teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:97/3594 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

現代版魔女の鉄槌 その6

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2017年 3月12日(日)16時54分55秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11268453130.html その6

■『魔女に与える鉄槌』は性的刺激

『魔女に与える鉄槌(てっつい) Malleus Maleficarum』(1487年刊行)が読者に与えた魔女像はどのようなものだったか、その点について簡単に見ていきましょう。

今日、私達が抱く魔女のイメージは、かまどで熱した大きな鍋を掻き混ぜる老婆というところでしょう。しかし、『魔女に与える鉄槌』を読む限り、ステレオタイプのイメージよりも、むしろ男性を性的に誘惑する女性というイメージのほうがよほど強烈です。付言すれば、セックスアピールの強い、魅惑的な女性を連想させる記述が随所に目立つのです。

当時、裸婦を描いた絵画はあったのでしょうが、春画の版画が出回るということではなかったでしょう。版画の技術はあったものの、まだ大衆化してはいませんでした。そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像出来ることです。私は、書き手の側も、それを十分に意識していたのではないかと思います。

それが魔女裁判のマニュアル本の域を超える普及を可能にした、という推測も成り立つのです。

恐らく、『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚にそれを堂々と置いていなかったはずだと思います。青少年の目には、余りに刺激が強過ぎるからです。そして、グーテンベルク聖書 Gutenberg-Bibel(四十二行聖書 42-zeilige Bibel)は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は他人の目に触れない場所に隠していたことでしょう。

魔女裁判を描いた映画を観ると、魔女にされた主人公は大抵若くて美しい女性です。それは当たり前のことで、絶世の美人女優がそれを演じなければ作品として成り立ちようがありません。美人が磔(はりつけ)にされるから、お客はお金を払って映画を観てくれるのです。

現代に見られるこうした作用は、既にこの時、中世の魔女裁判において生み出されていました。『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判に付きもののSMチックな刺激を読者にそれとなく伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘いました。例えば、次のような記述がそれです。

「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反することと見なされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」

実際の魔女裁判では必ずしも美人が拷問に掛けられたわけでも、磔(はりつけ)にされたわけでもありません。しかし、その効果は、罪人の公開処刑とは全く異なったはずです。『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行ったというストーリーが与えられ、それによって形成された極めて残虐かつ甘美な共同幻想が魔女裁判を支えたのです。

そして、「我々は現在、殆んどを処刑し終わったので、今や若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が提示したイメージ通りの方向に、現実が動いていきます。

私が咲きに、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば『魔女に与える鉄槌』は裏の世界の存在だったと指摘した理由はこれです。強力な力で流行が起こる時、それを引き起こす力の表裏は常に一体なのです。どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は恐らく成立のしようがなかったでしょう。

表の世界は、宗教改革を唱える人々などが、それについて公論を交わしたでしょう。ところが、裏の世界については、恐らくクリティカルな検証が行われることはありませんでした。どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を、誰も提起しなかったのです。

だからこそ、一方の宗教改革のリーダー達も、教会腐敗を指弾することは出来ても、魔女裁判の愚かさを批判する力には成り得ませんでした。裏の世界は、多数の目に晒(さら)されることなく、公然とした議論の対象にもならないという点で、常に強力なのです〔※下記の添付資料を参照〕。

〔資料〕Johann Weyer(1515-1588) - Wikipedia
http://de.wikipedia.org/wiki/Johann_Weyer

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83
%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC


〔資料〕Johann Weyer著『悪魔の眩惑』(1563年)~魔女は罪人か、病人か?~ By 菊地英里香 2009年3月31日(PDF、全23頁)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M99/M991782/4.pdf

〔資料〕Reginald Scot(1538-1599) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Reginald_Scot

〔資料〕悪魔の力の衰退~Reginald Scot著『魔術の暴露』(1584年)~ By 菊地英里香 2011年3月31日(PDF、全23頁)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M10/M1062906/2.pdf

〔資料〕近世初期の悪魔学~J・ボダンの時代の裁判官達(レミ、ボゲ、ランクル、デル・リオ)の言説 By 菊地英里香 2010年3月31日(PDF、全31頁)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M10/M1027827/3.pdf

〔資料〕Jean Bodin(1529-1596) - Wikipedia
http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_Bodin

http://m34tanaka.jimdo.com/demonology-witch/近世i-悪魔学論書/
jean-bodin-de-la-démomanie-des-sorciers/

