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仮面の告白と三島の死

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2017年 1月13日(金)11時50分14秒
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  三島由紀夫の肉声テープ発見

http://ameblo.jp/agnes99/entry-12237470964.html









仮面の告白~創世記

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/125.html

若き三島由紀夫は20台前半に著した「仮面の告白」新潮文庫15ぺージには「私が幼児から人生に対して抱いていた観念は,アウグスティヌス風な『予定説』の線を外れることがたえてなかった。いくたびとなく無益な迷いが私を苦しめ,今もなお苦しめ続けているものの,この迷いを一種の堕罪の誘惑と考えれば,私の決定論にゆるぎはなかった。私の生涯の不安の総計のいわゆる献立表を,私はまだそれが 読めないうちから与えられていた。私はただナプキンをかけた食卓に向かっていればよかった。今こうした奇矯な書物を書いていることすらが,献立表にはちゃんと載せられており,最初から私はそれを見ていた筈であった。」仮面の告白は昭和25年6月には発刊されている。

それに対し森有正先生の「砂漠に向かって」にはこう表現している。「予定の観念は強く私を捉えている。カルヴァンが,私の世界に深く浸透してくるのは,そこを通してではない。十分に理解された予定とはー意思が正しく意欲することーを意味している。

それはまさに宿命論の正反対である。マラキ書は言っているではないか・エサウはヤコブの兄ではないか,永遠の神は言う,しかしながら,私はヤコブを愛し,エサウを憎んだ。

・・・・中略・・・・この予定の教えはアウグスティヌス,カルヴァン,ジャンセニウス,パスカルを通って近代までなまなまとと伝えられて来た。・・・・中略・・・・私の陽気さが,その最も確かな証拠だ」この本は昭和45年11月発刊ですから仮面の告白の20年後です。どちらかというと森先生はカルヴァンに影響を受け,心の奥深くにはキリストの終末論があったようです。フランス文学に進む場合この聖書の意味がわからないと一歩も前に進めません。しかしある程度理解したら聖書の予定説は早めに切り上げたほうがよい。なぜならその後に待っているのは三島由紀夫や芥川龍之介のような死しかないのですから。

管理人注;冒頭アウグスティヌスが出てきますので関連記事

アウグスティヌスの復活 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/153.html

アウグスティヌスの復活 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/154.html

以下は聖書ものがたり~マタイ福音書から

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/147.html

マニ教徒でもあったアウグスティヌス

アウグスティヌスやパウロは後日詳しく書きますがThe Great Chain of Being(存在の偉大な連鎖)つまり西洋には充満の原理がありアウグスティヌスもそれを肯定しているのですが『神の国』岩波文庫(服部英次郎訳)を読まれることをおすすめします。NWOグローバリストなど小さな取るに足りない存在にすぎません。あまり神経質になる必要もありませんしマタイやルカには天文学的な記述が多く出てきます。聖書はもともとVernal Equinox Precession(春分点歳差運動)でバチカンを空から見るとよく分かります。リンクにある「Ω祖型からバチカンまで」などを参考にされてください。アウグスティヌスはマニ教徒であったという記事の魚拓はなぜか記事が消えてしまっているのですが再度記事にする予定です。上のルシファー研究室には以下の説明があります。

426年アウグスティヌス『神の国』第11巻15章(岩波文庫)~ルシファー研究室より

 『ところが、かれらは、預言者の証言に、すなわち、イザヤが悪魔をバビロニアの君主の人格をもって象徴的にあらわして、「ルチフェルよ、朝にのぼっていたあなたは、どうして天から落ちてしまったのか」といい、あるいはエゼキエルが「あなたは神の園の快楽のうちにあって、ありとあらゆる宝石にかざられていた」という証言にどう答えるのであるか。この証言においては、悪魔が罪なくあったときもあることが理解されるのである。
 アウグスティヌス(354~430)も、413年から426年にかけて書き記した『神の国』の中で『イザヤ書』のルシファーを悪魔とみなした。「エゼキエルが」とあるのは、『エゼキエル書』第28章のエピソードで、ここでも「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に見せ物とした」とあるが、これもイザヤ書同様にツロの王の事を指していて、悪魔を指しているわけではない。アウグスティヌスはもともとマニ教徒だったが、キリスト教に改宗した人物で、「ところが、かれらは、」というのは、マニ教徒たちを指しており、この文章は、マニ教の二元論に対する一元論的悪魔観を述べている文章である。マニ教の二元論が「悪」がもとから「悪」として創られたのに対し、アウグスティヌスの一元論では、もともとは「罪なくあった」ものとして創られたものが、「悪」になったと語っている。ということは、ルシファーという存在は、神学者がキリスト教における一元論神学を語るにあたり、「必要悪」として創られたんではないだろうか。』と。

