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原爆と秘密結社

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年 5月 9日(月)10時15分39秒
  通報 返信・引用 編集済
  HYKSOSの帝王学

https://youtu.be/CSiVlM4cXXI?t=1712

HYKSOSは支配する民を管理するために神や同じようなリーダーをでっち上げ,それを裏から管理するという帝王学である。表舞台に立つのは常に傀儡であり,頭のすげ替えをひんぱんに繰り返すことになる。この帝王学にはなりすまし(背乗り)も枝に入る。少数派で組織に潜んで組織全体を支配する。

その傀儡たちはイルミナティのステージショーを演じるのです

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/30.html

HYKSOS=NAZIS(国際シオニスト同盟)

http://blog.goo.ne.jp/j4goocast/e/44dd86343077e9da14b9ec35c9011eaa

ヒクソス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9

フリーメーソンのオカルト知識はエジプトを模範にしたものです。それについては,C・W・レッドピーターが著書「古代の神秘儀式」で古代エジプトの神秘宗教が今日のフリーメーソンに持つ意義について語っています。またデーヴィッド・キャリコの最新書は,今日の悪魔主義の儀式を詳しく調査し,SRA(悪魔の儀式での虐待)とエジプトの「死者の書」(Pert Em Hru)には一体一の対応があることを論証しています。また,モナーク・マインド・コントロールを行う集団の一つが,「セト神殿」と呼ばれている。

http://megalodon.jp/2009-0318-0306-13/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html

イルミナティカードではヒラリーですがフジテレビでは例のメールの件があるのでトランプと報道している~世の中のためにはトランプでしょう。しかし緊急事態が発生しFEMA大統領が登場する可能性もある。オバマ暗殺も2062年の予言でよそう(うそよ)されている。

http://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/7961956b3011f56717e28ef3f88a5c11

ヘルツルの日記で拙稿を検索すると~シオニズムを理解する必要があります

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83w%83%8B%83c%83%8B%82%CC%93%FA%8BL&inside=1&x=0&y=0

ヘルツルの日記 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/937.html

シオニズムはユダヤ教の廃墟の上に始まる。

民族がもはや尽きたところに始まるのだ。

はっきりとさせなければならない。

シオニズムとは、隷属でもなく、薬でもない。

シオニズムとは、根絶であり、破壊である。

ヘルツルの日記 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/938.html

その先の光景はデンバー空港の壁画で見ることができる

http://satehate.exblog.jp/16297474/



http://www.thesecretofnagasaki.com/Japan%20A-Bomb%20Dionisi%20Japanese%20Translation.pdf#search='Japan+Developed+Atom+Bomb+Russians+Grabbed+
Scientists'


原爆と秘密結社で検索してみると

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A3xT6s6.6C9XphAAt2qJBtF7?p=%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%A8%E7%A7%98%E5%AF%86%E7%B5%90%E7%A4%BE&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

一読のおすすめ~http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/270807.htm

[解明した謎1]秘密結社「死の血盟団」が第2次世界大戦に先がけ
て米国政府を支配、原爆開発を推し進めて、ついに1945年、日本人の
大量殺戮を実行に移した。

[解明した謎2]原爆は日本を降伏させるために戦略目標に投下され
たのではない。日本キリスト教の中心であった長崎の破壊を主要目的
にして使われた。真の爆心地も隠蔽されている。

[解明した謎3]日本の原爆開発の情報を検閲し、真相を隠蔽するた
めに実施された占領期のさまざまな工作はいまだに形を変えて続いて
いる。

[解明した謎4]第2次大戦末期にナチス・ドイツが濃縮ウランを日
本に輸送しようとしたのは、日本の原爆開発がドイツよりも進んでい
た事実を示している。

[解明した謎5]米国市民は日本の原爆開発について全く知らされて
いなかった。ソ連はその間隙をついて、日本の敗戦後ただちに朝鮮北
部で原爆開発に従事していた日本の科学者や技術者を、その施設とと
もに接収した。結局このことが、ソ連の原爆開発を一挙に促進させる
結果になった。

