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巣鴨プリズンネットワーク

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年 5月 5日(木)23時38分36秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://rakusen.exblog.jp/22922833

関連記事:ある日突然

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/15.html



http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3416

スターリンはロスチャイルドだったのか その1

http://satehate.exblog.jp/14212190/

スターリンはロスチャイルドだったのか その2

http://satehate.exblog.jp/14226211/

スターリンはロスチャイルドだったのか その3

http://satehate.exblog.jp/14239224/

スターリンはロスチャイルドだったのか その4

http://satehate.exblog.jp/14253946/

さてはてメモ帳さんより~http://blog.goo.ne.jp/beingtt

関連記事:しばやんの日々

http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html

昭和29年(1954)に在日ソ連大使館の二等書記官という肩書を持つラストヴォロフKGB中佐が東京から米国に亡命した事件があった。(ラストヴォロフ事件)
彼はソ連の工作員で日本の共産化のための工作を行なっていたのだが、亡命先のアメリカで、36人の日本人エージェントを有していたと証言したことがマスコミに報じられ、エージェントのうち元関東軍第三方面軍情報参謀・志位正二少佐と元参謀本部作戦課参謀・朝枝繁春中佐が警視庁に自首したという。志位正二少佐という人物は現在の日本共産党委員長・志位和夫の叔父だという。

ラストヴォロフは米国で、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で、11名の厳格にチェックされた共産主義者の日本軍人を、共産革命のための工作員として養成したという証言もしているようだ。
その11名のうち氏名が判明しているのは、志位、朝枝のほかには、帰国後総合商社伊藤忠商事の会長や中曽根康弘総理のブレーンを務めた瀬島龍三、先ほどの対ソ和平仲介工作で名前の出てきた種村佐孝がいる。種村は帰国後、日本共産党員となっている。

読売報知S200315

『一億玉砕』と本土決戦を国民に呼びかけたことも種村や松谷が作成した「終戦構想」にあるようなのだが、こういう史実を追っていくと、われわれには重要な真実が戦後の長きにわたって封印されてきたことを知らざるを得ない。真の戦争犯罪人はソ連のスターリンではなかったか。

岸信介

第56-57代の内閣総理大臣を務めた岸信介は、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文でこう記している。

「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うならば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない。

管理人注:左翼歴史学者が顔面蒼白~興味のある方だけお読みください

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3217

スターリン

何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し、考えてみれば、本来この両者(右翼・左翼)は、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。当然、戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制(筆者註:昭和25年)と酷似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる
…日本の共産化は実らなかったものの、国際共産主義の世界赤化戦略だけは、戦前から今日まで一貫して、間断なく続いていることを知らねばならない。…」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.319-320)

わが国が国益を考えて何か新しい動きをしようとすると、必ずマスコミが「軍国主義の足音が聞こえる」などと言うフレーズを繰り返し国民を思考停止に陥れてきたのだが、史実に照らして日本人が真に警戒すべきものは、「軍国主義の足音」ではなく「共産主義の足音」であると言いかえるべきなのではないのだろうか。

管理人注:志位和夫・日本共産党委員長の家系 伯父は旧ソ連のスパイ(日本よ何処へブログ)

http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/659.html

今日の志位和夫~共産・志位委員長「日米安保条約は維持」 国民連合政府実現の場合

産経新聞 10月15日(木)16時12分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151015-00000534-san-pol

国際ユダヤ同盟仲間 安倍と志位

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1025.html

「共産主義者の大東亜戦争責任」というのがある

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1901



アップロード日: 2010/04/18

ヴェノナ(VENONA)とは、1943年、米陸軍が独ソ単独講和を危惧して開始した?在米ソ連暗号通信傍受・解読作戦である。半世紀以上にわたり秘匿され続けてきたが、ソ?連崩壊と共に旧ソ連の機密情報が一部公開され、これとともにVENONAの存在を裏付?ける史料が見つかり、1995年、ようやく公開されるに至った。傍受した通信量に対し?て解読出来たのは僅かであったが、それでも尚、ヴェノナ解読情報は戦後史を塗り替える?ものであった。



ヴェノナ文書は4分23秒から.......

「ヴェノナ」とは、1943年にアメリカが始めたソ連の暗号傍受・解読作戦の名称である。本書は「ヴェノナ」解読文書の元となった通信文から、ソ連のスパ イ活動の全貌を暴く画期的な一冊。いち早くその重要性を指摘した中西輝政氏らが本邦初翻訳を試みたものである。東西冷戦後、原著者らの努力で「ヴェノナ作 戦」の成果が公表され、世界中の歴史家に衝撃を与えた。第二次世界大戦時の同盟国ソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、外交、軍事、産業上 の機密情報をことごとく盗み出していたことが分かったからである。当時のルーズベルト政権は、完全にソ連の工作の影響を受けていた。そしてアメリカの軍事 機密がソ連に筒抜けだった事実は、日本にとって何を意味するか。ソ連はアメリカの原爆プロジェクト「マンハッタン計画」を事前に把握しつつ、1945年8 月6日の広島への原爆投下を見届け、同月8日に対日宣戦布告を行ったということである。

管理人注:果たしてそうであろうか

田母神氏が嵌められた理由~論文から(赤線の部分).....ヴェノナ文書というパンドラの箱を開けてしまったから?

