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こうして私は自殺からまぬがれた

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年10月18日(火)12時28分16秒
  通報 返信・引用 編集済
  万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかもしれない。

 自殺に対するモンテエエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することができないのである。

 死にたければいつでも死ねるからね。ではためしにやってみたまえ。

           芥川龍之介『侏儒の言葉』より

 神は生成の誤謬を理解し,なお自制心を失わない者を極端に嫌う傾向がある。それによって発狂した者には微笑みかける。しかし神も自制心を失いかける時もある。背教者ユリアヌスがミトラ教を愛したときのような場合だ。

『ヤーウエと蛇の遭遇の後に起こるアダムとイブの追放は,人間の堕落にほかならず,新約聖書におけるキリストの受難は人間の救済にほかならない。どの場合も物語りは完全な陰の状態からはじまる。ファウストは知識において完全であり,ヨブは善行と幸運において完全であり,アダムとイブは罪のなさと安楽さにおいて完全である。しかし,陰から陽に移行させる場合,もう一人の役者が必要になる。苦悩や不安や恐怖や反感を注入する敵を登場させなければならない。』これが蛇の役割であり対立物の統一という弁証法...............これが分かれば自殺なんてしなくてもいいのですよ。管理人の長い間の苦悩はこれで解決できたのです。芥川の死の床の枕元には聖書が置いてあった。三島由紀夫は『仮面の告白』で聖書の予定説を述べている。彼らが聖書の本当の意味を理解していれば死ぬことは避けられたと思う。

関連記事:聖書ものがたり・創世記

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/125.html

ヨブへの答え その5~教会の原理と精霊の原理

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/122.html

「ブリキがたまたま自分がラッパだったことに気づいたとしても,それははブリキの責任ではありません。『我思う』なんて,でたらめです。私は一個の他者(je suis une autre)です」(ランボー)

