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現代版魔女の鉄槌 その2

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2017年 3月 7日(火)22時11分18秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11260670191.html その2

■アリウス派対アタナシウス派

特筆しておかなければならないのは、325年に行われた第1回ニカイア公会議 First Council of Nicaea でしょう。

ローマンカトリック教会 Ecclesia Catholica(英:Roman Catholic Church)には、公会議という最高会議があります。全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行う最高意思決定機関です。この教会史上初の公会議が第1回ニカイア公会議であり、その開催を主導したのは、コンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世) ConstantinusⅠ(272-337)でした。

当時、キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈を巡り、様々な立場に分かれていました。中でも急進的だったのは、アリウス派 Arianismus と呼ばれる信徒達です。彼らは、三位一体を否定し、唯一神を主張していました。その為、三位一体を唱えるアタナシウス派 Athanasius と激しく対立し、キリスト教は信徒分裂の危機を迎えていました。

私達がキリスト教のお祈りでよく耳にするのは、「父と子と聖霊の御名(ぎょめい)においてアーメン」というフレーズでしょう。この「父と子と聖霊」が、三位一体と言われるキリスト教の中心的な教義です。その意味するところを簡単に言えば、父なる神、神の言葉であり子であるイエス・キリスト、そして聖霊の3つは、それぞれ神に固有の位格(いかく)であり、実体は同じで、尊さはみな等しいということです。

ちなみに、三位一体の根拠の1つ「ヨハネによる福音書」には、次のように記されています。

《そこには、神である父が神であることば(=子)を遣わし、見えざる父を子が顕し、子は天の父のもとへ帰るが、父のもとから子の名によって「助け主」なる聖霊を遣わす》

この考え方は、今でこそ揺るぎないものになっているわけですが、300年代のキリスト教では一神教であるユダヤ教の影響が依然として強く、アリウス派がそうであったように、必ずしも肯定されていませんでした。アリウス派は、「父なる神が天地創造を行うまで子は存在せず、父なる神と子なるイエス・キリスト、聖霊は全く異なるものだ」と主張して譲らなかったのです。

さて、コンスタンティヌス大帝は、東西分割統治を行っていたローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いていました。その為に、キリスト教という宗教の力を利用する腹づもりだったのでしょう。彼は、第1回ニカイア公会議で、アリウス派に破れ、異端派の追い落としに掛かります。結局、アリウス派はアタナシウス派に破れ、異端とされるのです。

■新約聖書27篇の編纂を行わせたコンスタンティヌス大帝

アリウス派の排除を成功させたコンスタンティヌス大帝は、返す刀で正典の編纂に取り掛かります。

現在に伝えられる『新約聖書27篇』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウス派の頭目、アタナシウス Athanasius(298-373)その人が選んだものです。もちろん、その選択には、コンスタンティヌス大帝の意思が大いに働いたはずです。施政者が、自らの権力政治に都合の悪い内容を国教と認めるはずはありません。

佐藤氏らが言う、キリスト教の開祖がパウロ Apostle Paul(5-67、ユダヤ人)という根拠はまさに、イエスと一度も会ったことが無いパウロによって伝聞と共に、ヘブライ語または、近い方言のアラム語を話していたイエスが話していなかったギリシア語で最近書かれた書簡が数多く新約聖書に選択され、教義の中心となるイエス像を描いているからです。

但し、このパウロの書簡を選択させた張本人はコンスタンティヌス大帝です。また、トマスの福音書、ユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。

英語の「Virgin」に置き換えられた元々のヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義となったのは325年に行われた第1回ニカイア公会議においてです。

元々ヘブライ語で“almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する“παρθνο(parthenos)”と訳されました。ニカイア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視してギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。

思うに、2000年前の世界では、どの地域においても性習俗は緩いものだったことでしょう。現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではないし、女性が男性の経済力を頼って生きる時代とも言えませんでした。

したがって、キリストが処女から生れなければならない特別な理由は、元々無かったのです。それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年ほどの時間が経って、そうでなければならない理由が別に生じたからでしょう。

