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スターリニズムの犠牲の規模

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年 9月24日(月)13時15分59秒
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  こういう論文にはボルシェビキを成功させるために『誰が金を出したか』に触れる論文はまずない。そういうことに言及すれば社会から抹殺されると考えているのだろうか?

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siokawa.htm

はじめに

 一九三〇年代の農業集団化、飢饉、そして大テロルの過程で一体どれほどの犠牲がでたのか。これはいまなお多くの旧ソ連の人々の胸に重くのしかかっている問いである。ことの性質上、この問いに正確な回答を与えることはほぼ不可能であり、近似的な回答を与えようとする試みでさえ、数多くの疑問と論争にさらされざるをえない。

 欧米では、古くからスターリンの暴政の犠牲の規模をめぐってさまざまな議論がたたかわされてきており、近年に至るまでほぼやむことなく続いている。他方、旧ソ連では永らくこの問いを提出すること自体がタブーだったが、そのタブーが解除されたペレストロイカ以降は、これまでの遅れを取り戻そうとするかのように、欧米にまさるとも劣らない熱心さで探究が続いている。その探究の過程は現在なお継続中であり、今の時点で性急に結論を出すことはできない。旧ソ連の歴史家や統計学者が議論に加わることによって、一面では問題の所在がより明確になったが、他面ではかえって論争が激しくなる傾向もあり、意見の一致は容易には得られそうにない。ここでは、結論を急ぐことなく、これまでの論争をできる限り簡潔に整理してまとめておくこととしたい。なお、筆者が統計学・人口学の専門家でないため、議論の細部を十分正確には再現できないことをあらかじめお断わりしておく。

 今一つ断わっておきたいのは、議論の時期的な枠である。最近の旧ソ連では、スターリン時代だけに注目を限定するのではなく、一九一七年の革命直後から続いていた赤色テロルと白色テロルの応酬にまでさかのぼって再検討すべきだという声も高まっている。これは、テロルをスターリン体制だけのものではなく、レーニン時代から大なり小なり連続するものとしてとらえるという点で、初期のスターリン批判の枠を大きく超えるものである。この問題をめぐってもさまざまな論争がかわされているが、本章の対象をそこまで広げることは、あまりにも議論を拡散することとなろう。

 また、一九四〇~五〇年代についても、三〇年代以上に推測が困難である。そこで、本章ではさしあたり一九三〇年代にしぼった論点整理を試み、それ以前および以後については、末尾の補説2で戦時・戦後について簡単に触れるほかは、ごく例外的にしか言及しないことにする。

  予備的考察

 本論に入る前にあらかじめ確認しておくべき点がいくつかある。まず、スターリンの暴政の犠牲の規模については古くから、特に欧米でさまざまな推測がなされてきたが、そこでは極端に異なる各種の数字が提出されており、ごく大まかな合意さえも見いだされない。したがって、この問題に関する「従来の定説」なるものは、たとえ西側研究者の説と限定しても、そもそも存在しないのである。詳しくは後に述べるが、いかにその幅が大きいかを印象的に示す意味で例示するならば、欧米研究者中で最も低い数字をあげるケナンが数万人とするのに対し、最大規模の数字をあげるロ-ズフィールドらは約二五〇〇万人としていて、実に三桁もの違いが存在している。さらに、わが国の木村浩氏に至っては六六〇〇万人という極端な数字をあげている。

 このように大きな違いのある諸説を比較検討するに際して忘れてはならないのは、「スターリニズムの犠牲」という場合に、さまざまな異なった範囲の「犠牲」が念頭におかれていることがよくあるということである。定義が異なれば規模が異なるのは当然である。そして、ここでの定義の差異は非常に大きなものがありうる。まず、時期としていつをとるかであるが、スターリンの支配していた全時期(一九五三年まで)か、戦前だけをとるか、あるいはテロルの絶頂をなした一九三七~三八年に限るか、それとももっと広げてレーニン時代の赤色テロルまで含めるか、といった多様な選択がありうる。