[解明した謎6]「死の血盟団」は第2次大戦中に朝鮮北部で進めら
れていた日本の原爆開発を隠蔽することも含めて、戦後世界に「東西
冷戦」の国際関係を仕組んだ。並行して彼らは21世紀に第3次世界大
戦を引き起こすことを狙って朝鮮半島を分断し、東アジアでの対立緊
張と紛争の基を作った。

[解明した謎7]朝鮮でのキリスト教の中心地であった平壌は南北分
断により無神論を標榜する専制国家の首都として役立つように仕向け
られた。

[解明した謎8]長崎と広島の市街には、「死の血盟団」のいろいろ
な宗教的シンボルがすぐにそれと分かる事物や景観の中に埋め込まれ
ている。

[解明した謎9]原爆は「死の血盟団」が21世紀に全体主義的な世界
政府を樹立する計画の一部として使用された。
===============================
昨晩、この本を読了しました。
よくできた本です。僕の推理の足りなかった部分も補って
くれています。

佳境とキモは、やはり第6章と第7章でしょう。

管理人注:全文のPDFはここです

http://www.teachpeace.com/japanesetson.pdf#search='%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%A8%E7%A7%98%E5%AF%86%E7%B5%90%E7%A4%BE'

以下は要約のみ.....米国生命保険の最大手の一つである元メットライフ(アリコの親会社) の副会長

【原文=David Dionisi, “Japan’s A-Bomb Secrets,’ The Barnes Review, November-December, 2014】

画像と注釈は元記事参照

第二次世界大戦秘史―日本の原爆計画
日本の原爆秘密
デイヴィド・ディオニシ著

・連合国は、日本の核兵器計画についての情報を隠蔽した
・ドイツの同盟国日本へのウラニウム秘密輸送がついに解明された
・70年近くもアメリカの公衆に隠されていた真実
『特に、海軍は、防衛のためだけでなく攻撃のためにも
原爆を開発することを望んでいる』1(伊藤庸二大佐)
日本の原爆開発計画については、一般に知らされていないが、それは「新世界秩序」(以
下「死の血盟団」とする) の工作員らが積極的に証拠隠滅に動いたからある。実際に、第二次
世界大戦中の日本の原爆開発についての情報は、日本では殆んど公開されていない。2 これ
が、戦時下でのドイツの日本へのウラニウム輸送や朝鮮での日本の原爆開発施設の存在を
これまで世間に知られないできた理由の一つである。
死の血盟団は、連合国の占領管理当局を使って日本の原爆開発計画の証拠を隠滅した。
その公式理由は、日本が再び20 世紀の戦場に立ち返ることができないようにすることで
あった。しかし、この証拠隠滅作戦は、日本の非武装化をはるかにを超えるものであった。
日本における証拠隠滅作戦は、1945~1952 年の連合国占領管理下でフリーメーソン要員
のダグラス・マッカーサー元帥によって遂行された。1945 年9 月22 日、マッカーサーは、
日本の全ての研究実験機関にウラニウムとその他の放射性物質の分離作業を禁止する指令
を出した。3

