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卑弥呼の時代はヘブライ語

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 1日(月)11時16分7秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/framepage3.htm

万葉集(神からの語り)に隠蔽されたヤーウェ神の言葉

万葉集の意味
万葉集には、マンエフシフと、マンニエフシフとの二通りの読み方がありますが、どちらの読み方でも、ヘブライ語で「神からの語り」という意味になります。
ミンニヤハシァフが、旧約聖書ヘブライ語の意味に習った音写ですが、「シァフ」には、「語り」の意味の他に「思い巡らす」「嘆く」「話しかける」という意味があります。ですから「神からの思い巡らし」「神からの嘆き」「神からの話しかけ」でも意味は通じます。これら神からの言葉は、神からの霊示として公衆の面前で行われたものではなく、神が霊媒に語りかけ、それを霊媒が筆記しただけのものだからです。
ヘブライ語の神は主に「エル」ですので、「ヨフ」と発音されるようになった「ヤハ」は、神というよりも「ヤーウェ」の意味のほうが強いと思われます。ですから、その意味は「ヤーウェからの語り」とするのが本質に近いかも知れません。
ただ、万葉集をヘブライ語で解読し分析した結果、霊示を出している神は二体であることが判りました。ヤーウェ神ともう一体の神は双子の神として知られた神であり、その神とはヤーウェ神の双子の弟とされているサタン化してしまったダビデであります。
ですから、万葉集全体を「ヤーウェからの語り」としてしまうわけにはいきません。

ヘブライ文の隠蔽
このサイトでしばしば語られるヘブライ文の隠蔽とはどういうことか?神からの語りとして霊媒を通して出されたヘブライ文を、子音のみをそのままにし母音を変えて、一見してヘブライ文とは判り難い文にしてしまうことです。その操作にはこれといった規則もなく任意で行われたものです。
例えば、edomuというヘブライ文の母音eouを、iuoに変えるとしますと、idumoとなり、auiにしますと、adumiとなります。この二つの語に漢字を充てると、前者は出雲、後者は安曇となり、日本の地名になります。エドムとは、ヘブライ民族の中の一つの部族名です。
この隠蔽ヘブライ文では、母音操作のみならず、母子音を入れ替えるという方法も採られています。edの母子音を入れ替えてdeとする、或いは、isをsiとするというようにです。
そして、それらの操作が行われた文は、最早ヘブライ文ではなくなり、それらを表記したものは、単に音を文字で表した、意味が伴わない表音羅列文に過ぎないものになります。それが漢字文で表記され、大和言葉、日本語で意味付けされたのが、万葉集なのであります。

ヤーウェ神の霊示を出した霊媒
ヤーウェ様から直接接触され、その神の霊示を出した霊媒は、聖徳太子、その人をおいて他にありません。
太子は二十代の後半頃から、ヤーウェ様によるヘブライ語の霊示を大量に出していました。それは十数年に及び、或る時期から、大量のヘブライ文の母音を変えて、表音羅列文にする作業を始めました。それは主に太子が斑鳩宮に篭って禅定に打ち込んでいたと言われている謎の七年間がその時期に当たるでしょう。
最初、それら表音羅列文は漢字文で表記されていましたが、太子が五十音平仮名と片仮名を発明したことにより、或る時期からは、平仮名で表記されるようになりました。母音操作の作業を進めるうちに母音は、あいうえおの五つに限定できる事を、太子は見出したのです。この段階で、r音とl音の発音の区別もなくなりました。早々に五十音に限定し、平仮名で表記することを始めたのです。
そして、後の世に、漢字文で表記されたものが「万葉集」「日本古代歌謡集」として、平仮名で表記されたものは「勅撰和歌集」としてまとめられ、今日、国歌として国民の間で親しまれるようになったのです。

多勢の歌人による歌集が、何故、ヤーウェ神の言葉と言えるのか?
そもそも万葉集は、千人程の作者の歌が集成されたものである、その歌がどうして、ヤーウェ神の語りだと言えるのでしょうか?
結論から言いますと、万葉集の歌の作者は作者ではなく、太子の作った表音羅列文の読み人であったのです。編纂者と言われている大伴家持は、全国に散らばっていたその解釈された歌を一箇所に集めたに過ぎないのです。4500首余りある万葉歌のその殆どは、もともとは太子から出たものであるのです。
ヤーウェ神からのヘブライ語の霊示文は、ダビデのものも含めておおよそ一万首以上はあると見積もっていますが、それらは一貫した内容として捉えることが可能です。太子は長文の霊示文を、短く区切り一万首以上の短冊様に作ったものを用意していて、それを当時、ヤーウェ神が太子に降りたことを知り、太子を慕って来た人達に分散して持ち帰らせたと考えられます。
仮想のその短冊には、漢字と平仮名別々に表音羅列文が記されていました。
それは極めて大雑把ですが、漢字文の方は「神からの語り」、平仮名文の方は、倭歌、即ち、「ユダの歌」というように、分類認識されていたことでしょう。勅撰和歌集第一号の「古今和歌集」が編纂された際、「続万葉集」とも言われていましたが、「古今和歌集」の中にも、ヤーウェ神からの霊示文が含まれていますので、それでも間違いではないわけです。ただ、主に平仮名文で書かれていた為に、和歌集という形に落ち着いたのだろうと考えられます。
ヘブライ語の霊示文は、太子によって簡素化され、短く区切られました。そして、読み上げる際に調子よく、おぼえ易くする為に五七五七七を基本にし、母音も響きが調子の良い自然な流れになるように変えられ工夫されました。
ただ、霊示の内容が深刻で分割すべきではないと考えられたものも幾つかあったことでしょう。それらは、長歌という形で残されています。
万葉集編纂は太子没後、約200年後のことでしたが、その間、隠蔽された「神からの語り」は、太子の許に参集した人達の子孫によって大事に保管されていました。その子孫達の中に、大伴家持、柿本人麻呂、山上憶良、といった読み人達がいました。
そして、万葉集の編纂という、帝(みかど)の号令一下、「神からの語り」は、新しい日本という国の言葉、まだ未発達ではあったものの新しい国の言葉で意味付けされた歌、即ち、読まれた歌が集められ、その歌集は、「万葉集」と当て字されたのです。ですから、万葉集の読み人とは、歌の作者ではなく、あくまで太子の作った表音羅列文を新しい言葉で意味付けした人、解釈者であったのです。
そして、万葉集の編纂や、勅撰和歌集の編纂というイベントは、最初、全国に散らされたヤーウェ神の言葉を封じた歌を収集するのが主旨でした。それらが保管者によって新たな意味付け解釈されることによって、日本語の創造へ向けた定着と発達を促すことになりました。

