teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:2788/3526 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

オデッサ物語

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年 9月26日(水)12時55分6秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.age.ne.jp/x/kanya/bbl-smpl.html

オデッサ物語
物語がはじまる街、オデッサ。

黒海にむかってその胸元を大きく開いた太陽の街オデッサ。難民、流浪、亡命、流血。国際都市であるこの港町が吸いこんできた歴史と、雑多な民族から立ち昇る体臭のなかにかつてあった、ひときわ濃厚な民の血たぎる地区、ユダヤ人街モルダヴァンカ。警察とはちがう秩序のまかりとおる場所。モルダヴァンカを牛耳る偉大なユダヤ人ギャングたちの伝説は、やがて短編の名手、作家バーベリの手によりカーニバル的な彩色をほどこされ、情熱の物語へと昇華した。

ポグロム(ユダヤ人の虐殺)の最中に流される鳩の血の鮮烈なシーン。その血に染まりながら「充たされた幸福な気持ち」を覚えるユダヤ人少年。金で買われた若者が醜女と並ぶ婚礼の席に忍び入る油の燃える匂い。「王」としてこの界隈に君臨する古老と契約を交わした唐突な花婿。しとどにながされる愛の汗、古いカドリールを踊る靴音、鳴り止まぬ楽団、夜襲に脅え泣き叫ぶ赤子、壁越しの嬌声…

タルムードの祈りの言葉を唱える唇も、ひとたびベッサラビアの葡萄酒で湿らせば、大いなる昔語りをはじめようぞ。すべてはユダヤ文学の「変わり者」(シュレミール)らの系譜が産み落とし、オデッサという舞台に踊り出た役者たち。この猥雑で陽気なカオスの街の主人公たち。

作家バーベリの自伝的作品のなかで群をぬくとされる短編集「オデッサ物語」。文藝の都ペテルブルグ中心のロシア文学の系譜とは違う、陽光あふれる南国オデッサから生まれたバーベリの作品は、「屋根の上のバイオリン弾き」などのイディッシュ文学の伝統に連なりながらも、その枠を大きく越え、ジョイスやニーチェにも共通する世界を構築したバーベリ。ジイド、ヘミングウェイの絶賛したその作家の魅力はどこまでも尽きることがない。

彼が骨の髄まで愛した港街オデッサに『オデッサ物語』を片手に出かけよう! 道案内は群像社刊『オデッサ物語』の訳者、中村唯史さん、道連れはモルダヴァンカ・ギャング首領フロイムグラチの亡霊か、はたまた気弱で嘘つきな夢見る少年バーベリか。 時はそれにふさわしく逢う魔の刻、シャガールのヴィテプスクの絵のようなユダヤ人街の路地をぬけて、夕げの匂いに心誘われるまま…

イディッシュ文学
アシュケナージ(東方ユダヤ人)が日常的に用いていたのはイディッシュ語だった。この言語は基本的には中高ドイツ語の変種とみなされるが、語彙にはヘブライ語やスラヴ諸語も取り入れられ、ヘブライ文字によって表記される。使われ始めたのは11世紀頃というから、約1000年の歴史を持っていることになる。ただし「聖なる言葉」であるヘブライ語や、アシュケナージが商業活動などで用いていた現地語(ドイツ語、ポーランド語、ロシア語など)に対して、イディッシュ語の地位は低かった。それは家庭内で用いられる私的な言葉、「女子どもの言葉」として、長いあいだ貶められてきた。

イディッシュ語で文学作品を書くことは、それ自体が一つの立場表明だった。宗教性や思弁性が顕著だったそれまでのユダヤ人の著作とは一線を画し、アシュケナージの大半を占める民衆を相手に、その現実や「私的な領域」を語ること。それがイディッシュ語を選択した作家たちに共通する志向だった。ただしイディッシュ文学が開花したのは19世紀後半からだが、その背後には1000年に及ぶアシュケナージの民間伝承がある。イディッシュ文語は、この豊穣な口語表現の蓄積に立脚しているため、「語り」の色彩が極めて強い。

19世紀のロシアで活動したイディッシュ語作家の代表格は、なんといってもショレム・アレイヘム(1859-1916)だろう。彼はキエフやオデッサで暮らしながらユーモアとペーソス溢れる作品を書き、その多くはロシア語にも翻訳されてトルストイ、チェーホフ、ゴーリキイらからも高く評価されたが、1905年のポグロムに衝撃を受け、アメリカに移住した。代表作『牛乳屋テヴィエ』は、日本でも森繁久弥(現在は西田敏行)主演でロングランを記録しているミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の原作として名高い。

世界的に著名なイディッシュ語作家としては、ほかにアイザック・シンガー(1904-91)がいる。戦間期のポーランドで自己形成を行なったシンガーは、むしろアメリカに亡命した後で有名になった。その作風は幻想的、神秘的な短編からリアリステイックな大河小説まで多彩である。代表作『イェシバ学生のイェントル』『敵、ある愛の物語』は映画化され、日本でも好評を博した。1978年にノーベル文学賞を受賞している。

イディッシュ文学に「世俗化」の志向が強かった以上は、オデッサがロシアにおけるイディッシュ文学の拠点だったことは当然だろう。ただしこの街の若きユダヤ人文学青年たちは、むしろロシア語で書くことを選んだ。バーベリはイデッィシュ文学をよく読んでいたが、1920年代のソ連でイデッィシュ文学や演劇が盛んだったなかでも、一貫してロシア語で書き続けた。あくまでも彼は、イディッシュの語り口をロシア語に移し変えることで、ロシア文学に新たな言語表現を切り開いた作家である。
中村唯史(ロシア文学/山形大学
 
 
》記事一覧表示

新着順:2788/3526 《前のページ | 次のページ》
/3526