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共産主義の最終的世界勝利

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2017年12月16日(土)22時06分36秒
  通報 編集済
  https://twitter.com/CatNewsAgency/status/901084961511321600/video/1

CatNA?
@CatNewsAgency

結局、日本を対米戦に引きずり込んだのは、ルーズベルト政権の奥深くまで浸透していたソ連のスパイたちであった。現在、日本国内には、中朝韓の工作員がどれだけ潜んでいるでしょうね。



ハリー・デクスター・ホワイト~ハルノートを書いた男がコミンテルンのスパイだったということはルーズベルトがスターリンに踊らされていたということが最近のヴェノナによって明らかになった

https://matome.naver.jp/odai/2130527430107993901

動画二本あり

上記ツイッターのブログはここ

http://blog.livedoor.jp/catnewsagency/

いずれにもカーティス・ルメイが出てきますが

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1105.html



初代ジョン・ロックフェラーは7歳から初代アンセルム・ロスチャイルドは13歳から働きはじめ富を築いた。映像の世紀は魅力的だが55分ごろから原爆投下のプロパガンダが入っている

ヴェノナ文書

https://matome.naver.jp/odai/2143793162904430601

ヴェノナ文書関連記事とビデオ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1189.html





田母神論文解説

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/940.html

日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポーで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。



あるいは~共産主義者の大東亜戦争責任」というのがある

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1901



ヴェノナ文書は4分23秒から.......

「ヴェノナ」とは、1943年にアメリカが始めたソ連の暗号傍受・解読作戦の名称である。本書は「ヴェノナ」解読文書の元となった通信文から、ソ連のスパ イ活動の全貌を暴く画期的な一冊。いち早くその重要性を指摘した中西輝政氏らが本邦初翻訳を試みたものである。東西冷戦後、原著者らの努力で「ヴェノナ作 戦」の成果が公表され、世界中の歴史家に衝撃を与えた。第二次世界大戦時の同盟国ソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、外交、軍事、産業上 の機密情報をことごとく盗み出していたことが分かったからである。当時のルーズベルト政権は、完全にソ連の工作の影響を受けていた。そしてアメリカの軍事 機密がソ連に筒抜けだった事実は、日本にとって何を意味するか。ソ連はアメリカの原爆プロジェクト「マンハッタン計画」を事前に把握しつつ、1945年8 月6日の広島への原爆投下を見届け、同月8日に対日宣戦布告を行ったということである

管理人注:最後の記述に大きな間違いがあります。もう分かりますよね,いちいち説明しなくても 田母神論文はヴェノナ文書の存在を書いたわけでそれがばれると大変なことになるので建前上解雇されたことになっている(これはアメリカに対する単なるジェスチャー)。安倍総理は田母神氏を大応援しているのです。祖父から聞いたんでしょう。スターリンに踊らされたと。



8分36秒から小池百合子









岸信介かく語りぬ~スターリンがE・ロスチャイルドの庶子だったことは知らなかったでしょうね

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3416

第56-57代の内閣総理大臣を務めた岸信介は、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文でこう記している。

「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うならば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない」と。

コミンテルンの『敗戦革命』戦略



日本会議のブレーン江崎道朗

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B4%8E%E9%81%93%E6%9C%97

コミンテルンの陰謀と日本の敗戦

https://matome.naver.jp/odai/2150313040555813301

急増する歴史見直しサイト

http://ironna.jp/article/915







日米を戦わせよ 1920年レーニンの演説とスターリンの謀略

http://ironna.jp/article/914

大東亜戦争とスターリンの謀略

http://bewithgods.com/hope/japan/25.html

ヴェノナの衝撃

http://ddh1101.blog28.fc2.com/blog-entry-347.html



2016/12/31 に公開

【コミンテルンネットワークの闇】
※昭和20年(1945年)に自決 / 昭和24年、25年、23年、23年、32年に病死?
※「敗戦革命」・・・旧ソ連の生みの親であるレーニンが編み出した理論と言われています。母国のロシア帝国で成功させた共産主義革命をモデルとした革命思想。

概要
1)帝国主義国家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。
2)戦争当事国を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、国家元首と国民を離間させる。
3)敗戦国はモラルも一気に低下し、国家元首が窮地に立たされる事で、追い落としが可能となる。
4)共産主義による新たな希望を持たせる宣伝活動と、謀略、時には暴力をもって国家元首を追い落とし、新たな共産主義国家を建国する。