日本語との関わり、造語と並進行
結論から入っていきますと、聖徳太子の時代には、今日の日本語はおろか大和言葉でさえもがまだ存在しませんでした。卑弥呼の時代にはヘブライ語が使われており、太子の時代もやはり同じでした。
「古事記」や「日本書紀」には、大ユダ(大倭)の時代やヘブライ一掃政策、国の言葉としてヘブライ語が話されていた事などの一切が伏せられ記録されていませんから、太古の時代から大和言葉が使われていたかのように私達日本人は錯覚するのですが、事実は違うということです。日本国と同様、日本語、大和言葉も太子から始まったのであります。
新しい国に相応しい新しい言葉を使う、という理念から出発し、その端緒は太子によって切られたのです。従って、日本語は造語された言語であるのです。
日本語は他の言語と異なり、必ず母音で終わると言われています。また他の外国語には、英語のtestの四番目のtのように、従母音の不明瞭な子音が必ずあります。ところが日本語にはそれがありません。これは、日本語が五つの母音に統制された結果であり、これは日本語が造語された言語であることの何よりの根拠なのであります。

造語の端緒「天地の歌」「いろは歌」
当然、造語するとなりますと、多くの新しい語彙が必要になります。しかし、それらすべてを太子一人でやるには荷の重い仕事であったでしょう。ただ、語彙作成の口火を切ったのは太子でした。それが「天地(あめつち)の歌」です。
「天地の歌」は「いろは歌」同様、いろは48文字を組み合わせた文字遊びの歌と考えられていますが、両方とも実際は造語の為の歌です。太子は平仮名を作ったことにより、新しい国の言葉の一つ一つの音は、48文字に限定されることを知りました。そして、同じ文字を使用しない48文字に限定したものに、漢字を充てて新しい国の語彙を造ろうとしたのであります。
ただ、アトランダムに48文字を並べただけでは、良い語彙は作れない、なるべく多くの事柄に引っ懸けたものが良いと考えておられたのです。そこで太子は、一つの音の流れを作るために、ヤーウェ神の霊示文をそこに充てることを考えました。これは神の側にも工夫が必要となりました。そして、神と人との共同作業によって誕生したのが、「天地の歌」であり「いろは歌」であったのです。従って、両方の歌には、ヘブライ文が封じられています。
そのような理由から、「天地の歌」は、日本語の単語を48文字重複せずにうまく組み込ませた歌なのではなく、最初からその形で作られたものだということです。霊示がヘブライ語で出され、太子がそのヘブライ文の母音を変えて簡素化していった結果、あめつちほしそらやまかは、という表音羅列文が出来たのです。そこに太子は、漢字の天地星空山川を充てていったのです。漢字をそのまま漢音読みすれば、てんちせいくうさんせん、です。ですが、それをそう読ませず、あめ、つち、ほし、そら、やま、かわ、と読ませたところに大和言葉の語彙の誕生がありました。
天地創造に習って、日本語の創造も天地から始まったわけです。

万葉集は当時の語彙造語の集大成
如何に表音羅列文が大量に作られようとも、新しい言葉の語彙がなければ、その文に解釈、意味付けしようにもしようがありません。ただ、太子が一握りの語彙を造り、それを表音羅列文に一文字加えるだけでも、或る種のイメージがそこに形造られていくことになったでしょう。
勿論、それだけでは新しい国の歌にはなりません。太子亡き後も、ヘブライ一掃政策を行った大ユダ王国の後身、大和朝廷の中の人々によって、語彙の造語が次々と行われていったことでしょう。
それは例えば、別項の「君が代」を挙げて説明してみることにしましょう。太子によって作られた当初の「君が代」はおおよその推定、次のようなものでした。

わがきみはちをねやちをねさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで

これが書かれた当初はまったく意味の伴わない、ただの表音羅列文であったなどということは、この歌を誰でも知っている私達日本人にとってはなかなかイメージし難いことでしょう。しかし、語彙が作られていなかった時代では、意味は無かったのです。(万葉集が編纂された時代には、この歌はいつか世に出るべく、まだ書庫に眠っていたでしょう。)
そして、「君(きみ)」という語彙が造られたことにより、「わが君は」という解釈が可能になりました。さらに「石(いし)」が造られることによって、「さざれ石の」という解釈が可能となる。「成る(なる)」という動詞が造られ、その活用が認識されるようになって、「いはほと成りて」という解釈が可能になったのであります。
語彙が造られた順序や動詞活用の認識のあり方がこの通りかどうかまでは判りませんが、語彙が造られるようになって、多くの細かな解釈が可能となっていったことは間違いないでしょう。

「日本書紀」「古事記」は、太子没後約100年後に編纂されましたが、両書共、歌謡が漢字文である他は皆漢文で著されています。100年では、日本語は発達しなかったのであります。そして、更に100年後の万葉集の編纂は、太子没後200年間に造られた語彙が集結する形になったのであります。これは大和言葉、日本語の発達に充分貢献し、発達を促すことになったでしょう。
大伴家持は万葉集編纂後、その死までの15年間一首も歌を残していないと言われていますが、この時期には、まだ歌を作るという習慣がなかったと見ます。編纂の主旨はヤーウェ神の語りを集めることにあったのですから。
大伴家持は隠蔽されたヘブライ語文の内容を明らかに理解していました。その大部分がヤーウェ神からの霊示文であることも。その文に意味付けすることが主眼であった以上、歌を作るという考えは起こって来なかったでありましょう。
他の読み人達もヘブライ文の内容を理解していた上で、新しい日本語語彙による意味付けを行っていたのです。
多くの読み人達はそのことにエネルギーを集中していたでありましょうし、歌を作るほどには日本語はまだ充分に発達していなかったと考えられます。
作り歌が花開くのは平安時代に入ってからのことであります。何故なら、新しい国の言葉を造って、国民がその言葉を日常語として喋るようにするといっても、それまでの長い間の言葉の習慣は、一朝一夕に切り替えられるものでもなかったからです。
ヘブライ語を喋る習慣も平行して進んでいたわけですから、語彙の造語に加え、万葉集や定期的な勅撰和歌集の編纂というイベントは、その発達を促すに当たっては欠かす事の出来ない事業であったでしょう。そして、新しい国へのその言語の切り替えには、実に300年、400年、500年といった歳月を要したのであります。(6.8.)

