teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:42/3606 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

空っぽな人生を生きてきた

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2017年 7月19日(水)21時58分51秒
  通報 返信・引用 編集済
  空っぽな人生を生きてきた

http://diamond.jp/articles/-/32827

管理人注:女形国家日本ではだれでもそう感じる。

意識の変転状態 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1093.html

意識の変転状態 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1221.html

関連ブログ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/875.html

『考える生き方』は、ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、人生の「むなしさ」と苦難を受け止めるヒントになる内容として話題となっている。この連載ではその「はじめに」と、「おわりに」の代わりとして小冊子「Kei」書かれたエッセイを紹介する。

昨年の夏、55歳になった。
私が子どものころ、1970年代の大企業の定年は55歳だった。子どものころの私は、自分が55歳まで生きていたら定年になってもう仕事をすることはないだろうと思っていた。そのあとの人生は余生だろうとも。
現在の企業の定年は65歳くらいだから、55歳で余生とか人生とか考えるのは早すぎる。それでも自分の人生の大半は終わった感じはする。55歳まで生きられなかった人もいろいろ見てきたから、ここで人生が終わってもしかたない。

自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。
なんだったか?
からっぽだった。

特に人生の意味といったものはなかった気がする。55歳以降でも一念発起して事業を成し遂げる人もいるから、年を取ったからといって結論を急ぐこともないが、私の場合はこれから人生の一発逆転みたいなことはないだろう。
こうなることはずいぶん前からわかっていた。
自分の人生はからっぽになるだろうというのは、20代のころうすうす気がついていた。30代になって、たぶんそうなるんだろうという確信のようなものが芽生えた。40代になって、ああ、からっぽだという実感があった。これは、あれだな、と若いころ覚えた論語の章句が浮かんだ。

論語に「後生畏るべし」という言葉がある(子罕第九の二十三)。

「後生」というのは「先生」の反対で、自分より年が若い人のことだ。自分より若い人の未来に自分より優れたものがあるというのだ。若者の未来を思って若者をせよと。これに「いずくんぞ来者の今にしかざるを知らんや」と続く。どうして若者が現在の大人に劣るといえようか、と。
若者には可能性がある。自分にも、たぶん、あった。そしてそれがなくなった。いつなくなったかというと、「後生」が見えたときである。自分より若年の人のなかに自分より優れた可能性を見たときだ。この若者たちは優秀だなと思うときだ。
具体的にいつごろの年代かというと、40歳から50歳である。続けて論語で孔子先生がこう言っている。

「四十五十にして聞こゆること無くんば、これまた畏るるに足らざるのみ」。

40歳、50歳になって世にその名が知られるようでもなければ、そんな人は尊敬に値しない、と。
それが私だと、40歳のときに思った。

孔子先生、いいこと言う。「畏るるに足らざるのみ」というのはまさに私のことだ。尊敬に値しない。自分はからっぽな人間で、からっぽな人生だったと納得した。
でも、同時にそれはそれでいいんじゃないかとも思えた。

若い日に希望もあった。希望がかなうように見えることもあった。30代ごろ仕事がめきめきできるような自覚がある反面、自分は実はダメな人間なんじゃないかと不安になり、そこから年を経るにつれ、焦りと失意がつのり、40歳を過ぎて、世間的な地位も名声もない自分を確認した。でも、それはそれでいいんじゃないか。そんな気持ちから匿名でブログを書き始めたのが45歳。

ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。
気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。その部分、つまり、ブログの裏側の思いはなんとなくブログには書いてこなかった。
自分がもし本を書くことがあれば、逆にそのあたりを書こうかと思った。
普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。

そうした、ちょっとうまく言えない人生の支えのようなものを見つけるのに、からっぽに見えた私の人生でも、何かヒントのようなものがあるんじゃないかとも思う。
偉そうな言い方になって申し訳ない。ブログを10年書いて、そういう部分に近いところを書いたとき、読んでくれるブログの読者は少なくないようにも思えた。