日本の敗戦はアメリカ軍の占領によってなされたので、敗戦革命は目的の半分までしか成功しませんでした。しかし、ソ連にとっては、日本が戦争を起こしたお陰で、アメリカを戦場に引ずり出し、支那大陸も結果として中共の手に落ちたので成功なのです。

現実には、当時の日本では、民主主義がかなり進行していたので、受け入れられてしまっていたのです。モダンな先端思想として、特に日本の上流階級を中心に取り込まれていました。ただ、天皇家に対する忠誠心は国家の義務とする風潮があったので、誰もが公言できるような雰囲気に無かっただけです。

逆に、今の時代のように、浅間山荘事件や成田空港闘争を見せ付けられた国民にとっては、 共産主義の過激な思想を体感し、ソ連や北朝鮮の杜撰な国家体制を目撃した後なので、共産党のシンパも一定数以上には増えず、一歩身を引いて考える事ができますけど、当時は、まだ出来たばかりの新しいソビエト連邦は、それこそ光り輝く理想の国家に見えたものなのです。

『左翼』・・・その光り輝く理想国家に見えるソ連式の共産主義思想をそのまま受け入れ、身も心も共産主義に囚われた・・・と

『右翼』・・・天皇陛下を頂いたまま共産主義革命(国家社会主義体制)を起こそうという奇妙な理想を掲げた・・・と

当時の日本で、社会変革を望む連中は、結局は同じ穴の狢だったということなのです。

では、なぜ受け入れられるような土壌が日本で育まれたのか?
それは・・・
ひとつは、日露戦争に勝利した日本は、地政学的に、反帝政ロシアとしての一翼を担ったためです。帝政ロシアと戦い、打倒ロシアでソ連誕生を支援する。そして、ソ連とのネットワークが確立される。この流れは、至って自然なものでしょう。
戦前の日本のインテリのトレンドは、「マルクス主義」でした。日本の近代化を学びに留学してきた、辛亥革命に貢献する、多くの中国人たちに対しても、この思想を指導した日本のインテリたちが多く存在したのもこの為です。

そして、もうひとつは、当時、戦前の日本では、伸びていたと言っても、まだまだ国家の工業力が発展途上であったのに、台湾、朝鮮、南洋、後には満洲、等々の経営も背負っていたので、負担が重過ぎました。
日本は 『いわゆる植民地』 から搾取するようなことをせず、国内の投資よりも外地への投資が優先されてしまい、東北地方の飢饉などが発生しても十分な対策が取れませんでした。そういう国内の背景があり、さらには海外からの人種差別的な不公平な圧力もあって、日本には社会全体にとっても息苦しい閉塞感が生まれてしまったのです。

その打開策として、共産主義革命や国家社会主義体制は魅力的に写ったということです。そういった流れの中で5・15事件や2・26事件などの若手の軍人による決起があり、 2・26事件などでは、昭和の天皇陛下を廃し、陛下の弟君である秩父宮殿下を擁立する考えを持った者もいたりしたのです。

革命の名称こそ語られませんでしたが、日本の閉塞状況を打開するには・・・「日本こそ敗戦革命が必要だ」と、考える人間が少なからず、戦前には居たのです。さらにたちが悪いことに、軍部の官僚エリートの中にもかなり浸透していました。現代の保守派の人には、とても信じられないことかも知れませんけど、紛れもなく、戦前の日本には・・・裏切り者、売国奴が国家の中枢にいたという事です。
戦前はエリート将校の全てが一生懸命に戦ったのではありません。愚かな売国奴や小役人の官僚軍人が日本を敗戦に導いた部分がかなりあるのです。どんなに庶民の兵隊が勇敢であったとしても、エリート将校のミスが多ければ戦争は負けます。ましてや、わざと負けるように仕組んだ売国奴がいたとすれば、それは負けて当たり前です。

GHQはそういう日本を敗戦に導いた・・・米軍にとっての功労者は、わざと追求しませんでした。そういう売国奴の多くは、戦後ものうのうと生き延びたのです。

終戦直後、陸軍大将の阿南惟幾さんが、切腹をする前に部下に語った言葉があります。「米内を斬れ」と。

米内光政・・・この元海軍大臣はある意味、対米戦争を誘導したにも関わらず、GHQから呼び出しすら掛かりませんでした。現在では、彼は戦争に反対していた 『平和主義者』 というありがたいレッテルを貼ってもらっていて、それ以上に追求される気配さえありません。