万葉歌のヘブライ語訳
万葉集の編纂者、大伴家持はヤーウェ神の霊示文の中でも特にポイントとなるものを、トップに持ってきています。以下に挙げる訳文は、太子から出されたものの中でも比較的初期の霊示文でありましょう。ここに挙げる十二首で、ヤーウェ神が告げたいと欲しておられる全体の、おおよそのポイントは押さえられてあります。では、万葉集巻1の1から挙げてみることにします。

〔萬葉集巻1の1〕雄略天皇
籠もよ み籠もち 掘串もよ み掘串もち この丘に 菜つます子 家きかな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそ坐せ 我こそば のらめ 家をも名をも
籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳爾菜採須児 家吉閑名 告沙根 虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座 我許背歯 告目 家乎毛名雄母  (入力不能の漢字がある為、1の2以下の漢字文は省略)

[ヘブライ語修復訳]( )内は筆者註。以下、同。
1.起つ者(救い主)は神であり、一掴み取らせる者である。
2.神の名で定められたことである。
3.(その霊魂の神は)泣き悲しむ者故に、源は人であり、創造する者である。
4.そして、私の正直な彼ら(天使)は飛んだ。
5.新開墾地である私達を創造した(ユダ王国)時の島々を、モーセは(再建を)定めた。
6.柴(モーセ)、彼は源である彼らの神(ヤーウェ)を請うた。
7.彼ら(モーセの民)は、あなた(この霊示の霊媒、太子)を所有する者(ヤーウェ)を唱え、火である私(ヤーウェ)は預言した。
8.即ち、神(エル)は王位であり、そして家(国家)をしばしば形造ったところの光である。
9.そして、神(エル)であり、王位であるモーセ。また、神(エル)はあなた(太子)の王位でもある。
10.彼ら(モーセの民)の灯火は、彼(モーセ)の島々(日本列島)であり、彼(モーセ)の同族の者を任じた者(ヤーウェ)である。

解り易くするために( )内に補足を加えてみました。
1. 隠蔽ヘブライ文の中にしばしば現れる起つ者(たつもの)とは、最後の審判の行われる時期に現れる神々の霊をそう表現しています。一掴み取らせる者とは、神々の霊団の中の敵対する者サタンを取り除くという意味であります。
2. それらは神々間で定められていたこととされています。
3. 源とは神の霊のことであり、神の霊とはかつては人間であった、即ち人の霊魂であり、諸々のことを形造った創造者であるということです。
4. この場合の彼らとは、神々の霊を指し、飛ぶ天使を表現しています。
5. この場合のモーセとは、既に霊体となり、神となったモーセ様を表現しています。ユダ王国再建の土地を、この日本列島に決めたというのです。
6. 柴とは、旧約聖書出エジプト記にあるヤーウェの燃える柴、即ち、モーセ様を象徴的に表現したものです。ヤーウェ神に導きを請い願ったということであります。
7. この霊示文の私、即ち、ヤーウェ様は、ご自身を「火」と表現しています。これは次に出て来る「光」同様、別サイト『天使と神々の系譜』のユダヤ教聖典エノク書の中で述べられている「火」「光」と同じもので、神の霊体をそう表現したものです。
ここに預言とあるのはご自身の予言を、預言者や霊媒を通して預けたという意味が込めてあると考えると分かり易いでしょう。以下も同様です。
8. ヤーウェ神と神々は、『七大天使と神々の系譜』の中の「神々の仮名群一覧」に見るように、世界中の民族を導き、多くの国家を形造った神々であることが理解出来ましょう。
9. 神(エル)とは王位である。従って、エルの称号が与えられた人は王位にある。
10.モーセ様によって導かれた民達にとって、ヤーウェ神と島々は灯火であり、義を求める人々の希望の手綱であったのです。その事をヤーウェ神は、太子に打ち明けたのであります。

〔萬葉集巻1の2〕舒明天皇
大和には むら山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙たちたつ 海原は かまめたちたつ うまし国ぞ 秋津洲 大和の国は

[ヘブライ語修復訳]
1. 彼らの神は、発光体であるあなた(モーセ)を唱えた。
2. 彼らの神、エルとは、災いのダビデである。
3. (その)霊である神は高ぶる者として、私達の同族の者である。
4. 彼は、私(ヤーウェ)の代わり、彼(ミカエル)の代わりに定めた。
5. 彼らの神(ダビデ)は悪(災い)を預言し、私の代わりに彼は軽蔑される者に肩書きを与え(数を)増やした。
6. 彼(ダビデ)は、私(ヤーウェ)の代わり、彼(ミカエル)の代わりを実行した。
7. そして、彼は、名を畏れられる確かな砦の創造者達(七人の神々)を軽蔑した。
8. 彼らの神(ダビデ)は、あなた(モーセ)を所有する者(イスラエル)を唱えた。そして、彼はあなた(モーセ)の悪を預言した。彼(ダビデ)は、あなた(モーセ)のそのエルを妬んだ。

万葉歌は、表音羅列文から大和言葉に解釈される際、解釈された全体の歌の文脈に合わせて、文節が入れ替えられたと考えられます。従って、訳文の方は解り易くする為に、予測される最初の文に近づけるように入れ替えてあります。
この1-2のヤーウェ様による霊示は、主にヤーウェ神の双子の神の弟ダビデに焦点を当てています。ここで述べられるダビデとは、古代イスラエル王国のダビデ王とは別人であります。双子の神の弟の方はダビデという名前を持っていたのです。

