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ジャンバルジャンに与えられた愛

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2016年10月22日(土)17時16分36秒
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http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1244.html

http://www.asyura2.com/archives/13/01/04/seiji/0010.html

政治家を育てるといえば、今回の選挙で当選した議員全員が、政治を語る前に、ぜひ観て、権力を行使する立場に立ったことを自覚し、成長してほしい映画がある。





それは、12月21日公開の「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」である。

映画そのものはまだ観ていないのであるが、ブロードウェイとウエスト・エンドのミュージカルで、5回以上は観ており、そもそも、ミュージカル作品としての完成度が極めて高い(歌に始まり歌に終わるという終始一貫したザ・ミュージカルともいうべき作風や原作のストーリー性の高さなど)ことに十分知っているが、それに加え、ヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)さんとアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)さんという素晴らしい歌声を持つことで有名な俳優と女優が重要な役を演じたというだけで、この映画が「芸術性の高い観て成長できる映画」であることには確信に近い自信がある。

なぜこの映画を政治家が観るべきなのかというと、それは、この映画が、「政治を志す者にとって極めて重要な価値は何であるのか」、「自らの行動は権力を持つ者として正しいことなのか」、「何が正義なのか」、「人間は何を求め、どう行動すべきなのか」という深い問いを与えてくれるためである。

私がこの作品と出会ったのは、私がアメリカに留学していた時である。私はアメリカで政治学を勉強していたが、このミュージカルを観て初めて、衝撃を受けると同時に、「エンターテイメントから学ぶ」という新しい感覚を感じたことが記憶に強く残っている。

多くの方は、「レ・ミゼラブル」というよりは、「ああ無情」としてこの作品を認識している人が多いだろう。フランスの作家、ビクトル・ヒューゴの代表作である。恥ずかしながら、ブロードウェイで観るまで、「ああ無情」がこれほども壮大かつ深い作品であることを私は知らなかった。

報道によれば、先の衆議院議員選挙に立候補した人の人数は、1504人であり、現憲法下で最多であったという。理由はどうあれ、政治に関わりたいと思った候補者が一番多かった選挙であることは間違いない。

しかしながら、果たしてこの中にどれほど「レ・ミゼラブル」が問う、「権力を持つ者として何が正しいことなのか」、「何が正義なのか」、「人間は何を求め、どう行動すべきなのか」という一見して単純であるが難しいテーマについて考え、意識していたであろうか。

おそらくそういった候補者はほとんどいなかったであろう。

もちろん、この作品が投げかける「人間として何を求め、何を正義と考え、どう行動すべきか」という極めて深い問いは、政治を志す者でない我々一般人にとっても極めて根本的かつ重要なものである。

また、この作品の素晴らしいところは複数の主人公がおり、キャラクターそれぞれが直面する葛藤が深く描かれており、それぞれの葛藤はまさに人間として生きていれば当然直面しうるものなのである。

例えば、以下のような葛藤が見事に描かれている。

(1)パン一口分の窃盗行為で19年も投獄されたバルジャン(Valjean)に対する世間の冷たさとそれを憎みさらなる犯罪へ手を染めようとし、司教からの信頼を裏切ったことへの葛藤と懺悔

(2)法による犯罪者の厳格な処断こそが正義として疑わなかったジャベール(Javert)捜査官の葛藤

(3)幸せな生活という平凡な夢すら奪われたフォンティーヌ(Fantine)が抱える娘への自己犠牲の愛情と現実の過酷さとの間の葛藤

(4)友人の学生たちと新しい未来のために反乱に参加すべきか、突如芽生えた愛情を追及すべきか、さらには生き残ったことへのマリウス(Marius)の葛藤

(5)貧困の進む現実を目の当たりにし、社会の変革のため運動を形にしたいという強く若い学生たちとそのリーダーであるエンジョラス(Enjolras)の葛藤

(6)愛する人のため、自分は身を引いてでも相手の幸せを願おうとするエポニーヌ(Eponine)の葛藤

(7)不遇の幼少期とその後は自分が自己犠牲の愛情に支えられてきたことを知らなかったコゼット(Cosett)の葛藤

以上、簡単に思いつくもののみを書いたがこれ以外にも登場する様々なキャラクターのそれぞれが抱える感情と葛藤が見事に描かれているのが、「ああ無情」を原作としたミュージカル「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」である。

そして、「正義とは何か」、「何を信じ、どう行動すべきなのか」という政治哲学の根本的な問いを観客に投げつけ、人間の儚さと強さを教えてくれる。

とりわけ、先の選挙において、権力を行使する立場になった議員には、この映画を観てもらい、この作品が問いかけるこれらの哲学的な問いを常に意識し、自分は立法者、為政者としてどう答えを出していくのかぜひ真摯に考える機会を持ってもらいたい。