個人の最高に具体的な不平等を現実に生み出したのは,まさしく近代国家の偉大な発展と成熟であると言うべきである。<へーゲル・法の哲学より>

こうして私は自殺からまぬがれた~トルストイ「懺悔」より

http://denik-hallelujah.blogspot.jp/2011/01/12-2.html

12-2 こうして私は 自殺からまぬがれた

神は 私の探求、絶望、あがきを知り、かつ 観(み)ている。

《神は存在するのだ》 と私は自分に言った。

そして そのことを一瞬 認めさえすれば、

ただちに 私の身内に生命力が高まり、

生存の可能と歓喜を感ずるのだった。

然(しか)し私は 再び 神の存在の承認から

神との関係の探索に移行し、そして再びあの神が、

子なる救世主を地上に遺(のこ)した三位一体(さんみいったい)の神の姿が現れる。

そして再び この世界から、私から隔絶(かくぜつ)した神は、

氷塊(ひょうかい)のように 私の面前で溶け去り、

再びなんにも残らなくなり、

再び生命の泉が涸(か)れるのだった。

そこで私は絶望に陥(おちい)り、
自殺する以外 何もすることがない と感ずるのだった。

しかも 何よりもいけないのは、その自殺するということすら
私には 何も出来ないということを感じたことだったのである。



二度や三度でなく、何十回何百回と 私はこうした状態、

喜びと生気につづく絶望と生存不可能の意識の繰り返し といった状態に陥った。



忘れもしない、それは早春のことであったが、

私は一人 林の中にあって、

その林の中の 種々の物音に 耳を傾けていた。

私は 耳を傾けながら、

この三年間 絶えず常に ただ一つのことを考えて来たように、

ただ一つのことを考えていた。

私は 再び神を探していたのだ。



《よろしい、神などというものは 存在しない---と私は自分に言うのだった

---私の単なる表象(イメージ)でなくて、私の全生活のような実在としての神、

といったものは 存在しない。そして何者も、いかなる奇蹟も、

そのようなものの存在を証明することは出来ない。

なぜなら 奇蹟も私の表象であり、のみならず不合理な表象ですらあるのだから。》

《然しながら私のこの神の観念は?---と私は自問した。

---この観念は どこから生じたのか?》 そしてこの事を考えるや、

再び私の内部に喜ばしい生の波動が高まったのである。

私の周囲のものが 何もかも活気を帯び、意味を持ち始めた。

それでも 私の喜びは永くつづかなかった。

やっぱり 理智が活動をつづけたのだった。

《神の観念は---神ではない》と私は自分に言った。

---《観念というものは 私の心中に生ずるもの、

神の観念は、私が自分の心中に喚起(かんき=呼び起こす)することも
しないことも出来るところのものなのだ。

それは 私が探し求めているものではない。

私は、それなしでは生きて行くことが出来ないもの、

そんなものを探しているのだ。》

そして再び私の周囲のものや、私の内部のものが、

何もかも滅び始め、再び私は 自殺を想うのだった。



然し その時私は 自分自身をふりかえり、

自分の中に生ずるところのものをふりかえり、

そしてこの何百回となく私の中に生じた
滅びと蘇(よみがえ)りのくりかえしを思い起こした。

私は 自分がただ、神を信じている間だけ 生きていたことを思い起こした。

昔そうであったように 今も、神を認めさえすれば私は生き、

神を忘れ、神を信じなくなった瞬間に 私は死んだといってよかった。



この蘇生(そせい)感と 死滅感は 一体 何を意味するのだろう?

私は 神の存在への信仰を失うや、生きていないも同然だった。

もしも私に 神を見出すという、

はっきりしないけれど ある期待がなかったら、

とっくに 自殺していたにちがいない。

私は神を感じ、神を求める時、そんな時だけ生きる、

まぎれもなく生きるではないか!

では一体 私は外(ほか)に何を求めているのか?
---と私の内部の声が叫んだ。

---そら、これが神だ。

神とは、それなしには生きて行けないところの そのものなのだ。

神を認めることと生きること、
---それは 同義語である。

神は 生命である。



神を探し求めつつ生きよ。

さすれば 神のない生活の生ずる いわれ(=理由)はない。

かくて 私の内部 及び周辺において、

全(すべ)てが 未(いま)だかつてなかったほど明るく輝き、

そしてその光は もう決して私を離れなかった。

----- こうして 私は自殺からまぬがれた。

同じく懺悔より~自殺しなかった原因

http://denik-hallelujah.blogspot.jp/2011/01/7-2.html

7-2 自殺しなかった原因

第三の脱路は 力とエネルギーのそれである。

それは 生が悪でありナンセンスであることを知って、

それを絶滅させることの中にある。

力強い、首尾一貫した性格の人々が 稀(まれ)にそうした行為に出る。

我々の上に仕組まれたメロドラマの馬鹿々々しさが すっかり分り、

彼らはそうした行為に出て、一挙に愚劣な芝居を しまいにする。

幸い 手段は色々ある。

首にはめるロープの輪差(わさ=ひもを結んで輪にしたもの)、水、
胸に突き立てるナイフ、線路を走る列車、等々である。

実際 我々仲間の人達で、こうした行為に出る者が絶えず増大している現状である。

しかも そうした行為に出る人達は、

多くの場合 人生の最もよき時代、精神力がまさに満開の、
人間の理性を貶(おとし)める俗習が あまり身にしまぬ時代においてである。

私は これが最も品位ある脱路であると思い、そういう風にやりたいと思った。



第四の脱路は 優柔不断のそれである。

それは 人生の悪と無意味さを悟っていて、

所詮 なんにも始まらぬと前もって分っていながら、

やはり荏苒(じんぜん=歳月が移り行くままに、何もしないで)日を送ることの中にある。

この種の人達は 死が生よりましであることを知っていながら、

それでもさっさと欺瞞と裾(すそ)を分って自殺するという、
筋の通った行為に出る力がなく、
何か物待ち顔に生きて行く。

これが 優柔不断の脱路である。

というのは、もし私が よりましなものを知っていれば、

そしてそれが私の手にとどくとすれば、

どうしてそれに身を委ねないのか?

--- 私はこうした種類のうちの一人だった。



こういう風に 我々仲間の人達は、
四つのやり方で 恐るべき矛盾から身をのがれている。

どんなに自分の精神的注意力をはりつめても、

この四つの脱路以外には 私は何も見ることが出来なかった。



一つの脱路は、

生が無意味であり空であり悪であり、
寧(むし)ろ 生きない方がましであるということを悟らぬ というやり方である。

私はそれを知らずにいることは出来なかったし、
一度知ったら それに眼を瞑(つむ)ることも出来なかった。

もう一つの脱路は、

未来のことを考えずに、現在あるがままの生を享楽することだった。
これも私にはやれなかった。

私も釈迦牟尼(しゃかむに)のように、
老と苦と死とが厳存(げんそん=確実に存在)することを知った以上、
猟などに出かけたり出来なかった。

そのためには あまりにも私の想像は 生々しすぎた。

それにまた私は、
一瞬 私に享楽を恵んでくれる 束の間の偶然を喜ぶことが出来なかった。

第三の脱路は、

生が悪であり愚劣であることを悟って それを停止する、
つまり 自殺することだった。

私はそれがよくのみ込めたのだが、

なぜだか依然として自殺しなかった。

四番目の脱路は、

ソロモンやショーペンハウエルのような状態で生きること、
つまり、生が愚劣な、私の上に仕組まれたメロドラマであると知りながら、
それでも生きて 顔を洗ったり、着物を着たり、食事をしたり、
しゃべったり、本まで書いたりすることである。

