実験をネイチャーに発表したのは日本?http://www.nature.com/nature/journal/v146/n3688/pdf/146024a0.pdf …また航空機に搭載できる核分裂連鎖反応装置は現在もありません。原爆は日本製だった。@Rock777Jam @BIWAKOnoMIZU

続白洲次郎とは何者か~ウオバーグの庶子白洲はヨハンセングループの吉田茂にぴったりと寄り添い本土決戦抗戦派の第二総軍を広島に集めピンポイントで地上起爆したと見るのが妥当だろう。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/721.html

広島原爆投下により第二総軍は消えた~今となっては地上起爆による皆殺しだったのだろう

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/243.html

生き残ったのは畑俊六......もともと広島へ行かなかった?

『原爆投下と深く結びついたヨハンセン・グループのすべては、戦後、一人として戦犯とならなかった。(731細菌部隊もそうだった)

東郷は太平洋戦争そのものに反対した。しかし敗戦処理内閣の外相になったがために戦犯となった。二十年の禁固刑。獄中死した。どうしてか。

ここで明確にしよう。国際検事局に密告し続けた二つの秘密ルートがあった。一つは天皇ルートであり、も一つはYルートであった。ヨハンセン・グループ吉田反戦グループである。戦後首相となった吉田は多くの人々をこの検察局に売った。東郷は原爆の秘密と、天皇の財宝の処理について知りすぎていた。それゆえに消されたのである。

第二総軍司令官畑俊六元帥はどうなったか。彼も戦犯となり、終身刑の判決を受けた。彼は広島に原爆を投下させた功労者ではあった。しかしヨハンセン・グループと深く結びついていなかった、

天皇はもう一人の知りすぎた男、有末精三を検察局に売ろうとしていたことが後に判明する。「有末精三はどうして戦犯にならんのか」側近に語っているのである』

本物黒酢さんのツイッター

https://twitter.com/honest_kuroki

香取ひろしのツイッター

https://twitter.com/EG_Hiroshi

原爆投下 活かされなかった極秘情報

http://www.dailymotion.com/video/xkev97_yyyy-y-y-yyyyyyyyyyy_shortfilms

理研の果たした役割

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=17-01-01-03



関連記事:http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPifuNYyRXcysAriKJBtF7?p=%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

原爆は日本製で地上起爆~ぴったり8時15分にセットされていたのではなく8時6分爆発で15分に修正された

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html

湯川秀樹は仁科芳雄の非嫡出子..........。下のWiki参照

仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して核爆弾をつくってくれないかと要請した。

原爆は日本製

http://www5.hp-ez.com/hp/zaphnath-paaneah/page28

広島はウラン235型爆弾(リトルボーイ) 長崎はプルトニウム239型爆弾(ファットマン)

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPgoaWcyVXmSEA2l2JBtF7?p=%E5%BA%83%E5%B3%B6%E3%81%A8%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AF%E5%90%8C%E3%81%98%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

日本の原子爆弾開発

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

TO諜報機関

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc107.html

壮大な嘘

http://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/c/dcd156b3c490d703649798c21e30eb56

旧陸軍士官が語った歴史の真実~必読

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/05929326c7f6e6d9fbe6791703dadae6

イルミナティの黒幕

http://nueq.exblog.jp/22235225/

以下のBBSは拙稿を無断で盗用したものです

http://6023.teacup.com/masa3277/bbs/227

特許出願日時に差が~必読(これが決定的証拠になるか?)

https://twitter.com/honest_kuroki/status/661873406678167556

@EG_Hiroshi 出典はこちら..........ですが見ない方がいいかも

米国:UF6の製造は1948年の特許出願http://www.freepatentsonline.com/2535572.pdf

日本:理研~1944年1月~UF6の製造に成功http://www.jrias.or.jp/member/pdf/201208_MONITORING_MASAIKE.pdf

エノラゲイを検索すると

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dP524KbiVXDSQAd.qJBtF7?p=%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%82%B2%E3%82%A4&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%83%A9&afs=