かつて、戦後の防衛大臣が原爆に言及し、「しかたなかった」発言で辞任を余儀なくされましたが、戦後「原爆は天佑」と発言した人物がいます。米内光政でした。

「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」

もちろん、この真意を測りかねる、米内の発言への『解釈』については、当然、人それぞれでしょう。。。
米内は、ロシア(ソ連)駐在経験を持っていました。

現代の日本を知るには、過去の真実を知る必要があります。
まだまだ日本は、先の大戦を敗戦に追い込んだ・・・いえ、『敗戦革命』に追い込んだ本当の戦犯を裁けない国なのです。

※都留 重人(つる しげと、1912年 - 2006年)フランクフルト学派。経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。日本人として2人目のハーバード大名誉学位保持者
アメリカウィスコンシン州のローレンスカレッジに1年間留学し、ハリー・ホワイトなどの授業を受ける。その後ハーバード大学の学部に入学し、同大大学院で博士号 (Ph.D.) を取得。
1942年(昭和17年)、第二次世界大戦勃発(日米開戦)を受けて辞職して交換船で帰国後、妻の伯父である木戸幸一が重光葵に頼み、外務省嘱託として就職。1944年(昭和19年)6月、東條英機により、意見が対立していた木戸に圧力を掛ける目的で、解雇された上、召集令状が出されて陸軍に徴兵された。しかし、木戸が東條の秘書官であった赤松貞雄に頼み込んだので、赤松は木戸の依頼に応え、外務省から都留のために「余人をもって替えがたし」という申し入れを陸軍に出させるように取り計らい、3カ月で除隊となった。
1947年(昭和22年)、片山内閣の下で経済安定本部総合調整委員会副委員長に就任。
1948年(昭和23年)、東京商科大学(現・一橋大学)教授に就任。その後、冷戦下の赤狩り(マッカーシズム)の中でアメリカ留学当時共産主義者であったことを告白する。
1965年(昭和40年)に一橋大学経済研究所所長、1972年(昭和47年)から1975年

(昭和50年)まで一橋大学学長、同年に一橋大学名誉教授(定年退官)。1975年から1985年(昭和60年)まで朝日新聞社論説顧問。1986年(昭和61年)、明治学院大学教授就任。明治学院大学国際学部の創設に尽力した。この間ハーバード大学客員教授等を歴任。

アメリカ共産党のポール・スウィージーと親交。
人脈として、エドガートン・ハーバート・ノーマンも挙げられる。
ノーマンは在日カナダ人宣教師の子として長野県軽井沢町で生まれる。カナダ外務省からGHQに対敵諜報部調査分析課長として出向し、憲法草案要綱作成を促す。
都留重人を取り調べたFBI捜査官によるアメリカ上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで飛び降り自殺を遂げた。最近では冷戦崩壊後における「ベノナ」などの機密解除や、当時の関係者の記録などからソ連のスパイであったという疑いが確実となっている。
尾崎秀実、鬼頭銀一、川合貞吉、水野成、山上正義、船越寿雄







以下は反日プロパガンダフィルム



三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』(1)

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/ouchoumei3.html

三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』(2)

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/ouchoumei4.html

近衛文麿の戦争責任 1

http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/nakagawa1.html

近衛文麿の戦争責任 2

http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/nakagawa2.html

近衛文麿の上奏文

http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/konoe/jousoubun.html

コミンテルンは戦争を指示したのか

http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/Comintern1.html

日米開戦 コミンテルン陰謀説 その1

http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/White1.html

日米開戦 コミンテルン陰謀説 その2

http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/White2.html

日米開戦まで一か月 1

http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen1.html

日米開戦まで一か月 2

http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen2.html

日米開戦まで一か月 3

http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen3.html

関連記事:しばやんの日々

http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html

昭和29年(1954)に在日ソ連大使館の二等書記官という肩書を持つラストヴォロフKGB中佐が東京から米国に亡命した事件があった。(ラストヴォロフ事件)
彼はソ連の工作員で日本の共産化のための工作を行なっていたのだが、亡命先のアメリカで、36人の日本人エージェントを有していたと証言したことがマスコミに報じられ、エージェントのうち元関東軍第三方面軍情報参謀・志位正二少佐と元参謀本部作戦課参謀・朝枝繁春中佐が警視庁に自首したという。志位正二少佐という人物は現在の日本共産党委員長・志位和夫の叔父だという。