マッカーサー パターソン グローヴズ
日本の原爆開発計画の事実を隠蔽した工作要員ら
もし1945 年に日本の原爆開発計画が広く知られていれば、朝鮮は、多分統一国家として
残されていたであろう。日本の原爆開発計画の多くは、今日の北朝鮮になる38 度線以北に
あった。日本の原爆開発の主要施設をソビエト連邦へ運び出す作業は、当時朝鮮半島を38
度線で分断し、更に1953 年に38 度線周辺を軍事境界線とすることによって遂行された。
当時米国でソ連に対する懸念が高まる中で、もし日本の原爆開発計画が秘密にされてい
なかったならば、おそらく朝鮮が分断されることはなかったであろう。米国市民の大多数
がソ連に原爆を持ってほしくないと思っていたのに対して、死の血盟団はソ連の原爆開発
を望んでいたのである。その結果として、マッカーサーの一般命令1号が出された時は、
ソ連が日本の原爆開発科学者らとその施設に手を出しても公衆の反対の声は上がらなかっ
た。更に、こうした原爆の秘密を守るために、ソ連が独自の原爆を開発した後でさえ、朝鮮
を分断しておくことが重要であった。4
2
日本の原爆開発計画は、大量分光計、コッククロフト-ワルトン加速器、ヴァンダグラーフ
起電機、クルジウス管、ローリッツェン検電器、サイクロトロン4台を含む記録された物理
的証拠から確認されている。5 上掲の写真は、理研で使っていた日本最大の原爆開発用60
インチ・サイクロトロンである。6
1,945 年11 月24 日、米国の占領管理当局は、日本における全てのサイクロトロンを接収
した。7これらのサイクロトロンは、爆破器を使って破壊され東京湾に投棄された。8 下の
写真は、わずか5日でこのサイクロトロンの破壊を完了した仁科芳雄と米国第8軍工兵隊
員を写したものである。9、10
このサイクロトロン破壊の指令は、米国と欧州の物理学者らからの抗議を引き起こした。
調査の結果、この破壊指令は、公式には陸軍長官ロバート・P・パターソンにより発令された
のであるが、実際は彼の部下であったと言うレスリー・グローヴズ将軍が出したものである
ことが分かった。11
日本の原爆開発計画の公式開始は、1941 年12 月17 日である。原子爆弾の着想は、それ
より7年早く、東北大学の彦坂忠義教授が原爆製造の可能性を説明する一連の原子物理学
理論の論文を発表した1934 年になされた。
浅田常三郎博士は、原爆製造を論議する1941 年12 月17 日会議のお膳立てを助けた。12
浅田博士、仁科芳雄博士、伊藤庸二博士、嵯峨根亮吉博士、渡辺寧博士及び菊池正士博士がこ
の会議に出席した。13
3
伊藤庸二が会議を正式に開会して云った―「我が帝国海軍が先生方にわざわざお出まし
頂きましたのは、他でもなく先生方が本邦物理学研究分野で最高の権威者である故でござ
います。私は、先生方が当会議の理由を既にご賢察のことと存じますが、我が海軍は、原子
力エネルギーを我が国のために開発することを欲するが故に、先生方に本日ここにご参集
頂いた次第であります」と。14 続けて、伊藤は、米国に対する攻撃と戦争に勝利するために
原爆開発計画が裁可されことを説明した。15
そこで浅田常三郎が発言し、「もしアメリカがそのような武器を開発することになれば、
我が国にとって極めて危険であります。従って、私は、既に何人かの皆さんに申し上げて
おりますように、他ならぬ我が国の自衛のために、先ずは原爆の開発が可能か否かをはっ
きりせねればならないと思う訳です」と述べた。16 仁科芳雄は、伊藤から日本の原爆開発
計画を指導してくれるよう云われて、「あなたはそれが如何に大きな仕事であるか分かって
おられるのか?」と応答した。17 伊藤は答えて云った―「分かっております。我が海軍は
分かっております」と。そこで、仁科は云った―「それでは、どれほど金がかかるかも?」。
すると、伊藤は答えた云った―「海軍には資金がありますよ」と。そこで仁科は再び訊ねて
云った―「と云うことは、海軍には明確に事を進める用意が出来ていると、そう云うこと
ですか?」と。これに対して伊藤は答えた―「海軍は、用意が出来ているばかりか、既に
名称までつけてあります。我々は、これを海軍の最優先研究事業と考えていることを先生方
に知ってもらいたいのであります。我々は、それをA計画と呼んでおります」と。18