〔資料〕Nicolas Rémy(1530?-1612) - Wikipedia
http://fr.wikipedia.org/wiki/Nicolas_R%C3%A9my

〔資料〕Henry Boguet(1550-1619) - Wikipedia
http://fr.wikipedia.org/wiki/Henry_Boguet

http://m34tanaka.jimdo.com/demonology-witch/%E8%BF%91%E4%B8%96%EF%BD
%89-%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%AD%A6%E8%AB%96%E6%9B%B8/henri-boguet-discours-des-sorciers/


〔資料〕Pierre de Rosteguy de Lancre(1553-1631) - Wikipedia
http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_de_Lancre

〔資料〕Martin Antoine Del Rio(or Martín Antonio Del Rio 1551-1608)
- Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Delrio

〔資料〕ロレーヌ魔女物語 1~13 - 時空を超えて Beyond Time and Space
2009年1月12日~2010年6月27日 ※下からスクロールして閲覧
http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/c/0127072375c29ba757828f6467087a97

■致死率100%の魔女への拷問

魔女裁判は、このようにしてヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって生きます。特にドイツ、フランス、或いはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。魔女裁判の為に村民が殆んどいなくなるという極端なケースもあったほどです。

16世紀になると、既に魔女狩りの対象は、社会的な地位の高い男性にまで及ぶようになります。例えば、市長や司教といった地域の名士までもが魔女裁判に掛けられ、拷問の末に生きたまま焼かれることが当り前のようになります。

何故そこまで及んだかと言えば、捕らえた魔女に、魔女の名前を白状させたからです。魔女には悪魔の集会に集まった仲間がいるはずだ、誰がいたか名前を言え、というわけです。悪魔の集会に出たことなどありません、と反論すれば、更に惨(むご)い拷問が待っています。

手を縛られて吊るされたり、万力で指が裂けるほど締められたり、ロープで四肢を四方に引っ張られたり、大きな金槌で骨を砕かれたり、真っ赤に焼けた鉄を身体に押し付けられたり、ありとあらゆる苦痛を齎(もたら)す凄まじい拷問方法について、ここでは多くを語りません。その苦痛に耐えかねて、誰彼構わず知り合いの名前を口にしてしまいます。

魔女狩りは、社会のアッパークラスをも直撃し、知識人にも恐怖を撒き散らすのです。御存知の通り、魔女裁判は、魔女の嫌疑を否定すれば死ぬまで拷問され、それを認めれば磔(はりつけ)にされて生きたまま焼かれるという、何れにしても死ぬ以外に終わりのない裁判です。

ジェームズ1世のイギリスでは、或る意味で、自白するまで拷問を続けるという以上に、禍々(まがまが)しい魔女の判定が行われました。それは、先に紹介したジェームズ1世の『デモノロジー』に「魔女は水に浮く」と書かれていたことから考案された、水責めという方法です。

水責めは、魔女を裸にし、右手の親指を左足の親指に、左手の親指を右足の親指に結わえ付け、川の中に投げ込みます。身動きが取れない状態で川に放り投げられたとは言え、簡単には沈みません。肺に空気が入っている為、浮力があります。

しかし、審問官達は、結果を待ってしばらく様子を見ています。そのうちに、肺が段々水で満たされ、沈んでいきます。「おお、魔女ではないのかも知れん。引き上げて、更に調べよ」という審問官の一声で川から引き上げられた時には、既に溺死しています。もちろん、浮いたまま生き延びていれば、魔女の動かぬ証拠となり、磔(はりつけ)になり、焼かれる死が待っています。

拷問吏が直接手を下す拷問よりも、遥かに冷酷な印象です。審問官達には、自白を求め、処刑の手応えを軽減し、自らの行為に正当性を与えようとする気持ちすら、もはや微塵も無いわけです。

■ジェームズ1世の『デモノロジー』とは?

ジェームズ1世 JamesⅠ(Charles James Stuart 1566-1625)の『デモノロジー(悪魔学) Daemonologie』(英:Demonology、1597年刊行)についても、もう一度ここで触れておかなければならないでしょう。

『デモノロジー』が著されたのは、ハインリッヒ・クラマー Heinrich Kramer(1430-1505、ドイツ人)の著述からおよそ100年後、1597年のことです。内容は『魔女に与える鉄槌(てっつい) Malleus Maleficarum』(1487年刊行)の系譜を汲み、特別な目新しさはありません。ただ、ジェームズ1世が著した権威ある書物ということから、これがイギリスの魔女裁判を主導することになりました。ヨーロッパ大陸で『魔女に与える鉄槌』が果たしたのと同様の効果を生んだのです。