エノラゲイの乗組員は最後まで嘘をつくことを要求されたんでしょうね,きっと

https://www.youtube.com/watch?v=vwZMwahH5nY

ノーベル賞はカスの賞

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/763.html

......ところが、である

渡部悌治氏はつづける。「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」

これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた経緯だ。繰り返すがノーベル賞は国際金融資本が世界の人々を騙して支配するための道具なのだ。今だ、こんな賞をもらったことをありがたがる連中が山ほどいる。

昭和天皇が戦争狂になったわけ~長い記事です

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/146より

原爆は日本製で地上起爆?
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html?sp

■未分類 2014/05/0100:31

一般的には、広島・長崎の原爆は2つとも米国製だとされている。大体、世の中の99.89%以上の人(含:赤ん坊~老人)がこの見解だと思いますが、世界中の人々もほぼ同じ見解であり、疑うこともなく一般常識化している。ただ、この数字と同じぐらいの比率で原爆の起爆構造も知らず、広島・長崎の原爆の違いすら知らない程度の認識であるのも事実。まぁ、そんな詳細なことまで知らなくても生活できますしね。戦後60年以上も経ち、WW2が風化しつつあることだけは確か。

マスコミは原爆の被害状況を画像を近年になってもあまり報道しない。そういった画像は広島の原爆資料館ぐらいにしか掲示されていないが、現在、ネットでいつでもつつみ隠さず見ることができる。

■Hiroshima victims
(グロ閲覧注意! グーグル「広島犠牲者」画像検索結果)

二重スパイであったベラスコの話によると、広島に落とされたガン・バレル(砲身)方式の広島型原爆(リトルボーイ)はナチス製であり、第二次世界大戦中、ドイツのペーネミュンデで完成し、連合軍とドイツ軍が捕虜交換をした際に密かに連合軍が受け取りアメリカに運ばれた。核実験は今のチェコの森で行われ成功しているという。このナチス製原爆が広島に投下されたという。一方、爆縮レンズ方式の長崎型原爆(ファットマン)は米国が3年の歳月と20億ドルの巨費をかけた「マンハッタン計画」で開発し、ニューメキシコのアラモゴード実験場で世界初の原爆実験「トリニティ実験」での成功を経て、長崎に投下使用されたという。

(長崎型のファットマン最終型)

実際、終戦間もない昭和20年9月、大本教の出口王仁三郎は「原子爆弾は日本の博士が発明して『日本は人道上使えぬ』といってドイツへやった。それをドイツでも使わず、アメリカに使われたのである。悪い事ばかり考えるから、日本に落とされたのだ。日本人が造ったから日本に落ちた。」と語り、このベラスコの内容と同じことを言っている。

そして、さらに驚くべきは広島・長崎投下は日米首脳の合意に基づく人体実験であったという話がある。

************************************************

1)軍は決号作戦 ― つまり本土決戦に狂奔し、本土を2分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六元帥)の担当とし、予想されるアメリカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えていた。そして最初に本土上陸の敵を迎える第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていたのである。その本拠は山陽本線広島駅から北へ歩いて5分、元騎兵第5連隊の兵舎の中にあった。ここは広島の中央を流れる太田川が6本に分かれる2番目の分岐点のあたりで、爆心地から直線で約千3百メートル。

参謀部のすぐ北方、高さ125メートルの二葉山には、司令部の防空壕が掘られていた。・・・

この『昭和史の天皇』に書かれた文章を読んだだけでは、第二総軍の意味が何かは理解できない。爆心地から直線距離にして約千3百メートル、そして、二葉山に司令部の防空壕がつくられたということは、大きな意味を持つのである。どうしてか。司令部の防空壕の中にいた将校たちは多少の傷を負うが(爆風やガラスの破片で)、全員無事だったのである。参謀部の人々もほぼ死者はなし。

2)広島では出来るだけ多くの兵士(3万人)や児童・学生(1万5千人)等の被験者を意図的に集めて行われた、米国のスティムソン陸軍長官主導で日本のトップが協力した一大イベント、人体核実験だった。

世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占するロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)は、第二次大戦後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す必要があった。

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一方、日本軍部でも大戦中に2つの原爆開発計画が進んでいた。

■二号計画(陸軍)
理化学研究所、東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学が主体
「熱拡散法」でウラン235を濃縮
仁科芳雄、彦坂忠義