二号とF号
A計画は、結局、二号とF号と呼ばれた二つの原爆開発計画に分けられた。仁科芳雄は、
理化学研究所での二号計画を担当し、19 荒勝文策が京都帝国大学でF号計画を率いること
になった。20 1942 年10 月1 日に、仁科博士は、ウラニウムの六フッ化物ガスを蒸留して濃縮
ウランを生産する作業を選定した。21 これら二号計画とF号計画に従事した主要な科学者
は、下表に示した通りである。
(略語) (略語)
DFC = 基礎定数の確定
CR = 化学反応
TC = 理論計算
MOIS = アイソトープ分離測定
TDIS = 熱拡散アイソトープ分離
TOAN = 電子核理論
CM = サイクロトロン測定
UH = ウラニウム六フッ化物
4
日本の原爆研究は、京都大学でのサイクロトロン設置に成功したが、あらゆる入手可能な
ところからウラニウムを入手する必要があった。そこで、先ずウラニウム供給源を北朝鮮
に求めたのが、日本の実際の原爆開発施設を日本ではなく北朝鮮に建設した理由の一つで
ある。又、北朝鮮の長津ダムでの発電施設が大量の電力供給に適うことと、更に核爆発実験
による放射線被害から日本本土を守るためにもなるとの理由もあって、北朝鮮が原爆開発
拠点に選ばれたのである。24
北朝鮮の興南地域に日本の原爆開発施設があったことが、何故日本がその地域の長津に
発電所用ダムを建設したのか、又朝鮮戦争の際の1950 年11 月27 日から12 月13 日にかけ
ての「凍結した長津での戦い」で何故アメリカ軍が不名誉な敗北を喫したのかについて手掛
りを与えくれる。25 この「凍結した長津での戦い」でアメリカ軍兵士らは、F号計画のために
建設された興南地域の山岳施設を再発見している。26 この秘密の山岳施設の所在を知るこ
とになった朝鮮戦争での米兵捕虜たちは、1953 年板門店での停戦協定の後も帰されること
はなかった。彼等は頭を撃たれて射殺され、その頭蓋骨は北朝鮮政府によって保存されて
いたのである。27
デイヴィド・スネルは、日本の原爆開発計画を進める決定はB-29 の出現によっても影響
されたと書いている。28 スネルは、ソウルで本国に送還される日本人将校を尋問して日本
の原爆開発計画についての情報を得た。その日本人将校は、戦時中に朝鮮での日本の原爆
開発計画の防諜任務に当たっていた。米国政府は、スネルに対して当の防諜担当将校の氏名
を含む詳細を公にすること禁止し、スネルは、その日本人将校に若林哲夫の偽名をつける
よう要求された。
スネルは、後日出版物の中で、「日本の原爆開発計画は、当初名古屋で始められたが、
B-29 が日本本土の工業諸都市を盛んに爆撃するようになって、やむなく朝鮮へ移動させざ
るをえなかった」と記している。29 彼は、若林が「自分が思うに、日本を敗北させたアメリ
カの主要兵器はB-29 で・・・・B-29 が我が方の原爆開発計画を朝鮮に移動させたのであり、
その結果3ヶ月も遅れをとってしまった」と述べたことを引用している。30
日本の陸軍と海軍は、日本、ビルマ、中国でもウラニウムも発見しているが、朝鮮北部が
ウラニウムの最良供給源の一つであることが分かっていた。しかし、原爆製造には更に多く
のウラニウムが必要であった。そこで、ナチス・ドイツが金、生ゴム、阿片、キニーネその他
の戦争継続に必要な物資との交換で日本へウラニウムを提供することになったのである。
ドイツのウラニウム運送
ヴェルナー・ハイゼンベルク(左)は、ナチスの原爆開発計画を指導した。31、32
ハイゼンベルクは、1941 年にコペンハーゲンに出かけて、この開発計画の進行状態を著名
な物理学者ニールズ・ボーアと論議した。33 その後、ボーアは、ハイゼンベルクが彼に語っ
