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下記関連です

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月19日(日)09時32分30秒
  通報 返信・引用 編集済
  倉本圭造とは何者か?

http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

2012年7月18日水曜日
今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』
最近出版の依頼を下さった人がいて、結構業界では有名な実力者の人なんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

そのプロフィールっていうのは、このブログの上部に表示されているコレなんですが。

    倉本圭造 (経済思想家・経営コンサルタント)1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に悩み、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。いわゆる「ブラック企業」やカルト宗教団体、ホストクラブ、肉体労働現場などに潜入して働き、今を生きる日本人の「リアリティ」を肌感覚として知るプロセスの後、船井総研を経て独立、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。


で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

長いお付き合いの方には、「いまさら感」もあるかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。少し長い文章になると思います。

目次は、


0 そもそも、「なんでこんなクレイジーなことをしているのか」(原点編)


1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)


2 そのために何をやってきたのか  (行動編)


3 今からやっていこうとしていることは何か? (未来の方向性編)


という感じで、行こうと思っています。






0 そもそも、「なんでこんなクレイジーなことをしているのか」(原点編)


プロフィールを読んでいただけるとわかるように、1978年神戸市生まれ。地元の公立中学校→神戸高校→京都大学経済学部→マッキンゼー・・・という経歴・・・までは、別に説明不要に「普通の日本人」でした。

でも、そこから、色々と「説明が必要」なことをやってきているわけなんですよね。他人から見ると意味不明、母親は何か自分がしようとするたびに激怒、友達は呆れる、みたいな、そういう感じで。

で、ここから先の行動を「理解」していただくには、『1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)』に繋がる、「自分の行動を支えている原体験」的な内容から語るべきかと思うので、まずはそういう話をします。



結局は、その「原点」の話が、なぜマッキンゼーを辞めなくちゃいけなかったか・・・っていう話に繋がっていくわけですけど、端的に言うと「この方法論」だけが世界のスタンダードになっていったら、日本経済の「一番良い部分」は消えてしまうだろうな・・・っていうのが、切実な感覚としてあったからなんですよ。


しかもそれが、外国企業相手の、英語でやってるプロジェクトだったら、全然感じなかったんですよね。でも、日本の会社相手にそれをやっていると、本当に切実に「このままじゃいけない」って思ったんですよ。


でも、その「外資的・グローバリズム的・MBA的・コンサルタント的」方法論に、「全く可能性がない」と思えたらそれはそれで良かったんですが、その「可能性」自体も深く感じていた。


ただ、それを「日本の会社」とうまくシナジーさせるには、もっと徹底した視座から「基礎づけ直す」ことが必要だと感じたんですよ。


というか、ヒシヒシと毎日の仕事の中で「板挟みの感覚」に苛まれていて、最後の方は結構ノイローゼ的な感じになってしまっていたんですよね。


このままとりあえず疑問は棚上げにして、「マッキンゼー的方法論のプロ」としてスキル蓄積をすれば、個人として食いっぱぐれはなくなるだろう。今後どんどんこういう「グローバリズムにバックアップされた定型的なスキル」が必要な領域は増えていくだろうし。


でも、「そういう仕事の作り方」が市民権を得れば得るほど、マクロに見た時の「日本経済」の勢いは絶対無くなっていくだろうな・・・っていう感覚が凄くあったんですよね。





で、僕にはその「原点的な体験」があったんですよ。


僕は高校時代に、合唱部にいてですね、その団体は、当時はその世界で「知らぬ者のいない」ってほどの名門とされていたんですよ。全国に出て当たり前、そこで金賞取れるかどうかが勝負・・・みたいなね。


で、考えてみれば、別にスポーツ推薦的なものがあるわけでもない普通の公立高校の部活で、3年ごとにホイホイ部員が入れ替わりながら、そういう「実績」が常に続くっていうのは「物凄い」ことですよね。


つまり、別に「才能溢れる人間」や「デキル人間」が集まってるわけじゃないわけですよ。


地区内のライバル高校には、「その高校の音楽科の学生」が全員集まって出てくる高校とかもあって、「才能」とか「能力」で言ったら圧倒的にそっちの方が上なはずなのに、でもやっぱり、どれだけ「中身が入れ替わっても毎年勝てる」・・・これは何なのか?っていうのがあるじゃないですか。


で、僕自身は、中学時代まで、「個人に対するあらゆる集団的圧力なんかは旧時代的な馬鹿馬鹿しい因習にすぎない」って思うぐらいのキャラクターだったんですけど、その高校時代の3年間で、色々と「人間の集団っていうのの難しさ」について感じ入るものがあったんですよね。