正典に加えられずに焚書にされた文書は、一体どれ位の量に上ったことでしょうか。

例えば、20世紀に発見された死海文書 Dead Sea Scrolls は、およそ850巻に上っています。洞窟の中から膨大な文書が見つかったと世界中が驚いたわけですが、これとて焚書された量に比べれば、ほんの極一部に過ぎないと考えられています。死海文書の10倍、100倍という規模で焚書が行われていたとしても驚くには当らないのです。

こうした文書が『新約聖書27篇』に集約されたことの意味は大きい、と言わなくてはなりません。キリスト教は、この時に整理され、初めて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。そして、アタナシウスが選んだとされる27篇は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められています。以後、ローマンカトリック教会は、この正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。

とすれば、キリスト教の開祖は、イエス・キリストでも、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。コンスタンティヌス大帝が主導し、意向を働かせて27篇を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。

また、元々誕生日が分からなかったイエスの誕生日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していたミトラ教 Mithras(英:Mithraism)の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたり、聖母伝説を取り入れたりして、ミトラ教徒の取り込みまで行われていました。

ミトラという言葉はサンスクリット語のマイトレーヤ Maitreya(弥勒菩薩)と同語源です。時代的にも、キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのはミトラ教を取り込んだ為かも知れません。

〔資料〕ミトラ教 Mithras(英:Mithraism) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99

〔資料〕時近ければなり その10 - LEGACY OF ASHES 2011年10月4日 ※ミトラ教
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/269.html

〔資料〕≪Thomas Robert Malthus著『人口論』&菊川征司 著作複数、他、抜粋(14~16)≫|MelancholiaⅠ ※Zeitgeist動画の文字おこし
http://arsmagna.jimdo.com/melancholiaⅠ-roentgenium-資料保管庫-目次/

〔動画〕Zeitgeist ツァイトガイスト(時代の精神)日本語字幕版 1~3 - YouTube [31分59秒]
http://www.youtube.com/watch?v=-_eLaY-fQgE

http://www.youtube.com/watch?v=slFLPC_Xtt4

http://www.youtube.com/watch?v=nyGGjIyE4NQ

■「ユダヤ人にイエス・キリストを死に追いやった責任はない」

上記のようなキリスト教史観に立って考えると、キリスト教とユダヤ人の不可解な関係も、いとも簡単に理解出来るようになります。

一般的に、イエス・キリストを殺したのはユダでありユダヤ人だ、もしくはイエスが自ら神を名乗り、神を冒涜したことを怒ったユダヤの聖職者だという認識が世界中に流布されています。

例えば、ローマ法王ベネディクト16世 Benedictus XVI(英:Benedict XVI、Joseph Aloisius Ratzinger 1927-)〔※ドイツ人〕は、最近出版された著作の中で「集団としてのユダヤ人にイエス・キリストを死に追いやった責任は無い」と述べました。これは、分かりそうで分からない話です。イエス・キリストを殺したのは特定のユダヤ人であり、その人には責任があるが、ユダヤ人全般に責任があるということではない、という話なのでしょう。

このこと自体おかしな認識なのですが、それに対し、「ユダヤ人に責任があるとの議論を明白に否定した」と、世界ユダヤ人会議が歓迎の声明を発表しました。

これでは、イエス・キリストを殺したのはユダヤ人であるという誤った認識を、ローマ法王庁も世界ユダヤ人会議も追認していることになります。キリスト教を巡る世界の混乱は、いつまで経っても解消しようがありません。

歴史的な事実に基づいて言えば、イエス・キリストを殺したのはローマ人です。確かに、キリストはユダヤの寺院の聖職者に密告され、それが元で殺されたかも知れませんが、手を下したのはローマ人なのです。順を追って説明してみましょう。

イエスの時代には、ローマ帝国が今のイスラエルを含む地域を統治していました。統治を行う為の法律があり、それがローマ帝国全体に適用されていたわけですが、その中に他愛のないルールがありました。それは、「私は神だ」、或いは「私は神の子だ」と自称してはいけないというものです。