たことを英国人たちに警告した。34
ナチスの原爆が完成間近いとのハイゼンベルクの言明、即ち長年歴史の中に埋もれて
しまうであろう事実があったにも拘らず、1934 年には死の血盟団はアドルフ・ヒットラー
5
に対する影響力を失っていた。その結果、血盟団は原爆開発をイギリスからアメリカに
移し直すことになり、結局ニールズ・ボーアが彼等のマンハッタン計画に加わるようになる
のである。35 死の血盟団に仕えていたと考えられるハイゼンベルクは、ヒットラーの原爆
開発の進行を阻止したが、高濃縮ウランの日本への輸送を阻むことは出来なかった。ドイツ
が隠密裏に日本へウラニウムを輸送しようとした事実は、米国政府によって記録されて
いる。36
かのマンハッタン計画は、多分に原爆リトル・ボーイ[訳注=広島に投下されたウラニウム爆弾
の形状による暗号名]にナチスのウラニウムを使用したであろうことが推測できる。1945 年8
月6 日に広島上空で炸裂した原爆リトル・ボーイは、ウラニウムの爆弾用濃縮度アイソトー
プであるウラニウム235 を使っていた。又、ナチスのウラニウム爆弾開発は、米国が二つの
非常に異なる種類の爆弾、即ち1945 年8 月に日本で落されたプルトニウムとウラニウムの
原爆をどのようにして製造するに至ったかを説明するものかも知れない。
ドイツのUボートU-234 号は、下の写真(左)に示されるように、日本へウラニウムを輸送
途中の1945 年5 月14 日にU.S.S.サットン号[訳注=アメリカ海軍の駆逐艦]に降伏した。37,38
米国政府の公式報告では、ドイツの潜水艦U-234 号から没収したウラニウムについては
マンハッタン計画当局に報告されただけでロス・アラモス現地へは送られなかったとされ
ている。この公式報告では、ドイツのウラニウムはブルックリンの保管庫に収納され、広島
へ投下した原爆には使用されなかったとされている。39
しかし、U-234 号の海上での降伏は、ヨハン・ハインリッヒ・フェーラー中尉によって指揮
された同艦が金で裏打ちされた円筒にウラニウムを入れて運んでいたので、死の血盟団に
は幾つかの問題を引き起こした。容器を金で裏打ちしたのは、ウラニウム235 からの放射線
被曝を防ぐために必要であったからで、それは米国政府が報告した同艦積荷の不活性酸化
ウラニウムの輸送には使われないのである。原子炉で濃縮されない限り酸化ウラニウムは
放射線を出さず、従って金で裏打ちされた円筒容器は不活性酸化ウラニウムの輸送には必
要ないのであるから、U-234 号の金で裏打ちされた円筒容器の存在は極めて重要である。
ヴォルフガンク・ヒルシュフェルト[Wolfgang Hirschfeld]は、当U-234 の乗組員であった。
この直接の目撃証人は、1997 年の出版書『ヒルシュフェルト―Uボートの秘密日記』
[Hirschfeld: The Secret Diary of a U-boat]の中で、「U-235」とペンキで表記された円筒体に「U-
粉末」と表示された積荷を見たと記している。40 しかし、この放射性物質の証拠は、1947 年11
月20 日にU-234 号艦とともに破壊された。上の写真(右)は、このU-234 号がコッド岬の沿
岸沖合でUSS グリーンフィッシュ号により魚雷で沈められた際に撮られたものである。41
6
日本のI-52
写真の日本潜水艦2隻のうち1隻はドイツ潜水艦U?530 号から
高濃縮ウラニウムを受け取るために派遣された潜水艦I-52 号
1944 年に日本の潜水艦I-52 号がドイツで受け取り日本へ持ち帰ることになっていた酸
