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聖書の語る悪魔 その1

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 4日(木)00時40分59秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/akumabs.htm

 前章までで、悪魔というものが人間のある特定の状況が作りだす幻覚であり、もしくは社会が生み出した妄想であることを述べてきた。カトリック教会でさえ、現在は悪魔払いの執行を許可するには種々の厳しい条件が用意されていて、実現することはめったにないという(逆に言うと、悪魔払いの可能性が認められていると言う事に驚きではあるが)。それでは、悪魔は単に人間の作りだした幻想の産物なのであろうか?
 科学的・歴史的には幻覚・妄想の点が強調される"悪魔"と言う存在だが、"悪魔"については、聖書がその存在と働きを確実に証言している。今回は、その聖書の言葉から「悪魔」の実像に迫ってみよう。

I.悪魔という言葉

 まず最初に「悪魔」という、「言葉」を見ておきたい。国語辞典を開いてみると、悪魔は①仏教で、人の生命をうばい善法をさまたげる魔もの。②キリスト教で、神にさからって地獄におちた天使で、人間を誘惑して罪を行なわせようとするもの。サタン。③ひどく悪い人間のたとえ。-となっています。いずれも、善に対するような非常に良くないイメージ、「悪」の存在として描かれているようです。これが一般的な見方ですし私たちも同様でしょう。
 では、聖書の中の「悪魔」という言葉を追ってみましょう。私はヘブル語やギリシャ語の素養がまったくないので、原本の言葉を用いられませんので、手元にある英文聖書と比較しながら見たいと思います。悪魔は、英語でいうところのdevilという単語の日本語訳です。これは非常に明快でわかりやすいと思います。しかし悪魔の他に、聖書には 「悪霊」という言葉が登場します。これは英語ではdemonであり、英和辞典を開いてみると「悪魔」「悪霊」両方の意味があることがわかります。日本語の訳では、これを「悪霊」と訳しているわけで、本質的には同類のようです。ただし何故devil(悪魔)とdemon(悪霊)が使い分けられているのかは、いまの勉強不足の私にはよく分かりませんが、マタイ12章24節以降などを見ますと、悪霊は悪魔の支配下にある霊的存在であることが伺われますので、その二つの言葉の違いは主従関係の上下を表しているようにも思います。
 他に言葉は違いますが、「悪い者」という存在が登場しています。英語では、evil oneとなっています。このevilという単語そのものは、悪いとか邪悪なという意味に訳されますので、この聖書の訳は正しいのですが、このevil oneに定冠詞のtheをつけてthe Evil 0neとしますと、それはdevilすなわち悪魔と同じ意味になります(語源辞典を調べた訳ではないので確実ではないのですが、"devil"は"evil"から派生した言葉ではないかと思います。調べてみると面白いかもしれません)。「悪い者」という言葉は、単に悪人という意味に止まらず、霊的な悪魔のイメージで語られています。聖書は、これらの他に悪魔を実名で「サタン(敵対者等の意)」「ベルゼブル(元エクロンで崇拝された空を飛ぶ神の名につけられた名)」「ベリアル(いやしく価値のない者)」と表したり、その性質などから「天にいる悪の諸霊(spritual host of wickedness in the heavenly place)」「暗闇の世界の支配者(the world-rulers of this darkness)」や「かの空中に勢力を持つ者(prince of the power of the air)」「この世の神(the God of this world)」「世の支配者(the prince of the world」「底なしの淵の使い(the angel of the abyss)」「告発する者(the accuser)」等とも呼ばれています。その他「竜(dragon)」「蛇(serpent)」「敵(adversary)」「人殺し(murderer)」等々とも言われています。

Ⅱ.悪魔の誕生

 悪魔の存在を語る上で、問題となった事柄の一つにその誕生(起源)が挙げられます。歴史の中で、一元説と二元説が登場してきます。一元説は、悪魔もまた神の創造の御手になるものとし、二元説は神が悪しきものを作られる訳がないということで、神と悪魔はそれぞれ別個の独立した存在であるとするものです。では、聖書はどう言っているのでしょうか。ところが、聖書は悪魔の誕生についてはほとんど何も語っていません。これは、聖書の目的というものが世の中のすべての事柄について語るものではなく、「聖書はわたし(イエス・キリスト)ついて証しをするもの」であり(ヨハネ5:39)、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益」なもの(テモテ皿3:16)だからだと思います。悪魔の人に対する行為や、その悪魔の働きかけへの注意は数多く語られています。これは、私たちがこの世で神に従う民として生きていく上で必要な警告だと思います。また、悪魔への主(※主=キリストの事)の完全な勝利も、聖書で多く語られています。これは、この世の王である悪魔の支配の戴難下にある私たちへの大いなる慰めとなります。っまりは、私たちの信仰生活に必要な事柄はすべて書いてあり、それ以外のこと―つまりここでは悪魔の誕生など―は、必要のない限り触れられていないのだと思います。