思い返すと、自分も若いころ、また、じわじわと挫折していく30代から40代、一生懸命読んだ著作家から、そういう部分に聞き耳をたてていた。それを心の糧にしていたように思う。例えば、山本七平という人から学んだ。

彼は、毀誉褒貶はあるが『日本人とユダヤ人』という本を出版して着目された。そのころグアムから戦後27年目の帰還兵があり、彼もまた南方の戦地で戦ったことから、戦争体験記も書いた。そうしたことがきっかけで50代から有名な著作家になった。
山本七平自身は、有名になりたいとはまったく思わなかったとエッセイで書いていた。人は日々の仕事をこなして毎日毎日同じように生きていたらそれでいいと思っていたというのだった。その思いは若い日の私の心に深く沈んだ。

普通の人が世の中に隠れて普通に生きていく。普通でなくてもいい。世の中に評価されなくてもいい。とるに足らないことであっても自分の人生の意味合いを了解しながら生きていくことはできる。誰でもそういうふうに生きていくことはできる。

本当?

本当だろうと私は思う。少なくとも私はそうやって生きてきた。そうやって生きるためには、人生のいろいろな局面で自分で考えていくだけでいい。考えて了解する人生は誰もが実現できる。
考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。
失敗と思っていたことが自分の内面では成功だったかもしれないし、成功だと願っていたものは自分を縛る妄念だったかもしれない。その違いは自分で考えるしかない。
他者の評価なんかどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。

人生、成功はしないかもしれないけど、考えて生きていけばなんとかなるんじゃないか。
なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。

空っぽな人生を書いてみた

http://diamond.jp/articles/-/32991

『考える生き方』という本を書いた。

誰の言葉か忘れたが、「人は誰でも自分の人生について一冊の本を書くことができる」という。55歳になったとき、自分は自分の人生について一冊の本が書けるだろうかと思った。そのときは書こうという意欲はなかった。

ブログを10年近く書いてきて、いちおう有名ブロガーにもなったが、好き勝手な雑文を書いていたにすぎない。まとまって自分のことを書いたことはなかった。
書いても意味がないように思えた。自分には社会的な名声もない。これといって業績もない。人生の失敗者の部類である。空っぽな人生と言ってもいい。

でももしかすると、と思った。空っぽで失敗の人生が、案外そのまま一冊の本になるかもしれない。無名の人の、どってことのない人生の自分語りというのも、案外ありかもしれない。そういう本があれば自分も読んだ気がする。
そう考えると何か書けそうな気がして、そのうち書いてみたい気持ちに変わった。ブログで書かなかった自分の生活に近い分をまとめてみようか。

特になんにもない人生、失敗した人生、挫折ばかりの人生。
それって、けっこうよくある人生である。
そのわりに、失敗した人の人生を書いた人はあまりないだろう。失敗した人生を生きるのもそれなりに大変だったのに。
それで書いてみた。

書きながら、自分のこれまでの生き方はどこかしら、これからの普通の日本人の先行的な例になるかもしれないとも思った。
私のように若いころ挫折して、その後、場当たり的に生きる日本人や、55歳になって空しい思いに駆られる人間も、これから増えるのではないか。
仕事が定まらない。30代半ばをすぎても結婚できない。家もなく引っ越しに次ぐ引っ越し。40歳過ぎて突然の病気。

自分の人生は、たいした人生ではなかったけど、それなりに苦難や不運もあった。それでどうしたか。
「考える」ことでなんとか切り抜けた。人生が行き詰まったら、そのときおりに、自分なりに考えてきた。
人生の問題の大半に解答はない。考えることくらいしかできないものだ。
つらくて憂鬱になったり、心身ともに疲れ切ったり、絶望してしまうこともある。それにどう向き合うか。どう考えるか。