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3222

全文は記事にありますが一部抜粋

『さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである』

今後日本人はイソギンチャク国家の賤民として(選ばれた奴隷のように従順な)田布施の賤民支配者の下でヒステリーを起こしながら時には電車に飛び込み時には人を殺し又精神に異常をキタシナガラ生ける屍として暮らすしか選択肢はないようだ。日本人を空から機銃掃射した責任者に勲一等の勲章を出すような国は天誅(てんちゅう)を下さざるを得まい。国民はこの国を忌まわしいと思っているのならこんな国は革命を起こさない限りなくなった方がましである。

マッカーサーは知っていた

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3611

開戦工作

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2538

開戦工作――ゾルゲ事件の失われた環(ミッシングリンク)

●ゾルゲ自白調書とマッカーサー

 ダグラス・マッカーサーについては、次のような興味深い話が伝えられている。「ヒストリカル・レヴュー・プレス」という英国のウェブサイト(www.ety.com/HRP/rev/pearl_toc.htm)に掲載されている「真珠湾――あらゆる共同謀議の母」という記事の一節である。

「ハワイは交信を分析し、空母部隊が北方洋上にいると報告したが、驚いたことに、報告を受けたマッカーサー司令部は、11月26日、29日、12月2日と三回にわたって空母部隊は南支那海にいるとの虚報を打電した。NSA(米国家安全保障局)がいまも説明できないと述べているこの偽情報の真の動機はハワイ攻撃を隠蔽するためであった。メッセージを打電したのはアイオワに存命のデュアン・ウィットロックである」

 次は、1941年12月7日(米国時間)、すなわち真珠湾攻撃当日の対応である。

「9時間後にマッカーサーの空軍が不意打ちを食らい、フィリピンで消滅した。パールハーバーのニュースに対する彼の反応はまったく尋常ではなかった。午前中、自室に鍵をかけて閉じこもり、ブレレトン空軍司令官に会うことを拒否し、陸軍省が指令した台湾の日本軍攻撃さえ拒否した。マッカーサーは三つの矛盾した命令を出し、午前中の大半、飛行機を地上につなぎ止めておいた。マッカーサーはレーダーを用いて120マイル、100マイル、80マイル、60マイルと日本軍機を追跡させていたが、最終命令を出したとき、敵機は20マイルに接近しており、その間、ずっと飛行機を地上につなぎ止めていたのである。戦略的にみて、世界に所持する米軍重爆撃機の半数が破壊されることは真珠湾の海軍の被害よりもはるかに重大である。マッカーサーは軍事史において最大の失策をおかしたか、それとも彼の軍隊が破壊されるのを黙認せよと命じられていたかのどちらかである。もしも史上最大の失策であったならば、彼はなぜ譴責を免れ、指揮権を維持し、その後すぐに四つ星と名誉勲章〔戦闘員の「犠牲的殊勲」に対し、議会の名において大統領が親授する最高勲章〕を得たのかに注目すべきである。ゴードン・プランゲ〔『トラ・トラ・トラ』の著者〕は、『大統領が司令官たちに秘密を打ち明けて相談しなければ、司令官たちを説得して敵が制約されずに続けられるようにしなければ、大統領は日本軍の攻撃を成功に導くことができただろうか?』と述べている」

 マッカーサーは戦後、「ゾルゲ自白調書」に接して心から驚いたようだ。それは、ウィロビーの『上海コンスピラシー』に寄せた彼の序文にはっきりと示されている。

「ウィロビー将軍の著書『上海コンスピラシー』は、リヒャルト・ゾルゲ事件を取り扱ったもので、本書は今日行なわれている世界的規模の共産主義の破壊活動および反逆行為を鮮明に描いている点で重要な意義をもつものであると信ずる。
 われわれの日本占領期間中、軍情報部は日本警察の協力を得て、日本内外の共産主義勢力に対する警戒と監視の任務遂行上、若干の民間業務を行なったが、その対象の一つにリヒャルト・ゾルゲを首謀者とするソ連スパイ団に関する事件があった。この事件は、諜報の発展、技術およびその方法において成功をおさめた一例である。この共同謀議に加担した人間は支那、日本、米国に根を張り、その活動期間は1931年から50年にまで及んでいた。
 ワシントンに送られた本件に関する調書は、数百万語の多くにのぼり、写真原板、複写および図表等、参考物件の数も無慮数百に及んでいる。本事件は、米国の法律家によって再審議され、確認され、さらに目下上院および下院の国内安全および非米活動の両委員会によって取り上げられている。
 ゾルゲ事件は、単に東京において終始した局部的なものではなく、ソ連の支那を中心とする極東謀略全体に関連しているものであって、世界的規模の共同謀議を背景として考察されねばならない。またゾルゲ・スパイ団のもっとも活躍した上海は、世界制覇を目的とする狂信的共産主義者の温床であった。今日の支那の完全赤化へと発展したゆえんである」




 
 
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