管理人注:志位和夫論

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/miyakenco/shico.html

『ラストヴォロフ事件とは次のような事件である。1950年、ラストヴォロフは、東京に戻り、二等書記官として麻布の駐日大使館に赴任した。日本では、主として在日米軍に関する情報の収集に従事し、アメリカ軍人が出入りするバー、レストラン、テニス・クラブに通った。目的は、アメリカ人協力者を得る事であったとされるが、このテニスクラブ入りが、皮肉にも、ラストボロフがアメリカ人に接近していると言う疑念を本国に抱かせ、後の亡命の一因になったと言われる(三宅正樹『スターリンの対日情報工作』参照)。1953年3月5日、ヨシフ・スターリンが死去した。間もなく、内務相のラヴレンチー・ベリヤが逮捕され、国家保安機関内で粛清が始まるとの噂が流れた。1954年1月、大使館内の高官による会議が開かれ、ラストヴォロフのモスクワ召還が決定された。彼は、同年1月25日発の横浜-ナホトカ便で帰国するはずだった。帰国前日の1月24日、工作中に知り合った英語教師(アメリカの防諜員)メリー・ジョーンズ(後の妻)と接触し、CIAの代表部に引き渡された。ラストヴォロフは、飛行機で東京から沖縄に、その後グアムの米軍基地に移された。事件発覚後、西側のマスコミは、この事件をセンセーショナルに報道した。また、日本側の報道でも、1954年8月14日付け朝日新聞が、外務省と公安調査庁の共同発表を「ラストボロフ事件の真相」という見出しをつけて掲載している。各種報道によると、ラストヴォロフ自身は、36人の日本人エージェントを有していたと証言したとされる。まもなくエージェントの1人、元関東軍航空参謀少佐志位正二が自首した。志位はソ連抑留中にスパイになることを強要されて帰国し、主として日本の再軍備についてラストボロフに報告、月一回、計30回にわたって約50万円を受け取ったといわれている。8月14日、外務省欧米局第5課事務官・日暮信則、国際協力局第1課事務官・庄司宏が国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反の容疑で逮捕され、8月19日、外務省経済局経済2課事務官・高毛礼茂(暗号名・エコノミスト)が同容疑で逮捕された。日暮信則は、事件の取調中、4階の窓から飛び降りて自殺した。高毛礼茂は懲役8月、罰金100万円の判決を受けたが、庄司宏は証拠不十分で無罪判決を受けた。同年、ソ連の軍事裁判所は、欠席裁判でラストヴォロフに死刑を言い渡した。同僚のワシーリー・ソコロフは、諜報部を解雇され、ソ連共産党から除籍された。アメリカ亡命後、ラストヴォロフには、架空の履歴が与えられ、CIAの顧問として働いた。1950年代末には、解職され、電気会社のマネージャーとなった。1959年、アメリカ上院の特別決定により、アメリカ市民権を取得。アレン・ウェルシュ・ダレスは、ラストヴォロフの功績に対して感謝状を贈っている』

ラストヴォロフは米国で、モンゴルのウランバートルにあった「第七〇〇六俘虜収容所」という偽装看板の特殊学校で、11名の厳格にチェックされた共産主義者の日本軍人を、共産革命のための工作員として養成したという証言もしているようだ。
その11名のうち氏名が判明しているのは、志位、朝枝のほかには、帰国後総合商社伊藤忠商事の会長や中曽根康弘総理のブレーンを務めた瀬島龍三、先ほどの対ソ和平仲介工作で名前の出てきた種村佐孝がいる。種村は帰国後、日本共産党員となっている。

読売報知S200315

『一億玉砕』と本土決戦を国民に呼びかけたことも種村や松谷が作成した「終戦構想」にあるようなのだが、こういう史実を追っていくと、われわれには重要な真実が戦後の長きにわたって封印されてきたことを知らざるを得ない。真の戦争犯罪人はソ連のスターリンではなかったか。

谷内正太郎はキッシンジャーと同じだった

https://ameblo.jp/kororin5556/entry-12277483148.html

関連記事:ソビエト代理人 H・キッシンジャー

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/222.html

ペレストロイカ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1001.html

"The Soviets are not striving for genuine, lasting accommodation with the Western democracies but for the
final world victory of Communism"
...Anatoliy Golitsyn, 1995