宗教とかポジティブ思考とか、そういうお仕着せの対処ではなく、素手で人生に向き合って考えてみたらいいのではないか。
私はできるだけそうしてきた。たいした結果はないが、そのときおりごとに考えて生きてみた。

何をしたという人生でもないと思っていたが、書いてみるとそれなりに、いろいろあったことに気がつく。

30歳半ばで大恋愛をやってのけた。私の世代、男は20代後半には結婚し、30代には子どももあるものだった。いつか嫁さんが来るのではないかとぽかんとしていたら、35歳を過ぎた。一生独身だろうと諦めたら、10歳年下の女性と大恋愛してしまった。やるなあ、自分。

それから四人の子どもの親になった。結婚したら子どもがあってもいいだろうと思ってはいたが、四人である。妻の故郷・沖縄で8年暮らしていた。子作り以外にすることはなかったのか。
東京に戻り、ブログを始めてちょっとだけ有名になった。

ぱっとしない普通の人生だと思ったが、それなりに生きてきたんだから、いろいろあるものだ。
というか、いろいろな人生があっていいのではないか。
自分で考えて決めた生き方なら、普通であっても、変であっても、別によいのではないか。
そういうことを自分を例にして伝えたかった。

「人生だった」なんて、これから死ぬみたいな表現をしたが、55歳まで生きてみたら、そろそろ人生の終わり方も考えるきっかけになった。
この年齢まで生きられなかった人も多い。自分の人生を振り返ったら、自分の死の形のようなものも、自分なりに納得するようになった。
つらいとき死にたいと思ったり、その逆に病気で苦しんで死を恐れたり、死ということにもいろいろ思うようになった。
考えて生きるというのは、自分だけの死というものを形作っていくことになる。
60代以降に向けて、これからは死もまた人生の一部として受け入れていくしかない。うまくできるだろうか。

この本には後書きは書かなかった。なくてもいいだろうと思っていた。ただ、家族に感謝を伝えたい気持ちは残った。
そういえば、校正の途中、子どもがやってきて覗き込んで少し読んで、不思議そうな顔をしていた。変な父親だよな。ごめんな。校正は妻にも頼んだ。若いころの失恋話とかも読むわけである。「ここはやめて」ということもなかった。ほっとした。家族がいた。それは自分で考えて決めた人生として受け取ったというより幸運に近いものだった。

<了>

◆ダイヤモンド社書籍編集局からのお知らせ◆

考える生き方 空しさを希望に変えるために

ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。

価格(税込):¥ 1,470
判型/造本:46並製
頁数:340
ISBN:978-4-478-02323-5

プロフィール

https://anond.hatelabo.jp/keyword/%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab

極東ブログ~Finalvent

http://finalvent.cocolog-nifty.com/

日記~finalvent

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/

ツイッター~Finalvent

https://twitter.com/finalvent

Finalventさんに対する質問

http://kompei.com/taidan/kyokuto.html

Finalventさんの書評

https://cakes.mu/series/39

その他検索してみると

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BBfinalvent&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BBfinalvent&ai=FeYi8tqzTdaqz_0Q7DNoQA&ts=1156&mfb=427_56x&fr=top_ga1_sa&b=11

Finalventさんが難病を患っているとは

http://blog.livedoor.jp/keloinwell/archives/1764582.html

何のために学ぶのか、何のために考えるのか?

飯田泰之×finalvent(『考える生き方』著者)

http://synodos.jp/newbook/185

飯田泰之(いいだ・やすゆき)
マクロ経済学

1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授、シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

finalvent(ファイナルベント)
書評家 / 随筆家 / アルファブロガー

書評家・随筆家・アルファブロガー(2004年アルファブロガー・アワード)。ペンネームの由来は子どもと見ていた仮面ライダーの必殺ワザから。1日1冊のペースで読む読書を30年以上つづけている。関心分野は、哲学・思想・文学・歴史など文系領域から生物学・物理学など理系領域まで。1957年生まれ。国際基督教大学卒業。同大学院進学。専攻・言語学。情報技術や最新医療の解説なども得意とする。デジタルコンテンツのための配信プラットフォーム「cakes(ケイクス)」で、文学書などの書評も連載中。