 人的範囲に関していえば、処刑された者だけを数えるか、拘禁地や流刑地での死者を含むか、逮捕はされたが何とか生き延びた者はどうか、政治犯あるいは「国家犯罪」(反革命罪など)に問われた者に限るか、一般刑事犯も体制の全般的な苛酷さの産物とみなして「犠牲」のうちに数えるか、さらには刑事弾圧の犠牲者だけでなく、飢饉による餓死者、大戦前後の民族追放にあった者を含むか、農業集団化時に農村から追放された者はどうか、等々によって「犠牲」の範囲は大きく異なってくる。

 また、逮捕者の処遇としては、監獄での拘禁後、死刑のほかに、収容所やコロニーでの強制労働、流刑などのさまざまな形態があり、ある統計――それが正確と称するものであれ憶測であれ、また網羅的と称するものであれ部分的なものであれ――が、このうちのどのカテゴリーに該当するものであるかを確定することも、しばしば困難である。さらに、ある統計が特定の時点における囚人数(いわばストック量)を表しているのか、それとも一定期間内に有罪とされた者の数(いわばフロー量)を表しているのかは明白に違う概念であるにもかかわらず、このような初歩的な差さえも明らかにさせずに諸種の数字をつきあわせている場合もある。

 このようにさまざまな性格をもった種々の推計がある以上、それらの具体的数字が大きく違うのは当然であり、定義の異なる数字をそのままつきあわせることは全く無意味なのであるが、従来の議論はしばしばこの点に無頓着だった。以下で各種の議論を紹介するときは、できる限り、それぞれの論者がどのような範囲の「犠牲」を念頭においているのかをその都度明白にするように努めるが、論者によってはこの点を明確にしていない者も少なくない。

 次に規模の見積もりの含意について触れておきたい。この点に関してまず確認しておかねばならないのは、仮に相対的に小さな数字をとるとしても、それでも莫大な犠牲であることに変わりはないということである。「相対的に小さな数字をとるのはスターリン弁護論だ」とする見解が一部にあるが(後述のローズフィールド、コンクェストら)、相対的に小さいとはいっても、確実に百万の桁にのぼる――前述のケナンの「数万」という数字は例外であり、真剣にとりあげるにたる数字として最も小さいのはハフの「テロルの犠牲者数十万」であるが、そのハフも、その他に飢饉による餓死者として数百万をあげているので、犠牲の総計としては百万の桁になる――人命の犠牲が「大したことない」といえるものであろうか。むしろ、スターリニズムの恐ろしさを強調するためには数字をインフレさせねばならないと考える者の方が、人命の尊さに関して鈍感になっているのではないかという反論も十分なりたつのである。

 いずれにしても莫大な犠牲であることに変わりないということを確認した上での話であるが、規模をどのくらいに見積もるかによってスターリン時代のイメージがある程度まで変わってくることはありうる。たとえば、極度に大きな数字をとる場合には、あらゆる社会層が一貫して全く無差別に犠牲となり、誰もが日常的に恐怖におののいていたというイメージになりやすい。スターリン体制の民衆支配には、合意の要素など一切なく、恐怖と暴力のみによって支配が保たれていたということになるわけである。他方、相対的に小さな数字をとるならば、犠牲はそれぞれの時期ごとに特定の層に集中していた――農業集団化・飢饉時は農民、三〇年代末の大テロルは党・国家・軍の活動家とインテリ、戦時と大戦直後は種々の「罰せられた民族」等々――と考えることができ、逆に平の労働者の多くはテロルを免れ、彼らの間にはスターリン体制を支持する基盤もありえたということになるのである。もっとも、この両者の間には中間的な議論もありうるので、この対比は絶対的なものではないが、ともかく、このようなわけで犠牲の規模の推定はスターリン時代全体のイメージとかかわってくる面があるのである。

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