1.「発光体」とは、エノク書の「火」「光」と同様、神の霊魂、霊体をそう表現したものです。
2.ダビデの名をあげています。通常ダビデですが、古代日本では、ダウデ、ダーデとされています。隠蔽文では、その濁点を除いた形、ダテ、タテ、タタ、がよく用いられていますが、ここではドトです。
3.この場合の同族の者とは、ヤーウェ様と同じ出身母星であることを言ったものでしょう。
4.ヤーウェ様と活動を共にしていた頃、ダビデは、ヤーウェ様やミカエル様の代わりに、様々なことを定めた。このことは次の文章に関っています。
5.そして、ダビデは不正な預言を行い、相応しくない者にヤーウェ様の代わりに肩書きを与えた。例えば、一人の霊に天使を意味するケルブという称号を与える、そのような事だったと考えられます。そして、その数を増やしていった。
20世紀日本での神々の証言では、七大天使、八大天使、七天使、八天使といったものが、何組もあったとしていますから、ダビデが天使の肩書きを矢鱈と与え、不正な預言を実現させる為に堕落天使、即ち、配下のサタンの数を増やし、勢力拡大に向けていたのだと考えられます。
その為に正規の七大天使がどの名の大天使なのか、後世には判らなくなっていったのです。今、現在でさえも、ユダヤ教徒、キリスト教徒限らず、ヤーウェ様と共にある七大天使の名を挙げろと言われて正確に答えられる人は少ないのです。解説書も、正確に記されたものは見たことがありません。
6.7.ダビデは、ヤーウェ様の代わり、ミカエル様の代わりを実行していながら、一緒に活動をしておられる神々を軽蔑していた。これは災いそのものなのであります。何故なら、そのようなダビデに導かれる民達も、正しい神々を軽蔑するようになるからです。そうした病気の処方箋は一つしかありません。サタンとなったダビデを退け、正しい神々を受け入れるということ、に尽きます。
8.モーセ様を所有する者とはユダヤ教徒のことであり、ダビデが唱えたとは、イスラエルの再建であります。
旧約聖書のエゼキエル書の中に、イスラエルを起こすという主の預言がありますが、この主とは、ヤーウェ様のことではなくダビデのことです。
そして、霊体となったモーセ様へ、ヤーウェ様よりエルの称号が与えられたことを、ダビデは妬んだ。己の邪まな遠大な計画の中に、出エジプトのモーセというキャラクターを利用し、霊のモーセ様がその計画に加担するかのような預言を出したのであります。モーセの悪を預言したとは、そのことであります。確かにダビデの出した預言の中にモーセ様の名があります。

〔萬葉集巻1の3〕舒明天皇
やすみしし わご大君の 朝には とり撫でたまひ 夕には いより立たしし みとらしの 梓の弓の 長はずの 音すなり 朝かりに いま立たすらし 夕かりに 今たたすらし みとらしの 梓の弓の 長はずの 音すなり

1の3は、重複する句がありますので、重複部分を除いて組替えました。

[ヘブライ語修復訳]
1. そして、私は私達に立ち向かう者、私の弟(ダビデ)に(ついて)触れるだろう。
2. 火である彼(ダビデ)は、私の潔白な証人である私達の子羊、あなた(イエス)を唱えた。
3. イーシェ・モシア(イエス・キリスト)は人である。
4. ヤハウェは、あなた(イエス)を起こす者である。

ここまでは、「わご大君の 朝には とり撫でたまひ やすみしし 夕には」の訳出です。

5. 島は、荒れ果てた者であるところのダビデを恐れた。
6. 荒々しい彼(ダビデ)は神を憎み、拒んだ。
7. 彼(ダビデ)は、私達の先見の者(イザヤの長男)、私の灯火であるところの徴しを投げつけた。
8. 火である彼は、私達を、彼らの島をしばしば企んだ。
9. ダビデは、ミトラであるところの変質した者である。
10.彼は、私達の溶鉱炉であるヤハウェをひどく憎んだ。

ここまでの音節は「いより立たしし 梓の弓の 長はずの音すなり 朝かりにいま 立たすらしみとらしの夕かりに」としたものを、訳出に充てています。これらの事から万葉歌の読み人達は五七調に拘ったことが窺がわれます。

1.これは未来に行われるであろう最後の審判の際の証言の内容について、ヤーウェ様が何について証言するかを、予言したものであります。20世紀日本において神々が名乗りを上げた際、確かにヤーウェ様は、双子の神であることを明らかにされ、サタンと化した弟のダビデについて証言されました。
ヤーウェ様の双子の弟について触れるだろう、という予言は既に実現したことになります。
2.3.4.インマヌエル・イエス様について述べたものです。極端に神格化されたためにイエス・キリストは人であると強調したものです。
人間ではないかのような極端な神格化が生まれた背景には、やはり新約聖書の中のイエス物語の劇的な構成にあるでしょう。真実と創作の一体化がやはりここでも行われているのであります。
さらに全体的には、天の神々が意志し意図することと、ダビデが企図することとが一体化しているのです。
5.6.7.8.は、主に、日本列島にユダ王国を再建するべく移住して来た民達について、その時のダビデの動きについて述べたものです。隠蔽文の中によく出て来る島、島々とは日本列島のことです。
神々の守護下にあって進められたこの再建プロジェクトに対してダビデは快く思っていませんでした。
色々と企んで妨害を企てたのであります。
9.みとらしの、の「みとら」は、リグ・ヴェーダに出て来る「ミトラ」そのものです。
ミトラは、ミカエル様のかつての仮名でしたが、ダビデがミカエル様の変わりを実行し、ミトラの名前を不正に用い成り変ってしまったことを言っています。この場合のミトラとは、恐らくは3世紀のローマ帝国に興った悪魔崇拝のミトラス教、主神ミトラを指しています。このミトラはダビデであると言っておられるわけです。
10.神の霊については、エノク書に、火、竈(かまど)と表現しているように、溶鉱炉、坩堝(るつぼ)とも表現されます。
人間死後の霊魂と異なり、進化の大きく進んだ神の霊は様々な力を発揮します。
サタン化し邪悪化した霊魂を複数一度に捕らえ溶かしてしまう、霊体にとって生体反応という電気的繋がりを解除されてしまう事実上の霊体の死です。そこから坩堝、溶鉱炉という表現が用いられるようになったのでしょう。
これは神が人間の霊魂を無闇に消滅してしまうということではなく、高い進化を遂げた存在の責任としてそれを行うということです。ただ、ダビデのような例も出て来るのであり、神の霊にとっては、判断力が鈍るということは致命的なことなのであります。