化ウラニウム500 キログラムと恐らく一緒に積荷されていたであろう多少のウラニウム
235 に関する秘密は、今日もなお隠されたままである。
I-52 号は、1943 年12 月28 日に日本の呉海軍造船所で第11 潜水艦隊に就役した潜水艦
で、燃料補給なしで300 トンの積荷を21,000 マイルも輸送できるように設計されていた。
上掲の写真は、僚艦I-53 号と並ぶI-52 号を撮ったものである。
1944 年3 月、I-52 号は、宇野甲雄艦長、士官11 名、下士官兵84 名と乗客14 人を乗せて
呉港を出発し、途中シンガポールに寄港して生ゴム54 トン、阿片2.88 トン、キニーネ3 トン
を積み込んでいる。なお、I-52 号には金2トンが積み込まれていたことも、解読された日独
間の通信によって確認されている。
I-52 号は、1944 年6 月23 日にクルト・ランゲ大尉が指揮するドイツ潜水艦U-530 号と
会合することになっていた。43 この会合の通信連絡がアメリカ軍諜報部によって傍受され、
A・B・ヴォセラー大佐が指揮する護衛空母U.S.S.ボーグが両潜水艦を空爆するために急派さ
れた。ジェスイ・テイラー少佐がU.S.S.ボーグから発進して約55 マイルの海上でI-52 号と
U-530 号を発見して攻撃し、日本の潜水艦は被弾してアゾレス諸島の西南800 マイルほどの
大西洋に沈没した。U.S.S.ボーグは、ウィリアム・フラッシュ・ゴードン大尉が指揮する次の
攻撃機を発進させて、その魚雷攻撃でU-530 号も撃沈させた。44
I-52 号と積荷の金の損失は、当時日本のベルリン駐在海軍副武官の藤村義和によって確
認された。その際に藤村は、「金を失ったことは辛くないが、100 人もの水兵たちを失った
ことは残念だ」と語っている。
深海沈没船引揚げ作業の専門家ポール・ティドウェルが、国立公文書館でI-52 号が金2
トンを積み込んでいたことを確認した解禁文書を読んだ後、1995 年に当の沈没艦を見つけ
る作業を始めて現在も続行しているが、未だ金が回収されたとの報道はない。
ソ連による日本の原爆開発施設の接収
7
興南地方に所在した日本の原爆開発施設周辺は、直ちにソ連と北朝鮮にとって特別厳戒
の保護地域になった。ソ連は、米国人員が厳重監視下でなければこの地域に入ることを許さ
なかったし、当該地域に入れた者でも、その山岳施設に入ることは許されなかったのである。
又、北朝鮮における日本の原爆開発施設の存在は、1945 年8 月29 日に何故ソ連が北朝鮮
上空を飛行中の米国機B-29 を撃ち落したかの隠された理由を伝えるものでもある。45 この
B-29 は、興南地方の戦争捕虜収容所に食物と医薬品を届けようとして撃墜された。その際、
操縦士のジョーズ・H・クウィーンズ中尉は、ソ連機の操縦士から着陸を命じられたが、46
着陸地のハムムング飛行場が小さすぎると判断してサイパン島の基地へ引き返そうとした
のである。そこでソ連の戦闘機4機がクウィーンズのB-29 を射撃したが、搭乗員12 人は
無事脱出してアメリカ軍に救出された。47
日本の原爆開発計画は、当時アメリカのマンハッタン計画よりかなり遅れてはいたが、
1945 年の時点ではヨセフ・スターリンにとって大きな価値があった。スターリンは、死の
血盟団に仕えてはいたが、1945 年には原爆製造に必要な技術や資材をアメリカから与えら
れることを確信できなかった。『ジョーダン少佐の日記から』と題する出版書は、死の血盟
団要員のハリー・ホプキンスが原爆製造に必要な設計図や資材をソ連政府に受け取らせる
手配をしたと記述している。48 トルーマン政権はホプキンスを使ってスターリンに国家最