映画の評価については、未だ映画を観ていないので、なんとも言えないが、私が注目しているのは、ヒュー・ジャックマンさんとアン・ハサウェイさんの歌声と演技はもちろんであるが、Eponine役を演じているサマンサ・バークス(Samantha Barks)さんとMarius役を演じているエディ・レッドメイン(Eddie Redmayn)さん、さらにEnjolras役を演じているアーロン・トヴェイト(Aaron Tveit)さんの歌声と演技力に注目している。

サマンサさんとアーロンさんは、元々ミュージカル出身の俳優・女優であり、その歌声が素晴らしいであろうことは想像できるが、その映画における演技力は見物である。特にサマンサさんは、2010年頃からイギリスでこのEponine役を演じており、25周年コンサートでも同じくEponine役を見事演じているいわば本場のミュージカル女優である。ミュージカルの舞台からスクリーンという違う空間で演じる彼女らの本格的な演技に注目である。

また、エディ・レッドメインさんも、元々舞台俳優であるが、彼は、iPhoneで自分のうたっている映像を撮ってエージェントを通じて、この映画に応募し、見事、この役を勝ち取ったということで、その歌声がどのようなものであるのかぜひ聞いてみたい。

さらに、アン・ハサウェイさんは、映画評論家のジェイク・ハミルトン(Jake Hamilton)氏とのインタビューで、一番演技が難しかった歌のパートを聞かれ、「Now life has killed the dream I dreamed.」だと答え、その理由として、「この部分は後戻りすることがない、いわば、死を示す状態にある、つまり、夢をずっともっていた人がすべてを失って、娼婦をしなければらなない状態になり、彼女の命をつなぎとめているのは娘への愛情のみである。そうした人は世界中にたくさんいるだろうがこの感情を演じるのがとても難しかった」といった趣旨の発言をしている。

そして、親日家としても知られるヒュー・ジャックマンさんは、1996年頃にオーストラリアでのディズニーのミュージカル、「美女と野獣(Beauty and Beast)」において、ガストン役を演じているが、この時のオーディションで、レ・ミゼラブルで、ジャベール捜査官役(Inspector Javert)が歌う、「Stars」を歌い、審査員に、「なぜこの曲を美女と野獣のオーディションに歌ったの。」と聞かれ、「通っていた俳優学校の歌のレッスンでこの歌を練習していたため」と答えたところ、審査員は「そんな歌はいいよ。どうせそんなミュージカルの役なんて一生やらないだろうから」と言われたというエピソードがあったらしいが、その指摘は間違いだったようだ。

ヒュージャックマンさんは、この映画の役をどうしても演じたかったらしく、トム・フーパー(Tom Hooper)監督の名前が挙がった時に、監督として契約する前だったにもかかわらず電話をかけて、この役への熱望を伝えたという。ヒュー・ジャックマンさん本人は「あれはストーカー行為だった」と欧米メディアに対して述べている。

映画では、ブロードウェイとイギリスのウェストエンドで、オリジナルキャストを務めたコルム・ウィルキンソン(Colm Wilkinson)さんがバルジャンのその後の人生に大きな影響を与える司教役で登場していることも、元々ミュージカルファンだった者にとっては感慨深い。

映画そのものの評価も高いようで、アメリカでは、25日のクリスマス公開から約1800万ドルの興行収入を得ており、この成績は現在公開されている映画の中で第1位とのことで、さらに私の中の期待も増している。

この映画に関する映画評論家Jake Hamilton氏の素晴らしいインタビュー映像(残念ながら英語のみ)があるので、興味のある方はぜひ映画を観に行く前に観るといいだろう。

経済の問題、原発の問題、震災からの復興、他国からの領域侵害、さらには憲法改正の声が出ているなど日本が今直面する問題は多々あるが、フランス革命を舞台としたこの作品は、それらの問題に対する解決策を考える上で、一番重要な上記問いを投げかけてくれる。

私も、この年末にこの映画を観て(できれば複数回観たいが)、アメリカ留学時代に受けた衝撃を思い出し、エンターテイメントから、上記問いについて学び、考えてみたい。
http://www.asyura2.com/12/senkyo142/msg/267.html

先日、ついに楽しみにしていた映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」を観ることができた。

一言で感想を言えば、「ミュージカルそのもののファンの期待をも裏切らない出来の良い作品」であった。

そこで、今日は、まだ観ていない人も、もう観た人も、映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」をより堪能し、この作品が伝えようとする政治、社会問題に関するメッセージをより深く考察できるように、次の順でこの作品に対する評価を記事として書こうと思う。