〔萬葉集巻1の4〕反歌
たまきはる 宇智の大野に 馬なめて 朝ふますらむ その草深野

ヘブライ文としての区切りは、三番目の句から、「馬なめて朝ふま すらむその草深野」となります。

[ヘブライ語修復訳]
1. 穏やかなミカエルは、私達、彼(モーセ)の子孫の同胞達を促した。
2. 基礎である彼(ミカエル)は、彼ら(サタン)の終りである誤りをしばしば告げられた。
3. 君主であり、私達の救い主である王座は、私達の定められたものである。

1の4は、主にミカエル様について述べたものです。
1.これは、イザヤ、ヒゼキア王時代のユダ王国再建の移住時についてのことでしょう。「た」は、穏やかに、という意味のatの母子音を入れ替えたもの。まきはるmakihalは、みかへるmikahelの母音iaeを、aiaとしたものと考えると分かり易いでしょう。eからaに変えられ子音のhが加えられた形になりました。
2.最も進化の高い霊は、やはり真理や諸々の事柄の礎となっている存在なのであります。
誤りを告げられたというのは、ダビデがミカエル様の名前を用いて霊媒を通し、勝手な霊示、啓示を出していたことにあります。彼らの終りである誤りとは、恐らく最も分かり易い例では、最終戦争についてでしょう。
ヤーウェ様が啓示として出されたおおよその内容は、最後の審判の後、神々の霊群とサタン勢力との最終戦争となる。これによってサタン勢力は全滅し、即ち、終りとなる。
このサタンの終りを意味していたものを、ダビデは違った捉え方をしていたのです。人類世界が二分され最終戦争が行われて人類は滅亡、終りとなるというシナリオをダビデは考えていたのです。これがダビデの画策であったとしても、ヤーウェ様の側からすれば誤りの予言に過ぎません。
そうした誤りの内容をしばしばミカエル様の名を用いて、霊媒を通して啓示を出していて、ダビデ自身のみならず、配下のサタンを使って行ったりもしていたのです。
ダビデ自身のものとしては、新約聖書の中の「ヨハネの黙示録」があります。人類の最終戦争を暗示させる内容に聖ミカエルの名が利用されています。「ヨハネの黙示録」については、2世紀頃、パトモス島のヨハネという人を通してダビデが書かせたものであると、現代日本においてガブリエル様がそう証言しておられます。
20世紀に入ってからのものでは、ファチマの第二の予言と称されるものの中に、人類を二分するような世界戦争が起こるとして、大天使ミカエルの名が引き合いに出されているようです。
このように、ダビデはミカエル様の、名といわず仮名といわず、利用したのであります。
3.エノク書にある、「栄光の座に就く高齢の頭」と同じことを言っている予言です。
その時には、ミカエル様が大王の座に就く。これは神々の間で定められたことであった。
次の1の5にも、王座ミカエルとして出てまいります。

〔萬葉集巻1の5〕軍王見山
霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら歎をれば 玉襷 かけの宜しく 遠つ神 わが大君の 行幸の 山越す風の 獨居る わが衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる吾も 草枕 旅にしあれば 思ひやる たづきを知らに 網の浦の あまをとめらが 焼くしほの 思ひぞ焼くる わが下ごころ

1の3と重複する部分は省略し語順を入れ替え、1の12から二句挿入しました。

[ヘブライ語修復訳]
1. 彼(ミカエル)の代わりを預かる者として、彼(ダビデ)は私達を呪った。彼は砦を恐れた。
2. 彼らの神(ダビデ)は、私達の砦として、(砦の彼らを)酷い目に遭わせた。
3. (砦の)彼らは互いに震えた。
4. 彼(ダビデ)はパヌエルを怒った。パヌエルを怒った時、彼は痛めつけた。
5. 彼(ダビデ)は私達の救い主をしばしば射た。
6. 私達は叫びに叫ぶだろう。即ち、私は彼ら、震え慄かれる変質した者達(サタン勢力)を清める(消滅して無にする)だろう。
7. 私は、災いの神、企む神の力、邪悪と高ぶる者達を消え去らせるだろう。
8. そして、高ぶるサタン、滅び失せる者達を打つ(批判する)だろう。私の裁きである。

ここまでは「霞立つ 浦の珠ぞ 山越す風の 獨居る 拾はぬ 長き春日の 行幸の 暮れにける わずきも知らず 思ひやる 思ひぞ焼くる 思へる吾も わが下ごころ わが衣手に」の訳出です。10番目の句から「思ひやるぞ焼くるる吾も わが下ご衣手に」とまとめたものを元にしています。

9. 私の天使は、その(防)壁として、いつも群れを命じられた。即ち、その一族としての相応しい私の潔白な島の。
10. 形造る者(国を興す者)として、(島の)彼らは柴(モーセ)を畏れた。
11. 神(エル)は、打ち付け(批判)と癒し(が本質)である。
12. モーセは心した。即ち、徴しを。
13. 徴し、即ち、私は彼ら(神々の霊)を呼び集めるだろう。
14.神の火(霊)は、私の恵み。ガブリエル、パヌエル、ラファエル。
15.王座ミカエル、あなたは、癒しである高貴な私達(神々)を連れて入るだろう。
16.貴女は清めるだろう、即ち、私達のサリエル。
17.私達と一緒、私達のウリエル。
18.首都、即ち、潔白ラグエル。彼は私の恵みを蔽うだろう。

以上は「むらきもの 玉襷 心を痛み ぬえこ鳥 かけの宜しく うら歎をれば ますらをと 遠つ神 朝夕に かへらひぬれば 草枕 旅にしあれば たづきを知らに 網の浦の あまをとめらが 焼くしほの」まで。