高機密である原爆情報を届けたのだと、ジョージ・ジョーダン少佐が暴露したのである。49
朝鮮の分断
何故アメリカが朝鮮を分断したかについての公式説明を信じることは、この悲劇が政策
意図によるのではなく偶然にそうなったのだ信じることである。下の地図は、朝鮮半島の
分断を描いたものである。50
こうした偽りを信じるのは、日本が36 年近くも朝鮮を植民地支配した事実や1950 年に
何故国際連合が朝鮮に対する軍事行動を承認したかについて無知だからである。真実は、
1905 年のポーツマス協定、1945 年の朝鮮分断、1950 年の朝鮮戦争、1951 年のサンフランシス
コ条約などが全て死の血盟団に仕える男たちによって策謀されたことである。
1905 年、当時の米国陸軍長官で後に大統領になるウィリアムズ・ハワード・タフトが日本
の外務大臣と密かに会談した。タフトは、米国を代表する者でありながら「スカル&ボーン
ズ」[訳注=イェール大学出身者の秘密結社]の一員として死の血盟団に仕える者であった。彼は、
日本がアメリカのフィリピン植民地支配を支持することと引き換えにアメリカが日本の朝
鮮占領を支持する取り決めを結んだ。この取り決めは、同年後のポーツマス条約で成文化
され、セオドラ・ルーズヴェルト大統領によって調印された。その結果、日本は、直ちに朝鮮
占領を開始し1910 年には朝鮮併合を宣言したのである。
8
ほぼ全ての朝鮮人が反対した1945 年の朝鮮分断は、死の血盟団がそこにスターリン主義
で孤立主義的な国家を作り上げるために策謀した結果であった。51 朝鮮がどのようにして
分断されたかについては、偽りの説明が多くの学校で教えられている。学生たちは、第二次
世界大戦の終了時にトルーマン大統領の部下らが朝鮮を余り重要視しなかったからだと説
明される。更に、歴史本の作家らは、時として、アメリカ政府が当時フィリピンと日本の戦後
処理に圧倒されていたので朝鮮の信託統治を引き受けたくなかったのだと説明して、真実
を曇らせようとする。こうした解釈は、1945 年にはアメリカが世界唯一の核武装大国では
あったが、スターリンと宥和するために朝鮮が分断されたのだとの説を促すことにもなる。
朝鮮分断について米国政府の公式説明は、二人の軍当局者デービッド・ディーン・ラスク
とチャールズ・ハートウェル・ボーンスティール3世が朝鮮を南北に分断する決定を下すに
際してなされた。52 結局、このラスクとボーンスティールの分断案は、対日占領管理の一般
命令1号の一項目として実施された。即ち、この一般命令では、「満州、北緯38 度線以北の
朝鮮、樺太[南樺太]における日本軍の高級司令官と陸・海・空・補助軍の全ての部隊は、極東
におけるソ連軍最高司令官に降伏すべし」と規定されているのである。
ラスク文書
ラスク54 は、米国を朝鮮とベトナムでの戦争に引き込んだ張本人としてよく知られてい
る。又、ラスクは、朝鮮と日本との間に紛争を作り出す1951 年8 月10 日のラスク文書とし
て知られるアメリカの戦略文書をも起草した。55
このラスク文書は、日朝間に幾つかの領有権問題を作り出し将来紛争化する種を蒔き、又
死の血盟団の最高幹部要員であるジョン・フォスター・ダレスと共同起草した1951 年9 月8
日のサンフランシスコ条約への道を開くものであった。56 死の血盟団のためのダレスの働
きは、広範囲にわたり、第一次世界大戦中の戦時産業委員会でバーナード・バルークに仕え
たり、カーネギー国際平和基金を理事長として指導したり、或いは1935 年から1952 年まで
ロックフェラー財団の理事として活躍したりして、多年にわたり血盟団に尽くした。57
サンフランシスコ条約は、対日講和条約とも呼ばれ、1952 年4 月28 日に発効した。この