長くなるが最後まで読んでいただければ嬉しい限りである。

1.映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の評価

2.ミュージカル「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」が問いかける政治哲学的メッセージ

3.映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」を気に入った人への情報

なお、私はあくまでミュージカルが訴えるメッセージを私なりの解釈(当然、別の解釈もあるだろうし、それを否定するつもりはない)に基づいて紹介するのであって、ビクトル・ヒューゴ原作について詳しいわけではないことは断っておこうと思う。

1.映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の評価

やはり、最も評価すべきは、主演であるジャン・バルジャン(Jean Valjean)役を演じたヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)さんの歌声と演技力の素晴らしさである。

90年代にオーストラリアで、ミュージカル「美女と野獣(Beauty and Beast)」のガストン役を演じた経歴があるなどミュージカル俳優の経歴を有するジャックマンさんの歌声は、ミュージカルファンをも飽きさせないが、それだけに留まらず、歌いながらスクリーン向け(映画向け)の演技をできるという実力の高さを思い知らせてくれる。

ジャックマンさんの歌い方の素晴らしいところは、歌それぞれが持つ元々の原型を壊さない形でありながら、そこに多様な感情表現をして絶妙なアレンジを加えている点である。

例えば、彼は別のインタビューでも語っているが、「What have I done? Sweet Jesus, what have I done? Become a thief in the night, Become a dog on the run」という部分の歌い方も、映画向けにうまくアレンジしながら感情表現を存分に出し切っている。

当初映画化されるという話を聞いた時、私は、このミュージカル作品が改悪されるのではないかと不安に思ったが、そのような懸念は無駄だったようである。

改悪の懸念の一つとしては、このミュージカルの特徴でもある歌で始まり、歌で終わるという一貫性が、映画化ということで、万人受けさせるために崩されてしまうのではないかといったものであった。

しかし、英国王のスピーチを作り上げた監督、トム・フーパー(Tom Hooper)さんは、見事このミュージカルファンの懸念を把握し、そのような改悪には手を染めなかったのである。

やはり、当初は歌ではなく会話形式のセリフ部分を増やそうという案があったそうだが、フーパー監督は、「会話から歌へ、歌から会話へというギアチェンジはこの作品ではうまくいかないと思った。この映画の世界は我々の世界と同じなんだけれども、コミュニケーションが全て歌ということ。これに我々はコミットすべきだし、そこに自信を持つべき」という考えで、歌で始まり歌で終わるという一貫性を重視してくれた。

たしかに、ミュージカルを苦手とする人には違和感があるだろうが、歌で始まり歌で終わるという最後まで一貫したところが続くと、逆に、歌でのコミュニケーションに慣れ、むしろ、歌による表現の方がキャラクターの感情がよりダイレクトかつ深く伝わってくるのではないだろうか。

そもそも、ショービジネスの最高峰であるブロードウェイやロンドンのウエスト・エンドにおいて、多くの作品が淘汰されているにもかかわらず、25年以上も連続して、今なお公演が続いているミュージカルは、この「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」と「オペラ座の怪人(Phantom of the Opera)」の他ないといっても過言ではない。

これら2つのミュージカルに共通するのは、①歌から始まり、歌で終わるというミュージカルとしての一貫性、②劇場内で観客が感じることのできる「壮大(Spectacular)」という感覚、③耳になじむ音楽の繰り返しという点であるが、特に、「レ・ミゼラブル」は原作が描く壮大な世界観も相まって、欧米を中心に特に人気の高い作品である。

例えば、1996年に行われたサッカーのEURO96の閉会式では、イギリスのウェンブリー・スタジアムで、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の代表曲、「Do you hear the people sing?」などが歌われ、ヨーロッパ各国のバルジャン役を務めた俳優が登場し、素晴らしい歌声を披露するステージが披露された。

次に、指摘すべきは、アン・ハサウェイ(Anne Hathaway)さんとサマンサ・バークス(Samantha Barks)さんの歌声と演技力である。ミュージカル映画において、当然に要求されるのは歌声の良さである。

特に、ハサウェイさんは役に没頭し、健康を害するほどの過激なダイエットをしたというエピソードがあるなど、ファンティーヌが堕ちていく姿を演じるための努力が凄く、彼女のこの役(かつて、ハサウェイさんの母親がミュージカルで演じたという)への思い入れが伝わってくる。スクリーンに登場のする彼女の見た目そのものが演技の一部なのである。