『ソビエトは西側民主主義との真正の永続的調停を目指して努力しているのではなくて、共産主義の最終的世界勝利を目指して努力しているのである」.........アナトリー・ゴリツィン、1995年』

The Fatima Crusader, Isuue 51: Winter 1996より

ウィリアム・ファンテ

「ソビエトは西側民主主義との真正の永続的調停を目指して努力しているのではなくて、共産主義の最終的世界勝利を目指して努力しているのである」...アナトリー・ゴリツィン、1995年

神が一つの計画を提示なさるとき、人間は他の計画を選ぶ自由はない。それから神が一つの救済策をお与えになると相手である人間は「よりよい」方を選ぶ権利を持たない。それは神の計画を人間自身の見通しと取り替えようとするうぬぼれと傲慢である。特にファチマの場合には、そのような取り替えは恐るべき忘恩の趣がある。われらの祝せられた御母が単に20世紀の差し迫った災厄についてわれわれに警告なさるためばかりでなく、われわれがそれらの災厄をどのように避けることができるかをわれわれに告げるためにファチマに来られたのはまったく神の善性である。ファチマは本質的に超自然的であるがゆえに、そのメッセージに従うことは世界の危機を妨げる以上の多くのことをする。それは数百万の霊魂を地獄の火から救う。

聖母の救済策は単純なものであって、「この世の住人たち」が「余りにも単純すぎる」とそれを笑い飛ばすほどに単純である。しかしファチマに同意しないことは日の出に同意しないことにほとんど似ている。20世紀に関するファチマの予告が非常に正しかったということを時が証明した。それゆえに、ファチマの聖母によって与えられた救済策以外の他の救済策はないのである。世界平和を手に入れるためには十分な数のカトリック教徒が毎日のロザリオを祈り、茶色のスカプラリオを着用し、神に日々の義務を捧げ、5回の初土曜日を実行しなければならない。最後にある特別の日に世界のカトリック司教たちと一致して教皇によるマリアの汚れなき御心への特殊的かつ名を挙げてのロシアの奉献を求める断固たる要求が存在する。もしこのことがなされるならば、ロシアは回心し、多くの霊魂が救われるであろう。神がそのことを保証なさったのだ。

以下省略

原文~http://www.fatimacrusader.com/cr51/cr51pg10.asp

元KGB捜査官で元CIAのアナトリー・ゴリツインは故クリストファー・ストーリー氏の刎頸の友であり管理人の知り合いでもある。

Thesis資本主義+AntiThesis共産主義=A defactSynthesis世界統一政府=共産主義の最終的世界勝利

Perestroika Deception: Memoranda to the Central Intelligence Agency - The World's Slide Towards the Second October Revolution ('Weltoktober') (英語) ペーパーバック  ? 1997/3

Anatoliy Golitsyn   (著)

Perestroika Deception

https://www.youtube.com/results?search_query=Perestroika+Deception









All About Leo Wanta

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/424.html

魚拓ですが内容が内容ですから転載などしないように

http://megalodon.jp/2009-0318-0305-13/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/300.html

イルミナティの仕組み

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/12.html

Anatoliy Golitsyn



https://www.youtube.com/results?search_query=Anatoliy+Golitsyn



下の記事を読めば誰が金日成を創作したのか分かるでしょう



http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3887





西海岸に住んでいる方のブログ~UNと書かれた白バイや車両は現在数多く存在し実際に違反切符などを発行しています。なんで国連が.......などなのですがそれは日本人が知らないだけの話なのです。

http://nihonmagokoro.blog.fc2.com/blog-entry-135.html

問題のUN車両のビデオ

http://chicago.cbslocal.com/2017/12/14/richard-boykin-united-nations-gun-violence/

シカゴでの関連記事

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52019546.html

共産主義とロスチャイルド

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/572.html

共産主義を25年前に警告した元KGB

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51895484.html





日本の戦争 前編

https://www.youtube.com/watch?v=tFzMqSgOdt8

日本の戦争 後編

https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%80%E5%BE%8C%E7%B7%A8

もし安楽死法案が成立したら~これは12歳の国では無理な事

http://karapaia.com/archives/52250373.html

現金お断り

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24767770Y7A211C1EE9000/?n_cid=NMAIL007

おまけ











 
 
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