条約はサンフランシスコの戦争記念オペラハウスで調印されたが、そこには南北朝鮮の
いずれからも一人の代表者も出ていなかった。他の48 ヶ国もの代表が協定に調印したので
あるから、この事実は当の協定が朝鮮に直接係わっているが故に特に注目すべきである。
因みに、ラスクの幾つかの死の血盟団偽装組織との係わりは、彼がローズ奨学生となり
1933 年に血盟団のセシル平和賞を受けるなどした学生時代にさかのぼる。ラスクは、1950
年から1961 年までロックフェラー財団の理事となり、外交問題評議会の一員でもあった。58
世の歴史家らは、三度の世界大戦を引き起こす死の血盟団の秘密計画を知ることもなく、
上述のような幾つかの史実が第二次世界大戦後の東アジアにおける領有権紛争の要因では
なかったと誤った結論付けをしているのである。59
死の血盟団要員らが戦争を引き起こす憎悪の種を蒔いていることを理解すれば、人々が
彼等の罠から逃れられる助けになる。皆が第3次世界大戦を起こさせようと策動している
本当の敵に注意を集中すれば、領土紛争から身を引くことはより容易になるであろう。
ラスクと共に朝鮮分断戦略を策謀したチャールズ・ハートウェル・ボーンスティール3世
も、ローズ奨学生であり外交問題評議会の一員であった。彼は、1931 年にウェストポイント
のアメリカ陸軍士官学校を卒業し、死の血盟団に対する貢献で報賞されて四つ星将官[訳注
=大将の階級]で退職した。60
9
死の血盟団は、非常に特殊な理由で朝鮮を分断しようとした。先ずは、「冷戦」(これは
バーナード・バルークの造語であるが)を引き起こすのに役立つことで、これはソ連に原爆
を持たせることで可能になった。次いでは、第二次世界大戦の終了後も朝鮮に局地紛争を
起こさせて米国の軍事費を高く維持することであった。なお、この局地紛争は、38 度線以北
での秘密を守るためにアメリカの勝利なしで終結しなければならなかった。第三の理由は、
朝鮮でのキリスト教の影響を削減することであった。当時、朝鮮を分断することで、平壤を
中心に広がっていたキリスト教を迫害することがより容易になった。北朝鮮でのキリスト
教迫害は、公式に無神論主義の首都平壤から広がり21 世紀にまで続いている。第四の理由
は、分断朝鮮が21 世紀に第三次世界大戦を引き起こさせるアジアでの触媒として役立つで
あろうことである。
朝鮮の分断に続く初めの三つの狙いが達成された後は、死の血盟団にとっては最後四番
目の狙いが21 世紀に達成されるべく残されているのである。
不必要な戦争
朝鮮戦争への介入が如何にして国際連合で承認されたかについての公式説明は、馬鹿げ
ている。誤りであるが一般に受け入れられている説明は、国連が台湾の蒋介石政権を承認
していたことに抗議してソ連が安全保障理事会をボイコットしたと云うことである。ソ連
の国連代表は、このボイコットが図らずも朝鮮戦争への「国連軍」派兵介入の決議に対する
拒否権発動を不能にしたのだと主張した。
朝鮮戦争の勃発地点を示す標識
事の真相は、1950 年6 月25 日に北朝鮮が南朝鮮に侵入した際に国連安全保障理事会が
直ちに開かれて既述のような行動方針を議決したのである。上の写真は、朝鮮戦争の勃発
地点を示す標識である。61
当時ソ連代表団が安保理事会に出席しなかったのは、スターリンがそのように命令した
からである。既述のように、スターリンは死の血盟団に仕える者であった。
死の血盟団は、時機を選んで南北朝鮮間に戦争を引き起す諸条件を仕組んだのであった。


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