そして、ボロボロになりながらも、力強く歌う「I Dreamed a Dream」には言葉を失うほどの強さを感じる。

エポニーヌ(Eponine)役を演じたサマンサ・バークスさんは、もともとミュージカル女優で、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の25周年記念コンサートでもエポニーヌ役を演じ絶賛された。

彼女がテイラー・スフィフト(Taylor Swift)やスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)という名だたる有名人を蹴散らしてこの役を射止めたのにはやはり理由があった。

エポニーヌが歌う「On MyOwn」は女性の切ない片想いを力強く歌い上げる歌であり、女性ボーカルの歌唱力がもっとも試される曲であるのと同時に、感情表現を歌に込めなければならない難しい曲である。

単に力強く歌えば良いわけではないから中途半端な歌声で歌われてしまうと、折角の名曲が台無しになる。

自分の恋心と相手の望みを叶えたいという無償の一方的な恋心を歌うのだから、これを歌い上げるのはなかなか難しい。

しかし、バークスさんのミュージカル女優としての歌声と演技力は素晴らしかった。

彼女の歌声、一小節、一小節から、この役の切ない葛藤が伝わってくる。

愛する人への無償の慈しみ、愛する心が見事、彼女の歌声と表情から伝わってくるのである。

コゼット(Cosette)を演じたアマンダ・セイフリード(Amanda Seyfried)の歌声もにコゼットの歌声にベストマッチしていた。彼女の演技の素晴らしいところは、ミュージカルでは、成長したコゼットは美しいソプラノのキャラクターという形で終わってしまいがちであるが、父であるバルジャンの過去を知り、愛する人の苦悩を共有し、強く支えたいという想いが伝わってくる歌声であった。

つまり、つらい過去を持つが今は幸せなお嬢さんとしてのコゼットではなく、育ての父が抱える苦悩や愛する青年が抱える苦悩を受け止めようとする強いコゼットがそこには描かれていた。

また、マリウス(Marius)役を演じたエディー・レッドメイン(Eddie Redmayne)さんや学生でバリケードでの抵抗運動に懐疑心を持ちながらも参加するアル中の学生グランテール(Gantaire)役のジョージ・ブレイグデン(George Blagden)さんの演技は、特に光っていた。

レッドメインさんはトニー賞を受賞するなど演劇の経験は豊富であるものの、ミュージカルの経験はほとんどなかったというが、レッドメインさんの歌声は、「Empty Charts at Empty Table」ではマリウスの苦悩を描くとともに、「One Day More」ではバリケードへ行く決心を力強く歌い上げている。

ジョージ・ブレイグデンさん演じるグランテールは、登場する場面は少ないものの、学生たちが命をかけて戦うことへの懐疑心を表現するキャラクターとして重要な役割を担っているが、その部分の演技もなかなか良かった。

ところで、ブレイグデンさんは、ツイッターをしており、映画の感想をツイートしたところ、直ぐに返信してくれた。ツイッターという新しいツールにより、スクリーンの中の俳優に生の感想を伝えられるという時代が来るとは思いもよらなかった。

学生のリーダーであるアンジョラス(Enjolras)を演じたアーロン・トヴェイト(Aaron Tveit)さんの演技もなかなか興味深かった。アンジョラスといえば、理想に向かって突き進む強いリーダーとしての側面が従来のミュージカルでは全面に描かれていたが、勝ち目のない戦に対する戸惑いの部分が映画では描かれていた。

そして、ミュージカルファンの私にとって、もっとも嬉しかったのは、1985年にこのミュージカルが上演された時のバルジャン役であった世界的なミュージカル俳優、コルム・ウィルキンソン(Colm Wilkinson)さんが、バルジャンの人生に多大な影響を与えるもっとも象徴的な司教役として、映画にも出演していたことである。

このインタビューで、主演のヒュー・ジャックマンさんも語っているが、ミュージカル、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」にとって、ウィルキンソンさんは、ジャン・バルジャンという役を開拓した最大の功労者である。

オペラ座の怪人のクリスティーヌ役を演じた女優が、オリジナルキャストであるサラ・ブライトマンの歌い方を真似てきたのと同じように、後にバルジャンを演じた俳優たちは、彼の歌い方を真似ながらバルジャンを演じてきた。なぜならば、彼より見劣りすれば、バルジャン失格だからである。

この役の開拓の祖ともいうべき俳優が、バルジャンの人生を左右する重要なキャラクターである司教役として登場することは、まさに、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュがいうように、舞台のバルジャンが、映画のバルジャンに影響を与えるというメッセージも込められているのである。