■F計画(海軍)
京都帝国大学が主体
「遠心分離法(サイクロトロン)」でウラン235を濃縮
荒勝文策、湯川秀樹

通説として、福島県石川郡石川町での中学生を動員したウラン採掘(石川石=ウランに富むサマルスキー石)、上海の闇市場で130kgの二酸化ウランを購入しても尚、原子爆弾1個に必要な臨界量(46.5kg)以上のウラン235の確保は絶望的な状況であったという。
※ウラン鉱石にはウラン238が約99.3%、ウラン235が約0.7%が含有。二酸化ウラン(イエローケーキ)に含有するウラン235は60%程度。ちなみに、北挑戦は採掘可能な埋蔵量が推定400万トンで現在一位のオーストラリア【74万トン】を軽く凌駕。

ポツダム宣言受諾時、日本の原爆開発は基礎段階を出ていなかったとされているが、実は原爆は完成していたという話もあり、北海道の「海軍美幌基地(現・自衛隊美幌駐屯地)」の地下巨大防空壕には、簒奪したロマノフ王朝の莫大な資産と13機の完全武装したゼロ戦と共に日本製原爆が今でも眠っているという話があることを煩フル過去記事に書きました。

ノストラダムスで知られる五島勉氏の『日本・原爆開発の真実』によると、日本の原爆は広島・長崎の原爆とは全く異なり、ウラン238を使用する画期的なものでウラン使用量はアメリカ原爆の7分の1から8分の1と少なく、ゼロ戦でも運べるミニ原爆だったという。それが上記の美幌基地の原爆なのだろう。

※ウラン採掘地である田舎の石川町をB29での機銃掃射が襲ったという話が載っている。

日本・原爆開発の真実―究極の終戦秘史 (ノン・ブック)
(2001/08/28)
五島 勉

以上がネット界隈で知られる原爆に纏わる内容。ナチス製ガンバレル方式ウラン原爆、日米首脳合意の人体実験、日本製原爆の完成と隠匿、WW2本質は原爆開発競争の加速化の為の八百長戦争、、、これだけでも一般人には驚愕動地の大スクープな内容です。

で、この辺が真相止まりだろうと考えていたのですが、少し前、広島・長崎の原爆は地上起爆された日本製原爆という話を目にしており、非常に気になっていました。

日本人の米国嫌悪を緩和する狙いの情報操作の可能性も無きにしもあらずとも思えたのですが、名無し先生とコンタクトのあるマヨ氏もO'BRIEN氏もこの「地上起爆=日本製原爆」の内容に同意肯定している。ここに人類史上最大の人為的大惨事(二都市原爆投下)に関して、まだまだ知られていない真相がありそうなので、今回、自分なりに「日本製原爆地上起爆」を咀嚼・洞察してみた。


(長崎の原爆 起爆後スグと云われる画像)

う~む、画像を見る限り、確かに云われている高度500mより低く、火球は地上にある感じだ。
(広がる水蒸気の中心に火球が位置する筈)

地上起爆は本当かもしれない。(滝汗)

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大日本帝國 明治大帝(西郷隆盛)の世界覇権という野望」に引きずられて、農耕民族だった日本人は鋤鍬(すき、くわ)を38式歩兵銃と背嚢に持ち替えて、支那大陸(大満洲帝國を建國)・モンゴル・朝鮮半島・台湾・フィリピン・タイ・インドネシアからインドまでの亜細亜大陸全域を手中に治め、太平洋を島づたいにニュージランド諸島からオーストラリア近くまで領土化し、北アメリカ大陸を領土化する手前で、敗走する事態に直面したが、日本製原爆の製造に成功し、その地上起爆に成功し、人類史上第1号の起爆によって「人体実験にも成功」した訳である。

