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日本の大学はサティアン

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年 9月24日(月)22時22分21秒
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  http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/1409.html

上九一色村と日本の大学      加藤 秀俊

 ここふた月ほど、すべての日本人とおなじくわたしも「オウム漬け」になっていた。なにしろテレビはどこの局もオウム関連のニュースやら「緊急特集」やらで完全に埋めつくされ、イヤでもこの教団とそれに関係するとおもわれる事件が続々と報道されていたからである。じっさい、このあいだも冗談がでたのだが、ほんとうの内閣閣僚の名前よりオウム真理教の「閣僚」の名前のほうが全国民に浸透したのではないか、とおもわれるほどだ。
 あの「閣僚」や幹部のおおくは新聞報道などによると、ほとんど例外なしに一流大学の大学院を優秀な成績で卒業した秀才である。これにもわたしはおどろいた。あたら人材がこんな運命をたどったというのはひとつのムダであり、また悲劇でもある。
 しかし、あの上九一色村のなかに建設されたサティアンとよばれる建物群をみていて、日本の大学そのものが「サティアン」に酷似しているのではあるまいか、ともおもった。なぜなら、およそ日本の大学なるものが、わずかの例外はべつとしておおむね完全な閉鎖集団で、外界との接触をあまりもっていないからである。もちろん教団にくらべれば大学のほうが常識的集団だし、べつだんわたしは学生を「信徒」になぞらえようなどとはおもわない。だが、ひとたび教員の世界に足をふみこんでみると、大学にはおおむねボス教授というのがいて「人事」を牛耳っている。「師匠」だの「弟子」だのといった徒弟制度そのままの古風なことばがのこっているところもある。まるで「湯島の白梅」の世界だ。「弟子」は「師匠」に絶対服従、そうでないと出世もおぼつかない。ボス教授や理事者は、いうなれば「尊師」のようなものだ。
 そんなわけで「東大サティアン」、「京大サティアン」、その他もろもろ国公私立をとわず一流大学にはおどろくべきタテ社会ができあがり、そこで若手の大学院生や研究者はひたすら「尊師」への忠誠を強制される。強制されないにしても、忠誠心をいつのまにやらもつようになる。学問的尊敬もさることながら、身のふりかたまで「尊師」のサジ加減ひとつだから人間、卑屈になる。
 さきほどのべたように、こんどの事件にかかわった教団幹部がことごとく大学あるいは大学院時代の「恩師」から「真面目で将来を嘱望されていた研究者だった」とコメントされていた秀才だった、というのはその意味できわめて象徴的だったといわざるをえない。大学の講座はまさしく外界から隔離された密室であり、その構造は外部の人間にはわからないようになっている。もとより、大学人はテレビもみるし、自由に外出もできるが、大学の教員によって構成される「講座」や「教室」の実態はまさに「恩師」を絶対とする宗教組織に似ている。
 いささか乱暴ないいかたがゆるされるなら、そういう閉鎖的集団のなかの徒弟制度に馴らされた秀才たちだったがゆえに、かれらはあのオウムという組織のなかにあまり抵抗なく適応し、それどころか組織秩序の形成に加担できたのかもしれない。
 「開かれた大学」といい「自由の学風」という。これまで四〇年以上にわたって大学とその周辺ですごしてきたわたしなどにいわせれば、その言やよし、といいたくなる。「弟子」をこきつかい、論文の代筆をさせる、などという事例は数かぎりなくある。そしてボスから寵愛をうけた若手の学者がよき職場や潤沢な研究費にめぐまれて、安定した生活を保障されたりもする。
 そしてその反面、気にいらない「弟子」をさっさとほうりだす教授や教授会もすくなくはない。そのおかげで、有能でありながらいわゆる「冷や飯」をくわされている若手研究者が日本にどれだけいることか。もうおぼえているひともすくなくなったが、かって某大学で四〇歳をすぎた助手が学部長を刺殺するという事件がおきたことなどもその象徴とみるべきであろう。
 会社などの組織だって、あるていどそういうことはある。しかし、ひとたび大学という組織のなかにはいってみると、そこには厳正な人事考課もないし、二〇年以上、著書はおろか論文さえ書いたことのない教授がいくらもいる。それで平然としていられるのが大学というものなのだ。自由も公平もあったものではない。
 わたしじしん、幸か不幸かボス教授にめぐまれなかったおかげで三八歳まで助手だった。もう老境に達したから、いまさら過去の愚痴をいうつもりはない。だが、いまの大学が依然として「自由」の名のもとに若手の「弟子」を生かすも殺すも「師匠」の一存、という「伝統」がのこっているのはこまったことだ。オウムと大学とのあいだにある種の共通要素があることをしみじみとおもうこのごろなのである。            (文部省放送教育開発センター所長)

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