 しかしながら、聖書には悪魔の誕生について僅かながらも窺い知る箇所があります。よく引き合いにだされるのが、ヨハネの黙示録12章7節からです。気をつけたいのは、この書が黙示文学であるという特殊性です。象徴的表現が多く用いられ、内容の解釈についても 「過去主義」「歴史主義」「精神主義」「未来主義」と様々な解釈があり、私自身も頭の中に具体的なイメージが浮かんでこず、何回読んでも釈然としません。しかし、大筋においては当時の迫害下にある教会の信者たちを励まし、主の再臨の時を待ち望むよう勧めているのは分かります。わかりずらいのは、登場するこの世の王や人間、国家などがすべて見たこともないような獣や怪物といった象徴的なイメージで語られている点です。しかし、問題の箇所12章7節から12節までは前後の文章との相違が見られます。前後の文章は「この世」の出来事とされているのに対し、この箇所は「天」での出来事であるとはっきり示されています。そして、前後が象徴的表現を多用しているのに対し、この箇所では「ミカエル」や「悪魔とかサタン」といった具体的な名が挙げられます。ここでは、黙示的表現で遠回しな言い方をせず、そのものズバリの内容―ヨハネの見たまま―を記しているように私は解釈しています。その7節から12節を見ますと「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」とあります。私も、初めは気がつかなかったのですが、この日本語訳からは何度よんでも悪魔が堕天使であることはわからないのです。何故この箇所が教会の歴史において、悪魔が堕天使である証拠として採用されてきたのだろうと、思いました。ここは、歴史の中の艱難時代に起こる天での出来事を記し、そこでは"ミカエルとその使い"と"サタンとそのその使い"との戦い、そしてサタン側の敗北が語られているだけで、どうしてもその事実しか読みとれません。これは、日本語の訳の問題だと思います。 ミカエルもサタンも「その使い」を従えていますが、ふつう「使い」と言いますと英語ではerrandやmessengerなど使い走りのことで、「僕(召使)」の意味であればservant、「従者」という意味であればattendantやvalet等々となるでしょう。ところがここで使用している「使い」を英文で見ますと、両方ともangel(天使)なのです。つまり直訳すると、「ミカエルと彼の天使(御使い)たち」と「悪魔と彼の天使(御使い)たち」なのであり、単なる悪魔に付き従う召使ではないのです。悪魔とその天使達というのは日本語ではとても奇妙に感ずる表現ですが、悪魔側も天使であったわけです。ギリシャ語の素養が無いので、ギリシャ語でどうなっているのか知りたいものです。
 もう一箇所、聖書を見たいと思います。ペトロの手紙Ⅱの2章4節で「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました」と語っています。ここは、かなり具体的に言っています。
 ヘルマン・バヴィングの改革派組織神学の第13章では、このことを次のように語っています。「…聖書は、天使の創造と堕落についての詳細な物語をしるしてはいない。ただ人とその堕落を正しく理解するために知る必要のあることぐらしいか語っていない。それ以上くわしく語ることは一切差し控えており、少なくとも、われわれの好奇心を満足させるようなしぐさをしていない。しかし、われわれは、天使が存在しており、彼らのうちから多くの者が堕落し、またこの堕落が世の初めに起こったことを知っている」。

 さて、悪魔が堕落した天使であるならば、その天使はいかに誕生したのでしょうか。しかしながら、このことについて聖書は語っていないのです。「神は天地を創造された」(創世記1.1)のであり「神はお造りにだったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記 1.13)のですが、天地の事物に比して霊的存在である天使のことは触れられていません。それでも「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子、はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」(コロサイ1:16,17)とあるように天使も造られたものであることは間違いありません。しかし、それ以上のことを聖書から知ろうとするのは、読み込み(※意図している以上の事をそこから読み取ろうとする事)の可能性があると思います。
 では、天使の堕落はいつどのようにして起こったのでしょうか。これもほとんど触れられていませんが、天使の堕落は人の堕落以前であることは、創世記のエデンでの蛇の活躍の記事からも明白です。では、なぜ堕落したのでしょうか。テモテヘの手紙Iの3章6節に「監督は、信仰に人って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです」とあり、この箇所が悪魔が神に背いて自分を高くしたときに受けた裁きのことを意味しているなら、天使の堕落の起源は"自惚れ"や"高慢"にあるといえます。イザヤ書14章12節を見ますと「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる」とあります。これは、バビロン王に対する嘲りの歌ですが、よみに落とされる理由として、天に上ろうという高慢さが挙げられています。この個所を、そのまますべて悪魔の事柄に当てはめて考える事はできませんが、個人的には悪魔の高慢さというのもそういったものではなかったのかなあ―と思っています。
(Ⅱへ続く)。
 
 
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