当時のローマ帝国で、神の子というのはローマ皇帝のことを指す言葉でした。「神の子」と自称することは、即(すなわ)ちローマ皇帝の権威を貶(おとし)める行為に他なりません。ローマ皇帝の威光を保ち、統治権力を行使する為に、このルールは決して破られてはならないものでした。

これはつい100年くらい前まで、何処にでもよく見かけることの出来たルールです。例えば大日本帝国時代の日本では、普通の人が公然と「私は天皇だ」と発言することをタブーとしていました。当時、天皇は神であり、その権威を疑うことは微塵(みじん)も許されませんでした。うっかり口走ればたちまち不敬罪で逮捕され、酷い目に遭わされたのです。

ところが、ローマ帝国軍が駐留するユダヤの地において、そのルールを全く無視するように、「私は神の子だ」と言う人間が現れました。イエス・キリストです。

ローマ人はヘブライ語をよく理解出来なかったでしょうから、最初のうちはローマの軍人もキリストがとんでもない話をしていることに気付かなかったでしょう。とは言え、そのうちに軍人もユダヤ人から経緯(いきさつ)を聞いて理解します。「ローマ皇帝を恐れない奴は生かしておけん」と、キリストを捕らえ、処刑するわけです。

もちろん、ユダヤの聖職者達は、イエスが「神の子」を語りユダヤの神を冒涜したとイエスを処刑せよと主張したことは事実かも知れません。ただ支配者でもあるローマ人には、そのようなユダヤの律法は何の関係もありません。イエスは、ローマ皇帝しか語ってはいけない「神の子」を語ったから、辺境の地でさっさと処刑された、ただそれだけのことです。

キリストを題材にした物語では、ローマ皇帝がキリストの神々しい姿に怯え、その恐怖ゆえに残虐な処刑を行ったという筋書きがなされています。しかし、現実的に考えれば、ローマ皇帝はキリストの考えはおろか、姿さえ見たことがなかったでしょう。イスラエル地域に駐留するローマ軍にとっても、よくある不届き者の逮捕と処刑に過ぎず、きっと翌朝には忘れてしまうような出来事だったに違いありません。

当時、イエス・キリストが宗教的に偉大な発言をしていたことは確かでしょうが、それをして、ローマ皇帝が脅威を感じなければならないようなことは何一つ無かったのです。

■「ローマ人がキリストを殺した」と言えないローマ法王

さて、先のベネディクト16世が展開した不思議な論理の話に戻りましょう。

常識的に考えて、キリストの処刑が上記のような状況であったろうということは、たとえキリスト教の頂点に立つローマ法王であっても、すっかり理解していることです。とすれば、ベネディクト16世は、イエス・キリストを殺したのがローマ人であるという単純な事実についても、本当は理解しているはずなのです。にも関わらず、何故ローマ法王は「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人である」という認識を、遠回しながらも、いまだに示そうとするのでしょうか。

熟慮しなければならないのは、ローマ法王庁 Curia Romana(英:Roman Curia)がイタリアにある、ということです。イタリア人はかつてのローマ人です。ローマ人に囲まれている中で、ローマ人がキリストを殺したと言えば、間違いなく地の雨が降るでしょう。しかも、ローマ法王は、自らローマという名前を冠しています。そんな立場に身を置く彼が、尚更「ローマ人が殺した」と言えるはずはありません。

それらの事情が示すのは、キリスト教がいまだにローマの宗教であり、ローマに仕える為の宗教だという事実です。コンスタンティヌス大帝がキリスト教をローマ国教に定めることを決め、自らの意向を反映させた正典を編纂した瞬間から、その伝統と慣習が営々と続いているわけです。

考えてみれば、当時のキリスト教徒というのも、おかしな存在です。自分達の開祖をローマ人が殺したのに、そのローマ帝国に国教にすると言われると、「それはありがたい」とすんなり受け入れてしまいました。しかも、受け入れるに当っては、アリウス派の追い落としまでして、仲間を粛清しています。そして、コンスタンティヌス大帝の政治的野望に進んで協力するわけです。