そして歳をとっても変わらない彼の歌声の音域の高さと底力はミュージカルファンを魅了してやまない。

もっとも、この映画も100点満点というわけではない。

残念だった点もいくつかある。

その1つが、ジャベール捜査官(Inspector Javert)役のラッセル・クロウ(Russell Crowe)さんの歌声である。

彼の歌声は、終始一本調子であり、歌いだすと演技が止まってしまうかのような不安定さが伝わってくるほどで、ジャベールが抱える苦悩はほとんど演じきれておらず、残念であった。

音域もせまく、見せどころである「Stars」や「Javert's Suicide」といった名曲のシーンでは、ミュージカルファンを「ゲンナリ」させるような一本調子のオンパレードであった。

さらに、ヒュー・ジャックマンさんとの対決シーンのデュエット、「Confrontation」では、ジャックマンさんの音域の広さと歌声の良さがクロウさんを圧倒してしまい、なんとも印象に残らないジャベールになり下がってしまっている。

動画はYouTube上で発見したパーティーでの二人のデュエット。

ジャックマンさんの歌声の良さを考えれば、映画的には無名であっても、ミュージカル俳優出身の配役をした方が歴史に残る名作になったのではなかろうか。

個人的には、10周年記念コンサートで歌ったフィリップ・クワスト(Philip Quast)さんやブロードウェイやロンドンでこの役を演じたマイケル・マッカーシー(Michael McCarthy)さんのような方が映画的に無名であっても、作品としての高さは歴史的に残ったように思う。

幼い少女の歌声とバルジャンの父親のような歌声のハモリが素晴らしいのであるが、その美しい歌声を映画版では見ることができなかった。

時間が3時間近いため、仕方ないと言えば仕方がいが、個人的にはあのハーモニーをヒュー・ジャックマンさんの歌声で聞きたかったとの想いが残る。

さらに、時間の関係上仕方ないのかもしれないが、ミュージカルファンとしては、「Red and Black」や「Drink with me?」という学生たちメインの歌のシーンが大幅にカットされていた部分も残念であった。

学生たちの自由に向けた力強い歌声と、一方で、自分たちの進む道への迷いを歌う歌詞がこの2つの歌には込められており、そこがやや駆け足的な形になってしまっていたのは、時間がないとはいえ、元来のミュージカルファンとしては物足りなさを感じてしまうのである。

また、冒頭の「Work Song」シーンで、「The sun is strong. It's hot as hell below」という歌詞があるのだが、この部分は、10周年記念コンサートの俳優のように、力強く、囚人たちの不満と嘆きを歌ってほしかったが、映画では、全体的にトーンダウンした歌い方で、これもミュージカルファンとしては残念であった。

映画化する以上、ミュージカルのように、途中でインターミッション(小休憩)を入れるというのは困難であり、時間との関係上、カットされるシーンが多いのは仕方がないのかもしれないが、ミュージカルファンとしては、インターミッションを導入するなどして、舞台を完全に再現してもらいたかったという欲が出てしまう。

また、オーケストラがあるミュージカルの舞台よりは、全体的に音楽が弱めになっていることも、残念であった。このミュージカルの良さは壮大さであり、オーケストラの壮大な音楽は、壮大さを感じる上で欠かせない。その音楽がやや弱めであったのはどうしても気になってしまった。

私はアメリカで人気歌手だという、アダム・ランパートさん(この歌手については全く存じ上げないが)ほど辛口ではないし、そこまで批判されるべき作品だとは思わないが、やはり、このミュージカルそのものが偉大な作品であり、25年以上にわたって、数多くの素晴らしいミュージカル俳優や女優が演じてきた作品だけあって、舞台ファンとしては要求が高くなってしまうのだろう。

2.ミュージカル「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」が問いかける政治哲学的メッセージ

先日、私は、「政治、社会問題を考える上で観るべき最新映画、『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』」という記事を書き、この作品が政治問題、社会問題を考える上で大変良い教材になるという話を書いた。

この章では、より具体的にメッセージ性の強い部分を指摘して、紹介したいと思う。

まず、冒頭に、ヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)演じるジャン・バルジャン(Jean Valjean)の次のような歌詞がある(訳文は筆者訳)。

Never forget the years, the waste.(無駄にされた何年もの月日を決して忘れるな)

Nor forgive them For what they've done. (奴らが俺にしてきたことを決して許すな)

They are the guilty - everyone. (悪いのは奴らだ。みんなが悪いのだ。)

The day begins... (新しい日が始まる。)

And now lets see What this new world Will do for me! (さあ、見てみよう。この新しい世界が私に何をしてくれるのか。)

当初のバルジャンの心境が歌われた部分であるが、ここで注目すべきは、パン一切れを盗むために、窃盗で家に押し入り、5年の刑期とその後逃亡で最終的に19年間も刑務所で過ごしたバルジャンの心境は、いわば「世間が悪い。社会が悪い。俺は悪くないのだ。」という想いに満ちているのである。

この想い、我々も政治や社会の混沌たる状況を目の当たりにすると、同じような心境に陥ることがあるのではないだろうか。

しかし、ある出会いが転機となり、バルジャンの心境は次の通りに変化する。

Take an eye for an eye!(目には目を!)