この頃の印刷製本技術は格段に進歩しており、『デモノロジー』では表紙や本文中に版画を使うなど、書物としての意匠がふんだんに凝らされています。注目すべきは、表紙に描かれた剣を翳(かざ)した騎士の姿と、ジェームズ1世の人物像との相関です。

イングランド・スチュアート朝 Stuart Dynasty(Stewert Dynasty 1603~1714)の始まりとなったジェームズ1世は、極めて奇妙な人物でした。『デモノロジー』現代版には、彼について述べた編纂者の序文が寄せられています。その一部を紹介しましょう。

「ジェームズ1世とはどのような人物だったのでしょうか。彼は不思議な家庭に育ちました。彼の母親はスコットランド王妃のマリー・スチュアート Mary Stuart, Queen of Scotland(Mary Stewart 1542-1587)です。彼女は1542年12月にジェームズを身篭(みごも)りましたが、その当時、イタリア人の側用人であるデビッド・リッツィオ David Riccio(Davide Rizzio 1533-1566)と浮気をしていました。その証拠は幾らもあったので、当時のイギリス人はみな、ジェームズ1世の父親がこのイタリア人であると考えていました。

ジェームズの父、当時のヘンリー国王 Henry Stewart, Lord Darnley(1545-1567)は、マリーとスコットランドの貴族達と共に食卓を囲んで晩餐を取っている最中、「ちょっと失礼」とふと食卓を立ちました。貴族達も丁寧な様子で食卓を離れ、国王に従いました。そして、彼らはその場でマリーの浮気相手、リッツィオをナイフで殺害し、バルコニーから投げ落としました。彼らはその足で、何事も無かったかのように紅茶とデザートを楽しむ為、食卓に戻ってきたのです。

その後もマリーは、他の男と浮気を続けました。そして、ジェームズの父であるヘンリー国王を火薬爆発によって幾度も殺そうとしました。エジンバラの町全体が揺れ動いたほどの爆発でした。ヘンリー国王は難を逃れて生き残りましたが、彼はその日の晩に窒息死します。殺害犯は最後まで分かりませんでしたが、その後、マリーは次々と人を殺し始めました。

彼女自身、44歳の時に、従姉妹のエリザベス1世 ElizabethⅠTudor, Queen of England and Ireland(1533-1603)に首を切られてしまいます。エリザベスが、彼女をギロチンに掛けたのです。そして、エリザベスは、マリーに代わって女王の座に就くことになります。そして、1603年、エリザベス1世がこの世から去り、ジェームズが国王を継ぐのです。」

一読して分かるように、ジェームズ1世は、極めて複雑な家庭環境の中で育ちました。家庭環境だけでなく、王家特有の陰惨な権力闘争もあったことでしょう。当時のイギリスの王族、諸侯の間では暗殺や謀殺が頻繁に起こっていました。また、本当の父親がイタリア人の側用人かも知れないとして、彼はアイデンティティの揺らぎとも戦わなくてはならなかったはずです。

その結果、ジェームズ1世は次のように考えたはずです。自分が国王になったのは、呪われた人々を一掃する目的で神が遣わした戦士になる為だ、と。もちろん、100%そうだと断定することは出来ませんが、この世にはデーモン daemon が蔓延(はびこ)っており、それを掃討することが自分の使命だと、彼は信じていたはずです。

魔女狩りは恐らく、彼にとって呪われた自らの一族を救済する手段でした。だからこそ、『デモノロジー』の表紙に剣を翳す騎士が描かれたのです。それは、ジェームズ1世が自らの不屈を示したものに他ならないはずです。

彼のこうした生い立ちは、『欽定訳聖書(KJV聖書)』の中で、聖母マリアの処女性を殊更強調していることとも少なからず関係していると私は思います。

ジェームズ1世は恐らく、自分がイタリア人の側用人から生れた疑いを徹底的に打ち消したかったに違いありません。その為に、自らの命で『欽定訳聖書』を編纂させることでイエス・キリストが処女懐胎で生れたことを普遍的事実とし、同時にイエス・キリスト(4BCE?-28?)〔※ヘブライ語:???????? ????????⇒ラテン文字転記:Yhoshuah Ha Mashiah(ヨシュア・メシア)⇒古典ギリシア語: Ίησο?ς Χριστός⇒現代ギリシャ語:Iisus Khristos⇒英:Jesus Christ〕に自らを投影させるという作業がどうしても必要だったということです。