これは 私にとって不快でもあり 苦しくもあったが、

やっぱり こうした状態にとどまっていたのである。



今思えば 私が自殺しなかった原因は、

私におぼろげながら
自分の思考の誤りを感ずる意識があったことだ ということがわかる。

我々に 生の無意味を認めさせるに至った、私や賢者達の思考の道筋が、

どんなに確実で疑いのないものに見えるにしても、

やはり私には 自分の判断の真実性に対する
おぼろげな疑念が残っていた。



その疑念 というのはこうだった。

私、即(すなわ)ち私の理性が 生の不合理性を認めた。

もしも より高い理性が存在しないなら
(そんなものは存在しないし、その存在を証明し得る何者もない)

この理性が 私にとっての生の創造者である。

理性がなければ、私にとって生もまた無いであろう。

自分自身が 生の創造者でありながら、

この理性はどうして生を否定するのであるか?

あるいは他面から言えば、

もしも生がなければ 私の理性もないであろう。

つまり 理性は生の子供である。

生こそ全(すべ)てである。

理性は 生の果実であるのに、

その理性が 生そのものを否定する。

どうもそこのところが少しおかしい、と私は感じたのだった。

7-3 どこかで私は間違った

http://denik-hallelujah.blogspot.jp/2011/01/7-3.html

過去記事=トルストイ「復活59章」より

http://megalodon.jp/2009-0127-2136-36/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1.html

 厳密に言えば,アダム(正確にはエリドウの守護神であるエア神が創造したアダバが一応正しい)は何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識するのだ。同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと悲しい真理を発見するのだ。
      (ウラジミール・ジャン・ケレビッチ「死」)より

ようこそ「OUT OF EDEN」へ。Zecharia Sitchinは神について最初に疑問を持った。聖書はまた疑いようもなく聖書だが,我々は常に神の名の正義に疑問を抱き,それを出発点とするならば人は正しく堕ちきることが出来るだろう。Sitchinでさえ紀元前45万年前から一万三千年前の間に宇宙人がこの地上にやってきて人類を創造したと子どもじみた仮説を打ち立てた拠りどころは銅板に描かれた楔(くさび)形文字であったがそれが正しいかなどは知るよしもない。宇宙人という物語を入れないと本は売れないのである。

なお,本ブログを読まれる方は,並行して,未来社の「開かれた社会とその敵上・下」カール・R・ポパー著を出来るだけお読みください。

 坂口安吾という人は「堕落論」でこう言っている。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできない。防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き,人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり,生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。........人は正しく堕ちきることが必要なのだ。......堕ちきる道を堕ちきることによって自分自身を発見し,救われなければならない」と。

 若くして夭折したRaymond Radiquetは「肉体の悪魔」の中でこう書いている。
 「望みをすべて叶えてしまうと(マルクとの愛欲),自分が不当な人間になっていくような気がした。.....人の心に理性にはない道理があるとすれば,それは理性が心ほど思慮深くないからだということを認めなければならない。.....ところが現実には,道徳にさえ背かずにつねに同じ型を追いかけていられるのは,愚かな者達ばかりだ」<松本百合子訳>

以下はトルストイの『復活』より

   『世間に最も広く流布されている迷信の一つは,人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか,悪人とか,愚者とか,精力的な者とか,無気力な者とかに分かれて存在しているという考え方である。

 だが,人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について,あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか,馬鹿でいるときよりもかしこいときのほうが多いとか,無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか,あるいはその逆のことがいえるだけである。

 かりにわれわれがある個人について,あれは善人だとか利口だといい,別の個人のことを,あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば,それは誤りである。それなのに,われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが,これは公平を欠くことである。

 人間というものは河のようなものであって,どんな河でも水には変りがなく,どこへ行っても同じだが,それぞれの河は狭かったり,流れが速かったり,広かったり,静かだったり,冷たかったり,濁っていたり,暖かだったりするのだ。

 人間もそれと全く同じ事であり,各人は人間性のあらゆる萌芽を自分の中に持っているのであるが,あるときはその一部が,またあるときは他の性質が外面に現れることになる。そのために,人々はしばしばまるっきり別人のように見えるけれども,実際には,相変わらず同一人なのである<トルストイ・復活59章>より