Turn your heart into stone!(心を石にしろ!)

This is all I have lived for!(これがこれまで俺が生きてきたことの全てだった)

This is all I have known!(これが俺の知っている全てだった)

One word from him and I'd be back(彼が言った一言が自分を目覚めさせた。)

Beneath the lash, upon the rack(鞭を打ち、磔にする)

Instead he offers me my freedom(そんなことは一切せず、彼は代わりに私に自由を与えた)

I feel my shame inside me like a knife(私の中の恥がナイフのように突き刺さる)

He told me that I have a soul,(彼は私には魂があるといった)

How does he know? (どうして彼にそんなことがわかるのだろう)

What spirit comes to move my life?(どんな魂が私の人生に変化をもたらすのか)

Is there another way to go?(他に進む道はあるということなのか)

この部分が正にバルジャンが19年間の投獄の末に、初めて他人から与えられた「Love(愛情、慈しみの情)」に対する反応である。

つまり、ここで、この作品は、「他人を慈しむ・愛すること」の重要さをテーマにしていることが伝わってくる。

慈しみの情に直面して葛藤するバルジャンの心境は、まさに現代社会が忘れかけている葛藤なのではないだろうか。

次に紹介したいのが、ファンティーヌ(Fantine)が歌う「I Dreamed a Dream」の歌詞の一節である。

この歌はスーザン・ボイル(Susan Boyle)さんが歌ったことで世界的にも有名になった曲であることは皆さんもご存じであろう。

ボイルさんが美しい歌声を持ちながらも、その見た目から何ら注目を浴びず、歌声によってシンデレラストーリーのような成功をもたらしたのは記憶に新しく、彼女の歌声で涙した人も多かった。

ボイルさんの成功もこの歌の歌詞が彼女の境遇とある意味ベストマッチしていたことも、あれだけの旋風を巻き起こすきっかけだったと私は思う。

I had a dream my life would be (私の人生がどんなものになるか、私には夢があった。)

So different from this hell I'm living,(今私が生きているような地獄とは全く違った。)

So different now from what it seemed...(今とは全く違った夢があった)

Now life has killed the dream I dreamed...(現実の生活が私の夢見た夢を殺してしまった)

多くの人は「将来こうなりたい」とか、「どうありたい」という夢があるが、それを順風満帆に叶えられる人はごく少数である。

ただ、愛する人と愛する子供と一緒に生活をするという小さな幸せを願う夢さえも、日々の生活の現実に奪われ、堕ちるところまで堕ちたファンティーヌの苦悩と苦痛は計り知れないものがある。

まさに、「ああ無情」というべき場面である。

先日の記事でも紹介したが、ファンティーヌ役のアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)さんはこの部分の歌い方が一番難しかったと振り返っていた。

絶望の淵に立たされる状況というのは現代人にはなかなかないがそれでも子供のために強く生きようとするファンティーンの姿は母親として子を守るという想いだけで生きている。

親による子の虐待、自殺者の増加など現代社会が抱える問題に想いをやると、ファンティーヌが自分の娘を愛し、慈しみ、子のためには何でもして生き抜こうとする強さは、現代人に失われかけている、慈しみの情(愛情)に溢れた人間の強さではないだろうか。

さて、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の歌の中で私が最も好きな歌がある。

それが、「Do you hear the people sing?」である。

この歌の歌詞すべて素晴らしいと思うが、中でも特に良い一節を紹介する。

Will you give all you can give (君は与えられるものすべてを差し出すか)

So that our banner may advance (そうすれば我々の旗は先に進むかもしれない)

Some will fall and some will live (ある者は死に、ある者は生き残るだろう)

Will you stand up and take your chance? (君は共に立ちあがり、このチャンスに賭けるか)

The blood of the martyrs (殉死した人々の血が)

Will water the meadows of France! (フランスの草地に水を与えるのだ)

