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八咫烏の正体

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年 5月23日(月)02時34分49秒
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  http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2013/06/24-e78a.html

関連記事:九州高千穂のホホデミ王朝と神武東征

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/845.html

正統竹内文書による大和族、出雲族、ユダヤ族と日本神話(八咫烏の正体)

今回は、正統竹内文書から大和族、出雲族、ユダヤ族や原日本人、縄文人などについて紹介する。大和族はシュメールから日本に帰還し、大和朝廷を打ち立てたが、それまでの倭(ヤマト、ワ)の国、日高見国や出雲族が支配していた国から、なかば奪い取ったことを隠蔽するために、それまでの王朝系図の改竄を行った。

正当竹内文献では、大黒主は出自不明だが、古代イスラエル人と見ている。また、大国主はスサノオの娘スセリ姫の婿婿だ。元々大和族ではアマテラスという女王を祭祀王の称を持っていた。中臣家(鎌足)は大和(九州の日向)族の一部だった(竹内氏)。中臣は藤原に姓名を変更するが、その子藤原不比等 が右大臣の時に、自分たちの都合のいいように、また、大和族の都合のいいように古事記や日本書紀を書かせた。大和族の武内宿禰は出雲族の十種神宝の秘儀や行法を出雲族や物部氏から奪った。さらには、原日本人の秘義や過去の記録を実質的に奪った。ただし、封印しながらも残しているそうだ。ちなみに平群真鳥は第八世の武内宿禰。

古代イスラエル人ないし古代ユダヤ人に関係するが、伊勢のイスズ彦は伊勢の港を管理していた。また、猿田彦はその伊勢で活躍した。イスズ彦はまたの名を伊勢津彦といい、キリストだ。竹内氏によるとキリストは日本に2回来ていて、出雲族と仲が良かった。キリストの弟のイシキリヒコも日本に来ており、キリストとは別々に来日し、日本では石工、測量に長けた技術集団の長として、全国を測量して回った。最後は青森県の戸来村で亡くなった。ちなみに、ゴルゴダの丘で磔にあったのは、もう一人の弟なのだそうだ。イシキリヒコは物部氏とも仲が良かった。ちなみに竹内氏によると、イスラエルの意味はもともとイセラエルのことで、古代ヘブライ語では栄光なる伊勢という。縄文時代は原日本人が縄文文明を築いていた。その後、大和族や出雲族が日本に戻ってきたころには、古代イスラエル人古代ユダヤ族がいた。ユダヤ族は物部氏と仲が良かった。後に渡来した秦氏は日本のスメル族の分家の分家的存在でユダヤ人。大和族と出雲族のスメル人がシュメールから日本にも戻って来たのは紀元前4世紀、5世紀の頃。元シュメール人がメソポタミアの地から忽然と消えたのは、紀元前2000年頃ととされている。そして、彼らが日本に戻り着いたのは、紀元前4、5世紀であり、1500年間はアジア大陸を東に移動してきたことになる。

正統竹内文書では、通説とは逆で、スサノオのグループ(後の出雲族)は、アジア大陸を陸路で日本に向かい、(朝鮮半島経由で)壱岐島経由で北九州にたどり着いた。一方、スメラミコトたち(後の大和族)は、海路で日本に向かい(沖縄久高島経由か?)九州の高千穂に上陸した。この二つの部族は圧倒的な武力を持ち、大和族は日向を中心に九州全域と瀬戸内海内海の一部の原日本人を支配していった。出雲族は出雲を中心に次第に支配領域を広げ、近畿や北陸日本海側を支配した。その後、両者の間で戦争が勃発し、オオクニヌシの息子のコトシロヌシの時の戦争で、大和族と出雲族が拮抗し和睦した。(大国主の国譲り神話)その結果、大和族の王であった神武(サノ彦)は融和策として出雲族の娘(コトシロヌシの娘タタライスズヒメ)をめとり、大和朝廷を確立していく。

タタライスズヒメは日本書紀と先代旧事本紀では、コトシロヌシの娘と記しているが、一方古事記では大物主の娘と書かれている。正統竹内文書では「大物主」は個人名ではなく、称号である。従って、第一代、第二代…と続く大物の主が存在したことだろう。

出雲国はスサノオとその父のフツという大きな存在があった。しかし、大和族はこのうち、フツを存在しなかったことにした。一方、スサノオは出雲族の勇敢な武将(王で将軍か)であり、大和族との戦いでは、一進一退を繰り返し、大和族にとっては、手に追えない存在であったことから、スサノオを高天原で乱暴狼藉を働いたとして、神話でボロクソに扱った。戦争で第一回目の和議があったときには、大和族の祭祀女王アマテラスと出雲族のスサノオは政略結婚(誓約うけい)していることから、歴史から存在を消すことが出来ず、神話上でスサノオをイザナギとイザナミから生まれた姉アマテラスの弟(息子)にしてしまうという、系図の改ざんをした。

スサノオとアマテラスの間に生まれたのは、三人の娘たち(タキリ、イチキシマ、タギツ)で、宗像三女神。実は、この政略結婚の前段では、二人とも別の伴侶がいて連れ子がいた。スサノオには、8人の王子とスセリヒメがいた。スサノオ(=ゴズテンノウ=牛頭天王)と八人の王子の話が由来で、八王子という地名がつけられた。一方、アマテラスは、タカミムスビという審神者長(さにわちょう)との間にオシオミミという王子らがいた。

