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ヨハネパウロ一世の暗殺について

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月 1日(土)11時49分24秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://megalodon.jp/2009-0311-0908-47/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/338.html

ヨハネ・パウロ1世が新教皇となったのは、1978年8月26日である。この頃、ヴァチカン内フリーメーソンは、同じメーソンのイタリア政財界人、高級官僚等との交流を活発にしていた。特にヴァチカン銀行総裁ポール・マーチンクス司祭(メーソン)を通して、イタリア最大手のアンブロアーノ銀行頭取ロベルト・カルビ(5年後、テムズ川で首吊り死体となる)、イタリア金融界の黒い仕掛人といわれたシシリア人銀行家ミケーレ・シンドナ(6年後、刑務所の特別独房で青酸カリによる毒殺)、元ファシストでマフィアのリチオ・ジェリ等と親しく交わり、ヴァチカン銀行の10億ドルを超える資金を不正に融資していた。

 そこに「P2事件」が発見し、当時のフォルラニ内閣が総辞職に追い込まれ、ヴァチカン銀行の黒い融資問題や、ヴァチカンに浸透したメーソンの事が、暴露され始めた。事に、リチオ・ジェリは、イタリアのフリーメーソンP2の首領であり、ロベルト・カルビはP2事件の中心人物だったからである。そこに新教皇の誕生である。一見柔和で、決して大それた事を行わない様に見えた、このヨハネ・パウロ1世を、メーソン達は甘く見くびっていた。
 そのヨハネパウロ1世からヴィロ枢機卿が呼び出しを受けたのは、9月28日の午後5時30分の事だった。そして彼が教皇から手渡されたものは、教会史上例の無い大改革の人事異動名簿だったのである。 名簿には、ヴィロ本人は勿論の事、ヴァチカン内のメーソン聖職者、職員等の百人近い解職者の名前が連ねてあった。

 ヴィロ枢機卿はあらゆる言葉を尽くして、この改革を留ませようとしたが、ヨハネパウロ1世は「只キリストの意志に従うままです」と語り、頑として聞き入れなかったのである。
 そのヨハネ・パウロ1世が、ベッドの中で死んでいるのを修道女から発見されたは、次の日の朝の4時45分の事だった。最初に駆けつけたヴィロ枢機卿は、直ぐに教皇の主治医でないブジネット医師を呼んだ。この医者は死因を「心筋梗塞」と診断した。
 しかし、ヨハネ・パウロ1世は、酒もタバコも飲まず、心臓は1度も病んだ事がなかった。しかも、3週間前、健康診断で「健康体」っである事を診断されたばかりだった。
 葬儀屋の車が来たのは、午前5時。死体が発見されてから15分の早さである。そして法律では死後24時間経たないと防腐処理出来ないのだが、ヴィロ枢機卿は、血液を抜かずに防腐剤を血管に注入させるという。難しい処理を葬儀屋に命じている。その為、血液検査も行う事が出来なかった。
 こうした不審の死に、ヴァチカン記者クラブとローマ市民からは、解剖を主張する声があがったが、ヴィロはこれを無視した。こうしてヨハネ・パウロ1世は、在位33日の短命の教皇に終わり、彼が行おうとしたヴァチカン内大改革も闇の中に葬られてしまったー!!聖母の御話は、この死も前任の2人の教皇と同じように、毒殺だったと告げている。そして、次に誕生したのが、教皇ヨハネ・パウロ2世(2005年没)である。<引用は上記URLより>

 誰が暗殺の背後にいたのかは知る人ぞ知るである、そしてMR.Zの出身地ポーランドからKarol J Wojtylaがヨハネパウロ二世に選ばれたのである。
 
 
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