混沌とした時代に、死を覚悟しながらも立ちあがらなければならないという自由を願う人々の強い想いが伝わってくる歌である。

今では当然の権利として、有している選挙権もこの時代にはなかった。

自由権という人権意識の芽生えが高まったのがまさにこの時代である。

憲法が国家を制約する原理として確立した現在、我々は人権というわれる権利を当然のものとして享受し、時には何も考えることなくその権利を無駄にしてしまっているが、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の中で描かれた学生たちのような人々の犠牲の上に確立した権利であることを今一度思い出させてくれるシーンである。

確かに、日本は権利のために血を流したという歴史観が比較的薄いかもしれない。

しかしながら、日本もまた太平洋戦争において我々の祖父母やその上の世代が、この「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」が描く学生たちのように血や涙を流し、敗戦後も絶望的な焼け野原から、日本国憲法による基本的人権の保障を確立し、日本の復興を果たしてきたことに想いを馳せると、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」が描く世界は、決して遠い海の向こうのフランスだけで共有される歴史観ではない。

我々に歴史にも共通する普遍的な価値が描かれているのである。

戦いの前夜、学生たちが歌う「Drink With me」という歌がある。


Drink with me to days gone by (一緒に飲もう。過ぎ去る日々へ)

Can it be you fear to die? (お前は死ぬことへの恐怖を感じているか)

Will the world remember you When you fall?(これが失敗に終わったとき、世界は覚えているだろうか)

Could it be your death Means nothing at all?(お前の死に意味などあるのだろうか)

Is your life just one more lie? (お前の命は、さらなる嘘の一つに終わってしまうのではないか。)

私は戦争を経験していないので軽々しいことは言えないが、我々の祖父母やその上の世代もこういう想いを持ちながら戦火の日々を過ごしたのではないだろうか。

戦うことの虚しさや儚さが伝わると同時に、自分たちの未来のために戦わなければならないという使命感も伝わってくる。

そして、劇中、学生のマリウス(Marius)が歌う「Empty Chairs at Empty Table」という歌も感慨深い。

この歌ほど切なく、また、使命の下に犠牲となり、散っていった友人たちへの想いを大切にしなければならないと思う歌はない。

Oh my friends, my friends forgive me (おお、友たちよ、友たちよ、許してくれ)

That I live and you are gone.(私は生き残り、君たちは逝ってしまった)

There's a grief that can't be spoken.(決して話すことができない深い悲しみが残る)

There's a pain goes on and on. (じわじわと伝わる痛みがある)

Phantom faces at the window. (窓に映る友たちの幽霊)

Phantom shadows on the floor. (床に映る友たちの影)

Empty chairs at empty tables (誰も座っていない椅子と机)

Where my friends will meet no more. (もう私の友たちが二度とここに会することはない)

Oh my friends, my friends, don't ask me (おお、友たちよ、友たちよ、私に聞かないでくれ)

What your sacrifice was for (君たちの犠牲にどういう意味があったかなんて)

Empty chairs at empty tables (空っぽ椅子と机)

Where my friends will sing no more.(もう私の友たちが二度とここに会することはない。)

我々の祖父母やその上の戦争を経験した世代は、こういう想いを心の深くに秘めながら、必死で戦後を生き抜き、日本を世界第2位の経済大国にまで押し上げたのであろう。

しかし、平和のうちに育った世代である我々がこうした想いになかなか直面することはない。

映画、「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」は、自由に向けた戦いへの使命感とその重要さを描く一方で、そこで失われた命の儚さと残された者の苦悩を見事な歌詞で表現している。

そして、この歌からも伝わってくるは、共に戦い、自由の礎への犠牲となった友人たち対するマリウスの慈しみの想いである。

最後のシーンでは、バルジャンやファンティーヌ、エポニーヌ(Eponine)が歌う次のような歌詞がある。


And remember (そして、覚えておいてほしい)

The truth that once was spoken (一度語られた真実は)

To love another person (他人を愛する〔慈しむ〕ことは)

Is to see the face of God! (神の御影に接すること〔直訳:神の顔を見ること〕である)

このミュージカル最大のメッセージがここにあるのである。

それは、「どんな状況においても、他人を慈しみ、愛する気持ちを常に持つ努力をしよう」というものなのではないだろうか。

もちろん、これにはキリスト教的価値観の顕れとも取れるがであるが、他の宗教であっても、「他人を愛すること」、「他人を慈しむこと」を是としない宗教はないのであろう。

かかる価値観はまさに、宗教的価値であると同時に、道徳的価値であり、哲学的な価値として、人間が享有することのできる基本的かつ普遍的な価値である。

特に、先の選挙でもあったが、日頃何ら連絡もしていない人から、選挙が行われるたびに「○○党に入れてね」と連絡をしてくるような表層的な某宗教団体の信者に、ぜひとも聞かせたい一節であると思うのは私だけだろうか。

