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国家君が代について

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 1日(月)11時12分0秒
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  http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/framepage1.htm

国歌「君が代」、隠蔽ヘブライ文としてのその構造

国歌「君が代」について
「君が代」は、国歌として『和漢朗詠集』巻下、「祝」の項に775番目の歌として収められています。
奥好義という人が作曲し、ドイツ人音楽家エッケルトが和声付けをして、明治十三年に初演されたと云われています。
その後、広く国民の間で斉唱されてきましたが、この項で述べるのは曲のことではなく、この歌が、他の多くの歌謡同様、母音操作されたヘブライ文を簡素化し隠蔽したものである、という点です。

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

この歌には、始まりの一句のみが異なる、同じものがもう一つあります。

 わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

そして、『和漢朗詠集』(『倭漢朗詠集』とも表記される)には、「君が代は」、で始まるものと、「わが君は」で始まるものと、二通りの写本があり、流布されていました。『古今和歌集』巻7-343には、「賀歌」読み人しらず、として「わが君は」で始まる同じものが載っています。さらに、似た歌では、「雑歌・皇太神宮年中行事」の中に、次の歌謡が二首あります。

 わが君の おはしまさむことは さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
 わが君の 命を請はば さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

通常、学問的には、「君が代」は古今和歌集から採られ、「我が君は」の部分が「君が代は」に変えられたと云われています。倭漢朗詠集の影響を受けて、ほぼ百年後に編纂されたと推定されている私撰集『新撰朗詠集』には、この「君が代は」から始まる歌が二首、やはり「祝」と題された項に載っていますが、その歌はここでは挙げません。倭漢朗詠集の「君が代は」の影響によって、その二首は作られたと思われるからです。この二首は隠蔽ヘブライ文ではなく、明らかに当時の人によって作歌されたものです。

「君が代」は、何故、隠蔽ヘブライ文と云えるのか?
サムネイル画像、図-1を、クリックしますと、そこに現れるのは、『和漢朗詠集』巻下の写本、「祝」の部分です。そこには、「君が代」が綴られているのを、読者は読み取ることが出来るでしょう。この写本には、藤原行成(こうぜい972~1027)自筆と記されています。国立国会図書館に、マイクロフィルムとして所蔵されているものをコピーさせてもらったものです。この写本は、通常市販されている『和漢朗詠集』の底本とされているものです。記されたものをそのまま挙げると、次のようになります。

 きみが代は 地よねやちよ子 沙々礼いしの いはほとなりて 古家憲む寿まで

そして、きみが代 の右脇に、わがきみ、と小さく書き添えられています。前述したように通説では、『和漢朗詠集』の君が代は、『古今和歌集』から写し採られたものだとされています。『和漢朗詠集』の編纂は『古今和歌集』編纂の約百年後のことでした。サムネイル画像、図―2と3は、江戸時代に流布されていた木版本『古今和歌集』の君が代の部分です。図―2には、後扉に延寶2年(1674)に起こされたものと木版印刷されています。両方とも「我君は」で始まっており、歌は次のようになっています。