魔女狩りを遂行せねばならなかったローマ法王庁の動機とは異なりますが、イギリスの魔女狩りもまた、このように権力者が内に秘める動機によって遂行されていったのです。

■ジェームズ1世がつくり上げたプロテスタントの世界

ジェームズ1世 JamesⅠ(Charles James Stuart 1566-1625)の『デモノロジー(悪魔学) Daemonologie』(英:Demonology、1597年刊行)も、言わば裏の世界の書物でした。国王が著した権威ある書物でしたから、その内容に公然と批判が加えられるということはありませんでした。

その人物評は、今日では悪魔学に強い関心を示した変わり者の王様という程度の理解ですが、彼は従来からの宗教勢力を信用していませんでした。その証拠に、カトリックにもプロテスタントにも解散を迫るなど、宗教による王権への侵害に厳しい態度で接しています。

彼のこの行動は、極めて重大な意味を持っています。

『欽定訳聖書(KJV聖書)』を生み出した張本人が、2大宗派を否定しようとしたのです。歴史的な解釈に整合性を取ろうとする試みにおいて、彼がキリスト教の政治利用に困り果てたという解釈を行うのはいいとしても、彼の本質にある考えはそうではなかったことでしょう。

ジェームズ1世が考えるキリスト教の世界観と、既存宗派が抱く世界観とは、恐らく全く乖離(かいり)した世界だったのです。彼にとっては、イエス・キリストは自分そのものだったはずで、あたかも第三者のように語る既存宗派の宗教者の言説は許容出来るものではありませんでした。

だからこそ彼は、聖書を新たに訳出するという行動に出ました。そして、当時のプロテスタント達の主張であった、信徒それぞれが聖書の解釈権を持つ場合に、自らのキリスト教世界観が変質しないよう、『欽定訳聖書』の訳語の中に楔(くさび)を打ったということでしょう。教会を指す congregation がイギリス国教会を指す church として『欽定訳聖書』では書き換えられたこともその1つです。

そして、この『欽定訳聖書』という表の世界と『デモノロジー』という裏の世界が互いに支え合って、イギリスにおけるその後のキリスト教世界観、今日の資本主義を導いたその後のプロテスタンティズムの思想〔※マックス・ヴェーバー Karl Emil Maximilian “Max” Weber(1864-1920)の論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」 Die protestantische Ethik und der “Geist” des Kapitalismus』(1904~1905年)〕として結実していくのです。

〔資料〕JamesⅠ(Charles James Stuart 1566-1625) - Genealogy
http://www.geni.com/people/King-James-I-of-England-and-VI-of-Scotland/4104684

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%
82%BA1%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E
7%8E%8B)


〔資料〕Stuart period:Stuart family Monarchs(1603~1714) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Stuart_period

〔資料〕『悪魔学』(1597年) 訳注~承前~ By 荒川吉孝(PDF、全11頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110007124474.pdf?id=ART0009062170&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=
&no=1338194878&cp=


〔資料〕『悪魔学』(1597年) 訳注 By 荒川吉孝(PDF、全6頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110004629003.pdf?id=ART0007341660&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=
&no=1338193705&cp=


〔資料〕『悪魔学 Daemonologie』(1597年) - Masashi Tanaka Official Website
http://m34tanaka.jimdo.com/demonology-witch/%E8%BF%91%E4%B8%96%EF%BD%
89-%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%AD%A6%E8%AB%96%E6%9B%B8/king-james-vi-daemonologie/


〔資料〕田中雅志 著『魔女の誕生と衰退―原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(三交社 2008年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%A1%B0%E9%80%80%E2%80%95%E5%8E%9F%E5%85%B8%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%82%80%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E9%9B%85%E5%BF%97/dp/4879191728

http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/1030/1/KU-1100SS-20090131-04.pdf

〔資料〕悪魔学 Demonology - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E5%AD%A6

〔資料〕Henry Stewart, Lord Darnley(1545-1567) - Genealogy
http://www.geni.com/people/Henry-Stewart/6000000003876051113

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%8
3%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88_(%E3%83%80%E3%83
%BC%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%8D%BF)


〔資料〕Mary Stuart, Queen of Scotland(Mary Stewart 1542-1587) - Genealogy
http://www.geni.com/people/Mary-I-Queen-of-Scots/6000000003234018546

http://en.wikipedia.org/wiki/Mary,_Queen_of_Scots

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E3
%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%A5%B3%E7%8E%8B)