「狼が羊を食うとき,どのようにして近ずき,どのようにして襲い,どこに最初に噛み付き,殺したあとどこから食べ始める~ということは,たいへん正常で,かつ論理的だ。狼にとっては,この正しさと論理性は何の疑問もさしはさむ余地はない。狼にとっては,羊は食べられる運命であり,そのように創造された生物だ。
 だが羊の理論は,そうではない。狼の視点から正常かつ論理の一貫した世界は,全部異常かつ非論理的である。.......日本ほど平等な国はないと思っている超高級花嫁学校の正常な生徒たちよ。....超高級花嫁学校に,超高級授業料を払って,ますます正常な人間へと自分を堕落させてゆくことのアホらしさに気ずくだろう。反対に羊の論理にあくまで目をつぶって「見えない人間」の存在を無視するのであれば,もはや「正常」と「異常」とが力関係を逆転されるときまで,すなわちいやでもわからせられるときまで,そのアホらしい,たぶんシアワセな生活を,このままつずけることだ」<本田勝一著:殺す側の論理>より

 シュメール最古の町エリドウの祭司王アダバ物語は一介の漁夫が祭司王になったいきさつを一つの「訓話風」に作り伝えているがそのアダバ物語と「エンキとニンフルサグの神話」をヒントに両者を合わせてシュメール叙事詩風にアダムとエバの物語を作ったという。しかしそれだけでは充分でない。弁証法的理性批判をめぐってJ・Pサルトルと論争をしたクロード・ギュスタフ・レビンのように構造主義的考察が必要である。したがってMitochondrial Eve・人類アフリカ単一起源説からGiorgio de SatillanceのHamlet's Mill(ハムレットの水車小屋)で述べられている春分点歳差(Vernal Equinox Precession)などやStephen Oppenheimer氏のOUT OF EDENを原点とした旅をしてみようと思う。私としてはすでに結論が出ているが再確認の意味もある。そうすることによって初めてカルタゴ以来の国際金融資本家たちが時間をかけ神の名の正義のもと宗教神話を巧みに利用して社会を操作・操縦・支配してきた構図がはっきりとしてくるだろう。それはほかでもなくあらゆる犯罪が神の名の正義のもとで正当化される。宗教神話は真実として受け入れられなくてはならないがそれは各人の精神心理の中枢部へ入り込み拡散する。そしてそれがうまく機能することによって真実(神聖詐欺)を知るごく少数の人間達のみがThesis+AntiThesis=a de fact"Synthesis(正・反・合)を巧みに操りながら戦争を仕掛け莫大な富を築きあげ世界を支配している現実がほぼ完璧に理解出来るでしょう。

OUT OF EDENは終了いたしました

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1.html

おまけ~また始まった年金支給カット。中期的には50%カットか?共済年金の場合230万円以下はカットされません。こういうことを追究する政治家は皆無です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-00000082-mai-soci

マイコプラズマ肺炎広がる~読者はその意味が解りますよね

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161018-00000056-jnn-soci

今は黙っていてもマイコプラズマ肺炎で殺されます

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%7D%83C%83R%83v%83%89%83Y%83%7D&inside=1&x=0&y=0

CIAの個人ファイル公開

http://www.asyura2.com/16/cult16/msg/903.html

9.   2016年10月18日 04:22:04 : RzOr01j02A  : X0rqIHJ31aI[16]