この日本製原爆製造と成功は、大満洲帝國{チャムス(佳木斯)近郊}から採掘し、精錬済みされた約2,000トン(満洲の終焉:高碕達之助著)超えのウラン鉱石(ウラン238)を、満鉄とトラック(日本通運)で大連まで輸送し、大連から「ばいかる丸(バイカル丸―戦後は捕鯨船極星丸)」にて、山口県・福岡県・京都府などの軍事工廠、燃料工廠で精錬純度を上げ、ウラン235の濃縮は、静岡県三島市(旧大場町、伊豆箱根鉄道大場駅前)の【森永製菓工場(当時は森永食糧工業)、戦後は静岡県営住宅アパートだったが、ほどなく撤去された。】で、巴工業の遠心分離器を使用して製造していた。

日本製原爆の基礎研究と応用は理研・海軍技術工廠・陸軍技術工廠・東邦産業研究所・多摩近郊の通信技術研究所から、満鉄中央試験所(四川省の重水工場。現中国科学院 大連化学物理研究所)・満洲電信電話株式会社(満洲電々)・台湾総督府下の大学研究室・朝鮮総督府下の大学研究室など亜細亜全域に物理化学の人材を求めた訳である。それが、今日の台湾が「電子立国に成功」した経緯であり、北朝鮮の核開発と繋がっている訳である。

現在、世界中が保有している核兵器の起爆装置は全ての例外なく「日本製品」である。それが、原子力産業の中身である。
勿論、イギリス・イタリア・ドイツ・フランス・アメリカの物理学者らの基礎技術提供がなければ製造は完成しなかった訳である。日本国民は、大日本帝國政府の「大本営=天皇と華族」の云う【鬼畜米英】に踊らされて、無意味な無差別大量殺戮に(戦争)引き摺られただけなのである。

戦争で肥えたのは【大本営=天皇と華族】らなのである。日本国民もアジア民族もヨーロッパ民族も「天皇家の狂気」の為に、塗炭の苦しみに喘いだ訳だし、その図式が現在も変わっていないのが問題な訳である。ムッソリーニもヒットラーももう居ないが、天皇家(日本国)とローマ法王(バチカン市国)は命を永らえて、次の戦争を準備している。

(日本製原爆完成原文より抜粋)

日本の原爆開発

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/702.html

仁科芳雄 博士 (1890-1951)

1942年6月、フリーメーソンのフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、国家プロジェクトとして、原子爆弾の研究開発着手を決意し、1942年9月にレズリー・リチャード・グローヴス准将が責任者として着任し、マンハッタン計画はスタートしましたが、

日本では1941年(昭和16年)に、陸軍が理化学研究所に原子爆弾開発を委託し、1943年1月に同研究所の仁科博士を中心に開始されました。    もう一方で、日本海軍も1941年5月に京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に、原子核反応による爆弾の開発を依頼し、1942年には核物理応用研究委員会を設けて、京都帝国大学と共同で原子爆弾の可能性の検討に入りました。

すなわち、日米共に、ほぼ同時期に原子爆弾の開発プロジェクトをスタートさせた事になります。

フリーメーソン-103  フランクリン・D・ルーズベルト
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/697.html
フリーメーソン-105  ハリー・S・トルーマン
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/699.html
フリーメーソン-106  オレンジ計画
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/700.html
フリーメーソン-107  ジョン・ホプキンス大学
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/701.html

日本帝国陸軍と日本帝国海軍の原子爆弾研究のプロジェクトコード名は、
「 二号研究 」 と 「 F研究 」 で、これは仁科博士の頭文字 「ニ」 と 核分裂( Nuclear Fission )の 「F」 をとったものです。

原子物理学に関しては、江戸時代生まれの長岡半太郎が、世界で最初に今日の原子構造を提唱し(ボーアは9年後に長岡の原子構造が正しかった事を証明)、以降 彦根忠義、仁科芳雄、荒勝文策、湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、西澤潤一 など、世界をリードしてきました。

原子物理学 Atom Physics
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/130.html

何故か日本人で知る人は少ないのですが、世界最初にCPU ( メモリー機能を持ち、ソフトウェアによって動くIC )の概念を考え出し、Intel社に技術ライセンスしたのも、ビジコン社の嶋正利です。  その契約書まで、今日ではWebでも紹介され、1998年米国の半導体生誕50周年記念大会で、  "Inventor of MPU (Micro-Processor Unit)"
(マイクロプロセッサーの発明者) として表彰も受けております。