 図―2 我君ハ 千世子やちよに さざれ石升 い尤保と成て 苔乃む寿まで
 図―3 我君は 千世子やちよに 沙ざ礼石乃 いは不と成て 苔升む寿まで

特殊な漢字使いとして、ね=子、の=憲、升、す=寿、わ=尤、等で、不は誤写でしょう。「わ」は実際は「尤」という字の右上の点の付かない文字なのですが、入力出来ない為、便宜上この文字にしてあります。その文字は「ワウ」と発音します。子は十二支の「ね」。憲、升はそれぞれ、のり、のぼる、の「の」。祝いの歌であることから、「す」には寿を充てたのでしょう。これといった決まりの無い時代では、自由に当て字していたようです。
そして、興味深いことは、図―1と3との書き手の間には、600年以上隔たりがあるにも関らず、沙(さ),礼(れ),寿(す),の崩し字のその書体、字体がよく似ているという点です。前者が手本になっていたかのようです。字の崩し方は伝統的なものでありますから、似ていてもおかしくはない。当て字の在り方も、良くも悪くも習慣を踏まえたものでしょう。
ところが、一点だけ不思議なところがあります。「苔」とあるべきところに何故か、「古家」となっています。しかも、現存する写本の中では最も古いと云われ、学問的にも高く評価されている写本にです。
これは、書き手の写し間違いでしょうか?大事な祝いの歌を写し間違ったでしょうか?しかし、最初から、苔のむすまで、として作られた歌なら、何故、古家と、写し間違わねばならないでしょうか?書き手は故意にそうしたのでしょうか?それにしては、図―1をみる限り、古家を、苔と訂正した跡は見られません。当人はおろか、他の人の手さえも加えられている様子もありません。何故、古家か?
では、結論から申し上げましょう。この写本が書かれた当時は、「こけ」が、古家なのか、苔なのか、その意味、解釈は定まっていなかったということです。「ちよ」も、地よ、千世、千代、と色々に考えられていて同様でした。
古家も単に漢字の借字であり、書者も「古い家」の意味を込めたものでもなかったでしょう。古家は漢音である為、後世にはより妥当な解釈としては受け入れられなかったであろうこと。さらに、全体的な解釈としては一貫していない、漢音と訓読みの混在等が挙げられます。それで、読み人達によって色々と考えられた挙句、最終的に「苔」に落ち着いたと思われるのです。
勅撰和歌集第一号として、古今集に収められた当初、この歌は、すべて平仮名で書かれていたでしょう。その平仮名文とは、当時はヘブライ文を母音操作して作られた意味の伴わない発音の羅列文に過ぎなかったからです。読み人の役割りとしては、自分達が生まれる前から存在していたこの音の羅列文を、新しい自分達の国語、日本語でどう意味付けし解釈し、漢字混じりの平仮名文にするかに、その力量が問われました。これは万葉集についても同様でした。

「我が君」は、何故「君が代」に変えられたか?
この「君」が、君主を指すのであるにせよ、あなたを指すのであるにせよ、人であるからには、その人の一生が、千の世も、千の代も続くわけがない。ところが君が代、即ち、その人の子孫の代が、何千代も続くようにという祈りならば、我が君の一生よりも、現実味を感じられるものとなる。そのような単純な理由から、「我が君」は「君が代」に変えられたと推理します。
それでは何故、そのような意味の通らない和歌が作られるに至ったのか?それは、その和歌が最初に作られた時には日本語文ではなかったからに他なりません。ヘブライ語で書かれたものの母音を変えた文を日本語で意味付けし解釈しようというのですから、日本語では意味の通らない和歌が出てきても当然なのです。
そして、「我が君は」で始まる和歌は、明らかに母音操作された隠蔽ヘブライ文ですが、「君が代は」で始まる和歌の最初の一句は、どうやらヘブライ文ではなさそうです。と申しますのは、この一句だけは、どうヘブライ語で訳しても、意味がしっくり来ないからです。「君が代は」の部分だけは日本語の発達に伴って、日本語で作られた文です。
つまり、ヘブライ語で書かれたものはヘブライ語で訳すとその意味はしっくり来るが日本語の意味ではしっくり来ない。日本語で書かれたものは、日本語の意味はしっくり来るが、それを隠蔽ヘブライ文と見なして、ヘブライ語で訳してもしっくり来ないということです。一文での両言語の双方の意味は、両立不能ということです。
当たり前と云えば当たり前の話ですが、隠蔽ヘブライ文に日本語の意味を見出すという、そうした際どい芸当をやってのけてきたのが、古代の読み人と言われた人達です。それは、日本人の思考能力を促し、日本語の発達、発展に大きく貢献してきました。
それは同時に、日本語の発達と共に多くの人々によって、和歌が多く作られるようになり、和歌集が増えるに従って、読み人と作者の区別が時代と共に次第に失われていきました。両者が混在し混同されるようになったからです。そして、何時の間にか読み人は作者ということになったのです。従って、膨大な量にのぼる和歌には、隠蔽ヘブライ文であるものと、そうでないものとがあります。

和歌と倭歌
古い時代の和歌は倭歌とも記されていますが、これはどちらの表記も正しいといえます。倭歌は、倭(ユダ)の歌という意味で、その歌が隠蔽ヘブライ文であることを示しています。ですから、隠蔽ヘブライ文ではない和歌を、倭歌と呼ぶのは適当ではありません。『万葉集』が主に、神からの語りのヘブライ文を隠蔽しているのに対し、倭歌は、統一大ユダに至るヘブライ人の歴史を記したヘブライ文を隠蔽したものです。『古今和歌集』『新古今和歌集』『金槐和歌集』等が大体それに該当します。その統一大ユダのヘブライ人の国が、ヘブライ一掃政策を施行し、日本国の誕生へと至ったのであります。それらの和歌集の編纂は、当時の人達の新しい国、日本国へ向けた創造的活動の一環でした。