▲△▽▼

(3) 正力松太郎、吉田茂、辰巳栄一とCIA 後述するように、IWG資料中でも特に注目されたのは、CIAの個人ファイル公開であった。そのうち「正力松太郎ファイル」を、正力のCIAコードネー ムがPODAMであることをつきとめ、いち早く解読した早稲田大学の有馬哲夫は、『日本テレビとCIA  発掘された「正力ファイル」』 (新潮社、二〇〇六年)を皮切りに、『原発、正力、CIA』 (新潮新書、二〇〇八年)、『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、二〇〇九年)を発表した。その延長上で、『アレン・ダレス 原爆・天皇 制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、二〇〇九年)にも研究を広げ、他のファイルとのクロスから、以下のように吉田茂の軍事顧問辰巳栄一とCIAの関係をも見 出した。吉田茂側近「辰巳中将」がCIAに情報提供?(共同通信二〇〇九年一〇月三日) 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(一八九五ー一九八八年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコード ネーム・・・
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/982.html
・ 中央情報局CIA個人ファイル(RG263) 今回の機密解除で世界から最も注目されているもので、第一次と第二次の二回に分けてリリースされた。ナチス・ドイツ関係と日本帝国関係は区別されておら ず、索引はアルファベット順、ボックスは独日一括で作られている。だから、アドルフ・ヒトラーHitlerの直前に、昭和天皇裕仁Hirohitoや東久 邇稔彦Higashikuniの個人ファイルが入っている。ただし、昭和天皇裕仁や岸信介のファイルを見ると、「戦争犯罪記録」といいながら、戦争責任や 東京裁判に関する資料はほとんどなく、未だに重要部分は非公開のままであると推定できる[21]。  CIA Name File の第一次公開は七八八人とされるが、アルファベット順で検索できる圧倒的多数は、ドイツ人名である。わずかに日本人名と特定できるのは、土肥原賢二、今村均、石井四郎、大川周明の四人各一冊計四冊である。  第二次公開は約一一〇〇人であるが、そこから日本人らしい名前を抽出すると、秋山浩、有末精三、麻生達男、福見秀雄、五島慶太、服部卓四郎二冊,東久 邇稔彦、昭和天皇裕仁、今村均、石井四郎、遠藤三郎、賀屋興宣、岸信介、児玉誉士夫二冊,小宮義孝、久原房之助、前田稔、野村吉三郎、緒方竹虎五冊、大川 周明、小野寺信二冊,笹川良一、重光葵、下村定、正力松太郎三冊、辰巳栄一、辻政信三冊,河辺虎四郎、和知鷹二、和智恒蔵の名が見出される。筆者の概観で は、一・二次合計で三一人四五冊分となる[22]。 多くは戦犯ないしその容疑者だが、東京(極東軍事)裁判の戦犯容疑者約一〇〇人中では、一二人(上記網掛け分)しか重ならない。つまり、CIAの個人資料収集基準は、占領改革期の戦争犯罪追及=民主化・非軍事化の原理とは、全く異なっている。  むしろ、七三一部隊長石井四郎に典型的なように、戦犯訴追を免かれた旧軍人が多い。有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎らGHQ・G2歴史課等に協力して訴追を逃れた人々が入っている。 上海自然科学研究所の小宮義孝は、七三一部隊の石井四郎・秋山浩・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑われたのであろうが、もともと小宮は治安維持法で検挙 され東大医学部助手から上海へ左遷された左翼である。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除されたCIA個人ファイルには、左翼関係者は入ってい ない。 しかしこれは、CIAが日本の左翼を無視し、監視・工作をしていなかったことを意味しない。左翼系ファイルは、今回公開分には入っていないが、なお「極秘」「秘密」の扱いを受けている可能性も残されている。

管理人注:昭和天皇の本当の資料はこれだよ

ついに地上起爆の仕組みがわかった

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3755

明治以来日本は結社の支配下にあったということです

キリストのいないキリスト教

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83L%83%8A%83X%83g%82%CC%82%A2%82%C8%82%A2%83L%83%8A%83X%83g%8B%B3&inside=1&x=0&y=0

上記引用部分より
>正力松太郎三冊
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/982.html

10.   2016年10月18日 04:25:43 : RzOr01j02A  : X0rqIHJ31aI[17]

▲△▽▼

日本という国の情報公開はいつまでたっても為されないのですね。
どれだけの犯罪が積みあがっていることやら。

興味深い記事がありました

http://ameblo.jp/geneumi/entry-12210894910.html

たとえ偽でも

当ブログ管理者が、これからどのくらい生きるかは知らないが、人生の2/3。

随分と長きに渡り騙された。

今頃世の中の仕組みが分かっても手遅れだが、知らないよりは知った方が良い。

ところがどっこい、分かってみると何とも居心地が悪い。

現在のところ、日本に生まれると自動的に一般的日本人と同じ振る舞いをしないと超面倒くさい。

無理をして違う生き方をするつもりは無いが、テレビも紙媒体も何もかも、外れた人間をまったく相手にしない。

まるで、日本人(その他大勢)とは「マスゴミの論調に頷くのが当たり前」と言わんばかりである。

電痛は「平均的世論はこんなもんだろう」と決めつけた価値観しか認めない。

「大多数はこうなのだから、あなたも理解を示せ」・・・だって?

阿呆か。

裏神道

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2009894.html#more

『われらの奥義たる裏の神道に至るには「1を足すべし」

という格言がある』.......そうだ

時々読まれている記事~インターネット崩壊

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/417.html

滅びの予感と永遠性で17件ヒットしました

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%96%C5%82%D1%82%CC%97%5C%8A%B4%82%C6%89i%89%93%90%AB&inside=1&x=0&y=0

ついでに......奥の院

http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-category-144.html



 
 
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