インテル CPU
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/132.html

話を、原子爆弾開発に戻しますが、日本では1934年に東北大学の彦坂忠義が、アインシュタイン、オッペンハイマー、ボーアなど欧米の超一流の科学者がまだ予期していなかった原子物理学理論を打ちたて、いずれそこから引き出されるだろう、巨大な破壊エネルギー、核兵器が誕生する事も予測していました。

しかしながら、彦根の論文は、欧米の学会、またボーアからも無視され、彼らは彦根(日本人)を嘲笑しながら、実はその先端理論を盗んでいたのです。

彦根は、 「 陽子と中性子が原子核内ではっきり分かれ、しかもその間に、宇宙最大のエネルギーが潜んでいる。 だから人類は、それを悪用せずに制御しなければならない 」 と説いたものの、日本の学界では、彼の考えを理解できず、彼の理論を認めようとしませんでした。

自分に自信が無いから、欧米の一流の学者が認めたら、日本の学界も認めるという体質は悲しいかな現実であります。

日本の物理学界に失望した彦根は、同じ東北大学の研究者の勧めで、米国の物理学会専門誌 「フィジカル・レビュー」 に、 「原子核エネルギー(利用)新法に就いて」 という論文まで送っています。

しかしながら、欧米の学会は彼の功績を認めようとせず、むしろ嘲笑し、ボーア博士に直接会って説明しても、認められることはありませんでした。

当時、ボーアの理論では、 「 陽子と中性子は分かれずに一体になって、ごく小さな液滴の形に似た原子核を作っている 」 としていたので、これでは核爆発など起こるわけがなかったから、彦根の論文を認めたくなかったのであります。

しかしながら、彼らの行った事は、彦根を嘲笑しておきながら、彦根の功績を盗用し、容陽子と中性子は別れているとし、原子爆弾の開発競争に入ったのです。

その情報をキャッチした、日本政府も、本格的に原子爆弾の開発を着手するようになったわけです。

日本の原子爆弾開発で最も大きな問題は、原料のウランを入手する事が困難であった事で、当時は人形峠のウラン鉱脈も知られておらず、福島県石川町などでは閃ウラン鉱、燐灰ウラン石、サマルスキー石などが採掘されましたが、含有量の少ない物がごく少量採掘されるだけであったのです。

すなわち、原子爆弾1個に必要な臨界量以上のウラン235の確保は絶望的な状況であったわけです。

そのため、日本海軍は上海の闇市場で酸化ウランを購入したり、ナチスドイツから二酸化ウラン(U235)入手を試み、日本海軍庄司元三技術中佐と友永英夫技術中佐、ドイツ空軍ウーリッヒ・ケスラー大将、海軍士官4名、ドイツ人技術者2人などを日本に送り届ける任務をうけて、潜水艦U-234に酸化ウラン(U235)560kgを積み、キール軍港を出港しました。

しかしながら、1945年5月8日、日本に向かうU-234は、大西洋上でドイツ無条件降伏の打電を受けました。 Uボート乗員たちは討議の末、日本人士官二人を監禁し、洋上で米軍の米護衛駆逐艦「サットン」SUTTON (DE 771)に降伏しました。

560Kgの酸化ウランは大きな量に思われるかも知れませんが、濃縮ウラン3.5kg相当に過ぎず、原爆に必要な50kgには到底及ばない量であります。

ともかく、原爆1個すらに必要なウランを入手できない日本において、原子爆弾の開発は現実無理であり、

昭和20年(1945年)5月15日のアメリカ軍による空襲で理化学研究所の熱拡散塔が焼失したため、研究は実質的に続行不可能となり、同6月に陸軍が研究を打ち切り、7月には海軍も研究を打ち切り、ここに日本の原子爆弾開発プロジェクトはなくなりました。

そして日本は、アメリカによる1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月9日の長崎市への原子爆弾投下で勝負はつき、9月2日にポツダム宣言受諾の降伏文書に調印。

日本の科学技術力に脅威を感じていたアメリカは、自分たちが原爆でやられる前に、早く決着をつけるために、日本に原爆を落としたという事も考えれるのではないかと、私は思うのであります。

 
 
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