この政略結婚の時に、統一王朝がたてられるが、ふたつの王族の間で人事問題が発生した。スサノオの連れ子のニギハヤヒが軍事王兼統一王となり近畿の地にを拠点にし、アマテラスの連れ子であるオシオミミは政治王になることが、決まる。しかし、オシオミミは自ら政治王の称号を辞退。二人の間の宗像三女はまだ、若かったため、ニギハヤヒが統一 王朝の初代王となり「アマテラス  クニテラス  アメノホアカリ  クシタマ  ニギハヤヒノミコト」という称号を得た。竹内氏によると、「ニギハヤヒは大年(オオトシ)と火明(ホアカリ)」は同一人物である。ということで、初期段階では、先に支配していた出雲族側に有利に働いた。大和族はアマテラスという祭司(女)王称号を出雲系に取られた形になる。

しかし、その後も戦いは長期間続き、最後の決戦では、八咫烏の支援もあり、神武の時には出雲族との戦いに勝った。戦勝する前段で、この時にもうひとつの逸話がある。神武は天香久山(アメノカグヤマ)の土でを取って、瓦やお神酒を入れる瓶を80個づつ作り、天神地祇に祈れという託せんを夢で見たのだ。ここで出てくる天香久山だが、有名な大和三山の一つだ。だが、正統竹内文書によると天香久山は人の名であり、なんとニギハヤヒノミコトの息子であり、別名をタカクラジ(高倉下)である。これは神武イワレヒコ側に寝返った父ニギハヤヒの以降を受けて、息子の天香久山ことタカクラジが大和族の神武の助太刀に回り、出雲軍との和睦を図った。神武は熊野でタケミカヅチの剣である布都御魂(フツノミタマ)を見つけたタカクラジに助けられたと記紀にあるが、まさに出雲族に代々伝わる霊剣を渡したことで、神武側に寝返ったことを表している。

  さて、八咫烏だが、正統竹文書では、八咫烏は大国主の子で、コトシロヌシの兄であり、別名をアジスキタカヒコネという。彼の母は、宗像三女神の一人のタキリ姫である。

宗像三女神はアマテラスとスサノオとの間に生まれた子達である。当時、大国主には支配して恭順してきた各地に伴侶がいた。(各地の豪族が娘を大国主に嫁がせた)八咫烏ことアジスキタカヒコネは大国主の子であることから、ユダヤ、古代イスラエル人の血が流れている。(カッパーラこと伽波羅の継承者で、現在でも八咫烏は伽波羅の大きな担い手)

西暦50年頃神武に始まった大和朝廷だが、通説ではその後の天皇は歴史上では欠史八代とされ、架空であり存在しなかったことにされている。しかし、正統竹内文書では、第二代から第九代の天皇は実在した。実は、神武没後は大和族に反旗を翻すもの達が出たのだ。一旦征服された縄文(出雲)系残党や当時特に吉備国を中心に鬼と呼ばれていた悪行を繰り返す朝鮮系渡来人たちの反乱により、大和朝廷の土台が揺らいだ。第三代の安寧天皇まではなんとか持ちこたえたがそれ以降は反乱の対処に苦労し、第六代の考案天皇の時代にはついに大和族出身の九州まで逃げ帰った。この時の主な戦場は瀬戸内海と言われる。

その後に勢力を盛り返し、再び大和の地を取り戻したのが、第十代祟神天皇だ。祟神天皇の和風諡(おくり名)は御間城入彦(みまきいりびこすめらみこと)であり、または、御筆国天皇(はつくりしらすすめらみこと)と称される。この「はつくにしらすすめらみこと」の和風おくり名から、通説では大和朝廷の初代天皇は神武天皇ではなく、祟神天皇と解釈されているが、第十代祟神の時になって久しぶりに再度大和の地を奪還したからこそ、つけられたのであり、祟神は初代天皇ではなくやはり第十代なのだ。

竹内氏によると、祟神のオバは倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトイモモソヒメ)は、魏志倭人伝で伝えられた、「卑弥呼」とのこと。モモソヒメこと卑弥呼の娘は豊鋤入姫(トヨスキイリヒメ)であり、「トヨ」である。祟神は大和の地に戻った後も、各地でまつろわぬ部族を征伐するために、四将軍を派遣した。将軍の一人、吉備津彦には吉備国で暴れていた朝鮮渡来人の温羅(ウラ)こと鬼の軍団を退治したが、吉備津彦軍に参加した部族は、「犬養」、「猿女」、「鳥取」の各氏だそうだ。実はこの話がもとで、「桃太郎」伝説が生まれたとのこと。おとぎ話には、犬(養)、猿(女)、雉=鳥(取)が出てくるではないか。このとき、鬼の大将ウラを殺したのが、アメノウズメの子孫、猿女氏であったという。

以前マイブログにて坂本政道氏の主張の、「アマテラスという祭司女王はいなかった。伊勢に鎮座する天照大神は架空」ということを紹介したが、大和族で第73代竹内宿禰(竹内睦秦氏)が代々継承してきた正統竹内文書をでは、大和族は元来女性神を立てた部族とあるので、私もこちらの説をとりたい。竹内氏によると、大和族はそれまでの男性神アマテラス(アマテル)の存在を隠蔽し、自分達が奉じる、女性神アマテラスにすり替えて、伊勢に祀ったのだ。

大体以上だが、さらに詳しい内容は、書籍「誰も知らない御親国日本」(布施秦和氏著、ヒカルランド)を手にとって、一読されることをお勧めする。この本を手にとれば、今までの日本神話の解釈が覆り、実像を知ることができるかもしれない。

 
 
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