もちろん、国教化の申し入れがあったのは、キリストが殺害されて何百年も経ってからのことですが、普通は受け入れることは出来ないはずです。十字軍に殺戮と収奪をされたイスラム教徒が、イタリア人にイスラム教を国教にしたいと言われて、「うん」と頷(うなず)くはずがありません。宗教的成功と引き換えに、開祖殺しを不問に付したとすれば、実に情けない話です。

ベネディクト16世が近著で展開した論理を見る限り、彼らがいまだにローマ皇帝の影響から離れていないと考えるのは、私だけではないでしょう。

こうした法王の見解は、ユダヤ人に対する世界的な偏見を助長することになるばかりでなく、欧米、ユダヤ、イスラム諸国という国際政治の三つ巴の捩(ねじ)れをより複雑にしていきます。「イエス・キリストを殺したのはかつてのイタリア人であり、その当時はローマ人と言いました」とはっきり言ったほうが、世界の緊張はよほど鎮(しず)まるのです。

何故そうしないのかと言えば、ローマ法王或いはローマ法王庁が政治に敏感だからです。コンスタンティヌス大帝に対して行ったと同様に、政治を見ながら布教を行っているからです。

〔資料〕キリスト教 Religio Christiana(英:Christianity) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99

〔資料〕死海文書 Dead Sea Scrolls - Wikipedia ※―イスラエル建国、1946~1956年の歴史を照合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8

〔資料〕イスラエル建国の謎~「シオニズム問題」の実態~ - HEXAGON
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/_floorA6F_hd.html

※イスラエル博物館がGoogleと技術提携し、死海文書の一部を一般公開
http://dss.collections.imj.org.il/

〔資料〕ヨブへの答え その5:教会の原理と精霊の原理 - LEGACY OF ASHES 2010年5月25日 ※Malleus Maleficarum(魔女に与える鉄槌)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/122.html

〔資料〕聖書ものがたり・APOCRYPHA(外典) - LEGACY OF ASHES 2010年6月6日 ※イスラエル建国と死海文書
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/124.html

〔資料〕聖書ものがたり・ACTS OF THE APOSTLES(使徒言行録) - LEGACY OF ASHES 2010年9月13日 ※パウロ
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/151.html

〔資料〕ユダの福音書Ⅱグノーシス - LEGACY OF ASHES 2012年1月9日 ※ユダとユダヤ人、重要
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/367.html

〔資料〕最後に.......Hasta la vista(アスタ・ラ・ビスタ)ベイビー - LEGACY OF ASHES 2012年4月11日 ※注. このブログが閲覧出来るのは2012年末迄
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/453.html

〔資料〕Benedictus XVI(英:Benedict XVI、Joseph Aloisius Ratzinger 1927-) - Wikipedia
http://de.wikipedia.org/wiki/Benedikt_XVI.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%8816%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

〔動画〕ローマ教皇ベネディクト16世はイルミナティだった? - YouTube [9分06秒] ※Livre Jaune N°5
http://www.youtube.com/watch?v=FhtzkNQebGo

〔資料〕『Livre Jaune N°5』(PDF、全355頁)
http://nous-les-dieux.org/images/0/00/Livre_jaune_5_(franc_ma%C3%A7ons_NWO_etc).pdf

〔資料〕ローマ法王庁(ローマ教皇庁) Curia Romana - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87%E5%BA%81

〔資料〕バチカン市国 Status Civitatis Vaticanæ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3

■権力と宗教は必ず一致する

やや横道に逸れますが、宗教はいつの時代においても、政治と権力に都合のいい教義を作り上げるものです。彼らは権力者の権力強化に自分達が役立つからこそ、勢力が拡大し、成功することを知っているのです。権力者の役に立たなければ、権力者に一撃で潰されて終わりです。

これはキリスト教に限ったことではありません。例えば、東洋の儒教もそうです。

東洋で力を持つ宗教は仏教であると考える人がいるかも知れませんが、それは誤った理解です。仏教とは、今のインドには殆んどいません。日本にはいるわけですが、その数はせいぜい1億人くらいのものです。他にスリランカとミャンマー、ネパールの一部、そしてチベットを合わせても、仏教徒の数はせいぜい数千万人でしょう。とすると、世界65億人中、仏教徒は2億人もいない計算です。