もっとも、愛すべき、又は、慈しむべき他人の範囲というのもなかなか面白いテーマだろう。

この作品は一見すると家族愛や恋人への愛を描いていると思われるが、それだけだと考えるのは浅はかだろう。

やはり、愛すべき、慈しむべき他人というのは、見知らぬ他人をも含むという考えるべきである。その点のメッセージが、バルジャンがマリウスの無事を祈って歌う「Bring Him Home」に私は顕れていると考える。

He's like the son I might have known (彼はまるで、私の息子のようである。)

If God had granted me a son.(もし神が私に息子を授けてくれたならば)

<略>

Bring him peace (彼に平和をもたらしてください)

Bring him joy (彼に幸せをもたらしてください)

He is young (彼はまだ若い)

He is only a boy(彼はまだ少年である。)

You can take(あなたは奪うことも)

You can give(与えることもできる)

Let him be(どうか彼を無事に)

Let him live(どうか彼を生かしてください)

If I die, let me die(もし私が死ぬのであれば、どうかわたしを死なせてください)

Let him live(どうか彼を生かしてください)

Bring him home(彼を家まで送り届けてください)

Bring him home(彼を無事に返して下さい)

Bring him home.(どうか彼を無事に家まで送り届けてください。)

いわば、バルジャンにとってマリウスは、赤の他人であり、育てた娘コゼットがひと目ぼれした男という他に接点はない。

当然、娘の愛した男だから助けたという解釈もできるだろうが、この歌詞からすると、バルジャンの心情は、娘のためという意識から自由のために使命感を持って戦おうとするマリウスたちの姿に打たれ、自分の息子を想うような心情であったと考えるべきではなかろうか。

つまり、ミュージカルで描かれているバルジャンは、司教と出会って以降、必死に生きる他人に対する慈しみの情を信念として、混沌とする時代を生きた男なのであろう。

こうした姿は、他人に対する慈しみに情が希薄になっている現代社会に生きる我々には、ダイレクトなメッセージとして、心に伝わってくるものがあるように感じる。

さて、この章の最後は次の歌詞で締めくくりたい。

https://www.youtube.com/watch?v=sO9WGLN-p5c

映画でも一番最後に歌われる「Do you hear the people sing? (Reprise)」である。

Do you hear the people sing (人々の歌声が聞こえるか)

Lost in the valley of the night?(夜の谷間に散っていった人々の歌声が)

It is the music of a people who are climbing to the light. (これは光の世界へとよじ登ろうとした人々の音楽である)

For the wretched of the earth (この地球上の惨めな人々にとって)

There is a flame that never dies.(決して、絶えることのないが炎ある)

Even the darkest night will end (暗黒の夜でさえ必ず終わりを告げ)

And the sun will rise.(太陽はまた昇るのだ)

They will live again in freedom(彼らはまた自由とともに復活する)

In the garden of the Lord. (主の庭で)

They will walk behind the plough-share,(鋤の刃で畑を耕し)

They will put away the sword.(剣を捨て去るのだ)

The chain will be broken (つながれた鎖は取れ)

And all men will have their reward.(全ての人々が見返りを享受する)

Will you join in our crusade? (我々の抵抗運動〔聖戦〕に君は参加するか)

Who will be strong and stand with me? (私とともに立ち上がる強さがあるのは誰だ)

Somewhere beyond the barricade (バリケードの向こうのどこかに)

Is there a world you long to see? (君が待ち望み夢見た世界があるのだろうか)

Do you hear the people sing? (人々の歌声は聞こえるか)

Say, do you hear the distant drums?(ほら、遠くの太鼓の音は聞こえるだろう)

It is the future that they bring (それが彼らがもたらしてくれる未来である)

When tomorrow comes! (そう、明日が来た時に)

Will you join in our crusade?(我々の抵抗運動〔聖戦〕に参加しないか)

Who will be strong and stand with me?(私とともに立ち上がる強さがあるのは誰だ)

Somewhere beyond the barricade(バリケードの向こうのどこかに)

Is there a world you long to see? (君が待ち望み夢見た世界があるのだろうか)

Do you hear the people sing?(人々の歌声は聞こえるか)

Say, do you hear the distant drums?(ほら、遠くの太鼓の音が聞こえるだろう。)

It is the future that they bring(それが彼らのもたらしてくれる未来である。)

When tomorrow comes...(そう、明日が来た時に)

Tomorrow comes! (そう、明日は来るのだ)~以下字数の関係でカット

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