日本は田母神論文を受け入れない女形国家である

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/940.html

日本は女形(おやま)国家なのです。女形の関連記事は..

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/414.html

 『私は女形の持つ恐怖を読者に訴えかけた。天皇ヒロヒトは、男でもなく、女でもなく、その恋は下から上への恋闕(れんけつ)である。これ以上に恐ろしき恋情がこの世にあろうか』安倍首相もそうですよ。私はこの国の本当の怖さを最近分かってきました~というか分かったふりをしています。ふりをしないととてもじゃありませんがこんな国で生きてはいけないのです。賤民には革命は出来ない。

三島由紀夫・理想とした美の完遂

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/941.html





空っぽな人生を生きてきた

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/875.html

http://diamond.jp/articles/-/32827

『考える生き方』は、ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、人生の「むなしさ」と苦難を受け止めるヒントになる内容として話題となっている。この連載ではその「はじめに」と、「おわりに」の代わりとして小冊子「Kei」書かれたエッセイを紹介する。

昨年の夏、55歳になった。
私が子どものころ、1970年代の大企業の定年は55歳だった。子どものころの私は、自分が55歳まで生きていたら定年になってもう仕事をすることはないだろうと思っていた。そのあとの人生は余生だろうとも。
現在の企業の定年は65歳くらいだから、55歳で余生とか人生とか考えるのは早すぎる。それでも自分の人生の大半は終わった感じはする。55歳まで生きられなかった人もいろいろ見てきたから、ここで人生が終わってもしかたない。

自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。
なんだったか?
からっぽだった。

特に人生の意味といったものはなかった気がする。55歳以降でも一念発起して事業を成し遂げる人もいるから、年を取ったからといって結論を急ぐこともないが、私の場合はこれから人生の一発逆転みたいなことはないだろう。
こうなることはずいぶん前からわかっていた。
自分の人生はからっぽになるだろうというのは、20代のころうすうす気がついていた。30代になって、たぶんそうなるんだろうという確信のようなものが芽生えた。40代になって、ああ、からっぽだという実感があった。これは、あれだな、と若いころ覚えた論語の章句が浮かんだ。

論語に「後生畏るべし」という言葉がある(子罕第九の二十三)。

「後生」というのは「先生」の反対で、自分より年が若い人のことだ。自分より若い人の未来に自分より優れたものがあるというのだ。若者の未来を思って若者をせよと。これに「いずくんぞ来者の今にしかざるを知らんや」と続く。どうして若者が現在の大人に劣るといえようか、と。
若者には可能性がある。自分にも、たぶん、あった。そしてそれがなくなった。いつなくなったかというと、「後生」が見えたときである。自分より若年の人のなかに自分より優れた可能性を見たときだ。この若者たちは優秀だなと思うときだ。
具体的にいつごろの年代かというと、40歳から50歳である。続けて論語で孔子先生がこう言っている。

「四十五十にして聞こゆること無くんば、これまた畏るるに足らざるのみ」。

40歳、50歳になって世にその名が知られるようでもなければ、そんな人は尊敬に値しない、と。
それが私だと、40歳のときに思った。

孔子先生、いいこと言う。「畏るるに足らざるのみ」というのはまさに私のことだ。尊敬に値しない。自分はからっぽな人間で、からっぽな人生だったと納得した。
でも、同時にそれはそれでいいんじゃないかとも思えた。

若い日に希望もあった。希望がかなうように見えることもあった。30代ごろ仕事がめきめきできるような自覚がある反面、自分は実はダメな人間なんじゃないかと不安になり、そこから年を経るにつれ、焦りと失意がつのり、40歳を過ぎて、世間的な地位も名声もない自分を確認した。でも、それはそれでいいんじゃないか。そんな気持ちから匿名でブログを書き始めたのが45歳。

ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。
気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。その部分、つまり、ブログの裏側の思いはなんとなくブログには書いてこなかった。
自分がもし本を書くことがあれば、逆にそのあたりを書こうかと思った。
普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。

そうした、ちょっとうまく言えない人生の支えのようなものを見つけるのに、からっぽに見えた私の人生でも、何かヒントのようなものがあるんじゃないかとも思う。
偉そうな言い方になって申し訳ない。ブログを10年書いて、そういう部分に近いところを書いたとき、読んでくれるブログの読者は少なくないようにも思えた。

思い返すと、自分も若いころ、また、じわじわと挫折していく30代から40代、一生懸命読んだ著作家から、そういう部分に聞き耳をたてていた。それを心の糧にしていたように思う。例えば、山本七平という人から学んだ。

彼は、毀誉褒貶はあるが『日本人とユダヤ人』という本を出版して着目された。そのころグアムから戦後27年目の帰還兵があり、彼もまた南方の戦地で戦ったことから、戦争体験記も書いた。そうしたことがきっかけで50代から有名な著作家になった。
山本七平自身は、有名になりたいとはまったく思わなかったとエッセイで書いていた。人は日々の仕事をこなして毎日毎日同じように生きていたらそれでいいと思っていたというのだった。その思いは若い日の私の心に深く沈んだ。

普通の人が世の中に隠れて普通に生きていく。普通でなくてもいい。世の中に評価されなくてもいい。とるに足らないことであっても自分の人生の意味合いを了解しながら生きていくことはできる。誰でもそういうふうに生きていくことはできる。

本当?

本当だろうと私は思う。少なくとも私はそうやって生きてきた。そうやって生きるためには、人生のいろいろな局面で自分で考えていくだけでいい。考えて了解する人生は誰もが実現できる。
考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。
失敗と思っていたことが自分の内面では成功だったかもしれないし、成功だと願っていたものは自分を縛る妄念だったかもしれない。その違いは自分で考えるしかない。
他者の評価なんかどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。

人生、成功はしないかもしれないけど、考えて生きていけばなんとかなるんじゃないか。
なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。

空っぽな人生を書いてみた

http://diamond.jp/articles/-/32991

管理人より:1947年9月に昭和天皇がしたこと。ちなみに新憲法制定は1947年5月3日

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2020919.html

総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
『主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解』

管理人注:ハーグ陸戦条約というものがあって戦勝国は敗戦国の憲法をつくってはならない,という条約である。

以下の9.11の記事では致命的な誤りがあります。皆さんには分かりますよね

http://blogs.yahoo.co.jp/atm159x



おまけ



ちなみに我が家の紀州犬のマー君も江戸時代狼犬でしたソフトバンクのCMに出てくるお父さんは北海道犬でよく似ていますが目が狼の三角目とは違います。

古典純血紀州犬の伝説

江戸時代、紀伊国阪本村の鉄砲名人・弥九郎が山道を歩いていると、オオカミが苦しんでいた。かわいそうに思って助けてやると、後日弥九郎の家の前にオオカミの子と思われる一匹の子犬がいた。弥九郎はその子犬に「マン」という名を与えて育てた。新宮城主が狩猟を行った際、一頭のイノシシが突進してきたが、マンがイノシシを撃退し、その名声は大いに上がったという。

このマンが紀州犬の先祖と伝えられており、紀州犬はオオカミの血を引いているという。また、弥九郎の墓所は熊野観音札所第17番水月山岩洞院(三重県南牟婁郡御浜町阪本)にある。

出典
紀州犬 - Wikipedia

マネー

テンバガー銘柄というのがあるようだ

http://www.toushin-1.jp/articles/-/2455?utm_source=yahoo-news&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedlink

トランプのつい最近の記者会見でCNN記者の質問に対しいきなり「FAKE NEWS」との発言がありましたが意味分かりますか?

答え=9.11報道のことですよ。

いつでも明朗な清風日記~京都大学卒=狂徒大学?

http://ameblo.jp/sefut/entry-12004308237.html



 
 
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