万葉集巻1の5は、七人の神々(七大天使)の名が全員出揃ったものとなっています。これは、霊示を出したヤーウェ神が正統のものであることを証明しています。
別サイト『七大天使と神々の系譜』の中の「神々の仮名群一覧表」にあるように、ヤーウェ神が霊媒を通して正式に啓示、霊示を出す際には、必ず双子の神の弟の名と七人の神々の名を挙げて紹介しているからです。
そして、読者はどうして、この歌から七人の神々の名前が導き出されるのか、疑問に思うことでしょう。
それは一見して判らないようになっています。神々の名のエルの部分をすべて省略し母音を変えている為です。
では、一つ一つ説明を試みましょう。
まず、「ひりはぬ」の「はぬ」はパヌエルのぱぬの半濁点を取ったものです。「春ひの」の「ひの」は、hanuの母音auをioに変えたものです。
次に、「かへらひぬれば」ですが、これは、ガブリエル、パヌエル、ラファエルのお三方の名のエルの部分を省略し、一つの句に封じたものです。それをそのまま表したものに、濁点と半濁点を除くと、かふりはぬらふぁ、となります。母音のauiauaaをaeiiueaと変え、ふぁをばに変えますと、「かへりひぬれば」となります。どのような事情があったのか、かなり乱暴な封じ込め方です。これは最初から太子がそうしたということではなく、日本語の発達と共にその内容の重要さが忘れられた結果とも考えられます。
王座ミカエルは、kisse mikaelの母音ieiaeをuaauaと変え、「草枕」と当て字したものと見られます。ただ、makuraは、梵語で、十二神将の中の摩虎羅であり、ミカエル様の仮名であることを知っていた識者が当てたものとも考えられます。
「知ら」は、サリエル様のsariのaiをiaと入れ替えただけのものです。
「浦」も、ウリエル様のuriのuiをuaに変える。「らが」は、ラグエル様のraguのauをaaとする。
ヘブライ語はローマ字に簡単には置き換えられない發音がありますので、この項のローマ字は判り易く説明する為の便宜上のものと考えてください。

1.2.3.この場合の砦とは、イザヤ、ヒゼキア王時代に再建のために日本列島へ移住して来たユダの民達について言ったものです。
4.5.ダビデは、パヌエル様を痛めつけた、つまり、ダビデは救い主に直接危害を加えたのです。これはダビデの罪を大きくしたのであります。
7.8.ヤーウェ神の裁きとして、最後の審判の時には、ダビデをはじめとする、それに連なるサタン勢力の消滅一掃を宣言したものです。20世紀、既にこれは実現しました。
9.この「壁」とは、スラブ語エノク書第17章(「ユダヤ教聖典に見る神々の系譜」参照)に出て来る「壊れない壁」「天国の防壁」で、神の霊によるバリアとでも言うべきものでしょう。
10.移住のユダの民達は、霊体となり、神となったモーセ様を敬い畏れた。
11.直訳すると、エルは打ち付けと癒し、ですが、本質は筆者が付け加えました。
12.13.霊体、神となっていたモーセ様が心した徴とは、最後の審判が行われようとするまさにその徴のことです。その徴とはヤーウェ様が七人の神々、七大天使を呼び集めることでした。
神々が20世紀日本で、最初に男性霊媒に名乗り上げた際、ヤーウェ様はモーセ様を伴って霊媒や人々を教導しておられました。七人の神々は、男性霊媒が亡くなる少し前にヤーウェ様によって呼び集められ、男性霊媒は七人の個々の神々の名前を挙げ、ミカエル様を大天使長とする七大天使として人々に紹介しました。
そして、男性霊媒の死をもって、神々が次の女性霊媒に移行する、その時に審判が始まりました。
次の14から18までは、その七大天使、七人の神々を紹介したものです。
15.王座ミカエルが連れて入る私達とは、七大天使を含む神々のことであり、天上界のことです。どこに入るのか?男性霊媒の次に用意されていた女性霊媒の許にです。
そして、その女性霊媒の口から、七大天使の名は改めて、書物にして公表されました。
ミカエル様は大天使の長として、ガブリエル様は通信伝達、ラグエル様は司法律法、パヌエル様は科学全般、ラファエル様は芸術文芸、ウリエル様は政治経済、サリエル様は医学薬学、それぞれを司る大天使として、おのおのの方々によるメッセージを添えて紹介されました。
そして、最後の審判が行われ、天上界によってサタン勢力は消滅一掃されました。さらに、1978年7月のミカエル大王即位の公布へと至りました。ダビデは巧みに免れた為に大王即位後の消滅となりましたが、全世界を混乱の坩堝に陥れたダビデはミカエル大王によって消滅され永久に存在しなくなりました。
18.この句の場合のラグエルとは、神の霊としてのラグエル様の名と聖徳太子とを同時に述べており、ここでは主にこの霊示文の霊媒である太子について言っています。
聖徳太子とは「日本書紀」に記載されて以後の名前であり、太子の大ユダ時代の名前はラグエルであったからです。
考えられることは、太子が十七条の憲法の草案を書くことによって、ヤーウェ様にその能力が認められ、司法律法を司る神の名を賜ったからであると見られます。
「彼が私の恵みを蔽う」とは、太子が自ら出したこのヤーウェ様の霊示文を蔽うことを意味しています。このことによって、太子はヘブライ文の母音を変えて表音羅列文を作るという作業を開始したのであります。
「首都」とは、斑鳩の里を暗示させたものでしょう。「いかるが」の「るがruga」はラグエルのraguの母音を入れ替えたもので、「いか」は、「貴方の島」という意味です。いかるがという音に斑鳩の漢字を充て、斑鳩(いかるが)という名称が生まれたのです。(6.15.)

〔萬葉集巻1の6〕反歌
山越しの風を時じみ寝る夜おちず家にある妹をかけて偲ひつ

この後に1の7の「このかりいほし思ほゆ」を加えます。

[ヘブライ語修復訳]
1. 彼らの神(ダビデ)は、その砦としての私達に罠をかけた。
2. そして、新開墾地の私の計画を、彼は叩いた。
3. 神(ダビデ)は恐ろしい事を企てた。
4. 新開墾地の島々は、(みな)同族の者である。
5. そして、入墨は、私達を激しく襲い(私達を)二分した。
6. 彼(ダビデ)は、哀れむべき島を妬み、引き裂いた。
7. 私は、その神を消え去らせるだろう。

1の6は、主に卑弥呼の時代のことについて述べたものです。
島の民を二分した入墨とは、「魏志倭人伝」にある卑弥呼の邪馬台国に抵抗したガド(軍事府実動部)の司令官、卑弥弓呼(葛那古)のことです。「かけ」と「弓呼」は同じもので「入墨」という意味です。
新開墾地の島々とは日本列島のことであり、同族とはその殆どがヘブライ人であるという意味です。
ダビデはその民を、かつて自分が力を入れた軍事府の入墨の男を使って二分させるよう仕向けたのです。
ヤーウェ様は、カナンの地で古代イスラエル王国が誕生する以前から、ヘブライ人達を何度か、ユダヤ教から離れさせ、極東の島々へ向けて移住させるべく促していました。島々は殆どがヘブライ人で占められるようになったのです。
義人達を島に集める、それは文字通りヤーウェ様にとって、島は砦であったのです。その計画をダビデは恐れ、攻撃していたわけです。
「漢書」地理誌には「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為す」とありますが、この百余国とは、それぞれの部族が百いくつあったと捉えられ、その殆どはヘブライ人の部族であったと考えられますが、魏志倭人伝の三十国と同様の意味であるのなら、その捉え方は異なります。(’05.6.7.修正)