終わりにかつて拙稿に寄せられたコメントから

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3397

私はあなたの言う、情報ばかりを貪っている輩の一人です。25年ほど住んでいたNYから帰国して友人より貴殿のサイトを紹介されて以来5年間ほど、ほぼ毎日貴殿のサイトを閲覧しておりました。その間、友人、知人にも貴殿のサイトを紹介してきましたが、自分が何をしたのかと言うと気ばかりが焦って何一つできなかったことを恥じています。
サイトに書かれている内容はこれまでの自分の考えを根底から覆すものばかりで、私がまず最初に始めなければならなかったことはこれまでの自分の考えと人生感を捨てて新たに組み直す作業でした。
中学生の頃から感じていたこの国の矛盾と理不尽さには子供ながら大きな疑問があったため、その作業をするにはさほど大した時間はかかりませんでした。それは貴殿の噛んで含むような詳細なサイトがあったからこそできたことだと思います。また、貴殿のサイトにより自分を偽らず自身の考えに自信を持ってこの国で生き直すことができたと感じております。私などのようなものが貴殿のご苦労や功績を讃えられるものではありませんが、ただただ感謝の念以外に他なりません。
貴殿のご健康を心からお祈りしております。
ありがとうございました。

『本当の事が知りたいだけだ2

http://silverisrealmoney.blog.fc2.com/blog-entry-308.html

達人氏のブログの読者にしかすぎなかった2008年ころ、しかし当方は、氏に貢献したいと思ったものだ。達人氏の粋に感じた事もあった。氏の記事を読みながら、ぞくぞくしたものだ。これが現実なんだ、と思った。しかし、残念だが、それが本当だったということにいま、驚愕している。

本当の事を知る為に、自分はなんら危険も犯さず、金も出さず、いいところだけを持っていきたいという腐れ根性のやつがいるとしたら、当方がもっとも軽蔑するやつらだ。そういうのは単に、泥棒にすぎん。

そんな薄汚い根性は捨てろ! ばかやろう、お前だけが救われてどうするんだ、クソがっ。真実をすべての日本人が知るようになってはじめて、かすかな、ほんの少しの明かりが見えるかもしれない、という状況で、身をもって真実を語っている人のブログを盗みみて、自分だけが得をしようとする、その腐れ根性は、なんだ? 最低だよ、そういうのは。なんとかしろと言いたいよ。

自分が真実だ、と思った事は、社会で生活してるなら、周囲の人間に伝えたらどうだ? ツイッターで、あるいは自分のブログを通して紹介したらどうだ? できるだろ、そのくらい。本当に腐れてしまったのか日本人と思うよ、俺は。』

千年王国の追及~大学の西洋史などに入ると中世ばかりやらされます。みなさんいやいややってますが卒業免状が目的ですからね。

http://6707.
teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2445


自発的隷従論

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1070.html

雁屋哲の今日もまた

http://kariyatetsu.com/blog/1665.php

最近、目の覚めるような素晴らしい本に出会った。「自発的隷従論」という。

お神輿と契約の箱

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/niho
nnokenkyushi/nithiyudosoronco/kaisetu2.html#02


以下の画像の本はアマゾンで1円から買えます。若い人におすすめの一冊です。早くから自分の立脚地を構築するのが肝心です。

生きることと考えること.......で拙稿を検索すると11件あります

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90%B6%82%AB%82%E9%82%B1%82%C6%82%C6%8Dl%82%A6%82%E9%82%B1%82%C6&inside=1&x=0&y=0

参考過去記事より~生きることと考えること

http://web.archive.org/web/20071229084229/http://
angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/97.html