「君が代」ヘブライ文としての意味
「君が代は」の部分のみヘブライ文ではない為、「我が君は」から始まる歌を、「皇太神宮年中行事の雑歌」二首を混えて訳出したものを、挙げてみることにします。三首の歌の重複する部分を省略し、まとめると次のようになります。

 1.我が君は(の) 2.千代に八千代に 3.御坐さむことは 4.命を請はば 5.細石の 6.巌となりて 7.苔の生すまで

[ヘブライ語修復訳]( )内は、筆者注。
1.そして、私(このヘブライ文の語り手であるヤーウェ神)は貴方の立ち向かう者(ダビデ)を批判するだろう。
2.彼(イーシェ)は必ず、私に決めるだろう。
3.私は、彼を悲しませるような知らせは遮るだろう。
4.貴方(イーシェ)は傷つけられ苦悩した。
5.(このヤーウェ神に語りかけられている民と同じ)血続きであるところの私達のイーシェ。
6.貴方(イーシェ)が完遂させたしるしを、彼ら(七大天使)は告げるだろう。
7.私達のこのような証人による救い主。

この訳を見る限りにおいて「君が代」は、長文で記されたものの一断片に過ぎないことを読者は理解されることでしょう。実際にはヘブラい語の長文であったものを、覚えやすくする為に、短く切って一つの歌謡としてまとめたのでしょう。これは未来の日本国で行われる最後の審判についての予言であります。七つの短文について一つ一つ説明を加えることにしましょう。

1. 私は何々と語られるこの私とは、ヤーウェ様のことです。立ち向かう者とは、双子の神の弟、サタンと化したダビデのことであります。雑歌では、「わが君の」となっていますが、「の」の場合は、「私達の立ち向かう者」という意味になります。直訳は、打ち付けですが、批判としました。
2. 「ちよにやちよに」、は「や」を挟んで、「ちよに」が二つ続いています。「ちよに」が一つのヘブライ語の動詞として捉えますと、y音を挟んだ同じ動詞という形は、前者が完了形、後者が未完了形になり、彼は必ず~するだろう、という意味の典型的なヘブライ文になります。この場合の彼とは、イーシェ、即ち、インマヌエル・イエス様のことです。別サイトで述べたように、インマヌエル・イエス様は、幼少時から、双子の神、双方の助力を得て育てられました。ヤーウェ様とダビデの両方に思い入れはあるであろうものの、最後の審判の時には、必ずヤーウェ様の側に付くだろう、ということを云ったものです。そして、「ちよ」についてですが、原音として想定されるヘブライ音は、「ちを」に近いのです。ところが、日本語では、「を」自体、助詞の性格が色濃かった為か、「ちを」という名詞が生まれてきませんでした。そうしたこともあって、「ちを」は或る時期に「ちよ」に変えられたと考えられます。また、古写本では、「ちよね」とあるものも見受けられますが、母音操作という視点から眺めた場合、「ね」でも「に」でも、子音が、nでありさえすれば、どちらでもよいということになります。
3. 彼を悲しませるような知らせ、とは何か、今のところは不明です。
4. 傷つけられ苦悩した、とは十字架上の処刑について云ったものでしょう。
5. 「いしの」は、「私達のイーシェ」という意味です。血統とは、このヤーウェ様に語りかけられている民と同じ血筋という意味でしょう。「さざれ」がそれですが、さされ、が原音に近いとすると、意味は変わってきますが、さざれ、が伝承通りと思われますので、それに準じました。
6. 十字架へと至ったその経緯について、七大天使が証言するだろう、という意味でしょう。
7. 最後の審判の時に証言する救い主とは、インマヌエル・イエス様のような証人を伴った救い主達で、救い主とはキリストのことですから、ヘブライ語では「モシア」。この和歌の場合、アを除いて、mosiのo.i.の母音を、u.u.に変え、musu「むす」にしたのであります。

図―4は、「和漢朗詠集」と「古今和歌集」の「我が君は」で始まる一首を、図―5は、雑歌二首を、ヘブライ文で表したものです。ヘブライ文字は右から左へ読みます。(4.17.)
 
 
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