〔萬葉集巻1の7〕額田王
秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮このかりいほし思ほゆ
この項は「秋の野の~宇治の宮」までです。

[ヘブライ語修復訳]
1. 私(ヤーウェ)は、神として、その霊として、蔽う者(聖徳太子)によって彼の子孫を形造らせる(国造り)だろう。
2. 彼(太子)は、火(霊)に関して、神からの私達の力を、積み重ねた。

ヤーウェ神からの、新しい国造り(日本建国)を行わせることへの宣言であります。
蔽う者とは、ヘブライ文を蔽う者、即ち、聖徳太子のことであります。
太子はヤーウェ神による大量の霊示文を出し続け、それを長年積み重ねていったことにより、神の霊からの力を多大に受けたのであります。それは日本建国の為の大きな推進力となりました。(6.17.)

〔萬葉集巻1の8〕額田王
熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな

[ヘブライ語修復訳]
1. 貴方(ダビデ)は私達(神々と島々の民)を恐れ、手ひどく叩きだした。私達は容赦した。
2. 彼(ダビデ)は、徴しである彼ら(救い主達)に罪を犯した。彼はその火による死(霊力による霊体の消滅死)を叫んだ。
3. 激怒(ダビデ)はパヌエルを妬んだ。
4. 彼(ダビデ)は私達をしばしば射た。彼(ミカエル)は高慢な貴方(ダビデ)を消し去るだろう。

これは、ヤーウェ様によるダビデへ向けた言葉であります。
ダビデは、救い主達へ向けて、消滅すると、叫んだのであります。
「叩き出した」というのは、イザヤ、ヒゼキア王時代に王国再建に向けて日本列島へ移住したユダの民達を、離反した者と見做し、南ユダ本国から締め出し、本国の民達に黙殺するよう仕向けたことを言っています。これはダビデの出した霊示から明らかになっています。
ただ、神の言葉は一つの事柄を語っているようで多くの事柄を表しているので、これらの事のみとは限らないでしょう。

〔萬葉集巻1の9〕額田王
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 わが背子がい立たせりけむいつ橿が本

三十数種類の試訓があるにも関らず、未だに定まったものがないと言われているのが、この万葉集一番の難訓歌と言われている巻1の9です。それは莫囂圓隣から始まる十二句がある為です。これがどうやっても訓読出来ないとされています。
それは、この十二句が、ヘブライ文の内容をそのまま漢文に訳し、置き換えただけのものだからです。
表音羅列文が作られたその過程が飛ばされおり、そして、わが背子、からが隠蔽文になっています。
言い換えると、この十二句は、ヘブライ語の意味を漢字の意味で直接表現したものです。
但し、莫囂圓隣の四句のみは、固有名詞を表す為の借字です。
莫囂円隣之大相七兄爪謁氣の、個々の漢字の意味を調べると次のようになります。

莫…古代エジプト時代のミカエル様の仮名、マクを充てて、これ一文字で「ミカエル」を表しています。(マクについては、『七大天使と神々の系譜』の『神々の仮名群一覧表』参照。)
囂…ガン、ガブリエル様のガ、これ一文字で「ガブリエル」を表現。
圓…古代エジプト時代のウリエル様の仮名、エンを充てて「ウリエル」を表現。
隣…リン、これ一文字で「ラファエル」を表現。
之大相…「相」には「司る」の意味がありますので、四人の方々が大きく司るという意味です。
七兄…「兄」は同輩の敬称に用いられるので、この場合、七人の同輩を意味し、七人の神々、七大天使を表しています。
爪…補佐の意味です。爪を用いた熟語、「爪距(そうきょ)」は補佐の臣の意味です。爪は指を補佐するのです。
謁…「告げる」の意味です。写本によって「湯」となっているものもありますが、「謁」が本来のものでありましょう。
氣…様子、有様の意味です。

従って、「七兄爪謁氣」は、七大天使はヤーウェ様の補佐であり有様を告げる、という意味になりましょう。ヘブライ語文の内容をそのまま漢字で伝えるというこの手法が用いられているのは、万葉集の中でも、ここ一箇所のみです。これは、隠蔽されたヘブライ語文が解読された時に、この十二句の意味や、その理由が判るようになっているのです。

[ヘブライ語修復訳]
1. ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルが、主に司るだろう。
2. 七人の神は、私(ヤーウェ)の補佐であり、(審判の)有様を告げるだろう。
3. そして、私は高ぶる彼の棘(とげ)を打つだろう。ダビデは渇いた(心に潤いが無くなった)。
4. 貴方(太子)を強制する者(ダビデ)は、(心が)揺らぎ、堕落した。

ここで述べられた予言は、20世紀日本で女性霊媒によって、七大天使による最後の審判の有様が告げられた書物が出版され、既に実現しています。
聖徳太子は、最初、ヤーウェ様の霊示を出し、それを一心に書き記していました。そこへ、こっそりヤーウェ様のふりをしたダビデが割り込んで来て、己の霊示を出させていました。
当初、太子はそのことに気が付かず、ヤーウェ様とばかり思ってダビデの霊示を出していました。太子はヤーウェ様によって、そのことを気付かされ、ダビデを警戒するようになりました。
そして、霊体としてのヤーウェ様とダビデの違いを徐々に区別するようになっていき、ダビデが接触してきても、その霊示を出すのを拒むようになったのです。その結果、ダビデは太子に、己の霊示を出すのを強制するようになったのです。
ですから、万葉集には、ヤーウェ様からの霊示とダビデからの霊示の両方が隠蔽されています。
ダビデの内容は主に、ヤーウェ様の霊示内容に対する攪乱と惑わし、己の野望の目的の為の予言で占められています。

長らく筆者が惑わされていたのが、巻1の10なのですが、ダビデの霊示なのでここでは挙げません。
修復訳には「神」「私達の君主」「ヤーウェ」等の語彙があり、ダビデはそうした霊示によって、太子に取り入ったのだと考えられます。そして、太子も欺かれたのであります。