特に僕はそこで指揮者をしていたので、色々と「前時代的な風習」を、自分が実権を握った年に次々と廃止して、凄く「フランクで開明的な雰囲気」に作り替えたんですよ。


そしたらね、まあそれだけが原因というわけではないんですが、一気に弱体化したんですよね。部活自体が。


戦後すぐぐらいの時からずっと圧倒的な強豪だったのに、僕が卒業して数年後にはもう、関西以外では誰も知らない無名校になっちゃった。


それから四捨五入すれば20年ぐらいして、やっと復調してきたとは言え、今だにもう男が入らなくなって女声合唱のままなんですよ。


で、僕の中には、その「崩壊のプロセス」が凄く体感として残っているんですよ。


「会社」と違って「部活」は人の入れ替わりが激しいですから、色んな変化が一気に起きるんですよね。


でも、長期的に見ると、「部活」で起きた「崩壊」と、「日本企業の強み」の「崩壊」は、全く同じものに見えたんですよ。マッキンゼーにいた当時。今でもその考えは変わってないですけど。


特に、「”改革”を主導した存在」が「抜けた後」が怖いんですよね。


コンサルが入ってる時は、「コンサルが入ってるっていう非常時の熱度」があるから維持できてることも、平熱状態に戻ってったら一気に「崩壊」するんですよ。


それは結局「血肉になるほどに”今後それをやり続ける本人にとって自然”なものを提示できてないから」なんだけど、それは結局職業コンサルにとってみれば、「奴らがだらしないから、慣れ親しんだやり方に固執するダメ人間だから」みたいなジャッジになっちゃってるんですよ今は。


「何をやるべきか」の判断の時点で、「本人の資質」に対する深堀が全然足りてないんですよね。


そこに「個別の人間」に対する想像力が決定的に欠けていて、しかもその「想像力の欠如」が「四捨五入的なシステムの外側の生身の現実を代表している存在」を、「ダメ人間扱い」することによって埋め合わされてるんですよ。


で、そういう発想でやってると、マクロに日本を見た時に、「日本人の特性が活かせる分野を選ぶ」ことができなくなるんですよね。韓国みたいになんでできないの?シンガポールみたいになんでできないの?って感じで、他人と比べてばっかりいる嫌ぁーな家庭教師かガミガミ系教育ママみたいなことばっか言ってるからなんですよ。


「こういう分野なら、アメリカ人がやるより日本人がやるほうが圧倒的に有利だよね」っていう判断で「戦略」を決めていけば、「知性派」も「現場派」も両方「やってやったぜ」的な喜びを得られる方向に進めるんですよ。




要するに、その「崩壊」のプロセスについて、色々なことが言えると思うんですが、端的に言うと「活躍できる人間のタイプ」がどんどん狭くなってくるんですよね。

本当に、「特定の人間のタイプ」だけに光があたって、「本来活躍できるはずだった色んなタイプの人間」の力が全然発揮できなくなってくるんですよ。


で、そうすると、「頭で考えた、焦点のハッキリしたビジョン」は実現しやすくはなるんですよね確かに。でも、その分、「人間の集団から吸い上げられている能力」が根っこの方から薄くなってくるんですよね。


そういうのは、「演奏」にしたらすぐわかるんですよ。「痩せてくる」っていうかね。「やりたいこと」が明確にバシッと決まっていて、一瞬は「良いな」と思わせられる焦点が定まっている活動になるんだけど、「密度感」がスカスカなんですよ。


で、そしたら、昔だったら考えられなかったミスが頻発したりね。


そういうのって、「気をつけろ!!」って言う風に必死に言わなくちゃいけなくなったら終わりなんですよね。


なんで昔はそういうミスをしなかったかというと、「ミスが起きそうだな」ってなった時点で誰かが自然にそれを言って、それを共有して、で、未然に防ぐようになってたからなんですよ。


だから、必死に「ミスを必死に防ぐための手立てとか研修制度とか」を立ち上げようとし始めた時点で、もう遅いんですよ。





要するに「組織が痩せて」来たら、何をやってもダメなんですよね。どんだけ頭で考えたクリアーな戦略があったってダメ。


アメリカの会社だろうと世界中のどこの会社だろうと、「成功してる会社」っていうのは、「戦略」も優れてるけど「戦略だけ」が優れてるんじゃないんですよ。


その「集団」の「熱度を保つ」ための、その国なりのアレコレの「算段」が大量に為されてるんですよね。見た感じは全然違うだろうけど。


でも、今の時代の「グローバリズムを唱導するプレイヤー」っていうのは、そういうのを全然わかってないことが多いんですよ。

そういうのは、「戦略を考えてからの”説得の技術”でなんとかするもんだ」と思ってるんだけど、「説得の技術」と思ってる時点でダメなんですよ。

もっと内在的に、「やってる本人にとってインサイド・アウト感(押し付けられたものでなくその当人の本来的性質から自然に生まれてきたもの)」があるように持っていかなくちゃダメで。