それに対して儒教はどのくらいいるかと言えば、中国、韓国の人口を合わせるだけで既に15億人くらいいます。中国共産党が支配する中国に宗教は無いと言うかも知れませんが、それは見える形の宗教が無いだけの話です。古代中国で生まれ、後漢(ごかん)の時代に国教化された儒教は、現代の中国人の心にも深く刻み込まれているのです。

更に歴史的に中国の影響が強かった東南アジアの国々、そしてその影響下にあった日本のことを考えると、儒教の信徒と言えるような人間は、少なく見積もっても16億人は固いのではないでしょうか。儒教がそこまで勢力を拡大することが出来たのも、それが権力者の権力強化に大いに役立つ宗教だったからです。

私達がよく知るのは、『論語』の教えでしょう。『論語』は、孔子の死後数百年経って、彼の弟子達が纏(まと)めたものです。有名な一節(『論語』為政篇)を取り上げてみましょう。

《子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。》

(中略)しかし私に言わせれば、これこそが実は奴隷の教えです。

■孔子が伝えた奴隷の教えとは?

15歳にして勉強し、30歳にして独立する。ここまでは、人々が受け入れ易い極普通のことです。当時の平均寿命からすると、子供が30歳になる頃には親は大体死んでいますから、それまでに勉強して独立せよ、と言うわけです。

ところが、次の「四十にして惑わず」から、隠れた本領が発揮されていきます。惑わないというのは、色々な可能性を考えることなく、1つの価値観のみで生きるということです。つまり、惑わずに奴隷の道を進め、ということです。

そして、「五十にして天命を知る」で、更に奴隷のボルテージが上がります。当時の「天」とは、肯定を間接的に指します。もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、この世の神が皇帝というのが儒教のエッセンスです。戦前の天皇陛下のような位置付けです。つまり、天命を知るとは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。

極めつきは、「七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」でしょう。これは、そうやって70歳になると、思うままに振舞っても道を外れないようになった、と書かれているわけです。つまり、奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠を外れなくなる、ということです。

この教えによって出来上がった聡明、勤勉、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者に都合のいいものだったか、私達はその点に注意を傾けなくてはなりません。

その証拠に、儒教国では今尚、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをして派ならないという考えが根強く残っています。日本は明治維新後に西欧の民主主義が輸入された為、今の日本人はそういう考えを余り持っていませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守ることが真っ当な生き方だったのです。

蛇足ですが、日本では、明治維新と共に国家神道が作り出されました。

国家神道は、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教と認められないような代物です。恐らく明治政府は、政治を行う上で天皇の扱いをどうするか困ったのでしょう。維新の功績が天皇にあることは、薩摩、長州もよくよく分かっていました。統幕の為の最大の武器が“錦の御旗(みはた)”だったからです。

そこで明治政府は、天皇を神格化することを画策(かくさく)しました。その為、埃を被っていた原始宗教(神道)を拾い上げ、きれいに塵(ちり)を払って、「これが日本本来の宗教だ」と掲げたわけです。

しかし太古の神道には、教義も経典もありません。そこで、キリスト教を手本にし、儒教の教えをベースにして、何となく形を整えたのです。それでも神道は、神風特攻を遂行させるほどには成功しました。大日本帝国の政府は、神道を巧く利用したのです。

天皇家が時の政府による神格化の動きをどのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。天皇家は、江戸時代まで仏教を信仰していました。そして、明治維新後は諸外国にはキリスト教に改宗したかのように振舞っています。

明治からこのかた、天皇家では男子にはプロテスタントの家庭教師が付き、女史はカトリックの勉強をしています。実際、カトリックの学校出身者が天皇家に嫁いでいます。そうしないと、欧米列強の王室と対等に付き合えないという事情があったのでしょう。天皇を神だと思っていた当時の日本人には理解不能な事実ですが、宗教が勢力を持つ陰には必ず権力者の意図が働いているわけです。