〔資料〕David Riccio(Davide Rizzio 1533-1566) - Wikipedia
http://it.wikipedia.org/wiki/Davide_Rizzio

〔資料〕ElizabethⅠTudor, Queen of England and Ireland(1533-1603) - Genealogy
http://www.geni.com/people/Elizabeth-I-of-England/4476035

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E
3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B91%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A
9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%A5%B3%E7%8E%8B)


〔資料〕イギリス国教会 Church of England - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A
9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%95%99%E4%BC%9A


〔資料〕Karl Emil Maximilian “Max” Weber(1864-1920) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E
3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC


〔資料〕『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」 Die protestantische Ethik und der “Geist” des Kapitalismus』(1904~1905年) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81
%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%8
1%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E


〔資料〕社会主義の是非を巡り、カフェで激論 激高するウェーバー VS 冷笑するシュンペーター - DIAMONDonline 2009年2月4日
http://diamond.jp/articles/print/3648

〔資料〕対談では“賛成”、著書では“反対”。「ロシア革命」に対する矛盾した態度の謎 - DIAMONDonline 2009年2月18日
http://diamond.jp/articles/print/
5472


〔資料〕明治期長崎におけるキリスト教(覚え書) 第1部 カトリシズム By 坂井信生(PDF、全23頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110000966182.pdf?id=ART0001138435&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_
sw=&no=1338732856&cp=


〔資料〕明治期長崎におけるキリスト教(覚え書) 第2部 プロテスタンティズム(1) By 坂井信生(PDF、全23頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110004677371.pdf?id=ART0007407290&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_
sw=&no=1338733058&cp=


〔資料〕明治期長崎におけるキリスト教(覚え書) 第2部 プロテスタンティズム(2) By 坂井信生(PDF、全26頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110004628257.pdf?id=ART0007340486&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw
=&no=1338733318&cp=


〔資料〕日本近世教育思想史における「ヴェーバー的問題」~M.ヴェーバー儒教論における「合理主義」《Rationalismus》の二類型と教育史的問題の構成~ By 河原国男(PDF、全10頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110001177115.pdf?id=ART0001437336&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw
=&no=1338732443&cp=


〔資料〕新自由主義の立場と聖書的立場からの市場経済観~ハイエク、フリードマン対グリフィス、ヘイ~ By 宮平光庸(PDF、全48頁)
http://ci.nii.ac.jp/els/110000050827.pdf?id=ART0000389092&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_
sw=&no=1338731860&cp=


〔資料〕≪斎藤貴男 著『消費税のカラクリ』 第3章 消費者が知らない消費税の仕組み、他 より抜粋(5)≫|MelancholiaⅠ ※MRA(道徳再武装)と松下政経塾、他添付資料
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11211313712.html

■魔女狩りのエネルギーがキリスト教の成功をつくった!

結論めいた話をすれば、もしも魔女狩りの流行が起こらなかったとすれば、カトリックにせよプロテスタントにせよ、キリスト教に今日の宗教的成功は無かったはずです。

何故なら、魔女という強烈な存在を生み出すことが出来なければ、キリスト教にとって本質的な“敵”を生み出せなかったからです。強力かつ本質的な敵の登場がなければ、幾ら世界宗教と言っても、その求心力は自ずと限界を迎えるに違いありません。

ところが、異端を更に進めた魔女を生み出すことによって、キリスト教は、宗教的な発展性の前に立ちはだかりつつあった当時の限界を突破することに成功しました。魔女狩りが、その傍らで起こった宗教改革の炎に燃料をくべる役割を果たし、その結果として資本主義を発展させ、今日の欧米流の金融資本主義をも成功裏に導いたわけです。

私は、資本主義が既に宗教に変質しているということを、幾つかの著作で指摘してきました。ヨーロッパ中世において宗教改革運動の弾圧の為に魔女狩りが財源として用意されたように、現代では、資本主義という宗教の発展の為に、その推進力をドライブさせる燃料が準備されています。言わば新種の『魔女に与える鉄槌』と『デモノロジー』が、その為に生み出されようとしているのです。

歴史は繰り返すという先人の教えが正しいならば、私達は再び、新しい魔女狩りの時代を迎えるでしょう。そして21世紀は、その新種の暗黒裁判によって、これまでとは桁違いに大きい富の収奪が繰り広げられていく時代になっていくはずです。

〔資料〕キリスト教 Religio Christiana(英:Christianity) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99




 
 
》記事一覧表示

新着順:97/3594 《前のページ | 次のページ》
/3594