そうじゃないと、結局「考え尽くした方向の先鋭性で一瞬だけ良くなっても、そのうち組織から出てくる熱量が不足して、どんどん規模的に縮小してしまう」ことになるんですよね。



で、僕がマッキンゼー時代に日本のクライアントのプロジェクトに参加していて思ったのは、同僚や先輩が「日本のクライアント」に対してガシガシ噛みこんで行って自分の優位性を確保していく時の「気分」が、僕が高校時代に部活の「伝統主義者」に対して噛みこんで行ってる時と


「全く同じ気分、全く同じ言葉使い、全く同じ発想」


だったんですよね。で、プロジェクトの成果としても、


「狙っていた成果は形として出るんだけど、集団の側に微妙な不完全燃焼感が残るあの感じ」


まで、


「全く同じ感じ」


だったんですよ。


「頭で考えたらこれでいいはず、これが最善なはず・・・という、それ以外の答えはないはずのことをやっていて、とりあえずの成果はあがっているっちゃあがっているはずなのに、なんか掴んだ指の間から砂が音もなくこぼれ落ちていってしまうような感じ」





「全く同じ感じ」


だった。ついでに言うと、それが


「あまり良くない兆候」であると「誰も気づかずにいる」ってこと自体


も、


「全く同じ感じ」


だった。




でね、部活動と違って企業活動は、食い扶持がかかってるから、無理やりやれっつったらやらせることが可能なんですよね。

人の入れ替わりも部活ほど激しくないから、「おかしいな?」って思っても、当分は誤魔化し誤魔化しできるんですよ。

でも、このまま「頭と身体が分断」したようなことを、「これが唯一の方法論です」みたいな感じで続けてたら、「必要な組織の密度」が消えていっちゃうだろうな・・・っていうのは切実に感じたんですよね。

そしたら、「コンサルタントとしての自分の食い扶持を稼げるようにならばなるほど」、「日本経済」全体で見た時にあんまり嬉しくない流れに手を貸すことになってしまうだろうなと。

そういう兆候は「明らかにある」けど、でも、高校時代の自分が「本当に崩壊しきるまでその大切さに気づかなかった」ように、今の日本社会も、あと10年は「グローバリズムに対応しろ!」だけを唱えて「とりあえずやってみる流れ」が必要だろうなと。

でも将来、

「グローバリズムに対応しろ!」っていう流れが完全に日本社会に定着して、今度は「グローバリズム対応しろって言う流れの中でならどんなカスでも売れてしまうバブル」みたいな状況になった時に、やっとその「両者をうまくシナジーさせる統一的な見解」が必要とされる時代が来るだろう


って思ったんですよね。


要するには、「昔のまま」でいいわけでもないですからね。


グローバリズム的な変化の激しさの中で自分の位置を築いていくには、コンサル的に頭でサクサク考える機能だって必要なんですよ。



ただ、そういう「グローバリズム的な流れ」自体を、「日本人の集団」の中で抱き込んで有機的に溶かしきってしまうことが必要なんですよね。


無機質な天空の城ラピュタを、木の根がグルグルに取り込んでしまうように

っていう例を僕はいつも言うんですけど。




まあ、そういうわけなんで、


「グローバリズムに対応しろ!」っていう流れが完全に日本社会に定着して、今度は「グローバリズム対応しろって言う流れの中でならどんなカスでも売れてしまうバブル」みたいな状況になった時に、やっとその「両者をうまくシナジーさせる統一的な見解」が必要とされる時代が来るだろう


というわけで、それを「思想」として準備する存在が必要だろうと思ったんですよ。


で、同時にね、マッキンゼーの同僚に、当時心理学で博士まで行ってて、30超えたぐらいになって初めてマッキンゼーに新卒で入社してたヤツがいたんですよね。


そういうのを見てると、30歳超えるぐらいまではムチャクチャなことをやって「ただ積んでいくキャリア」みたいなのから離れていても、ちゃんと「コンサル会社に戻ってくれば”普通の生活”ができるな」っていうようなことも思ったんですよね。


日本においては、やっぱそういう「ギャップ・イヤー」的な可能性を追求するのって、少し難しい面もあるわけなんですけど、その点、凄く「与えられた幸運」みたいなのがあるなと。