〔資料〕儒教 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

〔資料〕日本の儒教 - Wikipedia ※神儒一致
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99

〔資料〕国家神道の基礎知識 第零版 By 大黒 学 2007年5月13日(PDF、全22頁) ※儒家神道、吉川神道、垂加神道、平田神道
http://tutorial.jp/thought/koshi/koshiki.pdf

〔資料〕村上重良 著『国家神道』:書評 - 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇 2007年6月30日
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1190.html

〔資料〕萬晩報:園田義明のコラム ※薩長因縁の昭和平成史、他。重要
http://www.yorozubp.com/sonoda.htm

〔資料〕鬼塚英昭 著『天皇のロザリオ―日本キリスト教国化の策謀』より抜粋 1~4 - 日本人が知らない 恐るべき真実 ※Switzerland―天皇財閥
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060826

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060827

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060828

〔資料〕高利貸しロートシルト その3:『赤い楯』第10章 スイス銀行の秘密 - LEGACY OF ASHES 2012年2月1日 ※Switzerland―天皇財閥
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/403.html

〔資料〕≪広瀬 隆 著『地球のゆくえ』 第3章 細川政権誕生の謎、他 より抜粋(5)≫|MelancholiaⅠ ※藤原不比等と『日本書紀』
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11086519906.html

〔資料〕書き換えられた歴史・藤原氏の正体 1~3 - 日刊闇株新聞 2011年5月16~18日
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-152.html

http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-153.html

http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-154.html

〔資料〕謎だらけの日本の誕生 1~3 - 日刊闇株新聞 2011年6月13~15日
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-174.html

http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-176.html

http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-178.html

〔資料〕≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(17)≫|MelancholiaⅠ ※天皇法人説、及び国家法人説
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10977991572.html

〔資料〕≪鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より要約(19)≫|MelancholiaⅠ ※大化の改新と明治維新
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10978824023.html

〔資料〕日本人が知らないニッポン―隠されてきた歴史から読み解く世界の成り立ち - THINKER
http://thinker-japan.com/thinkwar.html

〔資料〕源氏と平氏の政権交代 1~3 - ルーツ調査研究会 2011年3月7~10日
http://roots-origin.jugem.jp/?eid=3

http://roots-origin.jugem.jp/?eid=4

http://roots-origin.jugem.jp/?eid=5

安倍晋三発狂か

http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/798.html





下は安倍政権の狂犬



西田昌司という男

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%8F%B8

ネオナチ団体代表との写真撮影[編集]

国家社会主義日本労働者党のホームページに同団体代表の男性と西田が写っている写真が掲載されていたことが2014年9月9日に判明した[59]。西田の事務所は、2011年8月31日[59]に男性から取材を受け、写真は取材終了後に男性の求めに応じて撮ったものであると説明した[60]。また、男性は取材時にライターを名乗り、素性を隠していた[59][60]として、団体の主張に賛同して取材を受けたわけではなく[59]、ネオナチ団体であることが予めわかっていれば取材に応じなかった[60]などと釈明した。
これに関し、米ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部ロサンゼルス)は2014年10月9日、「(写真を見て)首をかしげざるを得ない。こうしたことが起きないよう責任を持って対処する人はいないのか」と強い不満を表明した[61]。

国家社会主義日本労働者党

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A

ウェブサイトに代表と自民党の国会議員である稲田朋美・高市早苗・西田昌司とのツーショット写真が掲載されていたことが2014年(平成26年)9月9日に判明した

以下にその写真がある

http://anchikaluto.blog.jp/archives/51985868.html

もうひとつ~https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153298



2014/05/07 に公開

ここ日本には、山田一成という国家社会主義者がいる。彼は現在のネオナチ・グループ(NSJAP)のリーダーとして活動している。今回VICEは、山田氏の一日に密着取材。民族の意思同盟と共にアメリカ大使館へ抗議にいく様子も捉えた。

検察は動かないと聞いている

http://tanakaryusaku.jp/2017/03/00015476





 
 
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