〔萬葉集巻1の11〕中皇命
吾背子はかりほ作らす草なくは小松が下の草を刈らさね

[ヘブライ語修復訳]
1. そして、私は、あなたの釈迦を批判するだろう。彼(ダビデ)は二分を企み、釈迦を謀った。
2. 彼(ダビデ)は、宥(なだ)められるのを嫌った。
3. 彼は、高ぶる者(霊魂)を一掴み取った。
4. サタン(ダビデ)は、(その者達の)偽りを、罪がないと宣言した。
5. 彼は、眠りを起こしたのだ(邪まな心を解放した)。

1.は、ダビデに謀られた霊体としての釈迦様を救う為の批判であります。この批判は既に行われました。
能力の高い水準にある霊が、多くの偽りを抱えた霊魂に対して、罪が無いと宣言することは、その霊魂の邪まな部分を開放することです。同時にダビデは己の力をそうした霊魂に対して入力することにもなったのです。
つまり、そうした高ぶる霊に力を与え、自分の配下に収め、己の勢力を拡大していったのです。
これは当然、霊魂に限らず、人間にも当てはまることでしょう。

〔萬葉集巻1の12〕中皇命
わが欲りし野島は見せつ底ふかき阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
修復訳文は「~阿胡根の」までです。

[ヘブライ語修復訳]
1. そして、二番目の(王座)ガブリエル。
2. 彼(ガブリエル)は高貴なあなた方を心がけた。彼らは、群れを命じられた。
3. 私が、彼の子孫を批判させる時の定められたもの。

1. 二番目とは、ミカエル大王の後を継ぐ方という意味です。例によって、エルの部分を省略し、がほり、としたものです。
ガブリエル様の次期大王に関する歌は、神楽歌の中の「得選子」ですが、参考として次にあげます。
2. 霊体は、単独でいるよりも群れなしていた方が、ダビデの暗殺から免れ易いからです。
ヤーウェ様に従おうとする高貴な霊ほど、暗殺の危険に絶えず晒されていました。
単独でいるところを、ダビデにこっそり暗殺されるということが実際にあったのであります。

〔神楽歌71.71b〕得選子(本・末)
(本)得選子が閨なる や 霜結ふ檜葉を 誰かは手折りし 得選子や たたら濃き日よや 誰かは手折りし 得選子
(末)我こそは 見ればや 慨さあみ 手折りて來しかばや 得選子や たたら濃き日よや 手折り來しかや 得選子

ヘブライ文に修復した後の歌謡は次の通りです。
「慨さあみ 誰かは手折りし 得選子が閨なる や 我こそは 霜結ふ檜葉を たたら濃き日よや 來しかばや 見ればや」

[ヘブライ語修復訳]
1. エルは基礎であるところのしるしである。
2. しるしはエル、ガブリエル。
3. その貴方は、輝かしい神、私達の異邦人として、二番目を踏襲するだろう。
4. 神、即ち、エルは貴方の王座である。
5. 彼(ガブリエル)は、彼(ダビデ)が有罪とさせられるであろうことに、聞き従った。即ち、
6. 衰えた者としての葡萄酒、災いのダビデである。
7. 私の杯、彼(ダビデ)は、神を奪った。
8. 彼(ダビデ)は、神(の名)によって、割礼を施した。

1.2.3.4.ガブリエル様が、二番目を踏襲されることは、1984年6月にも明らかにされました。
この神名は、「かは手折り」がそれに該当します。後世、「良(ら)」が「手(た)」に変えられたと見られます。
母音操作後の漢字文は「加波良乎利」となる筈のものでしたから。
異邦人とは、異なった星の人と考えた方が分かり易いでしょう。
昴星からやって来た神に関する万葉歌を一首見出しましたので、この後、挙げます。
5.6.7.8.割礼とは、ユダヤ教におけるそれを言っています。
ユダヤ教徒の中で、割礼の習慣や儀式が行われるようになったのは、この歌謡にあるように、古代にダビデがそれを行わしめたことにあると言っているのであります。ダビデのそれは神の威信を奪う行為でありました。
「葡萄酒」「杯」とは、双子の神の杯を酌み交わしたことを言っています。別サイトの『古代ゲルマン民族における神々の系譜』のオーディン(ヤーウェ様)とロキ(ダビデ)の対話の中で述べたようなことであります。

〔萬葉集巻18の4110〕大伴家持
左夫流児がいつきし殿に鈴掛けぬ早馬下れり里もとどろに
修復訳では、語順を入れ替えています。

[ヘブライ語修復訳]
1. 異邦人としての昴(すばる)人。
2. 彼ら(昴星からやって来た人々)は、最初に(地球に)住み着いた。
3. 彼らは(諸々の事を)荷い、形造った。彼らは輝かしかった。
4. 私達(ヤーウェ様と神々)の一族(世代、子孫)である。
5. 彼(神の霊)は、彼に敵対する者(サタン)を溶かした(消滅した)。
6. その神は、マク(ミカエル)である。
7. 彼(ミカエル)は同意し、(地球へ)移った。

1.左夫流(さぶる)は、「基礎が据えられる」という意味の母音操作無しの古代アラム語です。ヘブライ語では「重荷を担うもの」の意味です。このサブルに、母音がuaと変えられスバルとし、漢字「昴」が充てられたと考えられます。
昴星とは、M45、プレイアデス星団のことです。夜空を見上げても、一見見落としがちな、淡い星屑のような星団が、何故、古代から名の知られた星団であったのか、筆者にとっては長らく謎でしたが、神々の故郷、出身母性であったというのなら、充分納得出来ます。
2.3.4.プレイアデス星団からやって来た人々は、最初に地球に住み着いた人々である。その人々は、基礎を据え、様々な意味で重荷を担った人々であったのです。ヤーウェ神の子孫でもあったのです。
5.6.7.「馬く」は、母音操作無しの「マク」であり、古代エジプトは今から5000年位前のミカエル様の仮名であります。
この時期、地球へ来ることを乞われ、ミカエル様はその事に同意され、プレイアデス星団から地球へやって来られたのであります。(470光年、或いは430光年の距離があるプレイアデス星団から、どうやって来られたのかは別サイト『急変する地球』追加更新頁参照。)(6.20.)(’05.6.7.修正)
 
 
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