だからこそ、30を少し超えるぐらいまでは「ムチャクチャなこと」をやりながら、いずれ


「グローバリズムに対応しろ!」っていう流れが完全に日本社会に定着して、今度は「グローバリズム対応しろって言う流れの中でならどんなカスでも売れてしまうバブル」みたいな状況になった時に、やっとその「両者をうまくシナジーさせる統一的な見解」が必要とされる時代が来るだろう


になった時に


「そんなこともあろうかと」


的に統一的に提示できる内容を準備しておくことが自分の「やるべきこと」じゃないかと思ったんですよ。





本当にこの「困難」を乗り切るためには、「国内派」の「集団の密度感の価値」をわかってる人たちだけで集まっていてもダメだし、「国外派」の「個人主義者で”知的”な人たち」だけ集まってたってダメなんですよね。


で、その両者は、ほうっておくと、「内輪」だけで集まって「相手側」を非難するだけで終わってしまうわけですけど、本当はその「両者」に橋をかけない限り、「本当に自分たちらしい成功」なんてできないんですよ。



そういう「異質との連帯」の方法について書いたのが「21世紀の薩長同盟を結べ」なんですよね。


その本では、日本における「集団的密度感の強み」を代表している人を幕末の「薩摩藩士」にたとえて、その一方で「知的な個人主義者」を幕末の「長州藩士」にたとえて、その両者の間の「最良の部分同士を連携」させる方法と手順について書いてあるんですよ。

そのためには、以下の図みたいに、「無駄な対立構図」を組み替えてしまうことが必要なんですよね。

中略.............

でもまあ、それには「本来”敵同士に見える存在”を結び付けなくちゃいけないんで」、色々な現実的な難しさがあるんですけどね。


でも、それを成し遂げさえすれば、そもそも「グローバリズム」自体が、「世界全体に両手をあげて歓迎されてるもの」でもないですからね。


そこには「矛盾」もはらみながら広がっているわけなんで、で、それは常に「現地の集団の密度感」と「抽象化されすぎたシステム」との間の軋轢なわけですから。


日本が先陣を切ってその「矛盾」を乗り越える文化を形成すれば、それは世界最先端の希望になるんですよ。

「グローバリズム的に過度に抽象化されすぎたシステム」に息苦しい思いをしているのは、ご本尊のアメリカ人だって同じですからね。

一部の超金持ちに「効力感」が集中しすぎて、「もうどうしようもない状態」になっている人たちが沢山いる国ですから。

だからこそ、「グローバリズムを否定することなく、より広い範囲の人間の力を吸収できる文化」を生み出せれば、日本は世界最先端の「どこにもない価値」を生み出せるんですよ。

「グローバリズムべったり」でも「アンチグローバリズム」でもない、「グローバリズムを合気道的に利用して自分たちらしさを発揮」する・・・そういう経済のあり方を、根底から考えなおさなくちゃいけない時代なわけです。

日本は、「グローバリズムのシステム部分」には乗らない「余ってる部分」が多い国ですから、だからこそその「余ってる部分を捨てずにいた」ためにこの20年間「一人負け」状態だったわけですけど。

でも、その「余っている部分を捨てなかったこと」自体を「強み」に転換できれば、今度は「おまえら20年間俺らのことはただの鈍重なアホやと思っとったやろうけどな、そこに眠ってた”愚者の強み”ってのをこれから見せつけたるぞコラ!!」っていう世界になるわけなんですよね。



その方向性について模索するためには、「日本社会の中で恵まれたポジション」にいて、「それ以外の人」を「なんでできないの?アホじゃないの?」って言ってるだけじゃダメだと思ったんですよ。10年前の僕は。

で、「薩摩藩側」の中にも入らなくちゃいけないし、「長州藩側」の観点も忘れちゃいけないし、そもそももっと「”社会的良識”の外側」にいる人達のことも知らなくちゃいけないし・・・・って思って、アレコレやってきたんですよね。

そういうのが、


0 そもそも、「なんでこんなクレイジーなことをしているのか」(原点編)

ってわけです。

なんか凄い長くなっちゃったんで、とりあえずここまでにしておきます。



1 どういう世界を目指して活動しているのか (思想編)


2 そのために何をやってきたのか  (行動編)


3 今からやっていこうとしていることは何か? (未来の方向性編)



については、また改めて書きます。

とりあえず、そういう思いがギチギチに詰まった出版第一作、「21世紀の薩長同盟を結べ」を、ぜひよろしくお願いします。

グローバリズム的に最前線な活躍をされている方にも、現場現場現場的な活躍をされている方にも、「両方の立場」で、ちゃんとそれぞれ高い評価をいただけている本になってますんでね。

自己紹介の続きは.............

http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_1340.html


 
 
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