「ふらんす迷い路 7」

生きることと考えること

森有正との対話

 もし他人の内面生活を覗き見る興味からこの本を手にする人がもしいたとしたら,おそらく失望するでしょう。私小説的な自己告発とは別の動機,つまり思想的動機のみがあるのです。

 日本ですでに自己形成を完了した私が,ヨーロッパにあってどういうふうに生きてゆくか,ということだけであって,それ以外ではなかったのです。崩壊の瀬戸際に立つかもしれないような歩みは,むしろ現在はじまりつつある。そういう感じが強くしています。

 恋愛について

 日本人の経験というものは,分析が本当の個人意識まで絶対に下がっていかないのです。最後のところに「親子」の関係とか,「夫婦」の関係とか,「家族」の関係とか,[友人」の付き合いとか,義理とか,そういうようなものが網の目のようにその中に張りめぐらされてある。

 だから少なくとも二人の人間で一つの個性というと具合がわるいが,一つの単位を構成しているというところが出てくる。その場合に,自分の個を貫くために,その結びつきを破るかというと,日本人は破らない。それが日本人の根本的な長所であり,また欠点だと思うのです。

 個人意識が大事だということは,最後のところになると親子,夫婦,師弟というふうな結びつきが破れて,それが個々に分離していくところにある。ヨーロッパのばあいは,あるばあいには,ほんとうに親も離れ,先生も離れ,国も離れ,社会も離れ,なにもかも離れて,自分一人になってしまうという経験が,事実そこまで行ってしまうのです。

 夫婦でも日本みたいに融合しない。親子でももちろん融合しないし,師弟も融合しない。親は自分の責任を尽くして生きてきたのだから,あとから来た子供は,その子供自身の生活なのだから,その生活を自分で営んで,またその次に出てくる子供から離れて一人で死んでいくわけです。そうであるからこそ,ヨーロッパには本当の恋愛が可能なのです。

 日本人には本当の恋愛が非常に少ないということです。すぐに親がでてくる。すぐに先生がでてくる。ことに,すぐ友人がでてくる。そのために本当の恋愛は日本では成立しない。恋愛は男の個と女の個との関係です。ですから,孤独ということがなかったら恋愛なぞ,絶対にありえないのです。孤独において成立したもの以外は,多かれ少なかれ,みんな仲人口です。究極において個を貫けないという要素によるものです。

 試験制度

 学士になるとか,国家試験などでも,一年前に、試験の範囲が報告されます。例えば,フランス文学史の17世紀なら17世紀を勉強してこいとか,どういう著者を勉強してこいとかの指示があります。そういうやり方を通して,単に知識をコントロールするのではなく,試験を準備させることによってその人に勉強させるというやり方をとっている。

 中学校などでも哲学が必須で徹底している。デカルト,パスカル,カント,ハイデッカーなど学校用のテキストを正確に読んでおかなくてはいけないわけです。

以上は本の中から抜粋し編集したものです。注:上の本はアマゾンで1円から買えます。

 辻邦夫さんなど多くの仏文学者達が森さんを師と仰ぎ畏敬の念をもって集まりました。森さんの言いたいことは「大事なのは,ある人がほんとうに自分の立脚地をおくことができる世界を,自分の中に築き上げていくこと」それが全てです。

おまけ

安倍晋三の隠れた顔 | ハムレットの水車小屋 - 地味鉄庵 - TeaCup

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1005.html - キャッシュ

安倍首相が世界にばら撒いた金額 | 掲示板 | 3822 - TeaCup

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3822 - キャッシュ

2017年1月18日 - http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/482.html ついたコメントから 投稿者:まさ 2013/7/11 10:17 この記事の中に出てくるカナダの事ですがほぼ現実にあったのでは ないかと思えます。自分は縁がありカナダの西部のカムループスと ...

イルミナティを操る奥の院サンへドリン

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3364

日銀の副作用

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO19051340Q7A720C1000000/?n_cid=NMAIL002


 
 
》記事一覧表示

新着順:42/3606 《前のページ | 次のページ》
/3606